tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

「失われた10年」と労使関係

2009年10月13日 15時48分08秒 | 労働
「失われた10年」と労使関係
 前回触れた世界の注目を集めた日本の労使関係はその後どうなったのでしょうか。

 プラザ合意後も、バブルの時期を通じてこの労使関係は労使の努力によって維持されたようです。バブルの時期、地価急騰で、サラリーマンが、子供の代までかからなければ返済できないような住宅ローン(二世代ローンなどいわれた)を背負わされた時期も、労使は「実体経済」に見合った賃上げを守り、土地バブルを賃金インフレに持ち込むようなことはしませんでした。

 そしてバブルが崩壊(1991年)し、プラザ合意による円高がダイレクトに日本経済を覆いつくして、国際比較での日本の物価・賃金が(国内インフレはなかったにも拘らず)世界一高いことが明らかになりました。
 この世界一高くなった日本の物価・賃金を国際水準まで下げる過程が「デフレ不況 」、つまり「失われた10年」で、日本の労使は、賃金をはじめあらゆるコストの引き下げを余儀なくされ、結果いわゆる春闘も消滅し、賃金引下げと雇用の削減、非正規社員の多用に至りました。

 日本の労働組合のリーダたちはこんな時期に無理して賃上げをしたら、結果はどうなるか(多分深刻なすタグフレーションでしょう)を熟知していました。賃下げを受け入れ、雇用構造の変化も容認しました。それでも日本経済の賃金・物価高を国際水準まで下げるのに、21世紀初頭まで10年もかかったわけです。
 
 この失われた10年は日本の産業に、雇用に、社会に大きな傷跡を残したことは皆様ご承知の通りですが、労使関係にも、明らかに大きく影を落としています。

 労使はコスト削減に追いまくられ、その結果である10年に亘る春闘の欠落 (労使間での真剣な論争や交渉の実質的休止)は、その間に育つべき、次代の日本の労使関係を担う後継者の育成、つまり労使関係におけるOJT機能に空白期間をもたらしました。
 経営者にとっては雇用削減問題の労使関係の中での「重さ」についての認識、労働サイドでは如何に経営者と交渉するかの戦略戦術、その他、経営の目的や働くことの意味などについての「体験して覚える」経験の希薄化、などなどです。

 折しも、欧米から怒涛のごとく流入したマネー資本主義、カネが凡ての思想、さらに経団連との合併による日経連の消滅とその労使関係のノーハウの散逸などは悔やまれます。

 連合創立20周年を迎えました。かつての優れた労使関係の時代を体験したリーダーたちの手によって、改めて世界にすぐれた日本的労使関係の再構築を望むや切です。


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