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トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その216 『横浜中華街と横浜公園散策』 その9

2017年10月07日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
『彼我庭園』です。
開港当時、在留外国人の生活環境改善を求めた条約に基づき、遊郭や沼地の跡地に整備され、1876年(明治9年)に開園しました。
外国人専用の洋式公園は1870年(明治3年)開設の山手公園ですが、 日本人も利用できる洋式公園は横浜公園から始まりました。
東京の日比谷公園はドイツ式洋風近代式公園と 日本初を謳っていますが、開園は1903年(明治36年)ですから 横浜公園のほうがかなり古いということです。



閑かな、ほっとする都会の隠れ家的日本庭園は、1909年(明治42年)に横浜市に公園の管理が移管され、『横浜公園』と改称された頃に作られました。



東屋風に竹作りの塀に囲まれた中には、蹲踞と水琴窟があります。



看板の説明によると、 茶室へ入る前に手と口の中を清潔にするための場所を蹲踞と言います。
竹の水管と水たまりのある手水鉢、さらにはその手前に敷設してある大小の石すべてを含めて蹲踞(つくばい)と言って、昔の人は茶席に入る際、ここで手を洗って入ったそうです。
水琴窟は、蹲踞で手を洗う際、ただただ洗った水の一部が小さな穴から地中の空洞に落ち、落ちたときの音が空洞の壁に反響して、
反響音が漏れ聞こえる仕組みです。



庭園の池周辺も綺麗に手入れがされています。



横浜公園も戦後、接収により一度は取り壊されましたが、1978年(昭和53年)の横浜スタジアム建設と同時期に再び整備されました。
現在、横浜公園は、大通り公園とペアで、かながわの公園50選の一つに選定されています。



友好と平和の灯篭「 Peace Lantern(ピースランタン)」 が設置されました。
この燈籠は、米国オレゴン州のポートランド日本庭園内にある雪見灯籠を複製(レプリカ)したものです。



ポートランド日本庭園内にある雪見灯籠は、1954年(昭和29年)頃から、当時の平沼亮三市長が、世界各地に「友好と平和の灯を点ずる」として寄贈したものの一つです。
燈籠には「Casting the Light of Everlasting Peace(恒久平和の灯をともす)」という文字が刻まれており、ポートランドでは「Peace Lantern(ピースランタン)」とよばれています。



横浜公園一帯は江戸時代の末期までは入海で、安政三年(1856年)に埋立てられ太田屋新田といいました。
横浜開港にともない、新田の沼地約一万五千坪が更に埋立てられ、港崎町と命名され、その中に岩亀楼などが開業し国際社交場として栄えた。



この灯籠は、妙音寺から横浜市(横浜開港資料館)に寄贈されたもので、石に刻んである「岩亀楼」の文字から、岩亀楼にちなむものだとわかります。
この灯籠は明治初年頃のものと思われるますが、震災、戦災によって多くの文明開化期の遺物を失った横浜にとっては貴重な文化財の一つといえます。



続く.............................................................。