川口保 のブログ

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第11回松阪史跡めぐり開催される

2019-05-26 20:21:02 | 日記
                 (八雲神社で大和宮司さんと一緒に集合写真)

 松阪市内及び松阪地区の史跡や城跡、神社仏閣などを訪ねる第11回松阪史跡めぐりが令和元年5月26日に行われました。今回は25人が参加して松阪まちなかの神社仏閣、資料館などを訪ねました。それぞれの探訪地ではお参りしたあとで宮司さんや住職さんなどから説明を受けました。
 いつもはマイクロバスで移動しますが今回は徒歩でしたので、全国的な猛暑が続いており熱中症が心配されましたが、無事終えることができました。今回の探訪地を次に紹介します。

✦御厨神社(案内 垣本長生 宮司)
 最初の探訪地御厨(みくりや)神社では、新しく就任された垣本長生宮司の案内で正式参拝をして、そのあと垣本宮司さんから同神社の歴史など説明を受けました。御厨神社は伊勢の神宮に納める「食」をいったん集めてお祓いをするための神社で、食を奉納した地区には松尾の西野(林)や丹生寺、阿形、岡本などもありました。
 また、この神社は五穀豊穣の神であり、蚕の神でもあり、また旅行の神、牛馬の神、商工業の神でもあります。この神社の境内には三井家の守り神である「三囲稲荷」や井村屋製菓の守り神「高春稲荷」もあります。毎年7月の祇園祭には三社みこしの1つがこの神社からまちに繰り出します。

 御厨神社は1300余年前の孝徳天皇の時代の大化2年(646)頃、飯高郡下ツ牧(現在の松阪市町平尾町)に「皇太神宮御厨所」として創建されました。平尾は参宮の駅路にあたり、勅使のほか行路の要人が神宮に向かう際、必ず立ち寄り道中の安全を祈願したと伝えられています。歴代領主の信仰も篤く、伊勢国司北畠氏も篤く庇護しました。戦国時代の兵火で焼失し、一時衰退しますが、天正12年(1584)蒲生氏郷が松坂城を築城する際、城の大手門先の伊勢街道沿いに遷座しました。江戸時代の元和六年(1620)に紀州藩の代官長野九左衛門が城の鬼門の鎮守として現在地に移しました。明治41年(1908)にほかの3社と合祀しました。主祭神は建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)です。

 
  (御厨神社で垣本宮司から説明を受ける)    (岡寺山継松寺で柏木住職から説明を受ける)

✦岡寺山継松寺(案内 柏木文雄 住職)
 地元の人から親しみを込めて「岡寺さん」と呼ばれる「岡寺山継松寺(おかでらさんけいしょうじ)」では、柏木文雄住職さんから説明を受けました。
 高野山真言宗のお寺で、天平15年(743)聖武天皇の勅願により行基(ぎょうき)菩薩が創建したとされる日本最初の厄除け観音の霊場です。ここで行われる初午大祭は、仏教寺院の祭礼としては県内最大として知られています。
 同寺はもともと石津(現在の松阪市石津町)にありましたが、柏木住職の話しでは初午祭は石津にあった時からしていたということです。

 伝説によると、本尊の如意輪観音菩薩は奈良時代の大洪水で海に流出したとき、二見浦三津の猟師が網で引き上げたとされます。この三津の猟師は後に継松法師となり、石津に大伽藍を建立しましたが、この継松法師の名前をとって継松寺と名付けられたとされます。慶長17年(1612)松阪城主古田重治により現在地(松阪市中町)に移されました。

 境内の建物などの多くは市や県の文化財指定がされていて、山門、庫裏(書院)、鐘楼は市の有形文化財に指定されています。特に庫裏は松ヶ島城にあったものが移転されたといわれ、松阪市のいちばん最初の文化財指定を受けました。また「普賢延命菩薩像」「雪山童子の図」などが県の文化財指定を受けています。

✦八雲神社(案内 大和哲司 宮司)
 八雲神社では就任されたばかりの大和哲司宮司さんの案内で、正式参拝をさせていただき、神社の歴史などの説明を受けました。
 八雲神社は松坂城下の産土神(うぶすなかみ)として信仰されてきました。江戸時代は弥勒院善福寺の別当寺として祭祀を司ってきましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により、八雲神社として独立しました。主祭神は牛頭天王(ごずてんのう)です。社宝である八雲神社神輿は元禄15年(1702)に奉納されたもので、昭和37年に松阪市の有形文化財に指定されました。

 八雲神社には生まれた子どもの名前を受けに行く親も多くあり、私の家でも娘や孫の名前をいただきました。宮司が大和宮司に変わられましたが、続けられています。また八雲神社ではこれまで朱印は受けていませんでしたが、新しい大和宮司は朱印を受けているということです。

 
  (八雲神社で大和宮司から説明を受ける)    (愛宕山龍泉寺で岡本前住職から説明を受ける)

✦愛宕山龍泉寺(案内 岡本好雅 前住職)
 龍泉寺の本堂で、岡本祐璋住職の父の岡本好雅前住職さんから当寺の歴史についてお聞きした。
 明治元年(1868)に時の政府から神仏分離令が出て、愛宕さんは仏の道を選んだが、檀家から昔のように神仏一体にしてほしいと鳥居が寄贈され、愛宕さんには寺でありながら鳥居があります。

 愛宕山上福院龍泉寺(あたごさんじょうふくいんりゅうせんじ)の開創は、聖武天皇(在位七二四~七四九)が行基に勅命し、一志中郷村滝野川(現 松阪市嬉野滝乃川町)の深山に建立したのが始まりとされ、滝野川寺と称しました。多気の国司・北畠の庇護を受けていたことから、織田信長が攻めてきたとき焼き討ちにあっています。その後松ヶ島平尾に移し瀧川寺(りゅうせんじ)と称し、蒲生氏郷の開府八年前の天正八年(一五八〇)に現在地に移転しました。
 ご本尊の愛宕大権現は、弘仁年中(八一〇~八二四)に弘法大師が、鎮護国家、万民快楽(ばんみんけらく)のために天弓愛染明王(てんきゅうあいぜんみょうおう)とともに彫りました。龍泉寺の山門は松阪市内の木造建造物では最古といわれ、県指定文化財になっており、松ヶ島城の裏門を移したともいわれています。

✦来迎寺(案内 青木孝恵 住職)
 本堂で青木孝恵住職から寺の歴史などのお聞きしました。享保元年の火事のとき、本尊は京都に修理に出していて焼却を免れたことや、天保の飢饉で飢餓者がでたとき、寺の倉を開いて炊き出しをして14万人を救った話し、また毎年9月に行われる「炎の祭典」の話しなどをお聞きしました。

 来迎寺(らいこうじ)は、天台真盛宗に属し、永正八年(一五一一)北畠材親(きたばたけ きちか)により、松ヶ島城下に創建されました。天正十六年(一五八八)蒲生氏郷の松坂城の築城により現在の白粉町に移されました。山号は教主山、院号は無量寿院、本尊は阿弥陀如来です。
 三井家の菩提寺であり、商売守護神、大黒天も祀られています。享保元年(一七一六)の松阪大火で表門(現在の裏門)を残し消失しましたが、豪商三井家などが八千七百両(現在の価値で約十一億円)の費用を支援し、再興された。

 
   (来迎寺で青木住職から説明をうける)           (歴史民俗資料館の見学)

✦歴史民俗資料館(案内 杉山亜沙佳 研究員)
 松阪公園で昼食したあと、午後の最初の探訪地は歴史民俗資料館で、同館の杉山亜沙佳学芸員から説明を受けました。
 この資料館は明治45年(1912)に建築され、翌年から飯南郡図書館として長い間市民に親しまれてきたが昭和53年に新しい図書館が建てられたため、歴史民族資料館に衣替えしました。館内には伊勢白粉や松阪木綿の常設展示や、私たちの先祖が使った道具類4000点余を収蔵しています。また松阪の文化を全体的に紹介する場として、歴史、文化、暮らし、産業などの企画展を年4回開いています。
 この建物は国の有形文化財に指定されています。

✦松阪神社(案内 波多瀬秀之 宮司)
 松阪神社では波多瀬秀之宮司の案内で正式参拝をさせていただき、宮司さんから神社の歴史をお聞きしました。
 この神社は元々「意悲神社」と称しました。明治41年に神社合祀令がでて多くの神社が合祀され、この神社も17社、33柱の神が合祀され、社名を「松阪神社」と改名しました。合祀した雨竜神社と八重垣神社にそれぞれ神輿があり、現在松阪神社には2つの神輿が収納されています。三社みこしの時には、この神社から2つの神輿がまちに繰り出します。
 
 松阪神社の創建年代はわからないが、延喜式神名帳に掲載されている式内社で、1100年以上の歴史があることになります。天正十六年(1588年)蒲生氏郷が松坂城築城した時に、城の鎮守社として城の南の丘に御造して出来た神社です
 誉田別命(ほむたわけのみこと)(八幡神)と宇迦御魂神(うかのみたまのかみ)(稲荷神)を主祭神とします。

 
 (松阪神社で波多瀬宮司から説明を受ける)   (観光交流センターで竹川専務から説明を受ける)

✦観光交流センター(案内 松阪市観光協会 竹川裕久 専務理事)
 最後の探訪地は2019年4月5日に魚町にオープンした「豪商のまち 観光交流センター」で松阪市観光協会の竹川裕久専務から説明を受けました。 
 この施設の1階は松阪の見どころを紹介する観光情報案内、松阪ならではのみやげ物が販売されています。2階は松阪の歴史や文化を紹介するスペースで、「松阪ものがたりシアター」があり、松阪の豪商達の活躍をCGや実写で紹介しています。

                                      
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