ロカビリーの話が続いたので、すこし後の話を。
アメリカのロカビリーに影響された、イギリスのポップ・グループのビートルズなどが世界を席巻しているとき、リズム&ブルースの元になったブルースそのものを演奏したい、という白人の若者たちが、アメリカでもイギリスでも盛んに活動をはじめた。
それらの若者の音楽を、白人のブルース、‘ホワイト・ブルース’と呼ばれるようになるのだが、そのなかで、わたしが特に好きなのは、ポール・バターフィールド・ブルース・バンドと、そのグループから分かれた、エレクリック・フラッグだ。
ポール・バターフィールド・ブルース・バンド Born In Chicago http://www.youtube.com/watch?v=7xUGpxiXLsc
1965年(昭和40年)発売の衝撃的なファースト・アルバム、A面1曲目の痛快なこの曲は、シカゴ・ブルースそのものだが、作者ニック・グレイヴナイツは、白人だ。曲は、シカゴ・ブルースに対する愛とリスペクトそのものだ。
ニック・グレイヴナイツと、ポール・バターフィールド(ハーモニカ)とマイク・ブルームフィールド(ギター)は、シカゴ生まれで、少年のときから黒人街のブルース・クラブに入り浸りの、ブルース小僧の仲間だ。大多数の白人の若者が、ロカビリーやツイストや、イギリスのポップ・バンドを聴いたり、コピーしているとき、黒人街のクラブにたむろして、黒人ブルースマンに、ドロドロのブルースの教えを乞う白人少年たちは、はみ出し者だったのだ。(ビートルズや、サーフィンに興じる若者を歌うバンドが大ヒットいていた時代だ……)
もうひとりのギタリスト、エルビン・ビショップは、カルフォルニア州の生まれ、オクラホマ州タルサ育ちの人だが、シカゴ・ブルースが好きで、シカゴ大学医学部に入学する。そうしてポール・バターフィールドと知り合い、バンドに誘われる。
ミネソタ州からシカゴ大学に来ていたマーク・ナフタリンは、大学のダンスパーティーでピアノを弾いているとき、ハーモニカのポール・バターフィールドと知り合ったという。
黒人の二人のメンバー、ドラムスのサム・レイと、ベースのジェローム・アーノルドは、このバンドに参加する前からシカゴのブルース・シーンで活躍している。
ボブ・ディランが、エレキギターをもってロックバンドをバックに歌い、フォークソング・ファンから大ブーイングうけた、1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルは、ロック史に残る事件だが、ディランの、そのバックバンドが、ポール・バターフィールド・ブルース・バンドなのだ。
ボブ・ディラン Like a Rolling Stone (1965 Newport Folk Fes.) http://www.youtube.com/watch?v=cKOJO3pKxw0&feature=related
みんなずいぶん歳だが、ポール・バターフィールド・ブルース・バンド再結成か、というような映像があって泣かせる。作者が歌う「ボーン・イン・シカゴ」だ。2004年とある。
マイク・ブルームフィールドは、1981年、37歳で亡くなった。ポール・バターフィールドは、1987年に亡くなった。44歳だった。
ニック・グレイヴナイツ Born In Chicago http://www.youtube.com/watch?v=ru4Ke5jjs1I&feature=related
このポール・バターフィールド・ブルース・バンドの2枚は、1965年と1966年にリリースされたLPレコードだが、北海道・帯広のわたしのレコード店では長い間よく売れた。1980年代になっても店の基本在庫だった。
マイク・ブルームフィールドと朋友、「ボーン・イン・シカゴ」の作者ニック・グレイヴナイツが、フィルモア・ウエストで共演している名盤。
エレクリック・フラッグ Killing Floor http://www.youtube.com/watch?v=Tq3NwCHm-4U
このエレクリック・フラッグがカバーしている Killing Floor は、ハウリン・ウルフの曲。すさまじい内容の歌だが、ブルースやカントリー&ウエスタンに、こういう歌がよくある。
ハウリン・ウルフ Killing Floor http://www.youtube.com/watch?v=0OV10lbNjfY&feature=related