京都で定年後生活

2013年3月60歳で定年退職。

美術館と庭園めぐり、京都の四季の行事と花を綴ります。

堂本印象『美の足音』、『浅井忠の持ち帰ったポスター』展

2014-01-26 07:07:54 | 美術・博物館

京都市北区、衣笠山を背にして堂本印象美術館があります。





立命館大学衣笠学舎の真向いにあり、ひときわ異彩を放っています。










その名前のとおり、個人美術館でしたが、印象の没後に京都府に寄付され、現在京都府立堂本印象美術館となっています。

ここへは以前、気に入った企画展のときに何度か足を運んでいますが、今回、『美の足音』展と『浅井忠の眼ーパリの街角を飾ったポスター』展が同時開催されていましたので行ってきました。





堂本印象(どうもと いんしょう)美術館HPより

明治24年~昭和50年(1891-1975) 明治24年京都生れ。本名三之助。明治43年京都市立美術工芸学校を卒業後、しばら く西陣織の図案描きに従事し、大正7年、日本画家を志し て京都市立絵画専門学校に入学。翌8年、初出品した「深草」が 第1回帝展に入選した。第3回展では「調鞠図」で特選、また、第6回展の「華厳」では帝国美術院賞を受賞するなど一躍画 壇の花形となった。絵画専門学校の教授として、また私塾東丘社の主宰者としても多くの後進を育成、昭和19年、帝室技芸 員となった。 戦後は、独自の社会風俗画により日本画壇に刺激を与えた。昭和25年、芸術院会員。さらに昭和30年以降は抽象表現の世 界に分け入り、その華麗な変遷は世界を驚かせた。多くの国際展にも招かれ、昭和36年には文化勲章を受章した。 昭和41年、自作を展示する堂本美術館を自らのデザインにより設立。また、様々な技法を駆使しあらゆる画題をこなす画 才は、各地の寺社仏閣の障壁画においても発揮され、多くの作品を残した。昭和50年9月逝去、83歳。 なお、美術館は平成3年8月にその所蔵作品とともに京都府に寄贈され、平成4年4月京都府立堂本印象美術館として開館し 今日に至っている。


今回の企画展、『美の足音』は、堂本印象が1952年の半年ヨーロッパを訪れ、パリを中心にローマ、フィレンツエ、スペイン、ドイツ、スイスにまで足をのばし、多くのスケッチを描いていますが、それらの作品が展示されています。

鉛筆画、水彩画、インク画、油彩などですが、60年以上前のヨーロッパの街並みや人物など、なかなか見ごたえのある作品が多かったです。


































同時開催の『浅井忠の眼』ですが、浅井忠は1900 年のパリ万博を機に2年間フランスに留学したとき目にしたアール・ヌーボーに興味を示し、京都高等工芸学校図案科の教材用にパリから持ち帰ったものの展示です。
ロートレックやミュンシャなどのポスターは、当時のパリの街の雰囲気を醸し出しています。




美術館への道中、地植の水仙を見ました。