局の道楽日記

食道楽、着道楽、読書道楽  etc
生活色々を楽しんで暮らしている日々の記録です

じじいの啓蒙 vol.2

2012-02-21 22:35:46 | 友人
親友A 舞台友N 建築士Nちゃんetcのいつもの私の小学生からの付き合いの友たvs舞台友Nの恩師を中心にした団塊シチーボーイ(自称)オヤジとの「ときめかない合コン」は今年で三年目を迎え 1月の歌舞伎見物のあとに飲み会 7or8月に納涼会というペースが固まってきて案外なごやかに回を重ねている。

先日はこちらで集まった。

☆ 歌舞伎とおでん 

ジジメンバーは文系が中心で 印税をもらっているオジも二人存在する。前回その一人のオジが私たちはねっかえりオバに苦言をたれつつ東京下町の文化的歴史を教え諭そうとした文章はこちら

 ☆ じじいの啓蒙

今回もまたその時の啓蒙オジがこの界隈についての文章を寄せてきた。それがまた味わい深いので今回も勝手に転載してみようと思う。

前回の田☆町雑感がきわめて好評?であったことから、今回もほにゃらら終身幹事のご了承を得て、☆草をテーマにしたレポートをお届けすることといたします。



まず、この写真をご覧ください。これはわれわれが浅☆公会堂での新春歌舞伎を鑑賞した後、お多福に向かうときに通った道。私が後ろを振り返って撮影した一枚です。

この道の奥に見える若干明るいところが、去年長々と時間をつぶしたほっぴー通りの店のところ、つまりわれわれはこの道をその明りの方から手前に歩いてきたことになります。ほっぴー通りの喧噪を過ぎ、閑散としたあまり人出のない道という記憶があるでしょうか。

して、この写真左手に移っている大きな建物は、場外馬券売り場のウ☆ンズ☆草 週末の昼間は馬券を買うおっさんたちでにぎわうものの、通常は比較的広い道にもかかわらず、あまり人が通っていません。いつもこんな感じです。

しかしこの閑散とした道は、かつてはまさに浅草を象徴する「浅☆六区」と呼ばれる東洋一の繁華街だったのです。

* 浅草新世界

このウインズ浅草ができる前、ここにはかつて浅☆新世界という建物がありました。それはまさに夢の世界で あの大阪通天閣もかなわない娯楽の殿堂というべき建物でした。右の図のように、キャバレーあり、ゲームセンターあり、演芸場あり、そして大浴場あり、もちろん食堂もあいりました。
今でいえば、ディズニーランドと銀座、六本木、渋谷センター街バスケ通り、新宿歌舞伎町を合わせたような夢の場所だったのです。

実は私自身、小学生の頃この新世界に行った記憶があります。どこで手に入れたのか、父親が新☆界で使える総額2000円くらいのチケットの束を持っており、そのれをもらってでかけたのですが、食堂でかつ丼とラーメンとあんみつと饅頭を頼んでも500円くらいにしかならず、真ん中にある外が見えるエレベーターに乗って、「すげーなー」と思った記憶があるばかりです。


あいかわらず 「じじいなげーよ」であるので 後半のひょ☆たん池と六区華やかなりしころの雑踏の写真の解説部分は割愛。

そして最後に

冒頭の写真と比べると、まさに隔世の感を禁じ得ません。 とまとめてある。

じじいなげーけど読ませる文章である。


そしてもう一人のオジ(終身幹事)の挨拶の一文は

春は名のみの風の寒さどころではない寒さが続いておりますが、その後いかがお過ごしでしょうか?

遅れましたが ☆☆氏撮影による1月7日の浅○の写真と、「田○町雑感」に続く○○しの渾身の銘文「浅○六区雑感」をお送りします。

両氏に感謝。

次の企画(おそらく下図のごとき夏の夕涼み)には全員総出でまた楽しい時を過ごしたいものです。

それまでごきげんよう。

 こんな写真が添えてある。


おもしろいオジたちである(ときめかないけどw)


コメント
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