局の道楽日記

食道楽、着道楽、読書道楽  etc
生活色々を楽しんで暮らしている日々の記録です

捨てまくりの日

2021-07-21 06:45:00 | 日々の生活
さて 話は野鳥観察会の次の日の日曜日

土曜日に呑気に鳥と戯れていたワタクシですが、日曜日には少々めんどくさいミッションがあった

それは両親の介護施設に行っての「荷物整理」である

両親がそこに入って早6年になるだろうか? 4年半は58㎡の夫婦部屋で住んでいたのだが 父の認知が進み昼夜逆転やら暴言やらで母が同室に耐えられなくなり両者の部屋を分けたのが一年半前。
そしてちょうどその引っ越しのタイミングでコロナ禍
二人の荷物を分けて整理してあげるね~~ なんて言っていたのが 外部からの人間が一切入れなくなってしまった

もちろん職員の方々にも引っ越しやその後の整理はお世話になったが果たして一人当たりの面積が狭くなったところでどうやって暮らしているのか心配だがどうにもならなかった

そしてその夫婦部屋にまだ荷物が残っていて(部屋が広すぎて次の入居者がなかなか決まらないらしい)それを整理しにきてほしいとやっと施設側から要請があったのである

先週見に行った弟よりlineで写真が送られてきて









 「俺一人じゃ無理 お片付けの才能のある姉ちゃん頼む」

あ~あ 姑の部屋、娘の部屋、実家の物置など ここのところどこへ行っても捨てまくってます

仕方ないので日曜日 オットとムスメと孫を放置して一人で電車に乗った(どっと疲れそうなので車の運転は避けた)



グリーン車は空いていた (在来線は沿線の若いモンの電車マナーがイマイチで普通車は耐えられないのである)



駅に降りて 壁の展示物を見たら地元新聞の100年前の記事だった。今年の七月がこの路線が開通して100年なんですって
そこに協賛企業一覧の中に曾祖父の会社の名前と住所と電話番号が載っていたのを発見
大正10年は1921年なんですね 電話番号はなんと三桁 ワタシが感動したのはその下三桁が実家の電話番号の下三桁として受け継がれていたことである 
社会は変わり 固定電話の役割も低下しちゃったけど、その三桁の数字を含んだ電話番号が今も残っていた。
どんな人たちのどんな内容の会話がその100年の時代の中に存在していたのだろうか・・・
少々じ~~ん として駅の通路で佇んだオバ一人

しかし 感慨は振り捨て目的の部屋へと現実に挑む







捨てに捨てまくった
どうしてモノってたまるんだろうな~
母も几帳面だったはずなのにな~ 
実家に戻る度に自室から色んなモノを運び込み 私たちに、あれが足りないこれが足りないと持ってこさせた結果である
などと考えつつも捨てるしかない

幸い分別さえすれば施設側で処分してくれるという
これはかなり親切と思うな
母も一緒だと「あっそれ取っといて!」になるのに決まっているのでこの点は良かった

4時間ほど一心不乱に捨てまくって一応終了

作業後に両親とはまたガラス越しに話すことができた。

ワタシは疲れ切っていたが 今回嬉しかったのは 両親がなぜか元気になっていたことだった

一時は母はコロナ鬱+文句ばかりで攻撃的 父は無反応だったが この日は母は髪も綺麗に染めてカットしてもらってなんだかご機嫌
父は「なんでお前たちは入ってこないんだ?」と何度も繰り返して怒るというボケが始まった頃の父に戻っていた

周りでうろうろするお年寄りたちも ここ数回より穏やかそうだったし職員のピリピリさ加減もだいぶ変わっていた

聞けば、外部講師はまだ来ないにせよ 食堂での食事 集まってのラジオ体操やリクリエーションは復活し 母も毎日それに参加するようになったらしい

去年ここは感染者が出て入居者二人が亡くなったのである 
今年になって6月 入居者と介護職員のワクチン二回接種が終わり やっとほっとしたところらしい

ワタシは最初 高齢者優先のワクチン接種というのに一部疑問を持っていて 医療従事者の次は介護者、その他若くても動く人たちを優先した方がコロナは広まらないんじゃないかと思っていた
しかし老人施設や自宅で過ごすお年寄りが重症化しない 少しは安心できるってことの重要性 そして高齢者が医療資源の多くを費やさないってことってやっぱりよかったのかもな~と思った

結局整理はこの日だけでは終わらず 弟が来週一人で続きを 8月になってまたワタシももう一度やることになった

ムスメと孫の世話して 老親もってホントに中間管理職はつらいよ ってなもんであります。
コメント
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