tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

支払能力シリーズ10: 労働側から見た適正労働分配率

2016年12月12日 14時29分32秒 | 経営
支払能力シリーズ10: 労働側から見た適正労働分配率
 このシリーズのテーマである「支払能力」という言葉が、そもそも経営側の視点のものですから、労働側からのそもそも論ということから言えば、「労働分配率は高いほどいい」というものかもしれまあせん。

 もともとヨーロッパで始まった労働運動というのは、労働を搾取する資本家に対しての戦いだったのでしょう。( マルクスの時代、ピケティの時代
 しかし日本では少し違っていたようです。日本では江戸時代から、「丁稚奉公から入って、暖簾分けまで」といった従業員を一生面倒みるという、いわば家族主義的経営の意識があったようです。

 こうした拠って立つ文化の違いは、今の労使関係にもつながっているようですが、それはさておき、一般的な労使関係論から見れば、労働側からは適正労働分配率というより「より高い賃金」の主張が当然で、かつては学説としても、労働分配率は労使の力関係で決まるといったものが通用していました。

 当然、労働分配率を高めるためには労働者の組織力を拡大強化し、ストライキなど力の行使も含めて、交渉力を強めるという思考方法になっていたと思われます。

 しかし、こうした主張では、本当の問題解決はないという事がこの何十年かで次第に理解されてきたように思われます。

 事の始まりは日本的労使関係に立つ日本の労組の意識改革だったと私は考えています。
 これはこのブログでも、世界に先駆けて 石油危機を克服した日本労使の対応として詳述していますが、それ以来日本では賃金インフレの高進といったことは無くなりました。

 1970年代ら80年代にかけて、力で高賃金を獲得しようとする労組の攻勢で、軒並み先進国病に罹患して疲弊した欧米主要国でも、 サッチャー改革や、オランダのワッセナー合意に象徴されるような労組の行き過ぎの抑制を強く意識した政府の政策変更がありました。

 さらにその後は、新興国からの安価でしかも高性能な商品の流入などが一般化し、欧米でも労働組合は「無理な賃上げで企業のコストを高めれば、結果は自分の雇用に降りかかる」という認識・理解が進み、労組の運動は極めて抑制的なものになったようです。

 こうして、21世紀の今日に至り、異次元金融緩和の下でも労組は沈黙、先進国の中で賃金インフレやスタグフレーションは、ほとんど見られなくなりました。

 こうした観点から見れば、今、労働側からも、適正労働分配率とは何か(言い換えれば可能な賃上げの限界はどこか)という問題を考えなければならない状況が生まれつつあるという事になるのではないでしょうか。

 すでに触れましたように、日本では連合は、政府の賃上げ奨励を追い風に、より高い賃上げを取ろうなどといった行動はとっていません。
 連合の考える日本経済の安定成長と整合的な賃金要求が、例年の主張になっています。

 先に書きました「真理は中間にあり」の中間点を具体的に探り出す作業が、労使共通の問題として論議される環境条件は整ったという事ではないでしょうか。

支払能力シリーズ9: 人間と資本と労働生産性

2016年12月12日 13時49分02秒 | 経営
支払能力シリーズ9: 人間と資本と労働生産性
 企業活動の目的は付加価値を生産して、それによって社会をより豊かで快適なものにしていこうというものでしょう。豊かさ・快適さを求めるのは、人間としては当然での欲求です。

人間はそのために企業という組織を発明しました。もちろん企業には、小は個人企業から、大は世界企業までありますが、複式簿記で活動を計測管理し、それによってより効率的な生産活動をしようという基本は同じでしょう。生活維持のための生業とは違うのです。

 この「企業」という場で、「人間が資本を使って」付加価値を生産するのです。そして、それによって、人間が「豊かさ」や「快適さ」を手に入れるのです。

 ここで意味を持ってくるのが「人間が資本を使って」というところでしょう。
 資本は運転資金になったり設備資金になったりしますが、企業にとっては、そうした企業活動に必要になる資本があります。その資本がないと生産活動はうまくいきません。

 最も解り易いのは資本設備の例でしょう。例えば運送というビジネスです。資本がなければ背負って運びますが、それでおカネ(資本)を稼いで自転車を買えば能率(生産性)は上がります、さらに稼いでモーターバイク、また稼いで軽トラと使用できる資本が増えれば、生産性は飛躍的に上がります。どんどん進んで、鉄道、新幹線や、巨大タンカー、ジャンボジェットまで行きます。 

 生産性というのは(ここでは「労働生産性」ですが)「1人当たり付加価値」(=付加価値/従業員数)で計算されるわけで、これが豊かさ・快適さの源です。
 これは企業での計算ですが、国ならば、「国民所得/人口」で、これで国別の豊かさのランキング付けをしているわけです。

 ですから、企業でも、国でも、どれだけの設備の高度化をしているかが、労働生産性の重要な決定要因になります。
 勿論、その国・企業で働く人の能力や、勤勉さも影響しますが、能力が高く勤勉な人間が「より高度の設備」を使えば、ますます生産性は上がります。

 これを説明する数字が、資本装備率です、これは労働装備率とも言われます、本当は「労働の資本装備率」で、計算式は、「固定資本/従業員数」です。従業員1人当たりの設備額が大きいほど、通常、生産性も高いのです。「労働生産性は資本装備率に比例する」つまり、価格が2倍もする高度な設備を持っている工場では、労働生産性は2倍になるという経験値が生まれてくるわけです。

 さて、ここで問題になるのは、設備投資の高度化にかかる資本(おカネ)をどう調達するかという問題です。
 「銀行から借りてくる」というのも1つの答えでしょう。しかしこれはそう簡単ではありません。「資金の7割は用意しました。3割分借りたい」なら可能性ありでしょうが、「3割用意しました。7割借りたい」といったら、よほど信用がない限りダメでしょう。

 そこで自前の金をどこまで「用意出来るか」が大事になってきます。自前の金は、基本的には企業の創った付加価値から人件費等を払って、利益を計上し、その中から法人税を払って、当期純利益、そこから配当も払って、残った内部留保が原資です。

 という事で、企業が付加価値を労使で分配する場合、労働分配率をどの程度にするのが適切かと考える場合、将来の設備投資計画(広くは経営計画)から逆算して「このくらいでないと」設備投資に必要な自己資金が用意出来ない、という経営の立場が出てきます。

 通常、企業は3年とか5年の中・長期経営計画を立てて、その中でこうしたことを考えることになるのでしょう。
 では、従業員あるいは労働組合から見ると、適正労働分配率はどんなことになるのでしょうか。