tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

日本の経営者は何をしてきたか

2009年10月09日 21時59分03秒 | 経営
日本の経営者は何をしてきたか
 前回、労働運動について書いたので、経営サイドについても書いておきたいと思います。
 昨年8月、「経営者とは何か(その1:経営者革命)」 で書かせていただきましたが、経営者というのは本来、労働と資本の対立を止揚するために、企業という「生産のためのプロジェクト」のプロジェクト・マネジャーとして選任された者であるべきでしょう。

 戦後日本の経営者の多くは、その役割を立派に果たしたのではないかと思います。日本の代表的な経営者団体は「日本経営者団体連盟」通称「日経連」でした。2002年経団連と合併して日本経団連となり、経営者団体の役割を終えたようです。

 日経連の初代の会長、桜田武は「桜田武論集」の第1部の冒頭のタイトルで「公器を預かる―私の経営理念―」と述べています。企業は公器である、経営者はそれを預かって、公のために尽くす、といいう姿勢が明らかです。
 三菱グループの綱領の第1項も「所期奉公」で、企業活動は公のためと明記しています。

 日経連は、資本を代弁して労働運動の抑圧し、賃金上昇を押さえ込むための組織といったイメージが強かったのですが、どうも話を面白くするためのマスコミの演出のようで、リーダーたちは「社会正義のために」「日本経済のパフォーマンスをベストにするために」活動しているという意識が極めて強かったようです。

 戦後(1954)人権争議といわれた「近江絹糸争議」では、桜田武は「これは人権問題で労働問題ではない」といってあえて関与しなかったし、桜田武腹心で当時専務理事の1人であった鹿内信隆は近江絹糸の夏川社長に「貴方は(労働側に対して)折れるべきだ」と説得に行っているのです(ジョン・クランプ著『日経連』桜井書店2006)。

 第1次オイルショックの翌年(1974)消費者物価上昇が22パーセントになり、賃上げ率が33パーセントになった時、日経連はその歴史の中で1度だけ賃上げのガイドラインを具体的な数字で発表し「来年は15パーセント以下、再来年は1桁」と述べ、それをやらなければ、「日本経済は賃金コストプッシュインフレ で沈没する」と大キャンペーンを張っています。

 当時の経団連会長、土光敏夫は経団連の会合に桜田武を招き、会員への周知に協力しています。また当時の副総理・経済企画庁長官の福田赳夫は、政府は来年の物価上昇率を15パーセント以下に抑えるといって、全面支援を打ち出しています。

 結果的にこのキャンペーンは労働側の賢明な対応もあって(前回参照)、翌年は13パーセント翌々年は8パーセントの賃上げとなって、日本経済はインフレの抑制に成功し、世界中が日本の労使関係に注目することになっています。

 経営者は日本企業、日本経済を、いかにしてベストのパフォーマンスに持っていくかを考え、労働サイドも、目的を共有すれば互いに協力するという労使のあるべき姿を実証して見せたというのが第1次オイルショックから第2次オイルショックにかけての日本労使だったのではないでしょうか。

 その結果実現した『ジャパンアズナンバーワン』(エズラ・ボーゲル著)の時代とその後については「デフレの原因(その2 )」「 為替レートとゴルフのハンディ」などをご参照ください。


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