tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

2019年6月の平均消費性向は前年比1.1ポイントの低下

2019年08月07日 23時39分26秒 | 経済
2019年6月の平均消費性向は前年比1.1ポイントの低下
 昨日、総務省より家計調査の6月分が発表になりました。
 毎月点検している勤労者所帯の平均消費性向は、5月の久方ぶりの前年比上昇から再び下降に転じました。

 6月はボーナス月ですから可処分所得は例月より大きく、709,195円(前年比3.8%の伸び)でした。消費支出は308,425円(前年比5.6%の伸び)で、これを可処分所得で割った「平均消費性向」は43.5%で、昨年の6月は44.6%でしたから、1.1ポイントの低下となり、駆け込み需要などもなかったようで、相変わらず消費不振ということになりそうです。

 毎月、消費性向についてはこのブログで報告していますが、気になっているのは、可処分所得の伸びと消費支出の伸びの関係と、平均消費性向の数字が必ずしもうまく合わないという点です。

 今回の数字を見ても、(数字は前年同月比です)
可処分所得の伸び 3.8%
消費支出の伸び  5.6%
ですから、所得より支出の伸びの方が大きいわけで、これならば、平均消費性向は上がるはずです。しかし平均消費性向は1.1ポイントの低下となっています。

 理由を調べてみました。
 解ったことは、家計調査では調査票を昨年から家計簿Bを家計簿Aに変更していて、一度に全面変換すると誤差が大きくなるので、昨年は調査対象所帯の半分だけを入れ替え、今年からすべて家計簿Bになっているという事です。

 そこでB表とA票の結果の差を調整して時系列比較を可能にする処置がとれるわけですが、発表された調査結果にはその説明があり、原数値として、昨年の可処分所得を28,407円嵩上げしてあるという事のようです。
 嵩上げしないと可処分所得の伸びは8.3%になっていて、これなら平均消費性向の低下は当然です。
 もちろん、昨年比の変化率は動きますが、現在の平均消費性向の発表数字は正確です。

 このあたりの調整方法は良く解りませんが、こうした調査票の変更などの場合は、当然誤差が出るわけで、このブログで取り上げている、平均消費性向の時系列比較も、その影響が当然出ているということになります。

 来年1月からはA表同士の比較になるので、数字は安定してくると思いますが、このところの異常とも言うべき平均消費性向の低下傾向は、調査票の変更の影響もあるという点、今回調べてみて気付きましたが、些か遅きに失した感があり、これまでお読みいただいた皆様には申し訳ないと思っています。

 それでも、平均消費性向の追跡は続けようと思っておりますので、今後とも宜しくお願い申し上げます。

企業収益構造の変化と労働分配率:2

2019年08月06日 16時47分47秒 | 経営
企業収益構造の変化と労働分配率:2
 前回、問題提起をしたのは、企業の収益構造が、労使の協力の結果を示す「営業利益」より、海外投資による資本利得(利子配当など)や為替差益、支払金利の減少、法人減税などで当期純利益が増えるといった状況になっている中で、賃上げをどうすべきかという議論が明確になされていないのではないかという問題です。

 企業活動の成果である「付加価値」を労使でどう配分するかは労働分配率という指標(総額人件費/付加価値の割合)で示されるのですが、これは、伝統的に、「付加価値は資本と労働が協力して生み出したものだから、労使で分け合う」という考え方からきているという事でしょう。

 海外投資からの配当が増えたとか、為替差益が出たとか、支払金利が減ったなどで当期純利益が増えても、労働組合も、「我々が頑張ったから」とは言いにくいのかもしれませんし、経営サイドとしても、これは資本が稼いだもので、労働は関係していないと考える可能性もあるでしょう。

 という事で、この問題にどう対応したらという事になるのですが、これは付加価値分配の基本問題です。伝統的にこの問題には大きく2つの理論(哲学?)があるようです。
① 付加価値は、労使(資)の貢献度に従って分配すべきである
② 付加価値は、企業目標の実現に適した分配をすべきである

 伝統的には、①の貢献度による分配という考え方が強かったと思われます。賃金などでも貢献度による配分が基本という考え方から来るのでしょうか。
 そのために、生産関数などで、資本と労働の貢献度を計測して参考にするといった事とも行われたりしました。

 しかし、近年は次第に考え方が変わってきたようです。それは、企業は(国民経済でも同様)常に成長発展して、社会を「より豊かで快適なものにする」という社会的責任(CSR)を持つという考え方から来るもので、付加価値の配分もその実現に最も適したものでなければならないという考え方でしょう。

 社会をより豊かで快適にするためには、技術開発が大事で、技術開発投資が巨大になるという時代ですが、その目的は開発の成果が人々に活用されなければならず、そのための購買力は企業の支払う人件費(賃金)に支えられるということになります。

 それを具体的にしていくのは、企業にとっては、労使の合意のもとに策定される「経営計画」でしょう。
 国民経済では、経済成長目標を実現するために最適な投資、消費、その調整役である社会保障制度、などのバランスよい 国民所得(純付加価値)の配分という事になるのでしょう。

 その実現のためには、企業では労使の合意と協力、一国経済では、国民の総意を確り汲み上げる経済成長政策、それを支える財政金融政策ということになるのではないでしょうか。

 従業員と朋に企業の将来像を考える、国民とともに、国の将来像を考えるといったことが確り行われて、その具体化である 経営計画 、経済成長計画の中で割り出された付加価値の分配が、あるべき付加価値分配の姿という事ではないでしょうか。

 そのためには、まず労使の対話、国民と政府の対話そして合意が確り行われることが必須になってきます。それが出来る企業が発展し、それが出来る国が成長するという事でしょうか。

企業収益構造の変化と労働分配率:1

2019年08月05日 15時55分16秒 | 労働
企業収益構造の変化と労働分配率:1
 国際関係、国際政治の現状は、ますますひどくなるような気配です。トランプ病の蔓延
という人もいますが、それにしても感染力が強いですね。

 今回は、頭を切り替え、経営、労使関係につて書くことにしました。
 
 このところ企業収益は比較的高水準を維持し、企業の資本蓄積も進んで自己資本比率は上昇してきています。
 しかし賃金はなかなか上がりません。連合の要求はサバを読まない真面目なものですが、それすら達成できていません。

 理由はというと、解説はいろいろありますが、1つ、企業の収益構造の変化という問題もあるように思われます。

 具体的に言いますと、営業利益率の水準も長期不況脱出で改善を見ましたが、営業収支から当期純利益に至る部分、つまり、「営業以外の収支勘定の改善」が著しいこと、に多くの方は気付いておられると思います。

法人企業製造業の売上高利益率の推移

      財務省:法人企業統計年報 

 ところで上の図を見ていただいても解りますが、リーマンショックで2009年から最低水準に落ち込んだ企業の利益率は、為替レートの正常化とともに2012~14年度以降、大きく回復します。しかし、その中で、最も伸び率が低いのは営業利益率です。

 図にはありませんが、この間、法人企業・製造業の売上高はかなり減っています。財務省の法人企業年報によれば、2008年度(リーマンショック前のピーク)の売上高は471兆円で、2018年度は406兆円です。

 つまり売上減、利益増なのです。
 もちろん合理化、コストカットの成果で営業利益率もリーマンショック 前を何とか回復していますが、経常利益率、課税前利益率、当期純利益率はリーマンショック前をかなり上回っています。

 これはどういう事でしょうか。お解りの方も多いと思いますが、現実は、今の日本の製造業は、日々の営業活動とは別の所で利益が増えているという事です。
具体的に言えば、 
 ・ゼロ金利政策や自己資本充実で支払金利が減った
 ・円安で為替差益などが増えた
・海外進出、海外企業買収などで、利子・配当収入が増えた
 ・企業減税で税負担が減った
等によるものが大きいという事でしょう。

 ここで本題に入ります。
 企業は労使の協力と努力で利益を出していると考えられていますが、労使が協力するのは、本業の部分、営業利益の部分が中心です。金利負担減、為替差益、利子配当収入、企業減税などで利益が増えても、それは生産や営業、技術といった労使の努力によるものとはあまり関係ないようです。

 近年の日本経済では国民経済レベルでも、GDP(国内総生産)よりGNP(国民総生産≒国民総所得)の方が20兆円(GDPの約4%)ほど大きくなっていますが、これは 第一次諸特収支(海外からの利子・配当収入が主体)に相当する金額です。

 海外からの利子・配当など、こうした国内労働によらない利益の増加(すでに進出先の国の労働者に賃金を支払った後の利益の配分)で企業の利益や国民所得が増えた場合、「それは日本の労働者に対する分配(賃金引き上げ)の対象になるか」という問題です。(法人税減税で利益増の場合も似た性格でしょう)

 営業活動以外の所で、利益が増えても、賃金引き上げに回らないということになりますと、当然、労働分配率は下がってきます。現状もそんな傾向があるように感じられます。

この問題は、あからさまには議論されていませんが、今後も海外投資収益などの増加は確実ですから、労使もアカデミアも、しっかり議論しておく必要がありそうです。

 お読みいただいた皆様方はいかにお考えでしょうか。次回この問題の考え方について取り上げてみたいと思っています。

人の噂も75日、戦争の記憶は・・・?

2019年08月03日 15時35分37秒 | 国際関係
人の噂も75日、戦争の記憶は・・・?
 TVの報道で、台湾の蔡英文総統が対中国問題について真剣に話すのを聞きました。その中で、さすがと思う発言がありました。
「挑発しないことです」という発言です。大きな中国、小さな台湾、という状況の中で、これは究極の知恵でしょう。

今の世の中、大きなアメリカは大きな中国に対して挑発を試みているようです(なぜか北朝鮮に対しては違いますね)。背後に「未だアメリカの力の方が大きい」という意識があるように感じられます。

 世界最強国という意識からでしょうか、TPP交渉から離脱、エルサレムへの大使館移転、イラン核合意から離脱、イランへの経済制裁などなど、国連決議を無視したり盾にしたり使い分けながら、挑発と見られるような行動が最近とみに多いようようです。

 まさか日本はそうしたことはやらないと思っていましたが、今回の対韓国への措置は、どう見ても挑発的です。
 こちらが挑発ではないとっても、相手が挑発だと受け止めるのが挑発なのです。

 しかも、その後の韓国との対話は「対話」ではなく自分を主張するだけの「相対発言」に終始しているようです。
 日本政府は「先にトラブルの種を作ったのは韓国だ」と言いたいのでしょうか。しかし、結果は全く同じレベルでの「トラブルメーカー同士の関係」に成り下がっています。
 昔から「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」と言いますが、アメリカも含めて多くの海外諸国や識者達は、あきれて、仲介にも二の足、「当事者同士でどうぞ」と言っているようです。

 このままでは決して解決にはたどり着けません。最後は「力で」という最も野蛮なことになるのでしょうか。
 日本政府は、自分の理屈を言うだけではなく、この際、国際的なトラブルの「力によらない」解決方法を、勉強するチャンスと考えたらいかがでしょうか。

  結局は誰か(どちらか)がトラブルシューターにならなければならないのです。
第二次大戦で国際トラブルの嵩じた先は「破局=破壊」、という事を、原爆まで落とされ、(戦争による解決とは如何なるものかを)悲惨な実体験で知った日本です。
しかし今の日本はそれを忘れかけているのでしょうか。

建設が好きで、破壊が嫌いだった田中角栄は、 田中角栄語録の中で
「戦争を知っているやつが世の中の中心である限り、日本は安全だ。戦争を知らないやつが出てきて、日本の中核になったとき、怖いなあ。」と言っています。

 今の日本は、多分率先して戦争はしないでしょうが、アメリカに付いて戦争することになるのではないかと心配する人が多くなっています。

 折しも、来年は、終戦の年1945年から75年めです。
 もともと日本人は忘れやすいのでしょうか、昔から「人の噂も75日」等と言われます。1日と1年は違いますが、「戦争の記憶も75年」などという事にならないように、くれぐれも願いたいものです。

日本の「知恵」でトラブルシューターに徹した外交を

2019年08月02日 00時08分57秒 | 国際関係
日本の「知恵」でトラブルシューターに徹した外交を
 世界情勢はますます不穏です。トランプさんは言いたい放題のようにツイッターを連発、世界中を振り回しいています。

 トランプさんのお陰で世界中がおかしくなれば、アメリカの同盟国日本も、当然おかしな環境の中に置かれます。

 考えてみれば、最も大事な日米関係にしても、トランプさんは、米軍の駐留経費を3倍とか5倍とかに引き上げるなどと、本音かハッタリか解りませんが、常識では想像もできないような(「思いやり予算」が「重い槍予算」に変わりそうな)ことを平気で言いだすのですから、日本も大変です。

 直接の日米関係がこれですから、トランプ発言で発生する諸問題に日本政府がどう対処するかは、国民にとっても、直接に日常生活や経営活動に影響する大問題が続出です。
 日中、日韓、日イラン、対北朝鮮などなど、対応を誤るととんだ事になるような難問が目白押しです。

現在進行形の日韓問題ではこれまで「対話」というより「双方発言」だけの平行線でしたが、必要なのは解決ですから、まずは、これが日本の外交の能力を示す試金石ということになりそうです。
 明日からはアメリカが本格的に調整に入るようですが、さて日本政府はどんな道を選択するのでしょか。

 ここから始まって、上記のような国際関係を次々に解決していかなければ、日本という国が、世界の平和と繁栄に貢献する国としての存在意義を持つ大事な国としての広い認識を得ることは出来ないでしょう。

 容易なことではないですね。明日からは、本気でハラハラ・ドキドキしながら、日本政府の外交の現実を見ていくことになるのでしょうか。
 トラブルを激化させるのではなく「さすが日本」といわれるような、「日本らしい知恵」の外交を展開して常にトラブルシューターとしての意識と存在を堅持してほしいと思うや切です。