広島、そして真珠湾、寛容、和解、友情、信頼、不戦
オバマ大統領と安倍首相が、広島に引続き、今回も揃って訪れた太平洋戦争の発端の地、真珠湾、そこで発した安倍総理の演説は素晴らしい文章だと思います。
そこにちりばめられたいくつかの言葉は、地球上、人類のこれからの在り方を深く考えさせるものでしょう。
文章ひとつで世界は簡単に変わるものではありません。しかし、日米関係が、種々の困難を含みながらも、日本として、こうした発言を、はっきりと世界に示したことは、大変有意義な事だと思います。
戦後のアメリカの寛容、そして仇敵として戦った相手との和解、さらに期間をかけて育てた友情と信頼、そしてそれに基づく「今の世界に最も必要な」不戦の宣言、こうしたプロセスを、まさに必要としているのが今の世界でしょう。
太平洋の両岸に位置するアメリカと日本が今後戦うことがあるとはだれも思わないでしょう。
同じことはヨーロッパでも言えます。第一次世界大戦、第二次世界大戦と二度にわたって相戦ったドイツとフランスが、今後戦うことがあるとは誰も思わないでしょう。
国と国との関係は、変わるものであり、また変えられるものなのでしょう。リーダーが、またフォロワーとしての国民がいかに考えるかが未来を決めるのでしょう。
今の世界でも紛争は絶えません。それだけではありません。大国同士の緊張関係はこのところさらにエスカレートする様相さえ感じられます。
最近にニュースから見ても、日ロの北方領土問題に絡めて、国後、択捉へのロシアの対艦ミサイルの配置の報道がありました。
中国が海洋進出を進め、埋め立てた南沙諸島などの環礁の軍事基地化を進めるといった報道、南太平洋への空母遼寧の航行のニュースもあります。
核軍縮を進めてきた米ロ両国の、核装備拡充の主張も聞こえてきたりします。
それぞれの国が、こうした行動をとる理由は何でしょうか。本当に第三次世界大戦をやるつもりなのでしょうか。誰もが「まさか」というでしょう。
本当に戦争をやるつもりはない、やったら世界の破滅である事は良く解っている。しかし、軍備を拡充して見せないと、国としての威信にかかわる。想定上の被害者と加害者の関係作り。架空と意識しながらの仮想敵国認識。敵がいないと自国がまとまらない・・・。理由はいろいろなのでしょう。
冒頭に掲げた、寛容、和解、友情、信頼、不戦の素晴らしさは解っている、「しかし・・・・」。
この「しかし」がすべての問題の源なのでしょう。
「いろいろ無理をして軍備の拡張などしてみたが、使う機会もなかったし、結局は全部無駄でした」「馬鹿なことをしていました」という世界がいつ来るのでしょうか。
少なくとも、世界の主要国が、大手を振って「不戦」を掲げ、それが心から尊敬される「友情と信頼」、「争いより共栄」の世の中に、早くなってほしいものです。
オバマ大統領と安倍首相が、広島に引続き、今回も揃って訪れた太平洋戦争の発端の地、真珠湾、そこで発した安倍総理の演説は素晴らしい文章だと思います。
そこにちりばめられたいくつかの言葉は、地球上、人類のこれからの在り方を深く考えさせるものでしょう。
文章ひとつで世界は簡単に変わるものではありません。しかし、日米関係が、種々の困難を含みながらも、日本として、こうした発言を、はっきりと世界に示したことは、大変有意義な事だと思います。
戦後のアメリカの寛容、そして仇敵として戦った相手との和解、さらに期間をかけて育てた友情と信頼、そしてそれに基づく「今の世界に最も必要な」不戦の宣言、こうしたプロセスを、まさに必要としているのが今の世界でしょう。
太平洋の両岸に位置するアメリカと日本が今後戦うことがあるとはだれも思わないでしょう。
同じことはヨーロッパでも言えます。第一次世界大戦、第二次世界大戦と二度にわたって相戦ったドイツとフランスが、今後戦うことがあるとは誰も思わないでしょう。
国と国との関係は、変わるものであり、また変えられるものなのでしょう。リーダーが、またフォロワーとしての国民がいかに考えるかが未来を決めるのでしょう。
今の世界でも紛争は絶えません。それだけではありません。大国同士の緊張関係はこのところさらにエスカレートする様相さえ感じられます。
最近にニュースから見ても、日ロの北方領土問題に絡めて、国後、択捉へのロシアの対艦ミサイルの配置の報道がありました。
中国が海洋進出を進め、埋め立てた南沙諸島などの環礁の軍事基地化を進めるといった報道、南太平洋への空母遼寧の航行のニュースもあります。
核軍縮を進めてきた米ロ両国の、核装備拡充の主張も聞こえてきたりします。
それぞれの国が、こうした行動をとる理由は何でしょうか。本当に第三次世界大戦をやるつもりなのでしょうか。誰もが「まさか」というでしょう。
本当に戦争をやるつもりはない、やったら世界の破滅である事は良く解っている。しかし、軍備を拡充して見せないと、国としての威信にかかわる。想定上の被害者と加害者の関係作り。架空と意識しながらの仮想敵国認識。敵がいないと自国がまとまらない・・・。理由はいろいろなのでしょう。
冒頭に掲げた、寛容、和解、友情、信頼、不戦の素晴らしさは解っている、「しかし・・・・」。
この「しかし」がすべての問題の源なのでしょう。
「いろいろ無理をして軍備の拡張などしてみたが、使う機会もなかったし、結局は全部無駄でした」「馬鹿なことをしていました」という世界がいつ来るのでしょうか。
少なくとも、世界の主要国が、大手を振って「不戦」を掲げ、それが心から尊敬される「友情と信頼」、「争いより共栄」の世の中に、早くなってほしいものです。