Altered Notes

Something New.

ガンダムの魂とNHKの悪意

2022-06-08 20:36:20 | 放送
前回の記事「ガンダムを世論操作に利用するNHK」で書いたように、NHKは40年ぶりのファースト・ガンダムの新作を「反戦思想のアニメ」としてニュースウオッチ9で紹介し、安彦良和監督にも同様の趣旨での発言をさせている。これを見て筆者は「安彦氏は見事にNHKに乗せられたな」と思ったのだが、単純に乗せられただけではなく、安彦監督の「ガンダム」理解が不足しているというか、どこかズレているかのように思えるフシもあったので、そのあたりを評論家の岡田斗司夫氏が解説している内容をベースに書いていきたい。

そもそも「機動戦士ガンダム」という作品の核心テーマは「戦争を描く」ことではない。実は「人類の進化」を真剣に考察して描いた作品なのである。

どういうことか?

最初の作品であるTV版の「機動戦士ガンダム」の最終話(43話)のラストシーンで何が起きたか覚えておいでだろうか。カツ・レツ・キッカという3人の子供がニュータイプ能力に目覚めるのである。具体的には宇宙空間で脳内にアムロ・レイの声が聴こえてくるのだ。3人の子供だけではなく、アムロの幼なじみであるフラウ・ボウやハヤト・コバヤシ、そしてカイ・シデンまでもが聴こえるようになったのである。

これは何を表現しているのだろうか。

ニュータイプ能力の獲得がどのような条件で成されるのかははっきりとは明示されない。厳しい戦いを経た者だからなのか、宇宙に進出した人間だからなのか・・・そこははっきりとは示されないのだが、人間が全てニュータイプになれる可能性を描いたのである。ガンダムのストーリーの最後に人類が”変わる”夢のような瞬間を描いた、ということだ。これが実はTV版ガンダムの核心部分であり、岡田氏はそこに「ガンダムの魂」を見出している、つまりここに核心テーマがある、ということである。特別な選ばれし人間だけがニュータイプになれるのではなく、誰でもなれる可能性を持っている…そういうことなのである。

だがしかし…。

安彦良和氏はファーストガンダムの時は作画監督だった(*1)のだが、上述の富野由悠季監督の意向を今ひとつ汲み取れていなかったようで、安彦氏はニュータイプを一種の特殊な能力としてしか捉えていないのである。なので、それを持てるのは特別な人間だけなのだ。例えばアムロ、ララァ・スン、シャアのような人間だけ、である。

だが、ガンダム最終話のラストシーンで描かれたのは選ばれし人間だけではなくホワイトベースに搭乗するクルー全員が一斉に心のコンタクトを交わす場面である。これはすなわち「人類の進化がここから始まる可能性」を描写したものであり、これを長いストーリーの最後の最後に持ってきたところに「ガンダムの魂」を感じる、という岡田氏の主張には普遍妥当性があると筆者は考えている。

ここをきちんと押さえる場合と押さえない場合では天と地ほどの違いが生じるのだ。

それは例えば正統的な「SF作品」とエンターテインメントとしての「スペースオペラ」の差のようなものである。

惜しいことに、安彦氏が作るガンダムはニュータイプを能力としてしか捉えていない。それは今回の「ククルス・ドアンの島」以前に「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」という作品で安彦氏が描いたものが正にそれだったからである。

そうではなくて、富野由悠季監督が本来作ろうとしたのはちゃんとしたSF作品なのである。

◆「人が変わる」「人類が進化する」とはどのようなものなのだろうか?

◆ 進化できるとすればその前夜には何があったのだろうか?

…人類の進化という極めて大きなテーマを「戦争という状況」という形で描こうとしたのである。

ところが、である。

安彦氏はそのニュータイプを一種のエスパーのような能力と解釈してガンダムの世界に取り込んでしまった。いわば表層的な表現に堕してしまっているのだ。

安彦良和氏は今までに数々のオリジナル作品(TV用アニメーション、劇場用アニメ映画、漫画、小説等々)を創作しており、それらを見る限り、登場人物を多面的に描くことの出来る優秀な作家である筈なのに、どうしてガンダムになった途端に表層的なキャラクター(*2) として描いてしまうのだろうか、という疑問が生じるのだ。病気があったので全話の制作に参加出来なかったとは言え、あのもはや伝説的なファーストガンダムの制作現場に居た筈の安彦良和氏なのに…である。


ここまででお判りと思うが、機動戦士ガンダムは単なる「戦争を描いた映画」「反戦思想の映画」ではない、のである。本来は人類の進化という重厚なテーマが核心部分に存在するSF作品である、というのが真実なのだ。

しかし、前回の記事で書いたように、左翼のプロパガンダとしてガンダムを利用したいNHK(*3)は新作を一種の反戦映画として紹介した。その中で安彦監督にも「武器があるから、戦いの匂いがあるから戦争になる」と言わせて、日本社会に対して軍備増強反対や憲法9条の改正阻止を暗に訴求しているのである。何のことはない、NHKは「40年ぶりのガンダムの新作を紹介する」ように見せかけて、左翼のプロパガンダを流していた、というのが実態なのである。夜9時の全国ネットのニュースでわざわざ新作映画を紹介するというのはNHK(つまり左派)にとって都合が良いからそうした、ということなのだ。安彦監督は狡猾なNHKの悪意に乗せられてしまった、ということだ。非常に残念なことである。

もっとも、上で記したように安彦監督のガンダム理解にやや偏向があったことがそもそもの底流にあり、今回の新作「ククルス・ドアンの島」制作においても安彦氏はスタッフに対して「戦いの匂いがあるから戦争になる。だから武器を捨てる」というセリフ(ロジック)に強く拘ったそうである。その考え方を否定するものではないが、そもそもガンダムのメインテーマが全然違うところにある真実を考慮すると波田陽区のように「残念!!」と叫びたい気持ちになる、というものである。


「武器があるから戦いの匂いがそこにあり、だから戦争になる」というロジックは一見もっともらしく聞こえる。

だが、ちょっと待ってほしい。(*4)

武器を捨てて平和に穏やかに暮らせるなら誰だってそうしたい。しかし、現実世界の歴史と有り様をよく見てみるならば、世界各国は当然のように必要十分な軍隊を持ち自国防衛をしている。最小限の防衛装備しか持たない日本が戦後70年に渡ってなぜ戦火に巻き込まれなかったのかと言えば、それは米軍が居たからである。現在のウクライナを見れば判るように、核兵器も無く最小限の軍備しか持たず同盟関係もない国を中国やロシアといった専制国家は見逃さない。たちまち侵略されて領土を奪い取られてしまうのである。こうした武力に依る現状変更(*5)を平然とやらかすのはいつだって共産主義国・社会主義国・専制国家である。民主主義国同士ではほとんど戦争は起きない。それは戦争学という学問に於いて既知の事実として記されている。

世界の歴史や現状から考えるに、十分な軍備を持ち、もしも相手が襲ってきた場合には容赦ない倍返しができる体制を整えておくことが重要なのだ。ここには核兵器も含まれる。当然だ。世界の現状を見るに「核兵器を持つ専制国家」が「核兵器を持たない国家」を侵略するのである。そこで「下手に攻撃したらとんでもない倍返しをされる」ことが判っていたら相手は襲ってこないのだ。だから十二分な軍備が必要なのである。これも戦争学で明らかにされていることだ。

現在、NHKなど左翼シンパのマスメディアは日本に対して
[1] 憲法9条改正反対
[2] 軍備増強反対
[3] 核兵器反対
[4] アメリカ軍基地の廃止
を正しい事として訴え続けている。

仮に、日本がマスメディアの主張通りにしたらどうなるだろうか。核兵器も持たず貧弱な軍備しかなく米軍もいない日本はロシアや中国にとって格好の餌食になる。彼らは「ヒャッホウ!」と歓喜しながら攻撃し侵略してくるだろう。相手に十分な反撃能力が無いと判れば向こうは当然のように侵略してくるのだ。今のウクライナが正にそれなのだ。憲法9条がそのままならば日本は戦争できないので相手にやられるままである。核兵器もなく十分な軍備を持たなければまともな反撃もできずに一方的に滅ぼされ残虐に殺されるだろう。

そして、NHKなどのマスメディアが目論んでいるのは正にそうした未来なのである。彼らは親中で親露で反日だからだ。中国やロシア、そして北朝鮮が日本侵略しやすい状況を作るその為に日本に軍備増強させず日本人に厭戦意識を植え付ける…NHKなどのマスコミがやっているのはこれなのだ。だから彼らマスメディアは「マスゴミ」と呼ばれるのである。




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(*1)
制作中に肋膜炎になり約5ヶ月の入院を余儀なくされた為に全43話中の最後の10話分には参加できなかった。

(*2)
制作会社のサンライズやノベルティグッズの製造販売をしているバンダイが公認した「ガンダム正史」でお墨付きを与えられたキャラクターとしての人物、である。

(*3)
NHKは報道機関ではなく左翼の情報工作機関である、という認識がこうした事実から生まれるのである。

(*4)
とても赤い朝日新聞お得意の(以下略)

(*5)
武力に依る現状変更は国連の国際法に違反している。ロシアも中国も国連の安全保障理事会の常任理事国という特権ポジションにあるがそんな国々が率先してルールを破って他国を侵略するのである。ナンセンスであり、国連の機能がいかに形骸化しているか、これでよくわかるというものである。