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トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その216 『横浜中華街と横浜公園散策』 その10

2017年10月08日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
スタジアムのそばに噴水があります。



噴水が野球場みたいになっています。
木や花で野球のアートが造られています。



ボールはお花です。
なかなか面白い構図です。



水の広場です。
1887年(明治20年)に創設された横浜水道の100周年記念の年にあたる1987年(昭和62年)、当時の公園整備の担当者が構想・デザインをし、横浜水道100周年の記念として水の広場を作りました。
不思議な妖精「水の精」です。
トチノキの下に妖精と水瓶を置いたのは、ここが水源だということを表し、妖精が水源を守っているということになっています。



4体の像の一つ、獅子です。
全部の写真は以前紹介しましたが、4体の像はそれぞれ、馬→馬車道、獅子→市庁舎、龍→中華街、イルカ→港の方角を向いています。
この広場の地下には水道局の保有する地下給水タンクが埋まっており、このタンクをつくるタイミングで、水道局から記念になるものをつくりたいという話があり、広場が完成しました。



横浜スタジアムです。
1896年(明治29年)には当時の外人居留地運動場で、日本で最初の野球の国際試合が旧制一高ベースボール部と外人クラブの間で行われました。



1929年(昭和4年) 関東大震災復興事業の一環として「横浜公園球場」が竣工、こけら落としの早慶新人戦にスタンド満員の15,000人観衆を記録しました。



1934年(昭和9年) ベーブ・ルース、ルー・ゲーリック率いる米大リーグオールスター来日、 全日本は 4 対 21 の大敗しましたが、 二人の偉業と日米プロ野球の歩みが、日本で唯一横浜スタジアムのスタンドに「メモリアルレリーフ」として記されています。



1945年(昭和20年) 終戦で駐留軍に接収され「ゲーリック球場」と命名されます。



1948年(昭和23年) 日本プロ野球初のナイトゲームがここ横浜球場で開催(巨人 対 中日)開催されました。



中華街と横浜公園、半日かかりましたがいい運動になりました。