川口保 のブログ

1市民として市政を眺めつつ、社会のいろいろな出来事を取り上げています。

御衣奉織行事始まる-神服織機殿神社・神麻続機殿神社

2017-10-01 17:39:37 | 日記
 絹と麻を織って伊勢神宮に奉納する御衣奉織行事(おんぞほうしょくぎょうじ)が10月1日、松阪市大垣内町の神服織機殿神社と同市井口中町の神麻続機殿神社で始まりました。神様の衣を「神御衣(かんみそ)」といいますが、この行事は両神社で毎年春(5月1日~13日)と秋(10月1日~13日)に絹(和妙 にぎたえ)と麻(荒妙 あらたえ)を織って奉納するもので、それぞれの神社で4人の織子がこの任務にあたります。

◆神服織機殿神社(かんはとりはたどのじんじゃ)(松阪市大垣内町)
 神服織機殿神社は伊勢神宮所管の神社で、地元の人々は親しみを込めて「下館(しもだち)さん」「下機殿(しもはたでん)」と呼びます。
神服織機殿神社は伊勢神宮の神御衣の内、和妙(にぎたえ-絹のこと)を奉織する機殿(八尋殿 やひろどの)の守護神を祀っており、毎年5月と10月に伊勢神宮の神御衣祭に奉納する和妙を織る行事が行われます。
この地方は古くから紡織業と関係が深く、神様に絹や麻を奉織する服部神部(はとりかんべ)という人が住んでいたといわれています。現在も下御糸、上御糸、中麻績(なかおみ)機殿、服部などの紡績に関する地名が残っています

 同社の境内の林の中に農業用水路が横断している。この水路は飢饉続きで農民が苦しんでいる慶安3年(1650)5月20日、見るに見かねた代官福井文右衛門が、境内に農民に命じて1晩で掘らせたもので、次の日の朝、水が流れて農民たちが喜ぶとき、福井文右衛門は責任を取って切腹しました。それから毎年、5月21日の文右衛門の命日には、出間の人々は神福寺に集まり供養続けているということです。

◆神麻続機殿神社(かんおみはたどのじんじゃ)(松阪市井口中町)
神麻続機殿神社は伊勢神宮所管の神社で、地元の人々は親しみを込めて「上館(かみだち)さん」「上機殿(かみはたでん)」と呼びます。
 神麻続機殿神社は神御衣の内、荒妙を織って伊勢神宮に奉納します。毎年5月と10月に伊勢神宮の神御衣祭に奉納する荒妙を織る行事が行われます。
この地方も古代から紡績業が盛んで、同社は荒妙を奉織した麻績氏の祖神・天八坂彦(あめのやさかひこ)命を祀ったと伝えられています。

◆機を織る織子
 御衣奉織行事では、巾0.3m、長さ12.5mの布を、織子が手と足で操作する機織機を使って織り上げます。上機殿では「荒妙(あらたえ)」と呼ばれる麻の布、下機殿では「和妙(にぎたえ)」と呼ばれる絹の布が織られていることと、織子が上機殿が男の人、下機殿が女の人である以外は2つの神社でその様子は変わりません。
 
 両神社の祝部(はふりべ)の中川慶次郎さんの話では、下機殿では、以前は大垣内の女の人が織子をしていましたが、戸数が少ない大垣内では、後を継ぐ人がなく、現在は東黒部全体から出てもらっているということです。また上機殿の織子は、井口中町(戸数30戸)の家が順番で当たっています。サラリーマンにとって2週間近い休みを取るのは大変ですが、自治会の証明書をもって休みの許可をもらっています。どうしても休みが取れない場合は、変わりの人を出すことにしているそうです。
織子は、実際に機を織る織子2名と見習い工2名の4名で構成されます。

◆神御衣の奉納と神御衣祭
織子は斎館(社務所)行って風呂で身を清め、白衣と白袴に着替え、下機殿では午前8時より、上機殿では午前9時から、伊勢神宮の禰宜さんから任命書を受け取り、お祓いを受け、八尋殿に入って機を織ります。
神御衣は1週間で仕上げ、その後1週間乾燥させて、5月13日に内宮に護送され、翌日の5月14日に行われる神御衣祭(かんみそさい)に奉納されます。

 この日は晴天で風もなくコンディションのいい日でありましたが、中川祝部さんの話では雨の日でも行うということです。また神宮司廳広報室の方の話しでは、この行事は平安時代の文献に神宮に布を奉納していたとあるということで、古くから行われていることが分かります。 10月13日に神宮に布が納められ、同14日に天照大御神に和妙(絹)と荒妙(麻)を奉る「神御衣祭(かみんそさい)」という祭りが執り行われます。

 どこの神社でも賽銭箱と寄付者一覧の札はありますが、伊勢神宮直轄のこの両神社にはそれがありません。格式の高さを感じました。

 御衣奉織行事は、「神宮広報シリーズ(四)『神宮の和妙と荒妙』」を参考にさせていただきました。また、私のブログ「松阪市のまつり・祭り・祭 100選」に記載しています。


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