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日産ギャラリーで歴代の名車と再開! その7

2016年06月14日 | トッポパパの愛車
最後にフェアレディの歴代の写真をまとめてみました。
車に興味がない人には、車の写真ばかりで辟易しているかもしれませんが申し訳ありません。
トッポパパの個人的興味なので、もう少しご容赦ください。



1960年から本格的に北米輸出が開始された『フェアレディ SPL213』(SPL212型)は、小型スポーツカーとして自動車先進国であったアメリカで一定の評価を獲得しました。
搭載エンジンは55馬力で、生産台数は、212と合わせシリーズとして500台程度という貴重なモデルです。
記念車は、美しい曲線を描くモールで分割された赤と白のツートンカラーのエクステリアがとてもおしゃれなSPL213(「L」はLeft handle、左ハンドルを表すアルファベット)です。

年式:1961年、型式:SPL213型、車両重量:890kg、エンジン:E1型 (直4・OHV) 1,189cc、最高出力:40kW(55ps)/4,800rpm です。



1961年の第8回東京モーターショーで発表、翌年に発売されたのが『ダットサンフェアレディ1500』(SP310型)です。
型式名のとおりダットサン310型(初代ブルーバード)のシャシーへセドリック30型のエンジンを搭載し、それまでにない低重心でスポーティなスタイリングで話題をさらいました。
輸出仕様はさらにツインキャブレターを採用し80馬力にまでパワーアップしていました。
このクルマは1963年、「第1回日本GPレース」のB-IIカテゴリーで優勝したマシンです。

年式:1963年、型式:SP310、車両重量:835kg、エンジン:G型 (直4・OHV・SUツインキャブ) 1,488cc、最高出力:59kW(80ps)/5,600rpmです。



1963年以降は、『ダットサンフェアレディ1500』は輸出仕様と同様にSUツインキャブレターを採用し80馬力にパワーアップされました。
このクルマはフロントフェンダー上のターンシグナルランプとロードホイールがノンオリジナルです。

年式:1965年、型式:SP310、車両重量:1198Kg、エンジン:G型 (直4 OHV SUツインキャブ) 1,488cc、最高出力:59kw(80PS)/5600rpmです。



1967年(昭和42年)には、U20型1982ccエンジンを搭載したSR311型『フェアレディ2000』が登場しました。
エアインテークが目を惹くボンネット下のSOHC4気筒U20型エンジンは、ソレックスキャブレターを装備し最高出力145馬力、910kgのボディーを強力に加速。(0~400Mを15.4秒)させることができました。
フロントサスペンションにもダブルウィッシュボーンを採用し、リヤサスペンションにはトルクロッドが追加されるなど、当時の最新メカニズムを搭載していました。
操縦安定性だけでなく乗り心地にも配慮し、さらに北米輸出の為、合わせガラスや3点式シートベルトが備わるなど、安全装備も充実していました。
このクルマは、145馬力U20型エンジン搭載の『フェアレディ2000』で国内向け仕様です。
この時代にこんなお洒落な車があったのです。

年式:1967年、型式:SR311、車両重量:910kg、エンジン:U20型 (直4・SOHC) 1,982cc、最高出力:107Kw(145ps)/6,000rpm です。



1967年、ダットサン・フェアレディの2代目SP310型に、強力な2000ccエンジンを搭載した『DATSUN 2000 SPORTS』モデルが誕生(SR311型)しました。
フェアレディ1600に追加発売されたこのモデルは、1982ccのU20型直列4気筒OHCエンジンと、ポルシェタイプシンクロを持つ5速トランスミッションを搭載。さらにソレックスツインキャブレターを装着し、最高出力は145馬力を発揮しました。
最高速度は205km/hを記録し、日本車初の200km/hオーバーカーとなりました。
同年5月に開催された「第4回日本グランプリ」のGTクラスでは、このフェアレディ2000が1位~3位を独占と、その実力を十分に発揮しました。
1969年(昭和44年)に後継のフェアレディZが登場するまで、数々のレースで輝かしい成績を残しました。
このクルマは、対米輸出仕様の左ハンドル車です。エンジンはSUツインキャブ仕様で、135馬力を発揮しました。

年式:1968年、型式:SRL311、車両重量:960kg、エンジン:U20型 (直4・OHC) SUツインキャブ 1,982cc、最高出力:99kW(135ps)/6,000rpmです。



『フェアレディ』の車名は、1961年(昭和36年)に発売された1200ccエンジンのSPL212型に初めて冠せられたもので、そのルーツは1959年(昭和34年)6月に発売されたダットサン・スポーツ(S211型)にまで遡ります。
1000cc・34馬力のS211型 の改良版であるSPL212(1200cc・48馬力)や、SPL213(1200cc・55馬力)が輸出専用であったため、日本での「フェアレディ」の販売は1962年の『フェアレディ1500』(SP310型)からでした。
『フェアレディ1500』(SP310型)は、1963年に行われた第1回日本GP(B-Ⅱクラス)で海外のスポーツカー勢を相手に独走で優勝、日本のスポーツカーのレベルの高さを証明しました。
1965年にマイナーチェンジを受けたフェアレディは、1600ccエンジンを搭載しSP311型となりました。
エンジンは初代シルビアに初採用されたR型(1595cc・90馬力)を搭載、トランスミッションはポルシェタイプの4速フルシンクロを採用していました。
このクルマは、1600ccエンジン搭載の北米向け輸出仕様SPL311型です。
左ハンドル、バンパーがオーバーライダー付となるなど国内仕様とエクステリアの細部が異なっていました。

年式:1968年、型式:SPL311、車両重量:945 kg、エンジン:R型 (直4・OHV) 1,595cc、最高出力:71kW(96ps)/6,000rpm です。



フェアレディZの初代モデル『フェアレディZ 432』(S30型)は、1969年に発売され、日本だけでなく、北米市場を中心に世界規模の大ヒット車となりました。
日産の世界的なイメージリーダーとして9年間に及んで生産され、グローバル販売52万台という、単一型式のスポーツカーでは未曽有の大記録を樹立しています。
このクルマは、3代目スカイライン2000GT-R(PGC10型)と同じ直列6気筒・4バルブDOHC・160psの「S20型」エンジンを搭載した高性能モデルです。
車名の432とは、『4バルブ・3キャブレター・2カムシャフト』から取ったネーミングであり、S20型エンジンの構成に由来します。
当時の価格もベーシックな「Z」のほぼ2倍に相当する185万円で、フラッグシップモデルらしくLSD(リミテッド・スリップ・デフ)や贅沢なマグネシウム製ホイールまでも標準装備でした。

年式:1969年、型式:PS30、車両重量:1,040kg、エンジン:S20型 (直6・DOHC)ソレックスキャブレター 1,989cc、最高出力:118kW(160ps)/7,000rpm です。



1971年『フェアレディ240ZG』が日本国内にもリリースされました。
240Zは当初、北米向けに輸出されたモデルで、海外での人気を耳にした日本のファンからの声に応える形で、グレード展開は、240Z、240Z-L、そしてこの記念車の240ZGは最上級グレードでした。
外観上の最大の特徴は、「Gノーズ(エアロダイナ・ノーズ)」といわれたフロントマスクの先端部分で、FRP製のノーズコーンやヘッドライトカバー、そして膨らんだオーバーフェンダーを装着しています。見
た目の迫力だけではなく、空力性能を示すCd値は、0.390と当時のスポーツカーではトップクラスで、最高速度は210km/hまで到達しました。
搭載されたのは、2393ccのL24型エンジンで最高出力は150馬力、最大トルクは21.0kg-mと十分以上の運動性能を誇りました。トランスミッションは5MTに加えて、3速ATも用意され、GTカーとしての資質も備えていました。

年式:1972年、型式:HS30H型、車両重量:1,010kg、エンジン:L24型(直6・SOHC) 2,393cc、最高出力:110Kw(150ps)/5,600rpmです。



グローバルな大ヒットスポーツカーとなった初代フェアレディZ(S30型)は、国内の2ℓエンジンに対して、輸出向けは2.4ℓエンジンで発売されました。
この輸出仕様が、発売2年後の1971年になって日本市場にも新規投入された際に追加になったのが、独特のノーズピース「エアロダイナ・ノーズ」をもつ『フェアレディ 240ZG』です。このクルマはその240ZGのレース仕様テストカーで、排気量2,870㏄クロスフローのLY28型エンジンを搭載しています。

年式:1973年、型式:S30H、エンジン:LY28 (直6・OHC<クロスフロー>) 2,870cc、最高出力:221kW(300ps)/7,600rpmです。



1974年に、『フェアレディ 240ZG』はホイールベースを延長して後席を設けた4人乗りの2/2『フェアレディ Z-T』を加えました。
さらに、1976年には、電子制御燃料供給装置・EGIなどで排気ガス規制に適合したS31型へ進化しました。
このクルマは、アルミロードホイール、195/70HR14タイヤ、リモコン式フェンダーミラーなどを標準装備した最上級のZ-T 仕様です。

年式:1977年、型式:S31、車両重量:1,135kg、エンジン:L20(E)型 (直6・OHC)EGI 1,998cc、最高出力:96kW(130ps)/6,000rpm です。




1976年には、昭和51年排出ガス規制に対応するため、L20型エンジンはSUツインキャブレターを電子制御式燃料噴射装置に改良したL20E型に変更され、型式もS31型となりました。
このクルマは、1977年式の『フェアレディZ-L 』(2シーター)S31型Z-Lです。
Z-Lは、S30型系に設定されたグレード名で、装備を充実させた上級グレードです。

年式:1977年、型式:S31、車両重量:1,135kg、エンジン:L20E型 (直6・SOHC) 1,998cc、最高出力:96kW(130ps)/6,000rpmです。



1978年、フェアレディZは2代目のS130型にフルモデルチェンジしました。
2000cc のZ と2800cc の280Z の2系統があり、エンジンはどちらもL型の直列6気筒でした。
スタイリングは伝統のロングノーズ& ショートデッキながらサイズが拡大されたため、2シーター、2by2(ツーバイツー)ともに室内スペースが拡大しました。
このクルマは、最高出力145馬力のL28E型エンジンを搭載する初期のモデルです。

年式:1978年 、型式:HS130、車両重量:1,225kg、エンジン:L28E型 (直6・OHC) 2,753cc、最高出力:107kW(145ps)/5,200rpm です。



フェアレディは1983年に累計生産台数100万台を突破しました。
その記念すべき年にデビューしたのが、3代目『フェアレディZ・Z31型』です。
エンジンは従来の直列6気筒・L 型から、新世代のV 型6気筒・VG 型に進化しました。
エクステリアは、ロングノーズ・ショートデッキのプロポーションを受け継ぎながら、空気抵抗係数(Cd 値)=0.31の尖鋭的なシルエットに生まれ変わり、消灯時でもレンズの一部が見えるパラレルライジングヘッドランプなどによる個性的なデザインも人気を集めました。
このクルマは、最高出力170馬力のV20ET型エンジンを 搭載しました。

年式:1985年、型式:GZ31、全長:4,535mm、車両重量:1,300kg、エンジン:VG20E・T (V6・OHCターボ) 1,998cc、最高出力:125kW(170ps)/6,000rpm です。




フェアレディZの4代目『フェアレディーZ 2by2 300ZX ツインターボ』(Z32型)が1989年に発売されました。
ワイド&ロープロポーションのスタイル、60度の超スラントヘッドランプ、躍動感に満ちたキャビンフォワードのシルエット、運動性能の良さを象徴するショートオーバーハングなど、フェアレディZの伝統を継承しつつ、さらに美しさと精悍さを進化させたスタイリングが特徴でした。
2人乗りの2シーターと4人乗りの2by2(ツーバイツー)のバリエーションがあり、エンジンは3000ccV型6気筒DOHCのVG30型で、ツインターボと自然吸気の2機種がありました。
4輪マルチリンクサスペンション、スーパーHICAS、アルミキャリパー対向4ピストンブレーキなど、当時の日産が誇る最新のシャシー技術を余すことなく投入していたことも大きな特徴です。

年式:1989年、型式:GCZ32、車両重量:1,570kg、エンジン:VG30DETT型 (V6 DOHC ツインターボ) 2,960cc 、最高出力:206kw(280ps)/6,400rpmです。



Z32型コンバーチブルは、1991年の東京モーターショーでの大好評を受け、1992年に待望の『フェアレディZ コンバーチブル』が正式発売となりました。
屋根である幌の開閉は手動式で、オープンにするとBピラーがまるでロールバーのように残ることがデザイン上の特徴でした。
ベースは2シーターの300ZXで、独立したトランクリッド、幌収納用ストーレッジリッド、幌フレーム等をアルミ化し、コンバーチブルの重量増は、わずか60kg増に抑えられていたのも特徴です。
エンジンは自然吸気の3000cc、V型6気筒DOHCのVG30DE型を搭載し、230馬力の最高出力を発揮しました。

年式:1992年、型式:HZ32、車両重量:1,520kg、エンジン:VG30DE型 (V6・DOHC) 2,960cc、最高出力:169kW(230ps)/6,400rpmです。




その後ルノーとの提携の始まった日産にとって、世界に知られた日産の象徴としての『Z』は大きな資産であり、その復活を望む声が内外ともに高まりました。
その期待感の中、2001年のデトロイトでそのコンセプトが発表された新型Zカーは、伝統の『Z』らしさに現代的な感覚と高品質感、手ごろな価格で賞賛を浴び、翌2002年に『フェアレディZ バージョンST』が日米ほぼ同時発売されました。
3.5リッターの自然吸気VQ35DEエンジンのみ、2シーターのみと割り切った点も好評で、途中でロードスターモデルを加えながら、次世代Z34型にスイッチするまでに、Z32型の2倍以上に相当する約25万台を生産する大ヒットになりました。
このクルマは、Z33型のシャシーナンバー1号車で、発表会などの場で大切に使われてきた個体です。

年式:2002年、型式:Z33、車両重量:1,450kg、エンジン:VQ35DE型 (V6・DOHC) 3,498cc、最高出力:206kW(280ps)/6,200rpmです。



オープンカーである『フェアレディZ ロードスター』が、2003年に追加されました。
屋根は2000年代に入り流行しつつあるメタルトップではなく、伝統的なソフトトップ(幌)を採用しました。
電動開閉式で、約20秒間という短時間で開閉します。
搭載エンジンは、V型6気筒DOHCの3498cc(VQ35DE)で、ターボはなくNA(自然吸気)のみの設定です。

年式:2003年、型式:Z33、車両重量:1,550kg、エンジン:VQ35DE型 (V6・DOHC) 3,498cc 、最高出力:206kW(280ps)/6,200rpmです。

その後フェアレディは現在の車に引き継がれていきます。


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最後の最後にトッポパパが一番憧れた車は、




このMID4(ミッド・フォー)と呼ばれた車です。
技術の研究・開発の成果を、モーターショーを通じて発表することを目的とした実験車両で、エンジンを車体中央に搭載し、駆動方式を4輪(4WD)としたスーパースポーツカーに由来して、車名をMID4としました。
この車両は、1987年に開催された東京モーターショー出展車で、エンジンは最高出力330馬力のV型6気筒DOHCツインターボ、インタークーラー付、VG30DETT型エンジンを搭載しました。
サスペンションはフロントにダブルウイッシュボーン式、リヤにHICAS(ハイキャス)という操舵機構を採用したマルチリンク式を採用していました。
残念ながら市販には至りませんでしたが、その技術の多くは、1989年に発売された4代目フェアレディZ(Z32型)や、トッポパパの愛車だった3代目スカイラインGT-R(R32型)などに応用されています。

年式:1987年 、型式:MID4-II 、車両重量:1,400kg、エンジン:VG30DETT型 I/C (V6・DOHC ターボ インタークーラー付き) 2,960cc、最高出力:242kW(330ps)/6,800rpmです。
もし市販されていたら、名車中の名車 『幻の名車』となっていたでしょう。

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日産ギャラリーで歴代の名車と再開! その6

2016年06月13日 | トッポパパの愛車
『日産ヘリテッジ・コレクッション』を日産の公式サイトから抜粋して紹介します。



『ダットサン』とは、1914年に『快進社』が『ダット1号車』を製造したことに由来します
『DAT(ダット)』は『快進社』への出資者3人のイニシャルから取られ、DATの息子を意味する『DATSON』が生まれました。
しかし、『SON』は『損』を連想させるため、発音が同じで太陽を意味する『DATSUN(ダットサン)』に改められ、昭和7年の10型から採用されました。
『ダットサン』は、主に日産自動車の小型車に使われ、日本のみならず、海外でも親しまれるブランド名になりました。
初めて知りましたが興味深い話です。
この『ダットサン12型フェートン』は、日産自動車が創業した1933年に製造されていた日産最古のモデルです。
記念庫の中でもっとも古い年式の車で、フェートンとは、折りたたみ式の幌を持つ4人乗りのオープンカーの呼び名です。

年式:1933年、型式:12型、車両重量:500 kg、エンジン:水冷4気筒(SV)748cc、最高出力:9kW(12ps)/3,000rpmです。



日産自動車は、1933年の『自動車製造株式会社』設立時点でスタートしました。
1934年には現在の日産自動車株式会社へ改称します。
さらに、当時の日本では未曽有となる年産2万台規模の本格的な量産に取り組み、翌1935年に横浜市の新工場で最初に生産されたのが『ダットサン14型ロードスター』です。
グリルの上に置かれた美しい兎のマスコット(ダット:脱兎:兎が走るイメージ)が目を惹きます。

年式:1935年、型式:14型、車両重量:550kg、エンジン:7型(直4・SV)722cc、最高出力:11kW(15ps)/3,600rpmです。



こちらは、『ダットサン14型ロードスター』の記念車ですが、フェートンを被ったフォルムは、今見てもお洒落です。
2人乗りで、トランクの中に補助席が格納されていました。



1936年に登場した『ダットサン15型フェートン』です。
4人乗りセダンを幌付きにした仕様です。
14型と同じ722cc(7型)で、排気量こそ同じですが、圧縮比を5.2から5.4に上げることで、16馬力と1馬力向上させています。
現在でこそクルマにとって1馬力は大きなパワーアップには感じられないかもしれませんが、当時では着実な進化といえるものです。
エクステリアでは、ラジエーターグリルの左上に角型のDATSUNバッジが付いたのが15型の特徴ですが、このクルマでは残念ながら欠品となっています。
さらに、ボンネット真横にあるルーバーのデザインも14型のシンプルな縦縞のものから、5つ連なるような横長形状のデザインに変わっています。

年式:1936年、型式:15型、車両重量:610 kg、エンジン:7型(直4・SV(サイドバルブ)722cc、最高出力:12kW(16ps)/3,600rpmです。



こちらも同じ『ダットサン15型ロードスター』です。
こちらは後席のない2人の乗りのロードスターであるため、リヤエンドが丸く落ち込んだフォルムが特徴です。
法律が改正されたことにより、この15型からスペアタイヤがトランクの外に固定できるようになり、積載量の向上が図られました。



1937年にデビューした『ダットサン16型 クーペ』です。
セダンやフェートンとともに、クーペとロードスターがラインアップされました。
15型と同じ722cc・16馬力の7型エンジンを搭載しています。
クーペは、セダンと異なり、サイドステップがなく、埋め込み型ドアハンドルなど斬新なディテールと流麗なスタイリングが特徴です。
クーペモデルは、設定がない年式もあり、生産台数も少ないことから、きわめて貴重な1台です。

年式:1937年、型式:16型、車両重量:?、エンジン:7型(直4・SV)722cc、最高出力:12kW(16ps)/3,600rpm、定員:4名です。



戦時色が濃くなりつつある1938年にデビューを果たした『ダットサン17型セダン』は、タフで経済性に優れ、日本中で大いに活躍しました。
エクステリアデザインは、前年に登場したダットサン16型セダンを踏襲しています。
フロントグリル中央を貫くように、太めの縦バーが入っているのが特徴です。
搭載されるエンジンは、サイドバルブ(SV)の722ccで、16馬力という最高出力も16型と同数値です。
この年はドイツで初の国民車となるフォルクスワーゲン・ビートルが誕生しており、当時の先進国では、第二次大戦前のモータリゼーションが高まりつつある状況にありました。
戦前の最終モデルです。

年式:1938年、型式:17型、車両重量:630kg、エンジン:7型直4・SV(サイドバルブ)722cc、最高出力:12kW(16ps)/3,600rpmです。



日産ブランド車の生産は、1937年に始まりました。
この『ニッサン70型乗用車』は、その記念すべき最初のモデルです。
このモデルはアメリカ、グラハム・ページ社の設備を買い取って国産化したもので、ボディサイズは当時のフォードやシボレーとほぼ同じでした。
自動車先進国のアメリカの技術を吸収し、日本の自動車産業を自立させようという意図も込められています。
このセダンは5人乗りと7人乗りがあり、さらに、幌屋根のフェートンもバリエーション展開されていました。
日産自動車は、ニッサンブランド車の登場により、小型車は「ダットサン」、大型車は「ニッサン」と、2つのブランド名を使い分ける時代に入りました。

年式:1938年、型式:70型、車両重量;1,410kg、エンジン:A型 直6・SV(サイドバルブ) 3,670cc、最高出力:63kW(85ps)/3,400rpm




戦時色が濃くなりつつある1938年にデビューを果たした『ダットサン 17型 フェートン』は、タフで経済性に優れ、日本中で大いに活躍しました。
当時のカタログにも「国民標準経済車」と謳い、燃費の良いことを説明していました。
フロントグリル中央を貫くように、太めの縦バーが入っているのが特徴です。
このクルマは、4座席に幌屋根を持つフェートンで、成城大学自動車部で使用され、1974年の文化祭を目標に同大でレストアされたクルマです。

年式:1938年、型式:17型、車両重量:610kg、エンジン:7型 直4 サイドバルブ 722cc、最高出力:12kw(16PS)/3600rpmです。



1940年代は乗用車の生産はごく一部の電気自動車などを除き生産されていないようです。
戦時中は軍用車やトラック主流になっていたのでしょう。
戦後、1952年20馬力のパワーユニットを搭載し、ショーモデルでしたが、ショーでの好評を受けて約20台が製作され、実際に販売された『ダットサンスポーツ』です。
国産車で初めてスポーツを名乗った『スポーツカー』の誕生でした。
後の『ダットサンフェアレディ』や現在の『フェアレディZ』へ続く、日産スポーツカーの先駆けとして記念碑的な存在です。
こんな車があったのですね、今でも売れそうなデザインです。

年式:1952年、型式:DC-3、車両重量:750kg、エンジン:D10型 直4・SV(サイドバルブ) 860cc、最高出力:15kW(20ps)/3,600rpmdesu.



戦後は、GHQ により乗用車生産が制限されていましたが1949年に解禁を迎えます。
日産は、1952年に技術的な遅れを取り戻す目的で英国のオースチン社と技術提携を締結します。
翌1953年、日産製の『A40 サマーセットサルーン』1号車が鶴見にあったオースチン工場でオフラインし、5月8日には都内で通産大臣や駐日英国大使を招いての記念発表会を実施しました。
このクルマは、オフライン1号車そのものです。
トッポパパの記憶にも、子供のころ『オースチン』と聞いた記憶があります。

年式:1953年、型式:B30、車両重量:1,020kg、エンジン:1G型(直4・OHV) 1,200cc、最高出力:31kW(42ps)/4,500rpm です。

ネットの情報量のおかげで、貴重な昔の車を整理することができました。
それにしても、走行性能は別としても、素晴らしいデザインの車ばかりで個性がありますね。

最後にフェアレディもまとめてみたいと思います。
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日産ギャラリーで歴代の名車と再開! その5

2016年06月12日 | トッポパパの愛車
日産自動車創業期の象徴である戦前のダットサン車が展示されていました。



1935年年式ダットサン14型ロードスターです。



日産自動車は、1933年「自動車製造株式会社」設立時点でスタートし、翌1934年に現在の日産自動車株式会社へ改称します。



当時の日本では未曽有となる年産2万台規模の本格的な量産に取り組み、1935年に横浜市の新工場で最初に生産されたのがダットサン14型です。



1935年は、ドイツで初のアウトバーンができ、ヨーロッパでは高速移動の第一歩が、日本では自動車の大量生産が緒についた年といえるでしょう。



日本初の大量生産体制による低価格を実現し、国産初の普及型自動車として一世を風靡しました。



1938年はドイツで初の国民車となるフォルクスワーゲン・ビートルが誕生しており、当時の先進国では、第二次大戦前のモータリゼーションが高まりつつある状況にありました。



この時代のダットサンにとても興味がわきました。
後でネットで調べて整理してみます。



『チョイモビ』というは100%電気自動車で、CO2排出ゼロの環境にやさしい乗り物が紹介されています。
現在は公共交通機関と組み合わせて利用するという新たな交通システムの構築を目指した『日産ニューモビリティコンセプト』には、クリーンで利便性が高い新たな移動手段として、地方創生にも一役買うことが期待されています。



超小型なのに最高速度は80kmも出ます。
しかも、一回の充電で約100kmも走ることができるそうです。
しかし、高速道路は走行することはできないようです。



現在、この超小型EVは、現在の道路運送車両法に該当する車両規格がないため一般には販売されていません。
今後の販売も未定です。
そのため横浜のチョイナビ・ヨコハマ等、日産が市区町村などの自治体と共同して実証実験を行っているエリアでしか乗ることができないわけです。



手塚治虫のマンガに出てくる未来のクルマの感じです。
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日産ギャラリーで歴代の名車と再開! その4

2016年06月11日 | トッポパパの愛車
『日産GTR』の発表は、その異次元の走りへの進化に世界中から驚きをもって迎えられました。
このモデルから『スカイライン』を名乗らなくなったとはいえ、スカイラインの伝統である丸型4灯テールランプと、KPGC10型スカイライン2000GT-R以来の4座席を確保した2ドアクーペスタイル(ハードトップ)を継承しているのはうれしいですね。



GT-Rの開発は、まずリヤタイヤに必要なグリップ力を決めることから始まり、空力性能については、前期型でCd値を0.27、後期型で0.26として、さらにリヤタイヤに大きな荷重が加わるようトランスミッションを後方に配置するトランスアクスル方式の採用により大幅なダウンフォースを獲得しました。
メーターには左から、340km/hまでのスピードメーター、タコメーター、ギア数表示が装備されています。
エンジンは、VR38DETT型 3.8L V6 ツインターボエンジンを搭載し、初期のモデルは最高出力480馬力、2008年12月の小改良以降のモデルは485馬力、2010年11月発売の2011年モデルは530馬力、2012年モデルから2015年モデルまでは550馬力、2017年モデルは565英馬力、2014年2月末販売のNISMOモデルは600馬力を発生しました。
最大トルクはマイナーチェンジ前の前期モデルが60.0kgf·m、2011年モデルが62.5kgf·m、2012年から2017年モデルまでが64.5kgf·m、NISMOモデルが66.5kgf·mです。

『日産GTR』は世界が注目する、モンスター・スポーツカー?に変貌しました。
しかし、最高性能、最高の走りを実現するフラッグシップカーになりましたが、どこを走るのでしょうかね??



ニューヨーク国際自動車ショーで、日産自動車が2017年仕様となるGT-Rを発表しました。
2017年GT-Rの顔つきは、公開されたオレンジボディも相まってチューニングカーの様な迫力を感じます。



このフロントグリルは「V-モーション」グリルと呼ばれ、凄い熱を持つパワーユニットの冷却を可能な範囲で向上させています。



今回の2017年式でR35 GT-Rは次世代へバトンタッチすると言われていますが、やはりどんなに形が変化しても『GT-R』のバッチを付けることを許された日産車はクルマ好きにとっては特別な1台だなと改めて思います。



トッポパパも流石にこの車に乗るのは若干抵抗があります。
願わくば、一般公道を走るのも似合う、真の3代目『スカイラインGT-R』を発売してくれるとうれしいですね。



日産のスポーツカーといえば、日産のもう一つの顔である『フェアレディZ』でしょう。



フェアレディZの高性能プレミアムスポーツバージョンであるフェアレディZ NISMOの新型車が公開されました。



フェアレディZは日本はもとよりアメリカでの人気が高い車です。



アメリカではフェアレディZは『Z-car』という愛称で呼ばれており数多くの人に親しまれています。
新しいフェアレディZ NISMOは、デザインが一新してよりスポーティーで洗練された雰囲気です。



続く...........................................................................。
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日産ギャラリーで歴代の名車と再開! その3

2016年06月10日 | トッポパパの愛車
グループAのレースは事実上GT-Rのワンメイクとなってしまったため、1994年からはグループAに代わり全日本ツーリングカー選手権、全日本GTカー選手権が行われることになりましたが、その後もGT-Rは活躍を続けます。
かつての佳き時代を知る者にとっても、現代のクルマ好きにとっても、『GT-R』というネーミングは一種独特のもののようです。



1995年1月発表された3代目GT-Rの使命は、先代R32GTRを越える車となることでした。
R-32GTRを越えたことを演出する舞台に、ドイツのニュウルブルクリンクサーキットのオールドコースが選ばれました。
ここで8分を割るラップタイムを刻むことが目標とされ、8分切るのはジャガーくらいと言われた難コースにおいて、新型GT-Rは7分59秒を叩き出しました。
ほとんどレース仕様とも言えるようなチューンドマシンであることが判明し、比較対象が妥当かどうかの論議もあったようです。



その後、1997年にスカイライン4代目、R33 GT-RのVスペックが登場します。
ちょっと雰囲気がR32GTRに比べると、マイルドな感じになり、全体のフォルムが丸く、大きくなった感じです。
もちろん様々な点において、先代を上回っていたことは事実でした。
このほかにも細部にわたって改良が重ねられ、進化を遂げましたが、『GTRはもっと荒々しい車でなかったか』という疑問も上がったようです。



それにつけてもR33 GT-RVスペックはエンジン、サスペンション形式、シート形状、アテーサやHICASなどの先進機器etc...、様々な点において、先代を踏襲していたので、いかにR32GTRの設計が優れていたかを何より物語っています。
トッポパパも、洗練されすぎたフォルムに、性能向上は認めますがちょっと違和感を感じました。

1998年に、R33ベースのスカイラインGT-R 4ドア オーテックが発売されます。
スカイライン誕生40周年を記念してリリースされたモデルです。
『大人のための最高性能スポーツセダン』をコンセプトに、1997年の第32回東京モーターショーに出品後、翌1998年月から発売されました。
BCNR33型GT-Rに4ドアボディを流用し、リヤスポイラーは装着せず、フロントスポイラーも小型にして、外観は2ドアGT-Rに比べて落ち着きがあります。



1999年、5代目GT-Rが発表されました。
コンセプトは、今までと同様『究極のドライビングプレジャーの追求』でした。
あらゆるシーンで最上級の走りを提示し、安心感をベースにした意のままの走りを実現しようというのが開発における目標でした。



スタイリングは2ドアクーペをベースにしながらも、ルーフとドア、トランク以外は専用設計です。
ボリュームを増したボンネットフード、大きく口を開けたインテーク。大きく張り出したフロント・リアフェンダー、そして、専用設計となる2枚翼のリアスポイラーが装着されました。
R33 GT-R以降は、『公道を走る(羊の皮を被った)レーシングカーからレースが主戦場のスポーツカー』の色合いが感じられます。
公道のどこを走るの?と思わせるハイパワーの追及、モンスター・マシーンを思わせるフォルムは本来のスカイラインGT-Rとは違う世界に向かったような気がします。



1969年に登場したPGC10型初代スカイラインGT-Rにはじまり、1973年のKPGC110型までを第一期、1989年に登場したR32型からR35型までが第二期なのかなと個人的には思います。
結局、GT-R(KPGC10)とR32GT-Rが『スカイラインGT-RらしいGT-R』だったように思ってしまいます。



5代目GT-Rのあとは、『スカイラインGT-R』という言葉は使われなくなります。
代わりに日産車全体のフラッグシップとして『日産GT-R』となるのもわかる気がします。


続く......................................................................。
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