川口保 のブログ

1市民として市政を眺めつつ、社会のいろいろな出来事を取り上げています。

西野子踊り行われる

2019-08-11 07:12:04 | 日記
 松阪市西野町に古くから伝わる郷土芸能「西野子踊り」が令和元年8月10日(土)、西野公民館前広場で行われました。西野子踊りは西野夏祭りとして行われるもので、西野夏祭り実行委員会が主催し、西野自治会(福田幸則会長)、西野子踊り保存会(川口保会長)が中心となって、毎年盆前の土曜日に行われます。
 夏祭りは午後4時からスタートし、子踊りは午後6時スタートとなりました。

 「子踊り」と呼ばれるように、踊りの中心は小学生を中心とした子ども達です。かつては家持ちの長男しか踊れなかったのですが、最近は子供の人数が少なくなってきたので、次男、三男や女の子も踊りの輪に加わり、また未就学の幼児、中学生や高校生、大学生、大人の人たちも多く踊りに加わっています。
踊りの輪の中央には大太鼓、その外側に大人の踊り子、さらにその外側に子ども達の踊り子が輪をつくります。踊り子は法被姿にはちまきをして、履物は雪駄。首から太鼓を下げ、バチで太鼓を打ちながら踊ります。一番外側には子ども達の母親や地区の大人たちが浴衣に鳥追笠をかぶり、竹の先に紙の房のついた「采(ざい)」をもって踊ります。来賓の皆さんも采を持って踊ってもらいました。
 
 

 西野の子踊りは「かんこ踊り」とも呼ばれ、和歌山県日高郡日高町にある安珍清姫悲恋物語で知られる道成寺の流れをくむ郷土芸能です。子踊りの「鐘巻踊」のうたの中にも安珍清姫悲恋物語が歌われています。
 現在松阪市内では西野を含めて8つの地区でかんこ踊りが行われています。昔は多くの地区でかんこ踊りが行われていましたが、時代の流れと共に消えていき、現在8地区でしか残っていません。このため大変貴重な郷土芸能と言えます。8つの地区の内、猟師・松崎浦・曽原・笠松・新屋庄の5地区は初盆供養の仏事踊りです。西野と小阿坂、向粥見本郷(中断中)は雨乞いや豊年祈願の神事踊りです。

 戦後間もない昭和29年から中断し、約25年後の昭和54年8月に西野子踊り保存会(安濃田助生会長)が結成され、復活しました。この長期の中断が大きく、最近太鼓を踊れる人、歌を歌える人が少なくなってきました。このため平成20年6月から「かんこ塾(錦洋明塾長)」を開設して大人を対象に太鼓の練習を行っています。
 
   
             (子ども達、お母さん・お父さん、大人たち、来賓の皆様で集合写真)

  歌は「世古入」、「神楽踊」、「世ノ中踊」、「小原木踊」、「飛田踊」、「鐘鋳踊」、「鐘巻踊」、「綾踊」、「忍踊」、「長崎踊」、「神役踊」、「御寺踊」、「雉子突踊」、「陣立踊」、「鹿狩踊」、「唐人踊」、「花見踊」と全部で17あります。この内現在は「世古入」、「神楽踊」、「世ノ中踊」、「小原木踊」、「飛田踊」、「鐘鋳踊」、「陣立踊」、「花見踊」の8曲が踊られています。

 西野の場合「子踊り」と称しますが、鞨鼓を持って踊ることから他地区の「かんこ踊り」と変わりません。他地区では「かんこ踊り」と称しているのに、西野だけなぜ「子踊り」と称するのかは分かりません。
 またこの踊りがいつ頃から始まったかは分かりません。歌の中に唯一出てくる年号が、鐘鋳踊の中の善光寺の鰐口に書かれた年号「元文四年五月三日」で、この元文4年(1739)は江戸時代(1603~1867)の丁度中頃になり、これ以降にこの歌が作られたことになります。
 
 
 (竹上市長も采を持って踊っていただきました)      (音頭、笛はベテランが奏でます) 

 西野子踊りと小阿坂のかんこ踊りは共通するところが多く、西野17踊りに対して小阿坂20踊りであるが、多少文句は違っていても14踊りも共通の踊りがあり、節もよく似ています。和歌山県の道成寺の案内板に西野と小阿坂の踊りが記されていました。また曽原のかんこ踊りや笠松のかんこ踊りは初盆供養踊りでありますが、西野とよく似た歌があります。

✦この日来ていただき、踊りを見てもらったり、一緒に踊っていただいた来賓の皆様。
 松阪市長         竹上 真人 様
 三重県議会議員    野口  正 様
     同         中瀬古初美 様
 松阪市議会議員    沖  和哉 様
     同         橘  大介 様
 松尾幼稚園園長    竹内 茂夫 様
 松阪市松尾市民センター長 青木佳奈美 様
 松尾警察官駐在所 巡査長  島崎  俊 様

✦祝いのメッセージをいただいた方
 衆議院議員 田村憲久 様

              皆様ありがとうございました。
                 西野子踊り保存会会長 川口 保