麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

歴史の中での、さぎそう(前編)

2009年02月19日 | 区民上演グループ
 本日“さぎそう”こと「区民A」は劇場入りしました。


【文中敬称略】
 
「世田谷区民上演グループ」は、1994年「第4回下北沢演劇祭」から始まった企画。
 地域ぐるみの演劇集団の試みと銘打って「北沢演劇上演グループ」としてスタートしている。

 何につけ、旗揚げは気合が入るというものダ。
 夢も大きい
 2グループのネーミングが「しもきた座うるす」「しもきた座」ってあたりに、それは強く伺われる。
 前者を東演が、後者を本多劇場グループが担当しての産声であった。
 

 そんな勢いを駆って、翌年から3グループに。
 名前も現在の「世田谷区民演劇上演グループ」となったが、各チーム名は素っ気なく1、2、3。
 ただグループ2は脚本・演出に沢竜二を迎える豪華さだった。
 それもそのはず、メンバーは公募ではなく「演劇祭実行委員会」の有志だったようだ(1と3は公募)。

 96年、この年が事実上の“公募3劇団”のスタートとなり、翌年の第7回からA、B、Cに。
 名前は変わっても、3及びCを本多劇場グループが、1またはAを概ね東演が指導し、2ないしBは鳥獣戯画(96)-岸野組(97)-鳥獣戯画(98)-青年座(99、00)-風の子(01、02)・・・と劇団がバトンをつなぎ、それぞれの十八番作品を区民が演じるという形が定まった。

 ちなみに本多劇場グループはメンバーに合わせて書き下ろし、東演は近現代の著名な作品、と3つの棲み分けがなされていたことも“公募3劇団”全体としてのまとまりを醸し出していたと言える。

 時代の流れの中で、予算が減って2グループになったのが2003年。

 僕は2000年『友達』から本格的に制作を務め、新劇系と小劇場系、あるいは翻訳モノと日本の戯曲、時代はシェイクスピアから今まさに活躍中のはせひろいちまで、バラエティ豊かなレパートリー選択に心を砕いた。

 不条理劇=安部公房『友達』の翌年が小劇場系の『ゴジラ』、03年ブロードウェイを舞台にした『ステージドア』から一転、女工哀史を綴った大橋喜一『ああ、野麦峠』へ。現代を描いた扉座の『夢の海賊』の翌年はシェイクイスピアの『夏の夜の夢』・・・ってな並び。

 言うまでもなく僕の一存ではなく、演出家との協議の上。

 というか、本番を迎える頃には、もう翌年の演出家に白羽の矢を立てて「今年はこれだったから、来年はあっちの方向で…」という宿題を課して、夏に「じゃ、これなんかどお?」と持ってきたものを承認するパターンが多かったかしらん。
 
 そうそう。世田谷区民上演グループになった最初の年。
 つまり14年前にグループ1が上演したのが『女の平和』なのである。

 昨年、まったく私的な思いだが、一つの到達点に達したと、区民Aの舞台を観て思い、今年は初心にかえって、再び『女の平和』に挑むことにした!!!

“0からの出発”を、より明確にすべく公式には「区民A」なのだが、ラグビーオーストラリア代表が「オールブラックス」、サッカーブラジル代表が「カナリア」と呼ばれるように、愛称として“さぎそう”を掲げた。

言うまでもなく「さぎそう」は世田谷の区の花である。

 約5ヶ月に渡って稽古を重ねた世田谷区民上演グループA《さぎそう》の『女の平和』は・・・
 いよいよ2月21日、22日に本番である


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