麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

歴史の中での、さぎそう (後編)

2009年02月21日 | 区民上演グループ
 さあ3時間弱で、世田谷区民上演グループ「さぎそう」の『女の平和』の初日の幕が開きます。

 一昨日のブログで、チーム名にはこだわったけれど、全体のネーミング。。。つまり「北沢演劇上演グループ」が「世田谷区民演劇上演グループ」になったことには冒頭素っ気なく触れただけでした。
 今日は、そのあたりから書きます

 世界の「東芝」は「芝浦製作所」から始まっている。

 一地域の「芝浦」から「東京」という大きエリアを冠することは、企業の巨大化への道を辿る一方で失われるものもきっと多くあったと思う……。
 同じように「北沢」という町名から「世田谷」という区を背負う中で、芝居も本格化大型化し、得るものもいっぱいあったのだけれど、同時に喪ったものも残念ながらあったということ。

 唐突に過ぎます?
 しかも、僕のブログっぽくない・・・
 それでもメゲずに書き進めば。

 昨年の『非常怪談』では、釘が使えないホールに立派なセットを組み、玄人にも難解なストーリーに挑んだわけですが、そこには前述の二律背反がありました。

 手に入れたものと手放したもの
 で、ここは一つ、原点に帰ろうと。

 ただ黎明期の「しもきた座うるす」や「しもきた座」を無断借用(?)するわけにもいかないので、区の花の名前「さぎそう」を試しにつけてみた。
 漢字二文字にすると“回帰”。。。こんな側面も「区民A」のニックネーム作戦にはあったりする。

 で。実は。。。
 既に前編を書いてる途中から反省し始めてるのは、こりゃ、明らかに「自分」の中の整理であって、読んでる人々にはチンプンカンプンだろうということ。
それでも尚、ここにこーゆーメモを残しておきたかったのだからしょうがないヨ!と開き直りつつ、いよいよ数時間後に迫った初日の準備にイソシムのである。

 更なる高みを目指して、東演と区民が一緒に芝居を創っていく!という根本は何ひとつ変わっていないのだが、金属疲労はどーしたって起きるから、点検は怠らないでいたい。

 東演の本公演だの抱えて、余り稽古場に顔を出せない中、その年その年のメンバー達は、その年ごとの「個性」を築きながら結束を固め、十分に「劇団」として成立している。
 例年のことで、そんな中、いつも微かな寂しさを感じたりもする。

 今年はトリワケ良い座組だったから。 

 なので、ちょいと距離を置いた所から、大きく進路の逸れないように留意するくらいしか出来ないモドカシさが、チンプンカンプンな戯言を生む。「我慢の隙」からつい零れてしまう。

 『女の平和』の劇中には素晴らしい御神託が出てくるけれど、その前の御小言と思って目をつぶって欲しい。
天気も上々! 
 2400年前の「ギリシャ」へお越しくださいませ。
 

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