Altered Notes

Something New.

非常識化・無礼化が進行する現代の若年層

2019-08-08 13:50:00 | 社会・政治
8月4日(日)にテレビ東京の番組「モヤモヤさまぁ~ず2」が放送され、しばらく空白だったレギュラーアシスタントが決定した。

4代目のアシスタントはテレビ東京新人アナウンサーの田中瞳アナである。田中アナは声質や滑舌も良く、新人としては秘めた可能性を感じさせる有望株として評価されているようだが、しかし番組中では若干引っかかる場面も見受けられた。

その場面は偽の番組ロケでハワイに来ていた田中アナにモヤさま4代目アシスタントのサプライズ発表がされた直後、早速街ブラを開始した時に訪れた。

街なかをさまぁ~ずと田中アナの3人で歩いていた時の会話である。

三村「(田中アナは)最初に会った時より、意外と背は大きいんだな」
田中「三村さん、テレビで見るよりちょっと小っちゃいなって思いました」
三村「俺、166(cm)しかないからね」
田中「(私と)一緒じゃないですか(笑)」

画面上にはテロップで「正直にズバズバ言う。」と表示された。

思ったことを臆せずに言うこと自体は決して悪いことではないが、しかしこの場合は(先ほど会ったばかりの)三村氏に対しては失礼なのではないか、と筆者は感じた。実際、これを言われたさまぁ~ず三村氏の顔は全く笑っていなかったのである。

いくらテロップを表示することでこの場面の微妙な空気を強引に笑いに転化させようとしても無理があるのは明らかだ。

筆者のこの心的な引っかかりは翌々日の山田五郎氏の発言でも裏付けられた。

8月6日(火)の「5時に夢中!」(MX)において3面記事ランキング「夕刊ベスト8」中の7位の記事として、テレビ東京の新人・田中瞳アナが「モヤさま」4代目アシスタントに就任したことが紹介された。

大橋未歩アナが読み上げた新聞記事にはこう書かれていた。

「お披露目となった一昨日の放送では三村マサカズさんに『テレビで見るより小さい』と語るなど、物怖じしない大物ぶりを発揮。早くもネット上では初代アシスタントを務めた大江麻理子アナウンサーに匹敵する人気が出るかも」といった声もあるそうです」

こうした評価に対して、この日のコメンテーターとして出演していた評論家・山田五郎氏は

「テレビで見るより小さいって失礼じゃないですか。で、この失礼なことを『物怖じしない』とか『大物』とかって言うのはやめた方がいいと思いますよ」
「(そういうことを)なんか言いがちじゃない?」

と、憤りの感情を含みつつ発言。
続けて山田氏は

「なんか変なことさえ言ってりゃ大物だ、みたいな・・・」
「(そういう風潮は)良くないと思いますね」


と、現代の若者にありがちな無神経で無礼な発言、及びそれを無批判に受け止めてしまう情けない大人達の対応と風潮を批判した。

「無礼は無礼」であり、「大物」などと褒めそやす前にそれが”失礼な言動”であることをきちんと認識・理解させるべきだ、と山田五郎氏は言っているのである。

あの場面を「現代の若者にありがちな無神経さの発露」と見たのは筆者だけではなかったようだ。

何より当事者であるさまぁ~ず三村氏も当該場面の少し後で訪れた食事シーンで田中アナに対して

「ちょっと下に見てる?俺のこと」

と発言し、田中アナの人としての基本スタンスに対する疑問をそれとなく呈している。30年も歳の離れた若い新人アナから「小さい」と不躾に言われ、その後の会話でも三村氏への態度の中に”見下した感”が見え隠れすることで三村氏が機嫌を悪くしているサインを出しているのである。三村氏はこれがテレビ番組であり大人のタレントであるが故に波風を立てることはないが、しかし明らかに不愉快な心持ちになっているのは明らかで、それを感じ取れない田中アナの「若さゆえの過ち」に複雑な思いを抱いた事と推察する。

また、田中アナはハワイロケ後に行われたスタッフからのインタビューで さまぁ~ず の印象について聞かれ、

「三村さんは思ったより小柄な人という印象。大竹さんは凄いやさしい。立ち位置も教えてくれるし、やさしくしてくれたのは大竹さん」

と答えている。あくまで三村氏に対しては外見をディスするだけという低い評価であり失礼な感情を持っていることを隠そうともしなかった。

こうしたあからさまに無礼な態度を出してしまう無神経さというのはもちろん田中アナだけの問題ではなく、現代の若年層に普遍的に見られる傾向でもある。

どうしてこのような傾向が表れてきたのであろうか。

これは間違いなくテレビ番組とお笑い芸人達による悪影響が大きな要因として考えられる。

どういうことか。

前述の田中アナが引き起こした問題は、実は社会のあちこちで普遍的に見られる現象でもあるのだ。お笑い芸人たちが発する言葉や立ち居振る舞いを見聞きした若年層が影響を受けて、その言動・行動・態度を真似ることで問題が生じているのだ。

芸人たちが番組内で演じることはたいてい無分別で無神経(図々しさ)、そして無責任と言えるものがほとんどだ。これはきちんとした常識を知っていて礼儀もわきまえている人間が見れば面白い言動やパフォーマンスとして受け止められるものである。

しかし一般社会の常識も知らず礼儀もわきまえていない若者(*1)がそれを見た場合はどうだろうか。モラル上の是非の区別もつかないので「これが面白い」「これでいいんだ」と勘違いしてしまい、無頓着に芸人の言動行動、さらにマインドのあり方までを真似てしまうことになる。そうなれば社会のあちこちで摩擦・軋轢を生むのは必定であろう。

常識というのは英語でコモンセンスと言うが、これは共通認識とか共通の了解事項といった意味合いだ。見知らぬ者同士が上手くやっていく為に社会が生み出した知恵であり暗黙の了解事項である。これが欠落している人間(若者)が芸人達の図々しい態度だけを真似すると(社会に於いては)当然うまくいかない事になるのは当たり前だ。集った人間の間で常識が存在しなければ普通のコミュニケーションすら成立しなくなるし、知らない内に相手を傷つけることにもなりかねない。

そしてこうした風潮は始まってから既にかなりの年月が経過していて、若者たちのメンタリティーの奥にまで浸透してしまった結果として社会のあちこちで軋轢と摩擦を生み続けている。若年層の非常識かつ無礼な言動・行動が当たり前になってきて世代間の基本的なコミュニケーションすら難しくなりつつある、ということだ。(*2)

現在、この問題がそれほど大きくクローズアップされていないのは大人たちが未熟な若者に配慮して譲歩しているからにほかならない。また、対応の仕方によっては「××ハラスメント」と認定されて(*3)芳しくない状況に陥ってしまうからである。しかし若者はそんな事とはつゆ知らず、傍若無人に振る舞うばかりだが。

こうした若年層への影響力が現在最も大きいのが(改めて書くが)お笑い芸人であり、彼らの言動・行動を発信しているテレビに代表されるマスメディアである。芸人やマスメディアの悪影響で社会の空気がどんどん悪い方向に変化している事に大きな危機感を持つものである。

特にテレビ番組の悪影響は大きく、常識&モラル破壊・いじめの日常化・言葉の破壊&誤用といったあらゆる「悪」の方向に持っていきたがる傾向がテレビ番組の演出には感じられる。常識を破壊した方がテレビ的にインパクトを与えられるからであり、番組制作者は常に常識をいかに破壊するかを考え続けていると言っても過言ではない。

テレビ屋が好む演出の傾向は「おとなしいよりも騒々しい」「利口よりも馬鹿」「正しいよりも間違い」「美よりも醜悪」「常識よりも非常識」にある。バラエティ番組においてしばしばインモラルが過ぎるとかルール逸脱が激しすぎて時おり警察沙汰にもなる、といった問題が生じるのはこの為である。

番組を制作し送り出す側の人間が「この程度」なので、そこで起用される芸人達もそれに同調するしかない。従って番組内容が非常識で無礼な傾向になるのは必然である。そしてそんな醜悪な番組ばかりを見て育った若年層は「(この世は)これでいいんだ」と思い込み、常識も礼儀も醸成されないまま育ってしまう。家庭での躾がほぼ無い状況であることもこの傾向に加担しているのは言うまでもない。


この問題は社会のあり方の根幹に関わるものだけに、このテーマが現代社会に於いてもっと認知され考察されることを願っている。


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<追記>
なお、田中瞳アナは普通の新人に比較すると確かに番組でパフォーマンスするに際してさしたる緊張を持たないようで、良い意味で腹がすわっている頼もしさはある。(*4)これは田中アナが全くの新人ということではなく、大学在学中に日テレのNEWS ZEROで気象キャスターを担当していた経験があるからだろう。
また、さまぁ~ずのボケに対するツッコミに見せたセンスもなかなかのものがあり、この辺は逆に今のバラエティ番組や芸人のパフォーマンスを日常的に取り込んでいる若者らしい一面かもしれない。



<2020年4月14日:追記>
非常識と無礼で思い出すのが、例えば「ブラタモリ」である。いや、タモリ氏ではなく同行する女性アナウンサーの事だ。同行者たる女性アナは1~2年程度で交代するのだが、ここ最近の二代のアナウンサーの初回の挨拶が気になっている。2018年4月21日に初登場した林田理沙アナは画面に登場して最初の挨拶を視聴者にではなくタモリ氏に行った。テレビ番組である。常識的に考えれば番組に初登場して最初にするべきことは視聴者に対する挨拶であろう。しかし林田アナはタモリ氏にだけ挨拶し、視聴者に対しては挨拶しなかったのだ。常識的に考えれば、出演者同士はとっくに挨拶を済ませている訳であり、画面に登場した時にはユーザーである視聴者に初対面の挨拶をするのが当然であり必然であろう。しかしそうではなかった。これは林田アナだけの問題かとも思っていたが、2020年4月11日にデビューした6代目の浅野里香アナウンサーも初登場時に林田アナと同じくタモリ氏にだけ挨拶し、視聴者に対してはしなかったのだ。これが彼女たち若年層に共通した特質なのか、それとも番組の演出側から要請されてそうなっていたのかは不明だが、その場合は番組制作に携わる若いスタッフに常識や礼儀が欠けている事になる。演出ではなく彼女たちの自主的な判断で視聴者を無視しているのなら、そこに彼女達の価値観が無意識的に現れている、ということになる。これを一種の集団的無意識の発露と捉えるならば、現代に於ける若年層の非常識化と無礼化を象徴的に現した現象の一つとして記録しておきたいと思う。たかが挨拶されど挨拶、である。




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(*1)
これは家庭における躾の問題が大きい。こうした領域ではしばしば学校教育の不備が話題になるのだが、今回のような問題は家庭の躾に不備がある、または躾がなされていない事が大きな原因として存在している。現代の若者が礼儀を知らないとしたら、それは彼らの親が躾をしていない事に原因があるのだ。



(*2)
以前、ビートたけしが子供にインタビューして「何やってるんだ?」と聞いたところ、子供は「息してる」と返答。その冷めきった感覚と人を小馬鹿にした態度にビートたけしは呆れていたのだが、こちらに言わせれば「おまえら(芸人ら)がそういう風潮を作ったんだろうが!」ということだ。彼らお笑い芸人がテレビという大きな影響力のあるメディアでそうした態度を見せ続けた結果として人々のマインドを悪しき方向へ変えてしまった…いわば調教してしまったのである。


(*3)
何でも無分別にハラスメント認定してしまうことで本当に必要な事案に対して叱ることもできず矯正することもできなくなっている現代の風潮は明らかに病的でおかしい。


(*4)
緊張しないということは始めから周囲や社会に対して「見切っている」心理の現れかもしれない(*4a)し、それはそのまま「上から目線」の姿勢の現れである可能性もある。三村氏への一連の失礼な態度が自然に表出してしまう事実を考慮するならばあり得る話である。そうだとすれば、それは「大物」とかいう問題ではなく単に「無神経で無礼な人」ということだ。
また、緊張しないということは人としての成長の伸びシロがあまりないとも取れる。コメディアンの萩本欽一は「緊張しない奴は嫌い」と言って、緊張を持つことが人として成長の可能性につながるという趣旨の見解を述べている。それは同時に人としての誠実さにもつながる話であろう。


(*4a)
一般的に言って、抜群の美貌を持ち周囲からチヤホヤされて育ってきた女性にありがちな心理形態である。何をやっても許されて持ち上げられてしまうので、自然と周囲や社会のあり方を上から目線で見るようになってしまう傾向である。ある種の自意識過剰なあり方かもしれない。しかしこのタイプはそれをそのまま表には出さない計算はできるのである。






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