tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

「金利」:本来の意味を考えてみれば

2016年10月04日 10時40分39秒 | 経済
「金利」:本来の意味を考えてみれば
 今、日本の金利は「ゼロ」とか「マイナス」とかいった異常な状態にあります。金融政策といった極めて技術的、技巧的な考え方を前提にして、いかにもそれが正しい方向のように説明したりしていますが、本当は、矢張り、「異常」な状態でしょう。

 ご承知のように「おカネ」には3つの機能があります。①経済価値の基準、②それを利用した決済機能、③経済価値の保存の3つです。
 おカネの存在が、天ぷらそば1000円、Tシャツ1000円、同じ価値と決めてくれ、決済は簡単です。また1000円札を持っていれば、いつまでも1000円の価値があり、腐ったりしません。

 金利は3つ目の価値の貯蔵に関わるルールです。お金を使うのを我慢して他人に貸した場合、自分は我慢し、相手は便宜や利益があるわけで、それならこちらが我慢した分に対し、感謝の気持ちの分をいくらか(利息を)払えという事です。

 多少えげつないという事もあって、中世までは金利は悪でした(イスラムでは今も金利はありません)。シェクスピアの「ベニスの商人」でも金利を取る金貸しのシャイロックは悪者です。
 
 しかし、近世になって、金の貸し借りが増え、次第に金利が認められるようになりました。R.H.トーニーやマックス・ウェーバーが指摘しましたように、金利を認めたことが、資本主義経済を発展させたのです。

 今でも、家族間の金の貸し借りでは、通常、金利などは取りません。他人との間の貸し借りが一般的になると(金融機関の発生と発展)金利は誰もが正当と考えます。中世はみんな親戚だったと考えれば金利は「悪」という気持ちもわかります。
 
 所が折角金利が正常な経済活動の中で合理的と認められたのに、今は金利がゼロです。銀行が日銀に金を預けると 金利はマイナス(日銀が預かり賃を取る)です。
 中世に戻って、資本主義発展以前の状態でしょう。これでは資本主義は成り立たないはずです。

 何故こんなことになったのでしょうか。日銀は「まだまだ金融緩和の手段ある」などと言っていますが、ゼロ金利が常態化しても、資本主義経済、というより自由主義経済は成立するのでしょうか。

 おそらくこうなった理由は、実体経済の活動の潤滑油であるべき金融が、実体経済をコントロールするために使われるという「主客転倒」の金融政策万能主義の思想の結果でしょう。
 そして、さらにその遠因は、資本主義という名前が悪かったのかもしれませんが、資本主義経済が、人間生活を支える実体経済をそっちのけにして、金融経済に迷い込んでしまったことにあるようです。
 
 少し「ゼロ金利」という異常事態に切り込んでみたいと思う方も多いのではないでしょうか。