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tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

2018春闘賃上げ率2.54%、8,621円の意味

2018年04月26日 10時32分31秒 | 労働
2018春闘賃上げ率2.54%、8,621円の意味
 昨日、日本経団連は、今年の春闘の賃上げ率の第一次集計を発表しました。賃上げ率、賃上げ額は標記の通りで、安倍首相、経団連が希望していた3%には、残念ながら届きませんでした。

 もともと安倍さんの言う3%というのは腰だめの数字で、「2%インフレを起こすには3%ぐらい賃上げをしなければ」程度の理論的根拠のない数字ですから、現実に出てきた数字の方が経済経営の現状から見た合理的なものと言えるのではないでしょうか。

 企業経営としては、固定費の増になる賃上げよりも、賞与の増額でという所も結構多いようですから、年収という面では、もう少し高いのかもしれません。

 8,621円という金額は、1994年(バブル崩壊で賃上げ額が下がり続ける途中の年)の8,800円に追いつきそうな水準まで来たわけですから、ゆっくりですが回復基調をたどる日本経済(政府経済見通しの30年度実質経済成長率1.8%)から見ても、相応な所ではないでしょうか。

 国民生活から見れば、物価上昇が(現状の)1パーセントほどで、賃上げ率が2.5%の方が、賃上げ率3%で、物価上昇が2%超よりいいに決まっています。
 政府にすれば物価が2%以上あがってくれないと財政再建が出来ない( インフレで借金:国債の負担の実質減狙い)という意図もあると勘繰るところです。

 余談はともかく、賃上げが経済成長に見合って徐々に高まっていくというのが最も健全な経済成長の姿ですから、今春闘でも、労使の賢明な対応に敬意を表したいと思います。

 付け加えますと、この集計は従業員500人以上の上場企業という事ですから、全体的の結果は、今後は経団連の第二次以降の集計、最終的には厚労省の集計が明らかにしてくれると思いますが、基本的には時系列的な動きとして同様な基調であることを願う所です。

 またこの賃上げ(定昇+ベースアップ)の数字はそれぞれの産業・企業による恒例の数字で、正確に客観的な統一基準に従うといったものではありません。つまり、時系列的にはそれなりの意味を持つという形のものです。

 安倍さんの言う 3%賃上げしたら税金を負けますというのも、客観的な「賃上げ」の定義が示されていませんが、あの約束にどのような合理性を持たせるのか、他人事ながら、国民の税金(私の税金も)が使われることになるので心配です。

初任給上昇圧力高まる、影響は?

2018年04月24日 22時24分17秒 | 労働
初任給上昇圧力高まる、影響は?
 今年度の大卒初任給について日経新聞電子版が主要企業についての調査結果を発表していますが、2400社ほどから回答が得られた結果、最高は40万円で、30万円以上が11社などと報じられていました。

 こうした企業で、此の初任給をベースにして年功的に上がっていったら大変なことになるでしょうが、恐らく成果主義で、高い初任給で優秀な人を集め、後は年々の成果で決めていくという欧米流の賃金制度なのでしょう。

 それにしても、円レートが100円~120円と円安が実現した2014年以降、新規学卒市場は売り手市場となり初任給は着実に上昇しています。
 もともと日本企業では企業ごとに賃金体系は違うのですが、高度成長の時代から新卒初任給ではそれなりのマーケットが成立していて、引き上げ競争の動きはありました。

 バブルが崩壊して長期不況に入るころ大卒初任給はほぼ20万円で横並びでしたが、その後の就職氷河期を通じて2010年代初頭まで、ほとんど横ばい、多少の下げもあるといった状態でした。
 
 その初任給がここ数年じりじりと上昇に転じています。グラフは最近の高卒、大卒の初任給の推移ですが、円高差益で潤った2014年あたりは特別として、その後、反動でしょうか、上げ幅は縮小しましたが、またじりじりと上がり始めたようです。


(資料:厚労省「賃金構造基本統計」、2017年は経団連調査、2018年については集計発表は来年)

 1980年代半ばまで、日本経済が好調だったころは、企業が競争で初任給を引き上げ、初任給が先輩の賃金水準に追いつきそうになって「中弛み是正」で、数年前入社といった先輩の賃金を初任給とのバランスで引き上げ調整の必要が生じたりして企業の賃金担当は苦労しました。

 初任給上昇はまさにベースアップですから(定昇が無いので)初任給の上昇率が先輩のベア率を超えると賃金上昇のカーブは緩やかになります。ということで、その間、日本企業の賃金の年功的色彩はかなり薄められるといった結果になりました。

 最近の動きでは、まだそこまで行くか行かないかぐらいの所でしょうが、優秀な新卒を確保したいとうことで、初任給を無理して引き上げますと、必然的に賃金体系全体を見直さなければならなくなります。
 かつてのような初任給引き上げ競争は起きないと予想していますが、場合によっては行き過ぎた競争が起きないとも限らないので、企業におかれては、初任給上昇は賃金体系・制度全体とのバランスの中で考えられるよう周到にお考えになることが必要なように思うところです

残業はダメ、副業は奨励、世の中いろいろ

2018年04月09日 09時36分15秒 | 労働
残業はダメ、副業は奨励、世の中いろいろ
 安倍内閣は、自由な働き方の一環として、副業を奨励しようとしているようです。
 自由な働き方もそうですが、副業も同様で、それが成果をもたらすようにするのは、「法律や制度ではなく」、働く本人の意識や心構えによるところが大なのです。

 おカネのためというのであれば、副業より残業の方がずっと優れています。副業なら、余程特殊技能のある人でない限り、非正規で低い賃金になりますが、残業の場合は最低でも現在の賃金の25%以上の時給になります。

 「長時間労働」といえば、残業でも副業でも同じです。残業は過労死につながるような見方になっている昨今ですが、現実には、殆どのサラリーマンは、馴れた職場で、親しい仲間と協力し合って残業をして、増えた収入で家族を喜ばせて来ているのです。

 原則残業がないヨーロッパ諸国では、副業が流行っているようです。イタリアの公務員などは、二重就業で有名でしたが、かつてドイツのコール首相が来日した時、労働時間問題で、日本のある記者が、「ドイツは労働時間が短いと言いますが、セカンド・ジョブを持つ人が多いようですが?」と質問したところ、渋い表情で「ドイツ人は勤勉だからそういう事もあるでしょう」と答えたという話を聞いたこともあります。

 副業を認める理由として、多様な経験や交流が出来る、知識も広がる、起業に繋がって可能性が広がるなど、良いことばかりが並べられているようですが、そんなことは副業をしなくても、本人が希望し、企業が、外部の研修会(Off-JT)に出せば、その同窓会なども含めて活発に出来ます。

 自分の趣味や、退職後の生活に生かすといった視点も紹介されていますが、それこそ政府に言われなくても、誰でも自分で考えていることではないでしょうか。

 残業時間短縮で、収入を補うためにといった場合は、副業に付いた先がブラック企業という事もあるでしょう。
 働き方改革推進の説明でも、マスコミの報道でも、何か日本の企業はブラック企業ばかりといった感じを受けますが、副業先は皆良い企業なのでしょうか。

 いわゆる「高度プロフェッショナル」のような優れた人たちには多分良い副業先があるでしょう。しかし「高プロ」の方々には残業時間は適用されませんし、もし副業を得れば、高度技術の漏洩などの問題が発生する可能性が気になります。

 私自身も現役の時は、結構副業をやっていました。翻訳から始まって、依頼原稿、本も書きました。講師料も入りました。
 今もこうやって、ブログを書いていますが、基本的には趣味です。労働とは思っていません。法律や制度とは無縁の世界です。

 何か今の政府のやっていることは、説明は巧いようですが、一貫性が無く、時に頓珍漢で、思い付きや外国の真似といったものの羅列のような気がしてなりません。
 いったい誰が発想しているのか、発想している本人に理由を聞いてみたい気がします。

定年再雇用の賃金の考え方(続き)

2018年04月03日 10時05分40秒 | 労働
定年再雇用の賃金の考え方(続き)
  前回、日本の正規雇用従業員に対する賃金は定年時で清算がされているという制度になっているという歴史的経緯について見ました。

 もともと、定年年齢は55歳でしたから、それが60歳に伸びたときから、賃金制度の改定は忙しくなりました。

 当時の賃金制度のもとでは55歳時点の賃金が生涯賃金の中で最も高いわけで、前回述べましたように、その水準は、その時点での会社への貢献に比し割高になっています。定年が60歳に伸び、伸びた5年間、その割高の賃金を払えば、生涯貢献と生涯賃金のバランスが崩れますので、60歳でバランスが取れるように賃金の上昇カーブを寝かせる必要があります。
 
 賃金構造基本調査の標準者(新卒採用で定年まで勤務)の賃金カーブの傾斜の経年変化を示したグラフなどはよく当時見られましたが、年功色は随分薄められ、賃金カーブは寝てくることになりました。

 退職金の勤続年数による伸び方も、昔の幾何級数的なものから職能資格に応じたポイント制などで、60歳定年に見合ったものになりました。
 定年55歳の時期にも、定年再雇用の制度はあって、55歳以降、①賃金を年々下げる、②一律に下げ、後はフラット、③一率下げ、後は多少の定昇、などの選択肢を示して労使交渉などというのもありました。

 結局は「②下げてフラット」が一般的のようでしたが、それが今60~65歳の定年再雇用で踏襲されているのです。
 勿論高齢者には個人差もありますが、そこで個人別に減額幅を査定するとなると、これは企業内の人間関係に影響しますから、「一律何%カット」という方式が一般的になります。減額すること自体は日本の正社員の労使関係の中では納得されています。

 そこで、何%カットが合理的かという問題です。(通常勤務を前提にします)
 問題になっている「賃金は減額すべきでない」も「4分の1に下げる」も、以上のような経緯から見れば妥当性を欠くでしょう。何時も指摘しますように「真理は中間にあり」なのです。

 下限を考えれば、定年退職者は経験豊富ですから初任給より高いのは当然でしょう。長期不況のさなか、新卒採用をストップし、定年者を「初任給+α」で再雇用して、その方がずっと効率的と言っていた経営者もいました。

 理論的に言えば、職務遂行能力が維持されている限り、生涯賃金の平均値、あるいは現行の初任給と60歳時点賃金の中間値あたりが最低限度で、それに習熟度を勘案するのが適切という指摘もあります。

  正式な統計調査はないようですが、こうした観点から、常識的な減額幅は3割から5割といった数字が多いようです。(管理職を降りれば手当分は減るでしょう)
 通常、定年後は、1年ごとの契約更新です、勤務態様が変われば、当然差は出ます。

 結局は60歳までは清算されているという前提で、「定年退職者の職務遂行能力と勤務体制を勘案」、あるいは、「この能力の人を中途採用したら」といった視点も参考に、労使でよく話し合い、双方が納得するところで労使協定にするというのが合理的な決め方の基本でしょう。

定年再雇用の賃金の考え方

2018年04月02日 11時04分42秒 | 労働
定年再雇用の賃金の考え方
 北九州のある企業で、定年再雇用の際に賃金が75%減額され定年時の25%になったので減額が大きすぎるのではないかという事でしょうか、定年再雇用で賃金4分の1が妥当かどうかが最高裁まで争われ、会社に慰謝料の支払いを命じた判決が確定したとの事です。

 さきに、広島の企業でも定年再雇用で賃金が下がるのは同一労働同一賃金の原則に違反するという訴訟が起き、一審では勝ち、二審では負けましたが、控訴しているという事です。

 定年を境に同じ仕事をしていても、賃金が下がるというのは、確かに同一労働同一賃金の原則から言えば、おかしいでしょう。しかし、日本のほとんど会社では、定年再雇用で賃金は下がるという形になっていて(就業規則、賃金協定など)、それが常識として通用しています。

 物事は全体を見ないと判断を間違えます。一部分だけを見ておかしくても、全体を見れば適切という事はどこにでもあります。
 という事で、この問題は、なぜ定年再雇用といった問題が起きて来たかという歴史的な経緯から賃金システムの全体を見、その上で判断しないと見当違いになるのでしょう。

 日本の定年制は、かつては一般的に55歳でした。かつては平均寿命も短く、老化も早く、隠居などという慣習もありました。
 しかし平均寿命が延び、老後が長くなり、もともと働き好きの日本人です、もっと長く働きたいと思う人も増えました。

 そして、決定的なのは年金支給年齢が60歳、更に65歳になったこと、そして企業には65歳までの雇用が義務付けられるという、社会の変化に適応した制度改正が行われたことでしょう。

 もともと日本の賃金制度は年功的ですから、若い時は働きより低い賃金、定年間近では働きより高い賃金というシステムになっていて、定年時の55歳で丁度バランスが取れるという形でした。つまり生涯賃金が生涯の働きに見合うという形です。

 ですから、定年が伸び、再雇用期間が加わると、賃金体系をどう再設計するかは極めて大きな問題になりました。
 特に大手企業や金融機関などの、年功色が強かったところでは、旧定年時の賃金を払い続けたら大変ですから、賃金体系の変更には、労使ともに苦労してきています。

 その結果、先ずは年功色をいかに弱めるかが課題になり、そして、定年後再雇用の賃金をどうするかがもう一つの問題で、今それが一部でトラブルになっているという事です。
 
 これがこれまでの経緯ですが、つまり、基本的には、(勿論それぞれの企業の賃金制度が適用になる正社員の場合ですが)定年までの期間で、会社への貢献と賃金総額とは見合ったものになっていて、退職金も含めて清算されている。というのが各企業の賃金制度の前提です。

 さて、清算が終わった後の賃金水準はどうしたらいいか、というのが、定年後再雇用の賃金水準を決めるときの問題です。次回その点を中心に見ていってみましょう。

現実知らずの思い込み、働き方改革(続き)

2018年04月01日 10時52分48秒 | 労働
現実知らずの思い込み、働き方改革(続き)
 現政権の働き方改革の考え方は、欧米流の雇用の在り方を日本に持ち込もうという事のようです。
 労働移動を自由にし、賃金は個人の職務や成果(job and performance)で決め、同一労働同一賃金がいいというのです。

 しかし日本企業は、そんなことは考えていません。優秀な人間を採用して、仕事を覚えさせる中で適材適所に配置し、出来れば定年まで、わが社に貢献してほしいと新卒一括採用にしのぎを削っています。
 欧米流の「職務に人を当てはめる」形である非正規雇用で済ますのは、特定の定型業務、簡易な単純業務といったのが基本的な考え方です。

 それなのに、非正規雇用が異常に増えたのは、長期のデフレ不況の中で、人件費を下げなければ企業の存続が危機的状態という異常事態の中でのことです。
 その咎めが出て(重要な仕事も非正規を当てたりした結果)種々不具合が起き、非正規の正規化が徐々に進み、統計でも、いわゆる「不本意非正規」は減少しつつあります。恐らく雇用の正常化も近いでしょう。

 労働移動については、欧米では、仕事がなくなれば雇用も打ち切りが原則ですから転職の容易さが問題になりますが、日本では、企業のマーケットが縮小しても、正規従業員は雇用し続け、企業の業態の方を変えて、育てた人材を活用し続ける経営が良い経営といわれます。
 これはこのブログでも旭化成や東レの例を引き(繊維から化学へ)、富士フイルムの場合は コダックとの比較で論じてきています。

 新卒一括採用が無くなるとは考えられない日本の企業社会で、年功要素(能力向上要素)を制度化の中に組み入れている「職能資格給制度」が、欧米流の職務給になることは考えられません。賃上げは「定昇+ベースアップ」といわれるように、1年先輩の賃金は後輩より高いのです。同一労働・同一賃金は日本企業では無理なのです。

 ですから、「働き方改革」でも、正社員は「同一労働・同一賃金」の適用外となっているのです。
 では何と何を同一にするのかというと、同じ職場(定義は企業)で類似した仕事をしている正規従業員と非正規従業員の賃金を合わせようというのです。結局は非正規従業員の賃金改善策という事になっています。

 ところが非正規従業員の賃金は、地域のマーケットで、もともと同一労働同一賃金になっているのです。非正規でが良い人はそれで納得して仕事をしているのです。
 それを、働き方改革では偶々入った企業によって、賃金を変えるべきだというのです。折角地域のマーケットで同一労働同一賃金になっているものを、同じ仕事でも、A社に入った人とB社に入った人の賃金を違えようという事で、企業別格差賃金を、非正規従業員にも適用しようという事のようです。
 会社を変われが賃金も変わります。その会社に入るまで、極端に言えば、隣で仕事をする人が誰かで賃金が違ってくるのです。

 同一労働同一賃金のガイドラインを見れば良く解りますが、お役所も合理的だとこじつけるのに苦労しているのでしょう。企業も苦労すると思います。
 正規を希望する人は、原則、正規で雇い、非正規でいいという人にはその地域のマーケット賃金を適用するというのが最も自然でしょう。

 現政権は、基本的には雇用をすべて欧米流にすること(舶来崇拝?)が良いと考えているようです。これは日本社会の実態についての勉強不足のせいでしょう。
 新卒一括採用のもたらす就活戦線の現状にはいろいろなご意見もあるようですが、これが、日本の極端にまで低い、 若年者失業率を齎しています。

現実知らずの思い込み、働き方改革

2018年03月31日 22時04分02秒 | 労働
現実知らずの思い込み、働き方改革
 絶対多数で「働き方改革」も押し通すというのでしょう。与党は早くそちらに行きたいようです。
 労働時間短縮には私も基本的には賛成です。ただし短ければいいというものではありません。人は仕事をすることによって育成され成長します。法律では残業時間の上限や、インターバル性を定め、あとは企業の人事労務管理に任せればいいと考えます。

 問題は、労働移動の促進、特に大きな問題は同一労働・同一賃金です。
基本論から言えば、「雇用」と言えば皆同じと思うのかもしれませんが、「雇用の在り方」には、大きく2種類あります。

 これは企業(あるいは組織)というものの在り方と結びついたものですが、
① 欧米流:企業は職務の集積体である:職務中心主義、
② 日本流:企業は人間集団である:人間中心主義、
という事になるでしょう。
欧米流では、例えば、研磨工が足りなければ、適切な技能レベルの研磨工を募集して採用します。賃金は職務給で決まっています。中間管理職が辞めれば、経験のある中間管理職を募集、採用します。職務給です。時には社長も募集します。「年収いくらいくらで社長募集」とへッドハンティング会社に頼んで探してもらいます。

 職務があって、人がいないから、その職務が出来る人を採用するのです。職務給が当たり前です。職務給は業界や地域でマーケットが出来ていて、その情報は行き渡っていますから、基本的に同一労働同一賃金です。     
賃金にプラスαがあるとすれば、「job and performance」のパフォーマンスの方でプラス分が査定されるでしょう。

日本流では、採用するときは配属は決まっていません。新卒一括採用です。仕事にはみんな素人で、入社が決まれば、会社とは、仕事とは何かなどとオリエンテーションを受け、OJTで先輩から仕事を教わり、だんだん1人前になっていきます。

管理職も、経営者も、基本的に内部昇進で、無暗に外部採用などすると、内部のモラールが落ちて企業のマイナスになります。
賃金、つまり初任給は新卒マーケットで決まります。初任給は低く、仕事に習熟するにしたがって上がっていきます。職能資格給が一般的です。同じ仕事をしていても、1年先輩の方が高いのが普通です。これが本来の日本企業の賃金制度です。

 こうした日本の企業にも、この所、欧米流の従業員が増えてきました。パート、アルバイト等の非正規従業員です。
 もともとは会社に縛られる正社員にはなりたくなく、自分の都合を重視し、働きたいときに働いて、それなりの収入を得たいと考える人達で、家計の責任者ではない人達です。(ただし現状は、正規で働きたいが正規になれない多くの非正規従業員がいます。これは問題です。)

 そして、非正規の人たちは、企業が、「これこれの職務の人募集」という求人広告業を見て職探しをし、賃金の相場は業種・職種や働く時間帯などで、業種や地域のマーケットで決まっています。これはすでに同一労働同一賃金の世界です

 というわけで、日本では今、伝統的な新卒一括採用という人間集団としての企業を担う従業員(正規従業員)と特定の職務遂行のために雇用された欧米型の従業員(非正規従業員)が併存しているのです。

 長くなるので後は次回にしますが、こうした現状の中で、「同一労働・同一賃金」の意味する所は何で、何を目指して安倍政権は「同一労働同一賃金」をやろうとしているのか、
合理的な説明のできる人は恐らくいないのではないでしょうか。

春闘結果と消費者物価の関係

2018年03月16日 09時06分13秒 | 労働
春闘結果と消費者物価の関係
 安倍政権が春闘における賃上げを奨励し、春闘が「官製春闘」などといわれるようになって今年は5年目でしょうか。
 一昨日の集中回答日の状況から判断しますと、今年の賃上げ率は昨年より高くなりそうな気配です。

 トヨタ自動車労使が、ベースアップ額を明示しないで、「昨年を上回る」水準確保などと発表されるオマケも付きましたが、いずれにしても昨年を上回るとことが多くなるでしょう。
 そこで問題になるのが、この結果が企業のコストアップになって、消費者物価を押し上げるかどうかという問題です。

 安倍さんが「賃上げ、賃上げ」というのは、労働者の生活をよくするというより、早くインフレを起こして消費者物価を2%以上に高め、政府の借金(国債発行)を減らして財政再建を楽にしたいというのが本音と理解していますが、そう巧くはいかないでしょう。(政府の財政再建計画が1%インフレでは再建不可能としています)

 春闘の3%賃上げというのは、定期昇給とベアを足した数字で、皆の賃金が3%上がるわけではありません。定年再雇用で下がる人もいたり、従業員の新陳代謝もあり、定期昇給も年代によって大きく違います。

 昨年の春闘賃上げ率は厚労省の発表で2.1%だそうですが、日本の賃金総額である、国民所得統計の雇用者報酬は1.7%増というのが政府経済見通しの数字です。

 しかも日本経済の生産性は同じ経済見通しで0.9%上がっていますから、コストアップは0.8%で、雇用者報酬は国民総所得の7割弱ですから、賃上げのインフレ要因分は0.5~0.6%程度でしょう。(2017年度の消費者物価上昇率は0.7%)

 此の数字は円レートにも影響されますし、資源の値上がりや生鮮食料品価格の影響もうけます。政府日銀の言う2%インフレのためには、もっともっと賃上げが必要ですし。そんなことをして物価を上げてみても、生産性が上がらない限り、物価ばかり上がって、国民生活は苦しくなるばかりです。

 政府・日銀は目標数字だけは言いますが、その根拠は何も説明してくれません。国民をどこに連れて行こうというのでしょうか。

 余計な心配ですが、3%賃上げをした企業には法人税を負けるそうですが、トヨタはどうなるのでしょうか。春闘結果のマスコミ発表は企業や産業ごとの慣例による数字ですみますが、法人税の軽減の条件である3%というのは、税金を使う事です。どんな計算基準、計算根拠で賃上げが3%以上かを決めるのでしょうか。

2018春闘集中回答を見て

2018年03月14日 21時38分39秒 | 労働
2018春闘集中回答を見て
 昨日は2018春闘の集中回答日でした。集中回答日というのは連合の指導の下、自動車、電機、基幹労連などの主要な産業の中核企業の労組が一斉に回答を引き出すことによって、今年の春闘の相場作りに貢献しようというような意図で、3月中旬の日程を定め、出来るだけ多くの企業が、年度内決着を目指すことも含めて春闘の大勢を決しようという取り組みという所でしょうか。

 企業にしても、こうした日程があれば、それに応えて、春闘の大筋を決めるめどがつき、合理的だと考え、主要産業のリーダー企業の労使が、共に集中回答日決着を目指すという、日本的な合理性(仲間は皆一緒)を持つ春闘のしきたりと理解しています。

 というわけで、昨日から今日のニュースでは、自動車、電機、鉄鋼などなどの主要企業のベースアップの額、年間ボーナスの月数などの報道が相次ぎました。
 具体的な個別の金額や、月数は、ここでは触れませんが、満額回答も含め(特にボーナスなど)、概して昨年を上回り、組合としても、それなりの評価が可能のような状況のようです。

 安倍さんが3%出せば法人税を負けるといった結果だ、などとは、労使ともに言われたくないでしょうし、現実に、これは連合の姿勢、景気の状況や雇用情勢、企業の支払能力を考えれば、結果は合理的な水準を目指す労使の交渉の結果という所でしょう。

 これから中小企業を含めて最終結果が出るのには6月までかかるかと思いますが、連合の思いからすれば、如何に中小の「賃上げ率」を大企業に追いつけ追い越せの結果に繋げることが悲願でしょう。

 いずれにしても、2018春闘が昨年を上回る結果になりそうというのは、日本経済の現状の反映ですし、日本経済の構造問題の改善のためにも良いことでしょうし、沈滞した日本経済の雰囲気を変えるためにも望ましいことだと思います。

 ただ、混乱した政治の現状を見れば、労使がいかに付加価値の分配(春闘の基本的な役割)の面で合理的な行動をとっても、それだけではどうにもならない深刻な問題(経済上の重要問題の軒並み先送りなど)があるわけで、政治の貧困と経済の底力のギャップの大きさが目立つばかりです。 (トランプさんの評価でドルは売られますが、安倍さんが何をしても、円は何かあると常に買われるのが現状です。)

 集中回答日の状況から推測される今年の賃金決定を見ても、それで消費が伸び、景気が改善すると楽観することはできそうもありませんし、第一、マスコミの一部も指摘していますように、法人税を負けるという 「3%賃上げ」をどう定義する かでも、多分まともな結論は出ないでしょう。

 それでも民間産業労使は、「堅実過ぎる」とも言われますが、日本経済が誤りない道を進むようにきちんと対応しているという評価は十分可能と思います。
 政府の出鱈目さと民間の堅実さを対比して、これからも、日本経済の活性化策について、政府取り組みの遅れなどを、折に触れて取り上げていきたいと思います。

経営者がやらなければならない事では?

2018年03月08日 12時47分10秒 | 労働
経営者がやらなければならない事では?
 安倍政権の掲げる「働き方改革」に関わる問題の中で、労働時間短縮には大賛成というのがこのブログのスタンスで、特に長時間残業の後のインターバル制度などは、本気で確りやらないと、働く人の健康に関わると思っています。

裁量労働や高度プロフェッショナル制度の問題も、政府は、本人に任せれば、労働時間は短くなると言いたいようですが、現実はどうもそうならないようです。

 もともと法律は最低限の労働基準を決めるものでしょうから、最長労働時間とか、インターバルとかいった健康維持(古いコトバなら労働の再生産:過労死したのでは再生産になりません)に必須なことを決めればいいように思います。

 人間には柔軟性があり、長い時間仕事をしても、自分で好きでやっているのであれば健康にはあまり害がないことが多く、納得のいかないことを強制されるとストレスが大きく、「精神的」さらには「肉体的」にも参ってしまうというのは誰も理解しています。

 安倍総理の労働時間は大変長いようですが、大変タフに動いておられます。自分の意思で動いているから続くのだろうと私は思っています。
 という事になりますと、労働時間問題を、事細かに法律で規定しても、多分現実に合わない事が増えるのでしょう。限界はここまでですよと決めて、あとは労使に任せる、ということが出来る企業・社会であれば、それが最も望ましいでしょう。

 なのに、なぜ政府が細かく面倒を見ようとするかと考えますと、最近、企業の中での、こうした問題への対応が、きちんと出来ていないという事があるように感じられます。
 長期不況でコストカットばかり考えざるを得なかった経験が、今になっても、経営者や管理者の染みついていて、「企業は従業員を育てる所」という日本的経営の基本が忘れられているような感じさえ受けます。

 政府は「働き方改革」といいますが、企業は、従業員の「働かせ方」についてのきちんとした理念を掲げ、正社員であろうが、パートであろうが、それぞれに「わが社の仕事の中で育てほしい」という視点を持つ「働かせ方改革」を改めて本気で考えるべきではないでしょうか。それこそがわが社の明日を支えるものになるはずです。

 昔は経営者団体(日経連)がありましたが、今は経済団体しかありません。経営は人を育てるのですが、経済はカネを儲けることが本義だ、と言われてしまえばそれまでですが、個別企業の経営者は、従業員を育てなければ、会社は発展しないと解っているはずです。

 今、企業の経営者は、国会の議論を見守ったり、振り回されたりするのではなく、わが社の従業員について「働かせ方」また「働き方」がどうあるべきか経営責任として自分自身が確り考えるべきでしょう。
 国会よりも、経営者がやるべきことの重要性が、現実には余程高いのではと考えています。日本の経営者がカネだけに目が行くようになってしまったとは考えたくありません。

高プロ問題:なぜ政府は固執するのか?

2018年03月05日 10時23分16秒 | 労働
高プロ問題:なぜ政府は固執するのか?
 安倍政権の働き方改革には、日本の社会で働いてきた人間には解らないことが多すぎます。なぜ、安倍政権は、無暗と自説に固執するのでしょうか。
 
 裁量労働の導入が余りにもいい加減なデータを含む導入根拠の崩壊から挫折しましたが、今度はまた高度プロフェッショナル制度を持ち出して、これは通すと言っています。

  この問題 は、すでに大分前に日本的経営との関係で取り上げてきていますが、もともと、残業問題に関係ない管理職(あるいはその待遇職)でなくて、1075万円以上(平均賃金が上がればこの数字も上がるでしょう)の年収という人はどれだけいるか把握しているのでしょうか。

 そんな極く一部の人のために法律を作る必要があるのでしょうか。
 安倍さんの国会答弁によれば、対象者は、大変素晴らしい知識や能力の持ち主で、自ら成果を求めて、時間に関係なく働けるのが良いと考えている、というようなことですが、現状では企業はそういう人をどう処遇しているのでしょうか。

 正社員として採用されている方ならば、大抵はすでに管理職待遇の専門職でしょう。若し、そこ迄昇格していなければ、企業としてはそのような素晴らしい人を昇格させないことの方が問題でしょう。

 そういう役に立つ人を、外部から求めた場合には、企業には、従来から、それなりの処遇方法がきちんとあるのです。
 このブログでも紹介していますが、かつて日経連が提唱した雇用ポートフォリオの中の「高度専門能力活用型」のケースです。契約社員として、年俸制で、参事待遇、理事待遇といった形でしょう。通常、年俸は、正社員の場合より高いでしょう。長期に勤めてほしければ、そして本人も納得すれば、正社員、参事ある理事として処遇するでしょう。

 安倍さん自身は企業で働き上げた経験はありません。政治の世界に住んでいます。そして「決める政治」、つまり自分で決めるのがお好きなようです。だから「自由な働き方が良い」という思い込みは強いのかもしれません。

 しかし、エリック・フロムの『自由からの逃走』ではありませんが、人間の中には、自分で決めることに躊躇する部分が必ずあるのです。その部分が多い人の方が普通のようにも思います。

 自分で決めることに快感を感じる人の中には、トランプさんや、習近平さんや、プーチンさんもおられるようですが、「良い決定」をすることは実は大変なのです。

 思い込み、自己過信から卒業し、聖徳太子の「17条の憲法」の 第17条を尊重することも大事なのではないでしょうか。

裁量労働:「無理」が通らなくてよかったですね

2018年03月01日 12時06分23秒 | 労働
裁量労働:「無理」が通らなくてよかったですね
 安倍総理が、働き方改革関連法案で、裁量労働制の適用業務拡大の所の全面削除を指示したようです。
 普段から、「丁寧に」「真摯に」と繰り返している総理ですから、ここまで準備の杜撰さが知られてしまえば、矢張り撤回を選択しなければならないと考えられたのでしょう。

 厚労省にも当然統計の専門家はいるわけで、いかなる統計がいかなる用途に活用できるかなどは良く解っているはずですが、目的の違う業務統計を法律作りに生かせるなどという考えが、大臣にまで上がって行って、それを総理が鵜呑みにする、といったことが昨日まで、残念ながら罷り通っていたようです。

 国会論議でも、労働基準監督官が労基法などに照らして問題がないかを立ち入り検査するときに、確か裁量労働制で働いている者(シャ:従業員)で、労働時間の平均的な人短い人、長い人などの時間を聞くので、それを集計したという説明がありました。

 聞き取りや集計に間違いがあって、最終的に辻褄が合わない件数が多すぎ、問題になったようですが、本来統計を利用する趣旨からいえば、裁量労働が適用される全国の従業員の母集団を確定し、そこから、統計調査の手続きに従ってサンプリングが行われ、統計誤差が最小になるよう設計されて初めて信憑性のある統計になるはずです。

 そういったことを熟知している人がいながら、全く信憑性に欠ける数字を「なぜ出してしまったか」に問題の本質があるような気がします。
 推量すれば、「総理はこういう数字を望んでいる」という事を理解した途端、いわゆる「忖度」が発生するのでしょう。
 私の推量では、国会で問題になっているほとんど問題において、こうした「忖度の状況が発生する可能性は多分にあると考えられます。

 勿論総理は何も指示していませんし、我が官僚は正しい仕事をしていると信用して、その作成文書をお読みになっておられるのでしょう。

 思い過ごしであれば大変結構ですが、矢張り何が正当か、何が正しいか、労働や生活をよくするためには、いかなるデータを選び、それをどのように説明すれば解り易いか、といった国民の納得できるデータや議論が、国会中継で見られるように願いたいものです。

メガバンク2社、ベア要求見送り

2018年02月27日 11時15分39秒 | 労働
メガバンク2社、ベア要求見送り
 この2日間、統計問題で多くのアクセスを頂きました。
 数字さえ示せば人は信用すると思ったのでしょうか、結果は国会の混乱ですが、これも絶対多数で押し通すのでしょうか。
 統計は大事です。国が統計を誤魔化すようになるとそれは亡国の兆しです。それは歴史が証明するところでしょう。

 ところで、2018春闘で、メガバンク2行がベア要求を見送るという報道がありました。黒田総裁続投で、マイナス金利はまだまだ続きそうという事になると、銀行の収益低下傾向の改善は容易でないでしょう。日本の組合は本当に真面目ですね。

 欧米だったら、通常は、政府や中央銀行の方針のお蔭で儲からないと言って、従業員は余計に苦労して働いているのだ、銀行の収益とわれわれの賃金要求とは関係ないと賃金要求をするのが当然の権利と考えます。

 日本のように、経営の現状を考慮して、賃金要求基準を決めるなどというのは「まさに御用組合の典型、労働組合にあるまじき行動」などと批判されてきた歴史もあります。

 昨年の春闘ではクロネコヤマトの組合が、組合の権限を越えて、営業時間や料金体系にまで論議を進め、それを経営側がまともに受け、全国的な宅配業界の問題改善にまで発展しました。
 このブログでも「 異例な春闘 」と取り上げましたが、日本の労使関係は、伝統的な欧米の労使関係とは一味違います。

 労使が、それぞれに自分の利害だけを行動基準とし、ぶつかり合って妥協した処が「正しい」などという考えは決して主流にはなりません。労使が共に、「社会正義」を目指し、より良い社会構築のために議論するのです。

 こうした労使関係を持った国の政府は大変幸運だと思います。オイルショックの時も、バブル崩壊の時も、労使は政府に迷惑をかけることなく、自主的労使交渉の中で、きちんと進むべき日本経済の在り方、選択すべき方向を議論して来ています。

 この所、政府の春闘への介入、さらには国民の働き方を決めたいなど、異常なまでに思い込みの政策が見られますが、政府も、労使と同じように、自分の都合(例えば2%インフレにしたい、同一労働同一賃金がベスト、などなど)を主張するのではなく、労使がいかに懸命に自己中心でない「社会正義」実現の意識のもとに行動して来ているかを勉強して理解し、基準法のような基本の設定に専心し、あとは賢明で真摯な日本の労使に安んじて任せる事を学んだら如何でしょうか。

統計調査の重要性の再認識を

2018年02月25日 16時30分33秒 | 労働
統計調査の重要性の再認識を
 裁量労働制を採ると、労働時間は長くなるのか、短くなるのかどちらでしょう。この問題は個人によって、全く違うでしょう。
 特に問題が無ければ早く切り上げて済まそうというタイプの人と、じっくり形できちんと詰めるところを詰めて「良い仕事をしてくれた」と後世いわれるような仕事をする人とでは結果は全く違うかもしれません。

 さて、どちらが企業にとって、顧客にとって、社会にとっていいのか、これは仕事の種類にもよるでしょう。単純ではないような気がします。単に労働時間が短くなることが「良い結果」といったことで済むのでしょうか。

 これは本質論かもしれませんが、今回国会で問題になっているのは、短くなることが良いことという前提で、しかも「統計」という社会問題の判断の基準になるべき大事なものを極めて杜撰に扱ったという思慮の浅さが根底にある問題のような気がします。

 今、日本経済にとって高齢化問題は極めて重要です。この議論がきちんと進められるのは、「国勢調査」「人口動態統計」といった統計が十分な正確さを持っていると誰もが認めるからでしょう。

 インフレ目標2%というのも、消費者物価統計がいい加減だったら、議論になりません。統計への信頼があって初めて可能になる議論です。

 ですから、国には「統計法」があり重要な統計は基幹統計(旧指定統計)、承認統計として厳密な設計基準によって信頼性が確保されているのです。

 今回問題になっているのは「業務統計」です。これは必ずしも統計法の適用を受けない統計で、政府関係機関が業務上得た資料を集計し、便宜的に利用するために発表しているものです。
 安倍さんがよく使う「有効求人倍率」も「職安業務統計」です。単に、提出された求人票と求職票を集計し、発表すれば、何らかの参考にはなるだろうというものです。

 5人必要な所を10人と書いて出しても罰則はありません、正式に設計された統計ではないのです。今国会で問題になっている「労働時間等総合実態調査」も業務統計です。

 法律を制定する際の根拠になるような統計データは、最高の正確性を持っていなければならないでしょう。統計の設計の段階からきちんとした正確性を担保することに欠ける「業務統計」などを安易に利用するという事自体が、統計情報に対する認識の不足の結果ではないのでしょうか。
 大事な事に利用しようとすればするほど、統計の正確性、統計への信頼性が大事です。正確な統計は国の宝であり、また国際的信用の基本でもあります。

非正規労働はなくせるか

2018年02月14日 11時29分13秒 | 労働
非正規労働はなくせるか
 最近、非正規労働をなくそうといった意見をよく聞きます。
 このブログでも、正規、非正規という用語を使っていますが、「非正規」というと「イレギュラー」ですから、何か差別的で感じがよくないのかもしれません。

 それではと考えてみますと、非正規の中にはパート、アルバイトから派遣社員、期間契約社員、定年退職後の再雇用の社員などいろいろあるわけで、それらをみんなひとくくりにして非正規という事になっているというのが現状でしょう。

 これらの中でも、高い専門能力を持ち、企業から乞われて期間契約で仕事をしている人とか定年再雇用といった人たちは、非正規の範疇に入ったとしても、特に差別感など感じないでしょう。

 派遣は派遣で、非正規といわれても、法律で制度が確立している分野です。
 そうしてみると、問題はパート・アルバイトといった働き方の場合に、差別的という事になるのでしょうか。
 今後、同一労働同一賃金で問題にあるようなことについても、問題は多分パート、アルバイトが主でしょう。

 前置きが長くなってしまいましたが、ここで取り上げようと思ったのは、非正規労働そのものをなくせるかという問題です。

 戦後、日本の経営者は、 従業員の身分差別をなくして、全員を「社員」としました。日経連の初代会長であった桜田武もそれを誇りにしていたことも書きました。でも今からそれに倣う事は可能でしょうか。

 戦後の貧しく不安定は社会では、雇用の安定こそが生活の安定につながるわけで、全員正社員は素晴らしい発想に立つ制度だったということが出来ましょう。
 しかし、今日の日本は違います。当時とは比べものにならない豊かな社会です。種々の形の蓄積社会でもあります。
 
 勿論、雇用の安定が生活の安定につながるという立場の人が太宗でしょう。しかしそうでない人も次第に増えてきています。
 かつて、大手デパートが「働きたいときにだけ働きに来てください」と言って「サムタイマー」という制度を作ったこともあります。

 やりたい事や、やるべき事が他にあり、家計では補助的な役割、しかし、時間が余れば、世のため人のためになり、プラスアルファの収入にもなるから、出来るだけ縛られない自由な立場での仕事の機会を求める人は増えてきました。豊かな社会では、当然働き方は多様化するのです。

 こうした柔軟な働き方を希望する人たちは、今後も徐々に増えるでしょう。豊かな社会では多様な働き方が求められます。
 非正規という呼称は別として、こういう人達に出来るだけ都合よく働いてもらえるような雇用の仕組みは必須です。
 
 こうした仕組みは法律を作れば出来るわけではありません。やはり戦後の経営者が、戦後の社会に合った「全員正社員」制度を考えたように、今日の経営者も、企業の都合だけで物事を考えるのではなく、社会の多様な要請に応えられるような多様な雇用の在り方を模索すべきではないでしょうか。