ノスタルジックな雰囲気の台湾でもっとも著名なローカル線が平渓線です。
菁桐駅は木造駅舎でなんとなく日本の地方の駅のような感じです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/b4/8fab78a2dc11e559e32f5006b711e626.jpg)
カラフルに彩色されたDR1000型列車は平渓線の三貂嶺から菁桐駅までを走ります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/5d/320df4f5e94a3127e542cab65ee6c6b7.jpg)
日本統治時代の台湾において屈指の炭田といわれた菁桐坑の開発のため、台陽鉱業が敷設した専用鉄道が前身です。
1922年7月に開業した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/82/0aa22a9ab7cf4b86836826efb46df0fd.jpg)
構内には石炭に積み出しに使われていたホッパーなどがありました
右奥の建物は観光客向けのカフェ、『煤礦珈琲』になっているそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/78/b5d524c4249717c15dc34ab87643f223.jpg)
台湾鉄道平渓線は、もともとは台陽鉱業株式会社の石炭運搬用の軌道でしたが、1929年に台湾総督府鉄道部が買収し平渓線と名付けて貨客両用線としました。
しかし1980年代に入り、近郊の炭鉱が次々に閉山となり、一時は廃線が検討されましたが、地元の熱心な運動で保存を決定した歴史があります。
台陽鉱業株式会社の前身は『雲泉商会』です。
基隆顔家の顔雲年氏と蘇源泉氏が1903年に創業し、その後1920年に藤田組所有の『台北炭鉱株式会社』の株式を譲り受けた顔雲年氏は雲泉商会と合併して『台陽鉱業株式会社』を立ち上げ、一帯の炭鉱経営に乗り出しました。
基隆顔家はかつて台湾五大豪族の一つで、歌手一青窈の父親は基隆顔家の子孫にあたります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/e3/0bae8a7c7d453423b0301a83b7ba9241.jpg)
駅周辺には日本の絵馬のように、竹筒に願いを書きつるしてあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/f5/54cf3b581a78de0bf38a3b05a6e270e1.jpg)
日本の人の願かけもあります。
駅周辺の昔ながらの景観です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/7f/67be3eb195198e7a64041cd860aaf8d9.jpg)
トッポママの記念撮影です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/76/6f4f1f30c99397147665629eb354e835.jpg)
ネット情報によると、平渓線は神奈川県の江の島電鉄と提携し、お互いに鉄道観光をPRすることになり、江之島電鉄と提携『一日乗車券』が交換できるそうです。
2013年5月から2014年3月31日までの期間限定で、使用済み『平渓線一日周遊券』を江ノ電鎌倉駅・江ノ島駅・藤澤駅の窓口に差し出すと無償で当日使用可能な『江ノ電一日乗車券』と交換してくれます。
また逆に日本人観光客も『江ノ電一日乗車券』とパスポートを持参すると『台北駅』あるいは『瑞芳駅』で『渓線一日周遊券』がゲットできます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/a8/42c8e6ba5ba60990a010a46d928fb44e.jpg)
駅周辺に『情人橋』と書かれた橋があります。
恋人たちの橋というような意味なのでしょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/28/926ed1dc1f0f804808e92ea5b958c654.jpg)
これから十分駅に向かいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/2d/273873428f3f65188126f8d1b0ac72ea.jpg)
十分駅に到着すると、線路の両脇にお店がぎっしり並んでいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/8b/b925c36fc15d439d82d2af894f1b0ea0.jpg)
次回はここの名物ランタン(点灯?)上げを経験します。
菁桐駅は木造駅舎でなんとなく日本の地方の駅のような感じです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/b4/8fab78a2dc11e559e32f5006b711e626.jpg)
カラフルに彩色されたDR1000型列車は平渓線の三貂嶺から菁桐駅までを走ります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/5d/320df4f5e94a3127e542cab65ee6c6b7.jpg)
日本統治時代の台湾において屈指の炭田といわれた菁桐坑の開発のため、台陽鉱業が敷設した専用鉄道が前身です。
1922年7月に開業した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/82/0aa22a9ab7cf4b86836826efb46df0fd.jpg)
構内には石炭に積み出しに使われていたホッパーなどがありました
右奥の建物は観光客向けのカフェ、『煤礦珈琲』になっているそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/78/b5d524c4249717c15dc34ab87643f223.jpg)
台湾鉄道平渓線は、もともとは台陽鉱業株式会社の石炭運搬用の軌道でしたが、1929年に台湾総督府鉄道部が買収し平渓線と名付けて貨客両用線としました。
しかし1980年代に入り、近郊の炭鉱が次々に閉山となり、一時は廃線が検討されましたが、地元の熱心な運動で保存を決定した歴史があります。
台陽鉱業株式会社の前身は『雲泉商会』です。
基隆顔家の顔雲年氏と蘇源泉氏が1903年に創業し、その後1920年に藤田組所有の『台北炭鉱株式会社』の株式を譲り受けた顔雲年氏は雲泉商会と合併して『台陽鉱業株式会社』を立ち上げ、一帯の炭鉱経営に乗り出しました。
基隆顔家はかつて台湾五大豪族の一つで、歌手一青窈の父親は基隆顔家の子孫にあたります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/e3/0bae8a7c7d453423b0301a83b7ba9241.jpg)
駅周辺には日本の絵馬のように、竹筒に願いを書きつるしてあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/f5/54cf3b581a78de0bf38a3b05a6e270e1.jpg)
日本の人の願かけもあります。
駅周辺の昔ながらの景観です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/7f/67be3eb195198e7a64041cd860aaf8d9.jpg)
トッポママの記念撮影です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/76/6f4f1f30c99397147665629eb354e835.jpg)
ネット情報によると、平渓線は神奈川県の江の島電鉄と提携し、お互いに鉄道観光をPRすることになり、江之島電鉄と提携『一日乗車券』が交換できるそうです。
2013年5月から2014年3月31日までの期間限定で、使用済み『平渓線一日周遊券』を江ノ電鎌倉駅・江ノ島駅・藤澤駅の窓口に差し出すと無償で当日使用可能な『江ノ電一日乗車券』と交換してくれます。
また逆に日本人観光客も『江ノ電一日乗車券』とパスポートを持参すると『台北駅』あるいは『瑞芳駅』で『渓線一日周遊券』がゲットできます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/a8/42c8e6ba5ba60990a010a46d928fb44e.jpg)
駅周辺に『情人橋』と書かれた橋があります。
恋人たちの橋というような意味なのでしょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/28/926ed1dc1f0f804808e92ea5b958c654.jpg)
これから十分駅に向かいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/2d/273873428f3f65188126f8d1b0ac72ea.jpg)
十分駅に到着すると、線路の両脇にお店がぎっしり並んでいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/8b/b925c36fc15d439d82d2af894f1b0ea0.jpg)
次回はここの名物ランタン(点灯?)上げを経験します。