TOPPO WORLD

TOPPO(ダックスフンド)から見た周りの出来事いろいろ。

トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その139 その2 『京都・紅葉の名所巡り、総本山光明寺-1』

2013年12月14日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
西山浄土宗、総本山光明寺の総門です。



光明寺は京都の西南、西山連峰が穏やかな稜線を描く栗生の里にあります。
ここが法然上人が初めて『お念仏』の教えを説かれたところです。



参道を登って行きます。
『新撰組』というテレビ番組のロケがここで行われ、隊員に扮した俳優さんたちが、この階段を駆け上がるシーンが撮影されたそうです。



光明寺の中心的な建物が御影堂です。
通常の寺院様式では本堂と呼ばれる建物に相当します。
御影堂に向かって左手に立つのが『法然上人立教開宗の像』です。

『月影のいたらぬ里はなけれども、ながむる人のこころにぞすむ』
この歌は、法然上人が阿弥陀仏への信仰を歌に詠んだもので、阿弥陀仏を『月』に、阿弥陀仏の救いの光を『月影』に、十万世界を『里』に、 お念仏申す人を『ながむる人』に譬えています。

阿弥陀仏の慈悲の光が届いていない里はどこにもないが、 弥陀の慈悲はお念仏者の心にだけ住み着くという意味です。



京都随一と言われる紅葉は迫力があります。







御影堂の右側(写真の左前)の松は昭和天皇が皇太子の時にお手植えになったそうです。



紅葉がとても色彩豊かです。



御影堂正面を横から撮ってみました。



正面に、ご本尊である法然上人ご自身作の『張子の御影』が祀られています。
法然上人が75歳の時、建永の法難と呼ばれる弾圧により四国に流罪になった時、弟子の願いに応えて、大切にしていた母気味からの手紙を張り合わせて自らの姿を像に作り、形見として与えたものです。

その後、法然を慕い帰依した、弟子の蓮生(熊谷直実)が、建久9年(1198年)に当地に、念仏三昧堂を建立しました。
後にここで法然の遺骸を荼毘に付し、廟堂が建てられました。
光明寺の名前の由来は、法然の石棺からまばゆい光明が発せられたと聞いた四条天皇は、光明寺の勅額をあたえたと言われています。



続く.............................................................................。