Ommo's

古い曲が気になる

ジョサン3人、常磐会。新宿でビールだ

2011-07-23 | 日記・エッセイ・コラム

                                                       

 『十勝の木の器』工房の佐々木くんが、新宿・伊勢丹5階で展示即売をやっているので、わが帯広三条高校・1年Eクラス・組長の橋本くんと3人で、ライオンでビールを飲んだ。3人の常磐会だ。

 常磐会(ときわかい)とは、わが北海道帯広三条高等学校の同窓会。正会員の第1回会員は、1916年(大正5年)卒業、私立姉妹女学校十勝姉妹職業校・裁縫専修科高等部の6名と裁縫専修科普通部の3名。この9人の女性が、わが北海道・帯広三条高等学校の最初の卒業生だ。大先輩だ。

 昭和7年、帯広町立女学校になって、北海道庁立帯広高等女学校になったのは、1933年(昭和8年)のことだ。以来、1948年(昭和23年)の男女共学の新制高校になるまで、北海道・道東の才女が学ぶエリート校だったのだ。

 わたしのおばさんたちは、『わたしは、帯広高女の卒業なのよ』というプライドをもっていた。女に学問はいらない、という時代、尋常小学校卒で義務教育がすむ時代、開拓地・北海道で、十勝に1校しかない公立の高等女学校まで進学した女性たちの向学心は、すごい、と、わたしは感心する。わが常磐会の先輩たちだ。

 つまり、わが帯広三条高等学校は、長い女子校の歴史がある。北海道の開拓地で、向学心に燃えた女の人たちの学び舎だ。

 わたしたちは高校生のとき、ほかの高校の男たちから、「ジョサン、ジョサン」と、さんざんバカにされたものだ。

 ジョサン、とは、「女・三」なのだろうか。「男なのに、女子校かい、三条生」とか、やつらの言ってる意味はわからんが、ジョサン、ジョサン、と、あらゆるスポーツ大会で、わしら、わが三条高校は、罵声をあびたものだ。

 つまり、やつらからすると、女子校だったはずなのに、とんでもなく強いわしらに嫉妬したのだろ。わたしたちからすると、女子校だったのが悔しいかい、という感じかな。おまえらの高校に、中城ふみ子さんのような先輩は、いないだろ? そんな感じかな。