goo blog サービス終了のお知らせ 

麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

ガラケー、ガラホ、スマホ。

2018年11月07日 | 身辺雑記


携帯電話の話、というより、
博多の「こぼれ話」なのだが、
まずはケイタイから…。

私はプライベートではガラホ使い。
最近入った劇団からはガラケーを
支給されたので二つ持ち歩いている。

スマホユーザーには判りにくいか?
ガラケーは、いわゆる昔のそれ。
だから、ホームページによって
開かないのもあり、切ない
かたやガラホは文字通り、
ガラケーとスマホの中間機で、
もろもろ基本は「ガラパゴス」
ながら「スマートフォン」対応の
画面が開けたりするんです。
スクロールもできるのだp(^-^)q
が。
やり方がよく判らず、ほぼ、
そのカッチョいい機能、封印中。

で、博多のホテルの部屋に
スマホが置いてあり、しかも
外に持っていってもいいってんで
ガラケーガラホスマホの三台持ちの
二日間を過ごした、とさ。



いやはや、スマホ便利だね。
いまさらか((T_T))

インバウンドの観光客に向けた
サーヴィスが主なようだが…
中には私のようなカタクナ派が
実際使ってみて、機種変する人も
いるんだろうな~とは思った。

そうそう。
博多は、エスカレーターの左が立ち、
右が歩くパターンで、つまりは
東日本ルールを採用していた。

そして街行く人が男女ともお洒落。
……いやはや、大都会だから、
って理由もある。仙台もお洒落だ。
だが、博多のセンスは頭ひとつ
抜け出ている気がする(私見)。

さて、冒頭の写真だが。
昨日書いた、若いアーティストの
集う「紺屋2023」周辺は街ごと
そーゆー感覚で溢れている。
建物自体も、新築は斬新だし、
古いものには頭に置いた壁画等で
工夫をこらし、街全体でアート
という雰囲気を醸し出していた。

蛇足ながら、私がキリンマニアゆえ
(動物のジラフ、空想の麒麟、
さらには飲料のKIRINも含む)
選んだ壁画も、あれになりました。

以上、これで博多の話はおしまい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

帰京!

2018年11月06日 | 俳優座
博多の三日を終えて帰京する。

11月3日「九演連」代表者会議。
翌日には2019年に上演される
作品が決定した。残念ながら、
俳優座の作品は選外。
とはいえ、今年『春忍び難きを』で
九州を巡ったばかりだ。
劇団は沢山ある、欲張るべからず。

多くの先輩制作者たちが参会後、
反省会をきっちりする中で、
若輩者は次の現場へ向かった。

宿泊ホテルに一度戻り、
その近くの地下鉄赤坂駅から
二駅先のの中洲川端駅下車。

博多座が近いので歌舞伎俳優の
幟がはためく商店街は・・・





・・・その名の通り川端にある。
山笠の奉納されている櫛田神社が
商店街の入口に山門を開いていて、
多くの地元民、観光客で賑わう。





んで、目的地・ぽんプラザ。
ポンプ場の跡を稽古場にしたのが
由来だそうです。

来博は2012年2月以来になる。
その時に大変お世話になったAMCF
(アートマネージメントセンター福岡)
の、糸山さんと王丸さんと再会し、
福岡周辺の演劇の現状などを
御教授いただいた。

紺屋町通りにある、若き表現者の
ギャラリーやアトリエなどが集まる
「紺屋2023」にあるAMCFの
オフィスにお邪魔してから
8年が経とうとしている。



12年は「日韓演劇フェスティバル
in福岡」という企画での仕事だった。
久しぶりにAMCFと組んでやりたい、
そんなニュアンスも含んだ話……。

紺屋2023は大名二丁目にあり、
劇団が取ってくれたホテルは
たまさか大名一丁目だった。
ホテルの隣には「まんだらけ」。
ただ覗く余裕はなかった。



文章が散らかったまんまだが、
「のぞみ」車内からアップしちゃお。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

帰郷?

2018年11月05日 | 俳優座
俳優座制作部に籍を置いた
三日目の、11月3日の話。

川崎市の溝ノ口で開かれた
「神奈川演鑑連」の総会に出席。
我々新劇団と歩みをともにする
大切な「仲間」の集まりだ。

川崎生まれ川崎育ちであるから、
タイトル通り「帰郷」であり、
また東演時代、さらにフリーになって
山彦の会の『母さん』という
ミュージカルで「神奈川~」には
出身云々でなく、お世話になった。
そういう意味でも「里帰り」と
言える一日であった。

変わらぬ顔も多く、嬉しかったが
一方、今般の社会情勢よろしく
内情は非常に厳しいと知った。
ただ。
今の私には「知る」のが精一杯で、
あんなにお世話になったのに
恩返しの「お」の字もない

11月4日、博多へ。
こちらも演劇鑑賞会の集まり。
「九演連」の代表者会議。

曇天の東京から、西へ西へ。
名古屋も京都も雲っていた。

広島は雨
本当に降っていたわけではなく、
プロ野球の日本シリーズに
紐付けた意味での雨。

実際は大阪辺りから青空。
そして。
何たって福岡は、ホークスの
嬉しい連覇に晴れ上がっていた。

……個人的には鯉を応援していたが、
まぁホークスも過去リーグ一位、
なのにシリーズ進出を逃して
涙したチームだからな・・・
「おめでとう」と素直に称えよう
\(^_^)/\(^_^)/

おめでとうといえば。
本当に沢山の方から職場の変更に
お祝いの言葉をいただきました。
この場を借りて御礼申しあげます。


これは、広島駅に停車する
直前の車窓からの風景。

さて、そんな「のぞみ」車中。
電光掲示のニュースが言うには
橋本環奈のイベントが中止だと。
確か、彼女は福岡出身じゃあ
なかったかしらん。
一方。
整理券を巡って怪我人が出たのは
我が家から塀を挟んだ向こうの大学。
それこそ、数時間前にいた場所だ。

時計の針を一気に進めて、
11月5日(と言っても明けたばかり)。
昨日の、極めて濃厚な会議は、
残り数行では書ききれない。

今日の昼前に、創造団体にとって
ある審判が下される。
合わせて、別の稿にまとめます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

それぞれの現在地

2018年11月03日 | 身辺雑記
なんとも陳腐な題名だが・・・
まぁ兎に角書き進めちゃおう



11月1日から新しい職場での
新たな一歩を踏み出したと書いた。
(一昨日付弊ブログ)
昨日は一転。
随分と昔に思いを馳せた。
(約九年前)

その2009年の『池袋わが町』で
僕は制作、彼女は演出助手。
そして……
僕が心機一転した今月の朔日、
奇しくも彼女は作演出する舞台の
幕を開けた。ネットニュースに
載るような大きな仕事であった。



09年、フリーになった僕は
前述の請負制作をしつつ、
自らのレーベルによる公演を
準備していた。

都内ほか三市町を巡った
『池袋~』で気心の知れた
メンバー達にも声を掛けた。
男優陣からはYとKの二人、
巡演では衣裳担当だったが
本来は女優のH、そして演助T。
彼女には作演出をお願いした。

彼女は自ら主宰する劇団も持ち、
また大手芸能事務所とも契約して、
そこの芸人達が出演する舞台の
本を書いたり、本は芸人で演出のみ、
或いはその両方手掛けたりと
才能を少しずつ発揮し始めていた。

さらにはKと新たなユニットを組み、
今度は僕が制作として呼ばれた。



ネットニュースによれば。
日本アルゼンチン外交樹立
120周年記念作品と銘打たれた
ミュージカルで、堂々Kも
出演者の中段に名を連ねている。

話が前後するが、TとKは結婚し、
確かジュニアも誕生したと
SNSで見た気がする……。

そう。
あの頃の面子と今は懇意ではない。
が、チラシなどに名前を認めて
「頑張っているな」と思い、かつ
自らのモチベーションを高める
スイッチにはなっている。



遊佐については昨日書いた。

赤米が特産品の南箕輪は、
その収穫を終えた頃だろう……。

名張といえば「赤目四十八滝」。
芝居の開演及び終演との絡みで、
本当なら入場できなかったのを
特別に早い時間に見せて戴いた、
あの絶景は強烈に焼き付いている。

約4㎞の渓谷に実は二十一本の
大小様々な滝が流れていた。

さて、赤目滝を人生とすれば
今どのくらいの位置に僕はいる?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

短い言葉と高い建物のはなし

2018年11月02日 | 身辺雑記
父の故郷・津軽の言葉(に限らず
東北全般かも知れないが…)で
「どさ」「ゆさ」という会話がある。
「どこに行くの?」「銭湯にいく」
の意味が、とても短い音で通じる。

※※※

山形県に遊佐という町がある。
「ゆさ」ではなく「ゆざ」なのだが。

2009年に東演を退団しフリーに。
その初めの頃にいただいた仕事が、
『池袋わが町』という作品を、
池袋(東京)から遊佐(山形)、
南箕輪(長野)、名張(三重)と
巡演するツアー制作だった。

豊島区の事業で、三市町は、
友好都市はもとより、災害協力、
物産や教育の交流等、それぞれに
豊島区と関連を持っていた。

町で一番高い建物が町役場で、
その高さは三階だった遊佐は、
自然の豊かな長閑な所だったが、
図書館のシェイクスピアコーナーは
彼の故郷ストラッドフォード
お墨付きだったり、公演会場
(町役場の一階にあるホール)から
歩いてすぐに巨大スーパーもあり、
不便さもない良いところだった。

そうそう。
場当たりなど本番前の準備を終え、
町役場の二階で開いていただいた
歓迎の宴も温かくありがたかった。

そんな「遊佐」という音を
久しぶりにニュースから聞いて
反射的に目を向けたのは昨日。
残念なことに不祥事であった。

だからといって。
善き思い出は褪せることはない。

本格的な演劇作品を掛けるような
構造に元々ない小屋だけに
工夫して上演したのだけれど、
その分バラシには手こずった。
そして。
まだ遊佐の空は明るかったが、
新幹線で帰京するリミットとなり、
舞台監督、舞監助手と制作の僕、
三人だけを残して本隊を帰した。
我々はローカル線で酒田まで出、
ホテルを確保するや・・・
皆まで言う必要はないだろう。

これもむしろ楽しき思い出だ。

※※※

北の言葉にはさらに短いものも。
「これ食べなさい」「食べます」
が、「け」「く」の、たった二音。
なのに、とっても優しい。


『池袋わが町』
作演出/ジェームス三木
案内人には寺田農。
初演に愚妻が出演していた。
再演は他の公演と重なり降板。
再演から偶然にも制作につく。
同じく再演から加わった
演出助手Tと役者のKが、
のちに夫婦に……など、
思い出テンコ盛りの芝居だった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大きな窓から刺さるのは何色の光か?

2018年11月01日 | 俳優座
2018年11月1日。

今日から劇団俳優座演劇制作部の
末席に加わることになった。
取り急ぎ、ご報告並びにご挨拶。

1944年創立の、新劇界の雄。
「文俳民」といえば文学座と民藝、
そして劇団俳優座である。
青年座、東京演劇アンサンブル、
仲間など「衛星劇団」と呼ばれる
分派した創造団体多数。
日本の演劇は勿論、映画やテレビの
歴史に名を刻む名優も数えきれない。

・・・のだけれど。
それを背負える力はないから、
気張らずに自分のペースで
足手まといになりつつ……
ただこれまで通り、一所懸命、
フリー時代と変わらずにやっていく。

早速、三日に神奈川演鑑連、
四日五日は九州演鑑連の総会。

思えば、東演という新劇界では
小ぶりな劇団にお世話になり、
卒業して何やかや九年も経った。

十年一昔。
浦島太郎みたいなものだから、
まずは亀を助けるところからか…。

ただ亀は亀でも苛められている、
それも「子供」にだからな……
この少子化の時代に見つかるかな?

と与太話をしていられるのも
今だけだろう……。
八日には第337回公演が開幕し、
来月には次回作も控えている。

まずは『われらの星の時間』
鈴木聡の戯曲を佐藤徹也が演出。
11月8日~18日、俳優座劇場にて。

五階稽古場で芝居創りは大詰め、
六階の制作部も熱を帯びている
・・・ことだろう。
明日からなので推量に留める。

四月に『首のないカマキリ』を
単発でお手伝いした際には、
窓から春の日射しが差していた。

六本木のランドマークの一つ、
俳優座劇場の上に、劇団がある。
(余談だが、劇団俳優座と
俳優座劇場は別会社だ)
地下には居酒屋。おっと、
劇場ロビーとともに一階には
英国風パブの「Hub」もある。

劇場入口が面した大通りの
真裏に伸びる細い路地。
各種事務所、エステサロンに
飲食店などのテナント棟は
普通に考えたら別の建物だ。
が。
六階のテラスで唯一繋がる。
つまり。
演劇制作部や映画放送部のある
フロアの窓は外に向いて広い。
そうしてそこからは、半年前とは
異なる光が降っているに違いない。

まずは地下鉄の定期券を買おう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする