tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

個人情報と墓地

2007年05月03日 13時57分25秒 | 社会

個人情報と墓地

 最近叔父のお墓参りに行きました。親戚の家に電話して霊園の名前と場所を聞いて、霊園にたどり着きました。10年ほど前、奥さんが亡くなったときに一度来ていましたが、その後、山の斜面を開発して随分広くなったようで、様子も変わっているように思われたので、本堂へ行って、これこれの家の墓だどの辺ですか、と聞いたところこんな返事が返ってきました。

 「墓地の場所は個人情報に関することなので、それは教えられません。法律で決められていて、教えてはいけないと通達がきているので、ご親戚でもどなたでもだめです。」ということなのです。

 さてこれは困ったと、早速親戚の家に電話しましたが、留守です。10年ほど前の記憶を頼りに端から探していたら日が暮れてしまうだろうし、2時間以上かけてきたのに、お参りしないで帰ったら、もう一度来なければならない。さてどうしたものかと考えているうちに、最近の個人情報に関する考え方は少し行きすぎじゃないかなどと考えはじめました。

 墓の場所を教えたら、どういう問題が起こるのだろうかと考えても、墓に呪いをかけて故人を浮かばれなくするという時代でもなかろうし、あまり問題はないような気がします。しかもこれは個人情報ではなくて「故人情報」じゃないか、何が問題なんだ、とか、交番に行って、友人の家の場所を聞けば親切に教えてくれるのが普通だが、生きている人の住居を教えるほうが墓地の場所を教えるよりよほど問題ではないか。そのうちに交番に行っても家を教えてくれなくなったり、町内の家の場所を聞かれた教えたら、個人情報漏洩の罪で罰せられたりすることになるのだろうか、などと考え、何か馬鹿らしくなってきました。

 結果的には、10年前の記憶を頼りに、時間をかけて、墓の場所は見つかったのですが、こういうときには故人のお引き合わせというべきなのでしょうか。

 墓の場所を教えないように通達か来ているというのは法律か条例かわかりませんが、ご存知の方がいらっしゃったら教えていただきたいものです。日本人は何かを考え始めるとそちらに振れすぎる癖があるように思いますが、かつての近所同士みんな知り合いという社会から、隣にいてもなるべく知らないようにしようという、いわゆる匿名社会になりつつある日本、そうした、どちらかというと本来の日本文化に似つかわしくない匿名社会を前提に、諸種の迷惑行為や犯罪を防止するために作られた個人情報保護法というものの性格や意義をを考えると、何か言いようのない違和感を覚えるのは私が歳をとったせいでしょうか。


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