tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

為替政策: 行き過ぎた自由の再考(5)

2011年09月18日 10時38分40秒 | 経済
為替政策: 行き過ぎた自由の再考(5)
 為替レートについての行き過ぎた自由の問題を取り上げてきました。
 人間の社会的行動については「左(右)側通行」や「赤は止まれ」など適切な規制が必要とお考えの方々が多いと思いますが、マネー取引、為替レート問題についても、IMFもアメリカ自身も、そうは考えながら 、なかなか積極的には動けないようです。その理由 も書いてきました。
 
 自由と平等は対立概念です。共産主義は平等を主張して登場しましたが、行き過ぎた平等は、人間の意識や行動には適さなということになり、70年ほどで崩壊しました。

 今、経済社会では、為替レートはマーケットに任せればいいという、行き過ぎた自由放任となっていて、国際投機資本の思惑のままに乱高下し、合理的思考は無視されています。
 行き過ぎた平等が、必然的に、為政者の恣意による社会の硬直性をもたらし、そのために崩壊したように、行き過ぎた自由も、最終的には無秩序と混乱の中で崩壊し、行き着くのは、過去の経験のように、おそらく国家間の争い、戦争という形になるのでしょう。

 平等と自由の適切なバランスをとるのが「正義」(Justice)という概念でしょう。これは、まさに、「人間としての価値観と判断」による、人間でなければ出来ない、人間社会だからこそ可能である、本来の人間のあり方に最も適したものでしょう。
 それを放棄したところに、今の世界経済の混乱があるという世界経済の現状を、人間だからこそ持てる透徹した視点で、見通す政治、経済のリーダーが出てこないところに最大の問題がるようです。

 こうしたリーダーの出現を阻んでいるのは何でしょうか。多分「ポピュリズム」という民主主義が最も陥りやすい陥穽に、理性よりも欲望に汚染された現代社会がすっぽりと落ち込んでしまっているからでしょう。

 国民が、自分達の働きよりも良い生活を望み、それは無理だということになると、政権を変えたり、暴動で政権を揺さぶるといったことを繰り返していくうちに、いつか取り返しのつかない混乱に陥る予感(いつか来た道)を持っている方々も居られると思います。
 今、また、世界は為替切り下げ競争と、資源獲得競争に揺れています。

 第二次大戦から六十余年、その苦い人類の失敗の経験を、ブレトンウッズ体制 を主導したアメリカもIMFも世銀も、苦難を強いられた多くの人々も忘れてしまったのでしょうか。 
 ホモサピエンスの持つ優れた大脳皮質を、もう少し有効に使わないと、本当に勿体ないような気がします。


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