川口保 のブログ

1市民として市政を眺めつつ、社会のいろいろな出来事を取り上げています。

陸前高田市の戸羽市長災害復興を語る

2011-11-05 19:48:57 | 日記

戸羽太 陸前高田市長 

(陸前高田市のHPより引用させていただきました)

 

東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県の陸前高田市の戸羽太市長が11月5日松阪市を訪れ、中部台運動公園で行われた地域ブランドサミットに出席したあと、松阪市議会の議場で市議会議員や松阪市の幹部職員を前に大震災の状況や復興へのシナリオを語りました。今回戸羽市長は、同市の災害復旧のために松阪市から小林副市長と職員を派遣したことに対するお礼と、被災地の現状を語るためにみえたものです。

戸羽市長は久保田副市長と共に拍手に迎えられて議場に入り、着席されました。山中松阪市長の声かけで全員黙とうをしたあと、戸羽市長の話しを聞きました。

 

陸前高田市は人口約24,000人の小さな町です。戸羽市長は今年の2月6日の選挙で初当選をして2月13日から任期がスタートする前の11日に災害が発生しました。就任を前にあいさつ回りをしていた時のことであったということです。

宮城沖地震は、今後30年に99%の確率で発生するとされていたため、地震の発生による津波も想定して、自主防災組織をつくって準備をしていたということです。また津波のハザードマップも作成して配布されていました。しかし今回の災害はその予想をはるかに超える大きなものでした。

 

同市のこの災害の死者・行方不明者は1700人から1800人を数え、市役所も大きな被害を受けました。庁舎の屋上まで津波が押し寄せ、住民台帳や公用車も流され、市の職員も291名のうち68名が犠牲になりました。また消防団の犠牲者も51名ありました。災害直後は市役所の機能がない無政府状態でした。

 

ハザードマップでは戸羽市長の家も津波の到達する一番端の部分で、津波が来ても30㎝位だろうという気持ちを持っていたそうです。ところが実際にきた津波は、この3階建ての市長宅の建物が消えてしまうほど大きなものでした。この津波で戸羽市長は奥さまを亡くされています。奥さまは近所を廻って避難を呼び掛けていたということです。

津波で奥さまを亡くし、家を無くした、就任したばかりの戸羽市長が市役所の機能の回復、被災者の救援、災害復旧に陣頭指揮で取り組んでこられました。この過程で国の規制の壁にぶつかったということです。

 

市街地から民家が無くなり、高台の農地にスーパーを建てようとしても、規制があり建てられない。山を崩して高台に災害復旧住宅を建てるのにも「大規模開発」ということで、手続きだけで8ヶ月もかかる。国の危機管理の問題や、非常事態宣言制度をつくらなくてはならないなど、話されました。

 

同市では8年間の災害復興計画を作成されましたが、「8年で災害復興が出来上がるとは思っていない、もっと長くかかると思う。私たちは涙をこらえながら、歯をくいしばって復興にあたっていくので、末長いご支援をお願いしたい」と結ばれました。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿