
その昔、LIVE UNDER THE SKY というジャズの有名なフェスがあった。最初は1977年に田園コロシアム(あの田園調布駅からすぐの場所でテニスの公式試合会場だった)でスタートした。そこで数年開催された後によみうりランドのオープンシアター・イーストに場所を移した。
このフェスでは数々の名演が生まれた。あの1960年代の伝説のマイルス・クインテットの再現で熱狂的な盛り上がりがあったV.S.O.P.クインテットもこのフェスで演奏したし、そのライブアルバムも残されている。
ユニークな顔合わせの演奏もあった。ハービー・ハンコックのカルテットにカルロス・サンタナがゲストで参加する、というものでデビュー間もないウィントン・マルサリス(当時19歳)とサンタナの共演、という珍しいセッションもあった。
で、今回対象の演奏は場所をイーストに移してからのもので、時は1984年7月28日。バンドはギル・エヴァンス・オーケストラである。そこにジャコ・パストリアスがゲスト参加することが大きな話題になっていた。私は「もしかしたらジャコの演奏を生で聴けるのは最後かも」という予感と共に現場に赴いたのだった。
なぜ最後だと思ったか?
1984年といえば、既にジャコの精神は相当病んでいて様々な奇行も漏れ伝わってきている頃である。その伝聞内容から察するに、少なくとも彼がまともな演奏機会を得る事が少なくなる予感がしていたからである。
ジャコはきちんと演奏できるのか、ステージ上で変な行動を起こさないだろうか、と心配の仕方も既に異常なものになっている自分の気持ちを意識すると、心なしか動悸が速まっているように感じられた。会場で着席して開演を待っている間も嫌な緊張感が身体中を支配していた。
現場ではステージ上で未だ準備作業に追われるスタッフ達が忙しく動き回っていた。その光景を見ながら開演を待っていると、なんとジャコ本人が楽器(フレットレス・エレベ)を持って登場し誇らしげに手を高く掲げるのであった。前方客席の観衆は沸き立っていたが、私はその様を見て事前の嫌な予感が一気に確信へと変わっていき、その後に続くであろう悪しき展開を予想せざるを得なかった。
ステージは未だ準備中でありスタッフが動き回っているのである。にも関わらずジャコはベースをアンプに接続するとそのまま勝手に弾き始めてしまった。演奏内容は彼が知っている曲のさわりを思いつくままに少しずつ演奏し、その途中で「Birdland」も演奏された。…と言っても「Birdland」を曲としてまとまりのある形にしてソロ演奏するのではなく、単にこの曲のベースパートを一人で演奏しただけである。これはステージで演奏する内容というよりも、自室での練習を聴かされているようなもの…であった。(*1)
客のいくらかは熱狂的に応えていたが、私自身はこれでジャコの頭がすっかりイカれてしまっていることが本当に確認できたし、これが「まともな人」が敢えてアナーキーな表現をしているのでは「ない」ことを確信し、本当に精神異常になってしまった人間が狂気にまかせたフォーマンスをしている、という現実を前にして真に絶望したものである。
まともで常識もある人が意図的に大胆な表現をしているのなら熱狂する事もあるだろうが、本物の狂気はまともな人に対して恐怖感を与えるものである。狂気は次に何をやらかすか、何を考えているかがさっぱり理解できない。そのような人物に対して恐怖を抱くのは普通の感情であり情動でもある。この時のジャコを見る私の目は寂しさ・悲しさ・虚しさに彩られていた筈だ。さらに大きな恐怖感に支配されて身体中の筋肉が恐怖によって硬直傾向にあることが自覚できた…ほどである。
この日のギル・エヴァンス・オーケストラの演奏内容は総合的には良いもので、ギルの魅力を充分に堪能できるものであった。念の為に記しておくがあらかじめ既定されていた曲ではジャコ自身も比較的きちんと演奏していた(多少のばらつきはあったが)し、ラストの「DANIA」というジャコの自作曲は音楽的にもインパクトがあった。
だが、ジャコが参加予定ではない曲の時も、ジャコ自身はステージ上にいないのに彼のベース音は鳴り続けていたのだ。バックステージに引っ込んだ状態でもジャコはベースを弾き続けており、アンプとワイアレス接続されたジャコのベース音はステージ上で鳴り続けていたのだ。それは明らかにオーケストラ演奏の邪魔になっていたので、業を煮やしたギターのハイラム・ブロックがジャコのアンプのヴォリュームつまみを回して音を出なくした光景も記憶にある。
私が生でジャコを見て聴いたのはこれが最後の機会だったが、エレクトリック・ベースの世界に革命を起こし、間違いなく新しいスタイルを確立し誰もが認める天才であったのに、その人物が今、目の前で潰れかかっている様をつぶさに目撃するのはショック以外の何物でもなかった。(*2)
そしてこの後、ますます精神状態の悪化に苦しみ、ホームレス生活になっていたジャコは3年後の1987年9月に自らが招いた暴行事件の犠牲となり亡くなった。
改めて彼の冥福を祈りたい。
合掌。
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(*1)
このライブの少し前に米国でのコンサートで同様の奇行に走るジャコの話が事前に漏れ伝わってきていたのだが、その内容と全く同じ光景が展開されたのだ。だから喫驚したのだし恐怖を感じたのである。そして絶望と共にいかりや長介氏並みの「駄目だこりゃ」感(笑うところではない)に襲われたのであった。
(*2)
笑い事ではなく真に「なんて日だ!」という気分であった。
このフェスでは数々の名演が生まれた。あの1960年代の伝説のマイルス・クインテットの再現で熱狂的な盛り上がりがあったV.S.O.P.クインテットもこのフェスで演奏したし、そのライブアルバムも残されている。
ユニークな顔合わせの演奏もあった。ハービー・ハンコックのカルテットにカルロス・サンタナがゲストで参加する、というものでデビュー間もないウィントン・マルサリス(当時19歳)とサンタナの共演、という珍しいセッションもあった。
で、今回対象の演奏は場所をイーストに移してからのもので、時は1984年7月28日。バンドはギル・エヴァンス・オーケストラである。そこにジャコ・パストリアスがゲスト参加することが大きな話題になっていた。私は「もしかしたらジャコの演奏を生で聴けるのは最後かも」という予感と共に現場に赴いたのだった。
なぜ最後だと思ったか?
1984年といえば、既にジャコの精神は相当病んでいて様々な奇行も漏れ伝わってきている頃である。その伝聞内容から察するに、少なくとも彼がまともな演奏機会を得る事が少なくなる予感がしていたからである。
ジャコはきちんと演奏できるのか、ステージ上で変な行動を起こさないだろうか、と心配の仕方も既に異常なものになっている自分の気持ちを意識すると、心なしか動悸が速まっているように感じられた。会場で着席して開演を待っている間も嫌な緊張感が身体中を支配していた。
現場ではステージ上で未だ準備作業に追われるスタッフ達が忙しく動き回っていた。その光景を見ながら開演を待っていると、なんとジャコ本人が楽器(フレットレス・エレベ)を持って登場し誇らしげに手を高く掲げるのであった。前方客席の観衆は沸き立っていたが、私はその様を見て事前の嫌な予感が一気に確信へと変わっていき、その後に続くであろう悪しき展開を予想せざるを得なかった。
ステージは未だ準備中でありスタッフが動き回っているのである。にも関わらずジャコはベースをアンプに接続するとそのまま勝手に弾き始めてしまった。演奏内容は彼が知っている曲のさわりを思いつくままに少しずつ演奏し、その途中で「Birdland」も演奏された。…と言っても「Birdland」を曲としてまとまりのある形にしてソロ演奏するのではなく、単にこの曲のベースパートを一人で演奏しただけである。これはステージで演奏する内容というよりも、自室での練習を聴かされているようなもの…であった。(*1)
客のいくらかは熱狂的に応えていたが、私自身はこれでジャコの頭がすっかりイカれてしまっていることが本当に確認できたし、これが「まともな人」が敢えてアナーキーな表現をしているのでは「ない」ことを確信し、本当に精神異常になってしまった人間が狂気にまかせたフォーマンスをしている、という現実を前にして真に絶望したものである。
まともで常識もある人が意図的に大胆な表現をしているのなら熱狂する事もあるだろうが、本物の狂気はまともな人に対して恐怖感を与えるものである。狂気は次に何をやらかすか、何を考えているかがさっぱり理解できない。そのような人物に対して恐怖を抱くのは普通の感情であり情動でもある。この時のジャコを見る私の目は寂しさ・悲しさ・虚しさに彩られていた筈だ。さらに大きな恐怖感に支配されて身体中の筋肉が恐怖によって硬直傾向にあることが自覚できた…ほどである。
この日のギル・エヴァンス・オーケストラの演奏内容は総合的には良いもので、ギルの魅力を充分に堪能できるものであった。念の為に記しておくがあらかじめ既定されていた曲ではジャコ自身も比較的きちんと演奏していた(多少のばらつきはあったが)し、ラストの「DANIA」というジャコの自作曲は音楽的にもインパクトがあった。
だが、ジャコが参加予定ではない曲の時も、ジャコ自身はステージ上にいないのに彼のベース音は鳴り続けていたのだ。バックステージに引っ込んだ状態でもジャコはベースを弾き続けており、アンプとワイアレス接続されたジャコのベース音はステージ上で鳴り続けていたのだ。それは明らかにオーケストラ演奏の邪魔になっていたので、業を煮やしたギターのハイラム・ブロックがジャコのアンプのヴォリュームつまみを回して音を出なくした光景も記憶にある。
私が生でジャコを見て聴いたのはこれが最後の機会だったが、エレクトリック・ベースの世界に革命を起こし、間違いなく新しいスタイルを確立し誰もが認める天才であったのに、その人物が今、目の前で潰れかかっている様をつぶさに目撃するのはショック以外の何物でもなかった。(*2)
そしてこの後、ますます精神状態の悪化に苦しみ、ホームレス生活になっていたジャコは3年後の1987年9月に自らが招いた暴行事件の犠牲となり亡くなった。
改めて彼の冥福を祈りたい。
合掌。
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(*1)
このライブの少し前に米国でのコンサートで同様の奇行に走るジャコの話が事前に漏れ伝わってきていたのだが、その内容と全く同じ光景が展開されたのだ。だから喫驚したのだし恐怖を感じたのである。そして絶望と共にいかりや長介氏並みの「駄目だこりゃ」感(笑うところではない)に襲われたのであった。
(*2)
笑い事ではなく真に「なんて日だ!」という気分であった。