フリーアナウンサー 松原敬生の『今日のエッセイ』

思っている事、感じている事などを自由に綴ります。

言葉の変遷

2016-04-20 23:54:21 | Weblog
言葉の意味は時代ともに変化します。最近特に気になるのが「やばい」です。我々が普通に使っている場合の意味は「やばい=危ない」でした。しかし近頃は「やばい=素晴らしい」として若者達は使っているのです。先日も若い人がレストランで『ここのメシヤバいっすね』と語っていたのを聞いてそうかと思ったのです。やばいは江戸時代の「やば(不都合)」が語源だそうです。それが今や個人の自由が尊重される時代になりやばいことをするのは自己主張として肯定的なニュアンスに変化したのだそうです。
ある言語学者は若い世代の人は生活に感動を求める心情が豊かなので、この「やばい」を気持ちが強く揺り動かされるほど素晴らしいの意味になったわけですね。と、理解しても、この意味で「やばい」は私は使えませんね。野球観戦しながら、贔屓チームがピンチを迎えた時には「やばいよ」と呟きますが、相手チームがヒットしたら「○○選手やばいすっね」と誉めたら、喧嘩になりますよね(笑)。

バーチャルな世界

2016-04-19 18:20:31 | Weblog
相変わらず子供達はバーチャルな世界に浸っているのでしょうか。
ある事件が起きる。ツイッターでその感想が述べられる。それにまた炎上するという現象が起きています。これなども、バーチャルな世界と現実世界の境界を見失っているせいかもしれません。
コミュニケーションには言葉の他に、声のトーンや表情などの役割が圧倒的に大きいのです。携帯メールやインターネットを楽しみ過ぎると、言葉だけのやりとりで、良いこと悪いこと言葉が激しくなりがちです。ですから、子供達には社会性を育んで欲しいですね。
社会性といってもあまり難しいことを考えず、子供達の遊びの仕方を見つめ直して下さい。昔、運動場でどんな遊びをしたか思い出してみて下さい。かけっこを中心にかくれんぼ、ボール遊び等々、体をぶつけ合うような遊びです。時には痛さもあったり、体を触れあう温かさもあるでしょう。こうした遊びを通して社会性を身につけるのです。今一度、子供の時間の過ごし方をチェックして下さい。

ワクワクドキドキ

2016-04-18 23:58:03 | Weblog
創めることを忘れなければ人は老いることがない。そんな言葉があります。好きだと言うのと、実際にチャレンジするのとは別です。今、新しいことはやってないんです。残念ながら。つまりワクワクドキドキにはぶつかっていません。わずかに我がドラゴンズがサヨナラゲームを含む阪神相手の3連勝がワクワクする材料でしょうか。
となると「臨界期」という言葉が思い出されます。臨界期というのは人間がある能力を習得するための年齢上の限界のことです。脳の研究を通じてはっきりしたことです。私は臨界期がすべてのことですっかり過ぎたのでしょうかねぇ(笑)。
でも夢はあるんですよ。実は来年、アナウンサー生活50周年を私は迎えます。その日を無事に迎え更に前進することが夢です。新しいチャレンジではありませんが「継続」という目標を持っています。この為には毎日をそれこそワクワクドキドキしながら過ごすことが一番夢に近づく近道です。
新鮮さと、興味、これがキーワードです。

右脳のトレーニング

2016-04-17 21:32:34 | Weblog
今日は久しぶりの歌謡ショーの司会でした。ラジオ会社に入社した当時ならば、前の日にはドキドキして中々眠れなかったでしょうが、昨日はぐっすり寝れましたね。むしろ今日のほうが体力的に疲れて眠れないかもしれませんね(笑)。
ところでドキドキの原因はひょっとするとあがるかもしれないという心配性からでしょう。あがり性の人は、緊張すると言語処理を担当する左脳を中心に働かせようとして混乱を招くのだそうです。ですから日頃あまり使わない不安などの感情を担当する右脳を鍛え、バランスよく処理するようにすれば良いのです。
右脳を鍛えるということはこうするのです。右脳は体の左側を支配しています。ですから日常生活で左手を積極的使うのがあがり性を治す有効な手段です。新しいクラスで委員などに選ばれたら、この方法を取り入れてみて下さい。それから左側の鼻だけで呼吸してみるのも右脳を刺激するには良い方法だということです。
さあ、これで貴方はスターです(笑)。

地域のつながり

2016-04-16 23:48:43 | Weblog
地震報道が今日も沢山です。被害をうけた地域の人達の話を聞くと、地方独特の雰囲気があります。元々、地方には道路脇の草刈り、冠婚葬祭、新年の会合など、近隣住民が集まる機会は頻繁にあります。ここから地域のつながりの強さが生まれるのです。それだけに近所の人達の人となりがよくわかっているようです。
しかし都会生活ではこうはいかないことが多いのです。せいぜい両隣の人がやっとわかるくらいでしょう。コミュニケーションは主に言葉を介して行われるわけですから、幼稚園児生や小学生が共にいる家庭はともかく、子供がいない家庭同士では、ほとんど付き合いが出来ません。というより、しないのです。
この状況を打破する為には「ほほえみ」です。出勤する際に偶然顔を会わせたら、言葉が出なくてもまずほほえみかけることから始めるのです。そうすれば次には言葉(挨拶)が相手に出来ると思います。こうしてコミュニケーションを深め、隣が誰かわからない生活から抜け出すのです。

当たり前

2016-04-15 20:44:25 | Weblog
また、また日本列島を大きな地震が襲いました。被災された皆様には心よりお見舞い申し上げます。
自然の恵みとはよく口にしますが、一方では自然の驚異も必ず併存していることを実感させられます。今日はどの報道もそのニュース一色で、国会でのTPP審議は完全にかすんでしまいました。生々しい光景の中に、お子さんが映し出されるとどうしても涙脆くなってしまいます。避難所も危険性があるということで母と娘(赤ちゃん)が毛布にくるまって外で夜を過ごすという写真は堪えられません。この時ばかりは自然の無情さを感じます。
夜が明けて初めてお腹がすいたことを感じた人もいるようで暖かい炊き出しに本当に嬉しさを味わっているシーンもありました。こうした災害が起きるといつも日本人の良さに気づかされます。その一つは人間は無条件の愛の絆の中に生きていること。その二つ目は普段当たり前だと思っていることが実は恵みであるということを教えられるのです。

高山祭

2016-04-14 22:04:01 | Weblog
今日明日と高山に春を呼ぶ高山祭です。雨の高山祭と言われるように高山祭は1日は雨が降ることが多いのです。昨年は二日間とも雨でしたが、今年は今日の様子ならば大丈夫のようです。雨になると御巡行やカラクリなどの12台の屋台の曳き揃えも中止になります。この高山祭は日程の余裕がないので順延はあり得ないのです。雨の高山祭などと演歌のタイトルにもなりそうですが、現実には雨が降ると土地の人も旅人もガッカリする結果になってしまいます。愛知県でも瀬戸物祭では、やはり1日は雨が降ると言う伝説があります。物語の主人公の悲しい涙だと言われていますが、高山祭にはこうした涙の話題はないようです。この世の祭は生きている証しを感じさせてくれる大切なイベントです。
振り返ってみると、これまで祭は見る機会ばかりでした。人間としての喜びを味わうにはやはり祭は参加してなんぼの世界でしょう。あっ、私は演歌祭などは数え切れないほど参加して来ましたね。これでハーフ、ハーフですかね(笑)。

国会討論

2016-04-13 23:50:02 | Weblog
国会中継を見ていて、議員や委員の発言で気になることがあります。その1は国民を引き合いに出して発言することが多いですが、「国民にはわからない」「国民がどう思っているか」「国民は納得しない」「国民に聞いてみる」等々、こう聞かされると議員は国民ではないのかと思ってしまいます。このように政治家と名のつく人達の口から飛び出す「国民は」は上からものを言っているような気がします。
その2は答弁の中に出てくる「先生、ご案内のとおり」このセンセイもやめていいですね。「ご案内のとおり」もこれは空々しいですね。この案内という言葉は、案内する。案内状、といった意味合いしかありません。辞書には一番おしまいに「よく勝手を知っている人」と書いてあります。しかしこの言葉は他に言いようを変えてもいいと思います。例えば、ご存知のとおり、知ってのとおり、ご承知のとおり、等の言葉に置き換えたらどうでしょうか。とにもかくにも国民の代表らしい仕草が必要ですね。

新人さ~ん

2016-04-12 22:09:58 | Weblog
新人さん、頑張ってますか?新しい職場でどんな仕事をしてますか?。わからないことはどうしてますか?。ちゃんと先輩達に質問してますか?先輩達もその質問をちゃんと受け止めていますか?
と並べてみたのは、新人の質問の中に、忘れていた改革のヒントが含まれていることがあるからです。例えば、新人の質問にこんなものがありました。「何故、書棚は部長席の後ろにあるのですか?」先輩は「前からそうだよ」で片付けるかもしれませんね。しかし書棚が部長席の後ろでは、新人の自分はなかなか雑誌や書籍を読むことや調べることが出来ないからの質問でしょう。ですから、先輩達はこうした新人の言葉には素直に耳を傾けることが必要です。そこに仕事を見直すヒントが隠されているかもしれません。これこそ伝統ある会社にも新しい血の導入がはかられたわけです。
もちろん、そうした質問が受け入れやすい雰囲気を作ってあることが大切であることは言うまでもありません。

出会い

2016-04-11 23:52:24 | Weblog
私は「人は一生のうち逢うべき人には必ず逢える」という言葉が大好きで、またそれを信じています。この言葉は更に続きがあります。「しかも、一瞬はやすぎず、一瞬遅すぎないときに、必要なときに必要な人に遭う」つまり、我々は人生の中で数多くの出逢いがありますが、すべての出逢いが必然なんです。自分の気質にあった正しい師とめぐりあいその人によって磨かれるのです。ですからこうした考えを持っていると、旅行に於いても旅先での出逢いを期待したほうがよいのです。交流ですね。警戒心ばかり先に立てたような心の持ち方では楽しい旅にはならないのです。
人は自分が満足する結果を出した出来事は必ず一つや二つはあるものです。それを思い出してみて下さい。それを成し遂げたとき、共に過ごし、ご縁があった人がいたはずです。必要なときに必要な人に遭うという実証なのです。それもやはりピッカピカに光った人に逢ったはずです。今週もそんな出逢いがありますよ。