麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

真ん中が抜けている(後編)

2008年08月01日 | 鑑賞
 高橋義孝:著『言いたいことばかり』(新潮文庫)
 『真ん中が抜けている』の文章を読んで思ったことの続き。

 ゴシップやゴシップに近い記事が署名、匿名で沢山のっていて、社会百般の事物で批評の意地悪い目をまぬがれているものは何一つとしてない有様だ。人の好奇心を多少ともそそるような事柄だと、それこそ文字通り尻の穴までぱっと世間に知らされてしまう。つまりすこしでも人の好奇心をそそるようなものは素裸にされてしまう。ストリップ・ショー化しなければ気がすまないのだ。
(以上、前編で引用した文の抜粋)

 ってエッセーに、今のブログの隆盛及び問題が、形こそ違え、既に発表時の今=1955~70年あたりから世情になっていたんだな~、いやはや吃驚!と書いた。

 文章は、そうして日本という国に及んでいく。。。

 日本という国全体をながめまわすと、本来気晴しであり暇つぶしてあるようなことばかりに熱中しているような趣きがありはしないか。ある人間の人物や力量を認識するというようなことよりも、その人間の尻の穴をながめるということの方に熱中しているような。人間は尻の穴でもある。しかし尻の穴すなわち人間ではない。僕には日本という国、日本民族が、あのお菓子のドーナツのように思われてくる。つまり真ん中がすぽんと抜けているのだ。我々はドーナツでいるべきではなく、まんじゅうにならなければならぬ。
(以上、抜粋)

 。。。と締めくくられる。
 ここまで来ると、少々僕の手には余る大きな話になってしまうが
 それでも「尻の穴=人間」は、なるほど言い得て妙だと思う。
 ただそれは僕自身への戒めとして受け止めるのが正当で、余所様に言えるような身の丈ではない。

 同様に「ドーナツではなくまんじゅう」ってのも、肝に銘じたい言葉だ。
 ついついはみ出しちゃう僕としては、それを「餃子」に例えさせてもらおうか。
 餃子のハネは旨い でもまず本体の餃子があってこその美味しさであって、ハネだけでは味気ない

 『真ん中が抜けている』が指摘する本業と暇つぶしでいえば・・・。
 僕にとっての本業の芝居創り。
 具体的には次回担当の作品=『空ゆく風のこいのぼり』で、僕らしい、少々とぼけた味わいをハネとしながら、ギュッと身の詰まったタネの方も美味しく召し上がってもらおうと強く誓ったところである。
なので只今、ボールに肉や野菜を入れて、素手で一所懸命にコネてます。
 お楽しみに
コメント
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