Ommo's

古い曲が気になる

帯広三条高校合唱部

2013-02-05 | 日記・エッセイ・コラム

    

 近所のスーパーマーケットで、帯広三条高校合唱部のコンサート・ポスターをみかけた。これは行かねばならないだろう。

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 それにしても気になるのは、この写真では女声合唱ではないか? もう混声合唱団ではないのか?

 わが帯広三条高校が、女子の割合が多いとは聞いていたが………。わたしの時代は逆だった。戦後ベビーブーマーの教室だから、ひとクラス50人以上いたが、クラスに女子は、10人くらいしかいなかった。向かいの帯広柏葉高校は、もっと悲惨で、女子がいないクラス(ダンクラといわれていた)もあった。

 北海道立高校の通学区は、わたしたちの時代、区域制(小学区制といわれた)で、住んでるところで決められた。帯広市の場合、大通りから東が柏葉高校の区域。大通りより西が、わが三条高校の区域。西4条南4丁目に住んで、帯広一中に通っていたから、帯広柏葉高校は受験できないのだ、絶対。

 柏葉(帯中)卒のわたしの父は、「おまえはどうして、柏葉に行かないんだ!」と、よく、酔ってわたしを怒鳴ったものだが………。ここに住んでいると、柏葉は受験できなかったのね、と何度説明しても、心からは理解できてないようだった。戦後の新制高校になっていても、自分らの時代の『男は、帯中。女は、帯広高女』という、根底の、潜在的な、貧相なエリート意識がぬけないわけだよ。さみしいね(と、父親に罵倒されるたびに思ったものだ)。

     

 北海道立高校の区域制がなくなったのは、わたしのニ年下からだ。

 どんな区域制にかかわらず、わたしは、帯広三条高校で学んだことを誇りにしている。優秀な先輩と有能な後輩たちがいる。それに、中城ふみ子さんも学んだ、あの帯広高等女学校からの校舎が好きだ。なつかしい。

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 それにしても、ユーチューブで最近の校歌を聴いたときは、あるショックがあった。野球の試合のセレモニーだ。その帯広三条高校校歌が、明るい、黄色い、女の子たちの大合唱だったのだ。テンポも速い。わたしたちのころは、男たちが圧倒的だったから「この園の」と、やたら野太い声ではじまる、静々と、暗い、重い歌だった。

     帯広三条高校 校歌 http://www.youtube.com/watch?v=6loGIBxh7lQ

 女子が圧倒的に多い。それは、それでいいんじゃないか。わが帯広三条高校は、もともと、帯広高等女学校だったのだから………

 


キャップが開いてる?

2013-02-02 | 日記・エッセイ・コラム

 

 きっと、わたしだけ特殊なケースだろう。

 この町に帰ってきて、『外を出歩くと、かならず嫌なことがある』と、何度か書いた。青信号の交差点の横断歩道で、イカレタ・ドライバーに轢かれそうになるのは、毎度のことだが、きょうのそれは、これだ。

 ショッピングモールのなかの、スーパーで買った豆乳のキャップが開けられていた。

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 夜、買ってきた豆乳のキャップをひねると、何の抵抗もない。『ギョぇッ…、これは?』、いつもの感覚と違うのだ。あきらかに、一度開けられたにちがいない。キャップを開けられただけじゃなく、何か異物を入れられた可能性がないとはいえない。

 すぐにスーパーに電話した。「たいへん申し訳ありません。いますぐに、代わりの物をお届けします」、という。だが、夜もおそい。そこまでしてもらうことはない。それは「明日にして」といった。そして、「こんなことが、よくあるの?」と訊くと、「ときどき、あります」という。ときどき………恐ろしい町だ。

       

 コンビニやスーパーで、ペットボトルの飲料水や豆乳などを買う時、キャップが一度開けられた形跡があるか、など確認して購入しない。それが、“日本の普通”じゃないかな。

 しかし、今までまったく注目してなかった、この警告、「開栓前にキャップのいたずら防止リングがはずていないことをご確認ください。」と書いてある意味が、やっとわかった。今まで『なに、これ? 』という感じでみていたが…………

(もちろん、スーパーマーケットの人は、新しい豆乳をもって謝罪にきたのだ)


帯広の図書館にでかけた

2013-02-01 | 日記・エッセイ・コラム

     

 貸し出し期日が過ぎた本を返却するために、帯広市図書館まで出かけた。雪道の歩き方のコツも取り戻しつつあるので、片道1時間15分くらいに短縮することができた。

 帯広駅の南にある図書館までの、徒歩1時間ばかりの道は、わたしには、どうということもない距離、時間だが、その道程が、かぎりなく退屈なのだ。

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 こういう道を歩いて図書館まで行くわけ。道があまりに退屈だから、好きな図書館通いもおっくうになる。東京(千葉・南行徳)に住んでいたときは、夕暮れになると毎日のように、近くの市川市の図書館分館か、浦安市中央図書館にでかけたものだ。週刊誌や夕刊紙を読むことも目的だが、インターネットで読むことができない資料もみたい。

 帯広で、きょう、「期日がすぎてます」と、係の人に注意された。とうぜんのことだ。わたしが悪い。

    

 だが、この規模の人口の町で、図書館が一ヶ所しかない、ということも、返却するところが一ヶ所しかない、ということも、じつに異常なんだよ、と苦情は言わなかった。もうこの町の市役所、役人、教員関係者と会話をしたくない。話をしたくないのだ。ただ、不快になるだけだから……。

   

 帯広市とほとんど同じ人口規模の市、人口16万人の浦安市の図書館の数をみてほしい。帯広市が、いかに原始的な町か、ということだろうかな。

     

   浦安市図書館マップ http://library.city.urayasu.lg.jp/about/map/index.html

 自宅からインターネットで図書をリクエストして、近所の市の施設で受け取り、返却する。ということも、わたしが住んでいた千葉県の町では普通だった。帯広市が文化的には、いかに、後進的な町か、住民の自覚がないのだろうな。バカ高い市民税を払いながら………

 

   市川市図書館及び関連施設の一覧 http://www.city.ichikawa.lg.jp/library/guide/1001.html

   市川市図書館・返却ポスト http://www.city.ichikawa.lg.jp/library/guide/1005.html

      

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 帯広市の、かってのメインストリート、西2条。まだ午後3時だが、だあれも歩いてないにちかい。

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 ふじもり食堂。わたしが子供ころからある食堂だ。大人になって、この数軒先で、20年ちかくレコード屋のおじさんだったから、何百食のランチをこのお店で食べたのだろう。最初の『インデアンカレー』は、写真のショーウインドーの左にあった。狭い店だ。だが、繁盛していた。

 まだ、それほど車社会ではなく、国鉄の、広尾線も士幌線も池北線も、まだ生きていて、通勤・通学の人々で駅周辺はにぎわっていた。いまの、東京や大阪、名古屋の、JRや私鉄、地下鉄の駅の駅前の様相だった、むかしは。

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 『ぱんちょう』の豚丼は、旨い。きょうは、やめにした。腹ぺこのときに食べたい。