Altered Notes

Something New.

個人的飯田泰之氏批判

2022-07-07 23:01:23 | 人物
飯田泰之氏という経済学者が居る。
この人物について筆者の個人的な意見を記したい。

飯田氏は以前「ニュース女子」という番組にレギュラー的に出演しており、その言説は種々色々と聞いている。日本経済や政治についての見解は賛同できるものも少なくなかったが、ある2つのテーマについての発言だけは強烈な違和感があり、筆者は喫驚した。それ故、筆者から見た現在の飯田氏は「偽物」であり、信頼に値しない学者として捉えている。



1.テレビの高画質化に否定的な飯田氏

「ニュース女子」の中でNHKが持っている電波(チャンネル)数の多さについて話が及んだ時に飯田氏は4Kや8Kといった高画質テレビ放送の技術開発について次のような趣旨の意見を述べた。

「そんなに高画質の追求をしなくてもいいのでは?」
「画質は今の水準でよくない?」


これを聞いていた筆者は喫驚すると共に飯田氏の人としての底の浅さを感じた。一般的に、人は「自分がよく知らない分野については安易に否定してしまう」傾向があるものであり、まさにこの時の飯田氏はそれであった。「安易に否定する」というのはその分野を知らないが故に「考えたくない」意思の表れでもある。「考えたくない」ものは「安易に否定して済ませてしまう」のが最も人としてイージーなのだが、それは危険なことでもある。この件について他の誰も言わないし書かないので、仕方がないから筆者が書くことにした、という次第である。


この発言は2009年の民主党に依る事業仕分けで出た蓮舫議員の「2位じゃ駄目なんですか?」発言と同種の発想であり、その分野に対する無知と無関心が引き起こした発言なのである。スーパーコンピューターの技術開発は常に圧倒的な1位を目指して開発しなければ2位にすらなれない厳しい競争状態があるのだ。蓮舫氏はそうした実態をまるで知らない素人なので前述のようなトンチンカンな発言になったのである。これもまた「理解できないものは簡単に否定して済ませる」人間の悲しい性(さが)に依るものだ。

映像技術・テレビジョン技術開発の場合も全く同じで、その進歩に休みは無く、現在放送されているHDTV(ハイビジョン)放送も1960年代から研究・開発がスタートしているが、一般社会では当時から「そんなに高画質でなくてもよくない?」という意見があった。しかし現在、アナログ放送のNTSC方式から切り替わったデジタルのHDTV放送が標準になって、我々もその画質に慣れてこれが当然の画質だと思うようになっている。特に近年の子どもたちはHDTV放送しか知らず、この子どもたちに以前のNTSC方式の映像を見せたならば画質の差に驚くだろうし、今からNTSC方式の画質レベルには到底戻れないだろう。テレビだけではなく、身近なスマホ・PCなどで表示される画像・映像が既にHDTVを通り越して4Kレベルが常識になりつつある現代ならなおさらだ。

以前のNTSCアナログ放送の時代に映像機器は格段の進歩を遂げた。当時の規格の中では十分に高画質な映像にはなっていたし、日本の映像機器メーカーはこの時代に大躍進したのである。このテレビ映像・ビデオ映像の技術ではソニーの機器が優れていて、日本の全ての放送局の9割以上がソニーの映像機器を採用していたほどである。世界規模でも見てもソニーのシェアは高く、ソニー機器に対する信頼度は高かったのだ。(*1)

それでも映像技術は常に進歩しており、現在のHDTV放送のクォリティを基準に評価するならば、以前のNTSC方式は解像度一つとっても遥かに及ばない画質と言わざるを得ない。上述のソニーのように、かつては日本の映像技術・テレビジョン技術は間違いなく世界をリードするものであった。世界の多くの放送局で信頼される映像機器として認められていたのである。それは日本の技術力の高さを証明するものであった。これは日本の電子機器メーカーが「常にトップのクォリティ」つまり「1位」を目指して開発してきたからである。映像技術や機器の開発もトップを目指していなければたちまち世界の水準から置いてきぼりにされてしまうだろう。そうなったら、ただでさえかつての勢いを失っている日本の映像機器メーカーはさらに衰退して競争力を失うことになるだろう。必然的に将来は放送側も受信側も外国メーカーの機器を買わなくてはならない事態になる事は容易に想像されるところだ。とんでもないことである。ひいては日本の産業全体の衰退にも繋がりかねない事は言うまでもない。

元々、映像分野で日本のアドバンテージは大きく、その意味でも技術開発の勢いは止めてはならないのである。(*2) まして映像に於いて高画質の追求に終わりはない。蓮舫氏がコンピューター技術に疎い事と同様に飯田泰之氏もまた「映像」にも「映像技術」にも「映像機器」にも疎い人物であり、いわゆる素人である。関心がなく理解が及ばない分野について人間は無意識かつ安直に「なくてもいいもの」として片付けようとする傾向がある。大変残念だが映像の世界の素人である飯田泰之氏の場合もその意味の典型例になっているのである。平易に言えば”凡人”ということだ。




2.消費税の社会保障財源化を肯定する飯田氏

先日の当ブログ記事にも書いたが、そもそもの話として、年金・医療・介護などは基本的に「税方式」ではなくて「保険方式」によって運営されるべきものである。実際に日本の基本的な制度設計はそのコンセプトに沿って作られているのだ。

だが、日本では「消費税を社会保障目的に使う」としており、税方式を混在させている。こんなやり方をしているのは世界でも日本だけである。他の先進国でもそんな実例は皆無だ。
理由を記す。
社会保障論から鑑みるなら、消費税を社会保障目的税化とするのは間違いと言える。社会保障は日本を含めて給付と負担(保険料)に関係が明確な社会保険方式で運営されている国が多いのだが、日本のように消費税を社会保障目的税として税金が半分近く投入されている国は他にないのである。税の投入が多いと、給付と負担が不明確になり混乱の元となるのだ。つまりそのやり方自体が「お門違い」だからだ。消費税というのはそもそも「地方の一般財源」に使うのが普通なのである。

医療が保険方式であることは誰でもが知っている事実であるが、実は年金も保険方式であることは以外に知られていないのが実態である。国民の多くは単純に「国からもらえるお金」だと思いこんでいるのだが、それは間違いである。

年金に消費税を当てているのは財務省の差し金である。とにかく三度の飯より増税したい財務省だが、従来から喚いてきた「財政破綻論」も財務省の大嘘がバレてきたので、それならば、と「消費税は社会保障目的に使います」と言い始めた。これが先日の「謝謝茂木」でおなじみの茂木幹事長が恫喝した「消費税下げるなら年金は3割カットね」も通じるのだ。つまり、「年金の安定給付を続けたいなら増税するしかない」「少子高齢化を迎えて社会保障財源が足りないから、消費増税をするしかない」という屁理屈が出てくるのである。財務省は年金を人質にとって消費税の増税をいつでもできるカードを手にしている、ということなのだ。

そして・・・飯田泰之氏は2020年9月22日のニュース女子にて「社会保障財源にとって消費税は一番良い性質を持っている。なぜなら老人から取れるから。お金を持っていてお金を使える高齢者から取れる珍しい税金。その意味では社会保障財源向きだ。」と発言しており、完全に財務省側の立場で発言しているのであり、そもそも保険方式によって運営されるべきものを税方式でやることを認めている事自体がおかしい、と言えよう。その意味で飯田氏の見解は普遍妥当性を欠いている、と考えている。








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(*1)
東京通信工業から始まったソニー創業者メンバーが大活躍していた時代である。

(*2)
近年は映像技術はコンピューター技術ともオーバーラップしているので、なおさら高画質化の探究は必要であろう。