フリーアナウンサー 松原敬生の『今日のエッセイ』

思っている事、感じている事などを自由に綴ります。

春雨

2017-03-21 20:23:59 | Weblog
「春に三日の晴れなし」という言葉があります。低気圧と高気圧が交互にやってくるからです。月形半平太の台詞でお馴染みの「春雨じゃ濡れて行こう」がありますから比較的暖かな雨かと思うのですが、横殴りの雨に冷たいものを感じることもあります。濡れて行こうというのは横殴りの雨だから傘をさしても仕方がないという解釈も成り立ちます。その他に春雨には「木の芽おこし」や「桜流し」があります。木の芽おこしは木の芽が膨らむのを助けるという意味があり、桜流しは桜の花を散らしてしまう長雨を表現しる言葉です。昔の人の感性がしのばれます。
それだけに桜に託す人生訓も多く作られました。その最たるものは「散りぎわの良さ」「潔さ」です。私はそれよりも桜の花の団結力に目を向けたいですね。同じ木に咲く桜は、最後のつぼみが咲くのを待ってから散り始めるそうですから、仲間を大切にする精神を表していると思います。それよりも、咲いている時だけ近づく「花友(かゆう)」には絶体なりたくないですね。

変わる

2017-03-20 21:07:05 | Weblog
久しぶりに出会った友人と挨拶の後に交わす最初の言葉は見た目の変化を言い合いますね。先日も「痩せたねぇ」と言われました。変化というのはこうした見た目の変化と内面の変化があります。内面の変化を表す見事な言葉があります。
『変わらずに生き延びる為には、変わらなければならない』この言葉は1963年にイタリアで製作されたルキノヴィスコンィ監督の作品「山猫」の中で、バートランカスターが演じる老公爵が発したものです。そういえば、伝統の味を誇る老舗のご主人も同じようなことを言っています。「創業何百年と言っても全く味を変えていないわけではありません。その時代にあった味を少しずつ取り入れているんです。少しずつ変えていくことが伝統の味なんです」頑固に元の味に固執するのではなく、今風の味を少し加味していくことが伝統を守る方法だと言うんですね。
人も自らが時代の懐に抱かれに行くことによって、存在感を増すことが出来るのです。

春休み

2017-03-19 23:36:40 | Weblog
学生にとって宿題のない春休みは一番嬉しい休みでしょう。こうした休みこそ学ぶことがありそうです。その第1は、学校や家族がどんなにしっかりしていても、最終的に自分を守れるのは自分しかないという当たり前のことを厳しく教えこむ期間にしなければなりません。合わせて何をしてはいけないかを聞かせてやることも大切です。満たされる幸せよりも不足の中で工夫する喜びを教えることです。それと長い時間、一緒にいる間に服装を含めて乱れがないことを確かめることです。特に我が子を他人の目で見つめ直すことです。春休みは。
子供は放っておけば「非日常」に向かいがちです。それを食い止めるのが親の責任です。それが親にとっての宿題になるでしょう。子供に何かあった時に「我が子に限って」という台詞を吐かないようにする為には、この短い休みを貴重な春休みにして欲しいものです。

天井効果

2017-03-18 23:57:16 | Weblog
タイトルはスポーツの世界の言葉で「シーリング・エフェクト」の直訳です。能力にばらつきのある集団の中で練習すると、中程度の選手は上手な選手を手本にします。しかし、手本にされる側は、低い方に合わせますから、伸びが鈍化する現象の事を「シーリング・エフェクト」と言います。上手な側は、もっともっとということで、レベルの高い集団に身を投じるのですね。日本からアメリカ大リーグに挑戦することに当てはまるでしょう。
今のWBCに選ばれ、優勝を争っているチームの選手は幸せです。外国選手から学ぶことも出来、自身のチームもレベルの高い選手ばかりですから、シーリングエフェクトとして最高です。ですから勝ち進むにつれてさらにチームの力も上がってきています。いまは控えにまわっている選手でも、練習でも実力がどんどん上がるチャンスにつながります。
実力のあるチームいるメリットはそんなところにもあります。

日本野球

2017-03-17 23:20:22 | Weblog
20世紀始めに活躍した大リーガーに、球聖タイカップがいます。アメリカで野球殿堂入り第1号、首位打者12回、打撃の全タイトルを制覇した大選手ですが、彼が書いた自伝に「盗塁と重盗、多彩なバント、流し打ち、守備陣のすき間を抜く単打という野球に戻るのを待っている」と書いています。誰かが思い浮かびますね。そうです。イチロー選手が実践していますよね。
とはいいながら、WBCの各国の戦いぶりは、こんな戦いとは別なところにあるような気がしませんか。やはりパワー野球が一番のようです。日本の野球は、他国のプレーぶりとは多少違った、スモールベースボールの味も含まれています。それだけに他国からみた侍日本のチームは奥が深いように見えるでしょう。そこに、筒香、中田、トリプルスリーの山田というホームランバッターがいるのですから、スモールだけではなくパワフルな野球も出来ます。
さて、不思議なのは、外国の投手は何故ボールが揺れるのでしょうね。

趣味

2017-03-16 23:08:09 | Weblog
大学の卒業式を控え、入社する会社への研修を始めている新入社員もいることでしょう。迎える先輩社員は話しかける切っ掛けに「趣味は?」と訊ねているかもしれません。ところで最近の履歴書には趣味の欄があるのですか?かつては趣味の麻雀を通して先輩と仲良くさせて貰ったのですが。
趣味は人生を豊かにすると言います。かと言って色々手を広げるとどれも中途半端に終わることがあります。やっているという達成感は得られません。つまり「多趣味は無趣味」になりかねないのです。ですから早めに一つの趣味を決め、そして究める努力をしておくことです。そうすれば、その趣味を通してかけがえのない人の輪を作ることが出来ます。
新入社員は先輩に迎合することなく、自分自身の趣味の的を絞ることが何より大切です。自宅、会社ともう一つの空間を持つことが、人としての奥行きを持つことになります。人生をやり直すことが可能ならば、改めて良い趣味を見付けたいですね。

高齢者

2017-03-15 23:34:20 | Weblog
毎年全体では減っているのにある範囲では変わっていないのは?そうです。高齢者の交通死亡事故です。ということは、高齢者の死亡事故の全体に占める割合は増しているわけです。そこで75才以上のドライバーに医師の診断を義務付ける改正道交法が12日に施行されました。認知症の診断も含まれるようです。
これまで65才以上としてきた高齢者の定義を75才以上に見直すよう日本老年学会などが提言しました。また、政府も高齢者の定義の引き上げを検討中らしいです。確かに今の高齢者は5才から10才は若返っています。75才前の私としては、高齢者の枠から外れることは何となく若返った気分になりますから、定義替えは歓迎ですがね(笑)。
こうして健康寿命が延びていることは間違いありません。しかし体中の機能がそのまま延びたとは断定できません。そこを慎重に自分で判断しないと高齢者、いや高齢者でないとの区別だけで自分を決めつけてしまうと、運転者として大変な事になってしまいますね。

新聞読み

2017-03-14 22:56:51 | Weblog
どのニュースもトップに扱うようなニュースが多いですね。韓国の大統領罷免、森友学園事件、豊洲に関する都議会の百条委員会、自衛隊の南スーダンからの撤収、東日本大震災から六年、スポーツでは新横綱誕生の春場所、さらにはWBCの野球と、一年の内でも大きなニュースばかりです。
こうしたニュースを口に出して読むというルーティンをやっています。もともとこうしたニュースはテレビ、ラジオ、それに最近はネットからどんどん飛び込んできますが、新聞読みから得た中身は、やはり相当しっかりと頭にしみこんできます。悲しいニュースも目を逸らすことができません。そうしたニュースの中に、小さな記事でも嬉しいニュースがあると、しっかりと心に刻まれます。一人でいる時よりも沢山の人の中にいるほうがより強く孤独を感じるのと同じかもしれませんね。まあ、幸せ記事がいかに少ないかの表れですね。
新聞社の編集の皆さん、毎日の記事の中に、幸せ記事を必ず掲載、お願いします。

世界一

2017-03-13 23:29:26 | Weblog
WBCで世界一を目指す戦いが続いています。初代のチャンピオンは日本です。世界一という言葉は気持ちの良いものです。それだけに各スポーツで金メダルをとった時の大騒ぎはわかりますよね。特にオリンピックでの金メダルは、日本中の人々の背筋が大きく伸びるような誇らしさを感じるものです。
スポーツ以外の日本にある世界一はどんなものでしょう。思い付くまま列挙してみましょう。世界一短い結論の出る会議というと、大相撲の物言いの会議です。それから一つの湖の水源で1400万人が飲んでいるのも世界一です。また平均寿命は男女含めて世界一です。次に鉄道運行の時間の正確さは、世界一ですよね。この正確さは、世界に向けて商売になりそうです。
春夏秋冬という季節の巡りは、世界にはないはっきりとした区切り、つまり春には春の、夏には夏の、秋には秋の、冬には冬のそれぞれの良さがありますよね。こうした国は日本だけのような気がしますが、最近はその区切りがあやふやになりつつあるのが、残念です。

近くの他人

2017-03-12 23:57:28 | Weblog
中国の「韓非子」の中に〔遠水近火を救わず〕という言葉があります。遠くにある水では近くの火を消すことは出来ない。遠くにあってはいざというとき役にたちません。日本では、古くから「遠くの親戚より近くの他人」と言います。
そこで考えて見ると、この「近くの他人」という言葉は現在でも当てはまるのでしょうか。家庭の中でもテレビ一台の時代から個の時代に入り、それぞれが自分の部屋で過ごす時間が圧倒的に多くなりました。こうした時代を反映してからか、世間は「隣は何をする人ぞ」状態になっています。それだけに近くの他人もどんどん遠い他人になってしまっています。
かつて、ご飯時に自分の子供と遊んでいる子供を誘って一緒にご飯を食べない?と言ってくれたお母さんが多かったですね。もちろんお返しに今度はその友達の自宅で食事なんていう交流があったんですよ。お年寄りにしてもご近所の隠居さんが集まっての茶飲み話は頻繁でした。他人の距離を近くに保つ工夫でしたね。