Ommo's

古い曲が気になる

ニジマスのムニエル

2015-07-08 | 日記・エッセイ・コラム

 

 夕暮れに帯広川に架かる伏古橋の上から上流を見下ろすと、浅瀬に波紋がいくつも出来るのが見える。ジーッと眼をこらすのだが、もう時間は午後7時すぎ。かなり薄暗い。その波紋をつくる水中の魚の姿が見えない。

 もう少し明るかったら、わたしの視力と集中力では、水面の羽虫に食いついて反転して泳ぐ魚の姿を見ることできるのだが…………。老眼の遠視で本の文字など近い物はさだかに見えないが、離れたものは、若い時ほどではないが詳細に、いまもまだ、よく見える。(少年のときには、アフリカかモンゴルの狩猟民のように遠い物を見ることができて人を驚かせたものだ)。

 夕暮れ、渓流にたくさんの小さい波紋がおこる。水面に卵を産みつける羽虫を食べる魚だ。羽化したカゲロウやトビゲラやユスリカなどが、日暮れに群れをなして流れに卵を産みつける。釣り糸も見えないほどうす暗くなった川面で、それはそれはとんでもない数の羽虫が産卵している。まさに雲蚊だ。その数億数兆という卵のなかで、幸運なやつが川底で幼虫として生きる。石の下にいる、いろんな川虫だ。そいつらが、突然一斉に水から上がり、脱皮して羽化して空を舞い、生まれ育った川の水面に卵を産む。魚たちはその瞬間をのがさい。オイシイ季節のなのだ。

 

 この2週間、晴れた夕暮れ、真っ暗になるまで、橋の上から水面をみていた。あれが、山女魚のぴんこならおもしろいな、と思った。西の日高山脈に沈んだ陽が、まだ名残の夕焼けのように残っている明るさでは、ダメなんだ。と、橋の上から、ずーっと水面を見ていてわかった。(わたしも暇だわな。できるでだけ父の家にいたくないから、買い物途中、川をずーと眺めてる)。

 丸い小さい波紋(魚が水面の羽虫を食べていると、わたしがイメージしている瞬間)は、ほとんど釣り糸のテングスが見えなくような夕闇になるほど、すごい数になっていく。

 

 そんなわけで、河原で釣り針にエサをつけるのもついらい薄暗い夕暮れ、流れに竿をふった。もちろん、わたしは、餌釣りだ。ミミズ。これが子供ときから信頼している釣り餌だ。近所のホームセンターの釣具売り場で買ったミミズだ。(今年はまだシーズンがあるから、自分でミミズをつくろうかな。元気で、臭いミミズを…………)

 しかし、ミミズは凄い。どんな川釣りにも万能だ。

 

 若いとき、ルアーをやってみたりした。フライはやったことがない。

 いま、わたしは、釣ったら食う、食わないものは釣らない。今夜は、ミミズの餌釣りで晩酌の肴、ニジマスを釣った。ムニエルにして食べた。

 

 気になっていた日暮れに川面に魚がつくる波紋は、いったい何の魚か、というわたしの疑問は解決した。ウグイの稚魚だ。7、8センチくらいだから、この春に生まれたやつらだろうか。一投目から2分くらいで3匹釣れたから、やめた。なぜか、針にかかった小さい魚は、リリースした(わたしは、この”キャッチ&リリース”って言葉が、大嫌いだ………ヤマメのぴんこなら、ぜったい、リリースしない)。

 ウグイが復活しているのは、いいね。

 ニジマスやブラウントラウトなど、外来の悪食・強靭なマス科の魚が遊びの釣り対象に放たれ、北海道の淡水は、ずっと前からネイチャーでも、ナチュラルでもない。この外来の悪食のマス類に北海道の川は、ズタボロにされてる。本州の淡水域の、ブラックバスやブルーギルとまったく同じ状況なのだ、じつは………。

 

 北海道の川から、ニジマスやらブラウンを駆逐するべき、とか思うのだが…………。もう、まったく手遅れだろな。

 

 

 

 

 釣ったら食う、食わないものは、釣らない。

 

 今回はミミズを買うが、自分の釣り用にミミズを育てる。来年もまた、この北海道にいるだろう……………から…。