伊豆高原シニア・ライフ日記

「老い」を受容しながら自然の恵みに感謝しつつ「残躯天所許不楽復如何」の心境で綴る80老の身辺雑記 

寿命

2014年08月02日 | スマートホンから

3月27日  (木)    

もう10数年も前のことだったか、PPKという言葉が流行ったことがあった。「ピンピンコロリ」つまり老人の生き方は「死ぬまで元気」が理想だというのことである。私も当然ながらPPKを望んでいた一人である。そのため健康に気を使い心身を健全に維持することに心掛けてきた。

最近になって知ったことだが、元気に生活している高齢者の60%は自分の死をPPKだと考えているという。しかし、聞くところによると救急車で病院に搬送され1週間くらいベッドに寝かされてから死亡する人まで含めたPPKは僅か10%程度だという。

つまり、90%の人の終末期は半介護、全介護を経てから死を迎えるということになるらしい。

とすれば、日常的な起居動作の自由を奪われ、場合によっては自力で判断できない状態で死ぬのがむしろ常態だということになる。日本人の平均寿命は80歳だが健康年齢は73歳だということを考えれば納得がいく。

私は今のところ血圧、血糖値などの検査値に異常はあるが特別の病をもっていない。身体的動作にかなりの衰えがあるが、ロコモティブ・シンドロームというほどではない。しかし、だからといって安心はできない。

病がないからといって、己の死を直視する、死と正面から向き合うといった、ことさらに構えた姿勢を持つことはないが、死を視野に入れて日頃から生活することには心がけている。

「大往生するなり医療とかかわるな」というベストセラーを書いた中村仁一医師の講演をユーチューブで聞いた。教えられたこと、考えさせられたことが多々あった。

彼は言う。「老人の務めは老いといかにうまく付き合って生きるか、そしてどのようにうまく死ぬかを若い人に示すことだ」と。

最近は、なんとなく高齢者の生き甲斐ではなく、超高齢者の生き甲斐ということを考えあぐねていた。

70歳台まではまだ日々にやりたいこと、やってみたいことがあったし、それが生き甲斐になると考え、心の安定を保ってきた。

しかし、80歳を超えたあたりから、そうしたことも日常生活のなかに埋め込まれ強いて特別の目標めいたものから遠ざかってきたように思う。そんなときにこんな言葉を聞くと、そうだ、今一度そうした角度からこれからの生き甲斐を見直してみたいとおもうようになったのである。

ひたすら健康管理に気をつかい元気に過ごすことを目標とするのではなく、いかにうまく老いに寄り添い生きていくか、そして自分なりに満足した人生を終えて死を受けえ入れるか、それ自体をこれからの目標にすべきだと。

そうした生き方が超高齢者の端正な生き方になるのではなかろうかと。

「老い行く姿をみせよ。死にゆく姿をみせよ」それが老人の役割なんだと。

齢とともにいろいろなものが失われていく。いかに健康管理に努めても、確実に心身能力は失われていくのだ。

そこで、失われた能力を回復しようとするのではなく、残存した能力を感謝とともに受け入れる、感謝することが大切なんだと。

こんな言葉があるそうだ。「欠けた歯を惜しまず、残った歯を喜び、抜けた髪を憂えず、残った髪を数える」と。

健康は目的ではない、手段である。人生を豊かにいくるための手段に過ぎない。

「その人らしさ」を以て生きていきたい。

 自分が真に望む方向、やりたいこと、やらねばならないことを見定め、それに沿って随時老いの必然がもたらす病、体の不調と共存しながら、しかるべき選択をして終末期に至る。


7月1日付け産経新聞に「明らかになってきた健診の効果」と題した武蔵国分寺クリニック院長名郷直樹という医者の記事が載っていた。私がいつも興味をもって読んでいる「家庭が教える病気のはなし」という連載記事の58回目である。

イギリス医師会雑誌6月に発表されたデンマークでの6万人を対象にランダム比較試験による10年間の追跡調査で健診の効果を検証した論文を紹介し、結果は健診群と非健診群との間に死亡率や心筋梗塞・脳卒中の発症率などになんら差がないというのである。

しかもこれは「もはや驚くべき結果ではなく、これまでの研究と同じ」で、結論として健診に公費を投ずるのはすくなくとも「健康のため」ではないと断じている。

最近、市から高齢者の健診を呼びかける書類がきていたが、これを無視した私の態度は正解だったと思う。

私は糖尿病管理のため2月に一回HA1cの検査と投薬を受けているが、それ以外の血液検査を受けることは毎回断っている。その理由は、検査で癌などの異常が見つかっても特別の措置はせずに放置することにきめているからである。

なにしろ84歳である。痛かったり、苦しかったりするのであれば対症療法はお願いしたいが、手術などの措置は望まない。


これまで、日常生活にかかる生活費については家内任せであまり関心がなかったが、昨今の経済情勢と予想残存生存年に照らしあっわせて、少しは関心を持つべきか、と考えて過去の貯金通帳を拾い出し自動的に引き落とされている銀行口座の金額をチェックしてみて、改めて驚いた。

昨年にくらべて、月々引き落とされるすべての金額が増加しているのである。電気、ガス、水道、ガソリン、電話、ネットなどをはじめ公租公課(所得税、住民税、医療保険、介護保険など)。しかも、その増加も半端なものではなくなりつつあるようだ。

デフレからの脱却がいいことのように思わされたいたが、なんのことはない年金生活者の生活を圧迫するインフレは続いているのである。

デフレの時代からインフレの時代へ、少なくとも高齢者の生活にとっては必ずしもいいことでrはなさそうである。

しかし、それが日本国民全体にとっていいことであるなら、比較的恵まれている高齢者は甘受せねばならないのかも。

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