tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

生産性と再生産性:言葉のお遊び

2018年08月04日 13時29分08秒 | 社会
生産性と再生産性:言葉のお遊び
 最近マスコミで生産性という言葉がよく出てきます。このブログでも生産性は大変重要な概念で、「社会の豊かさや快適さは生産性の向上によってのみ可能になる」などと書いてきています。

 生産性はそれほど重要な概念ですから、生産性活動自体を目的にした団体「日本生産性本部」も存在し、その活動の歴史を積み重ねて来ています。
 その意味では国会やマスコミで、「生産性」が取り上げられることは素晴らしいのですが、見たり聞いたりしていますと何か全く違ったことを議論しています。

 「え、なに、それ生産性問題とどう関係あるの」と思ってよく見たら、LGBTなどという言葉が出て来て、「あ、そうか、人間が人間を作ることを『生産』と言ってるんだ」と解りました。
「生産性がない」と言っているのは「生殖能力がない」という意味でした。

 人間が人間を作ることを「生産」と言うのでしょうか。「出産」ならわかりますが、出産能力、生殖能力に「生産性」という言葉を当て嵌めるのはちょっと違うのではないですかと思ってしまいます。
 日本生産性本部も迷惑しているのではないかなどと、生産性本部のご意向を忖度したりしています。

 本当の言葉の使い方から言えば、同じものを作るのは「再生産」という事になっています。
一般的に生物学では、人間が生殖作用で人間を作るのも、人間だけでなくて、生物が子孫を残すことは「再生産」という言葉で定義されています。
英語ではreproduction形容詞にすればreproductiveその能力ならreproductivityです。

でも、「生産性」という言葉がこれだけマスコミで使われていて、みんな子供を作ることだと解っているんだからいいじゃないの、と言えばそれもその通りですね。

 余計なことを付け加えますと、男性同士や女性同士で結婚しても、何時か子供が欲しくなって、他の異性と協力して子供を作ることも可能ですから、「生産性」は潜在しているわけで、無くなってしまうわけではありません。
ただ、それを生かすか生かさないかは、別の問題だったりするのでしょうか。異性同士で結婚しても、子供は作りたくないという人もいたりします。

言葉をきちんとしないで、興味本位に取り上げてもあまり意味はないように感じますがどうなのでしょうか。