tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

平成という時代:リーマンショックの前と後、4

2018年08月02日 15時27分47秒 | 経済
平成という時代:リーマンショックの前と後、4
 前回最後に触れましたように、リーマンショック後の極端な円高による不況は、日本人の経済、経営についての認識を変えたようです。

 問題は、何がこの変化を齎したかです。そこで1つの仮説を立ててみました。
 リーマンショックが齎した$1=¥75~80の期間はそんなに長くなく4年ほどでしたが、このレベルの為替レートに対応することはほとんど絶望的に感じられました。
 そのうえ、このままでは円レートは50円になって日本経済は潰れるなどと予言するエコノミストもいました。

 日本企業も消費者・家計も円高の恐ろしさ骨の髄まで染み付いたようです。その背後には、日本の場合、円高・コスト高で経常赤字を出して行き詰まるのではなく、それに対応するまでコストを削減し、GDPを縮小してでも赤字は出さない努力をするという大変日本的な企業や家計の生真面目な体質があったのでしょう。
 
 1ドル75円でもペイするようなコスト削減は容易でないことは良く解っていているが真面目に最大限の努力をする、しかし一方では、日本経済が赤字にならないよう真面目に努力すればするほどさらに円高になるのではないかという危惧があったわけです。

 日本人の伝統的な真面目さからすればまさにそうなのですが、現実には、この円高の解決は、全く違った極めて簡単な方法で行われました。それはFRBのバーナンキさんがアメリカでやったことの踏襲、ゼロ金利ベースの異次元金融緩和で為替市場を動かし、円高を解消するという手法です。
 
 現実には2発の黒田バズーカです。1発目で円レートは80円から100円に、2発目で100円から120円にと1年半で円レートは購買力平価相応の所まで安くなりました。企業も経済も忽ちにして生き返ったのです。
 
 黒田日銀は、全く違った円高に対する対応に出たのです。
プラザ合意による円高(240円⇒120円)への対応は地道なコスト削減努力でした。ですから、克服の可能性が見えた時、企業も家計も頑張れば自分たちの力で克服できるという自負も自信もあったでしょう。
 
 しかし、リーマンショック後の円高(120円⇒75円)は、黒田日銀の、「 マネーマーケットの働きかけるという金融操作」でした。日本の経済政策が、マネー経済学に目覚めた瞬間だったという事でしょうか。
 結果は成功でした、しかし、真面目で勤勉な日本人は、マネー経済学有効だったが、「それに頼っていていいのか」という疑念を未だに持っているようです。

 マネー経済学で為替レートを操作することになれば、またいつ理不尽な円高が押し付けられるか解らない。という疑心暗鬼が残っているのでしょう。
 今、企業が未曽有の内部留保を持ちながら、極めて保守的な行動をとっている理由、家計が世界の誇る1800兆円を超える個人貯蓄を持ちながら、消費性向を低め貯蓄に励むのは、いつまた円高にされるか解らないという不安があるからではないでしょうか。

 日銀が、アメリカの金融正常化を横目で眺めつつ、自らの政策を金融正常化の方向にもっていくことに極端なまでに臆病なのは、アメリカの意向、国際投機資本の思惑など、いろいろ考えれば、下手にアメリカの金融正常化に追随して利上げなどしたら、また円高に逆戻りという懸念が頭から離れないからと読めるように思います。

 リーマンショック以前は、円高を自分の努力で解決したという自信が持てました。しかしその後の円高は、自力では解決不能と思われる水準に達してきました。
しかも「 円高とデフレ・経済縮小のスパイラル」の怖れが実感され、これは「マネー経済学でしか対応できない新しい時代になった」という意識が一般化したようです。
そして、このことが、企業、家計の行動様式が変わった主因ではないか、というのがここでの仮説です。

 やはり日本人は、リーマンショック後の異常な経済を経験して、戦後積み上げてきた経済発展への自信を喪失したのではないでしょうか。
 そしてその背後には、 ブレトンウッズ体制から「変動相場制」というアメリカ主導の大変化、言い換えれば「実体経済重視からマネー経済重視へ」という世界経済認識の変化という潮流があったように思われます。

 恐らく、これまでの、またこれからの日銀の金融政策の中で、この仮説への回答が出てくるのではないでしょうか。