日本の損保業界は、自動車保有の減少、
通販系損保の台頭等もあり再編が加速。
メガ損保三社が誕生した。
「東京海上日動」「損保ジャパン日本興亜」
「三井住友あいおいニッセイ同和」
この三社でほとんどのシェアを有し、
残りを小さな会社群が分けあっている。
と、何だからしくない書き出しになった。
小さな損保の中に「日新火災」もある。
30代前半、日新の自由が丘支店で
研修生を一年、その後代理店になった。
自動車整備会社、不動産などが多い中、
演劇制作との「兼業」という稀有な存在
・・・だった。数年前、廃店した。
尾山台は自由ヶ丘から二つ隣の駅。
代理店の先輩の家もあって、
パーティーに招かれたこともあった。
昨日、久方ぶりに駅に降りたが
まるで違う街並みになっていて、
お宅が右か左かも思い当たらなかった。
駅から伸びる商店街は石畳に。
面白そうなお店もあったり。
環八を渡ると多摩川に向かい、下り坂。
なるほど「台」だものな。
閑静な浄土宗のお寺には五重塔。
それが冒頭の写真。
この更に先に区の施設があり
『月の出を待ちながら』の稽古があった。
帰りは別のルートを歩き、等々力駅に。
昨日のこと。
煉瓦通り・・・
というのは正式な呼称ではないと思うが、
この街のランドマーク・サンプラザや
アキバと並ぶオタクの聖地・ブロードウェイ
とは逆になる南口、つまり丸井本店の
ある側の改札を出て、右。
バス通りを渡ってすぐの緩い坂道。
赤煉瓦を敷いた狭い路地を
僕らは勝手にそう呼んでいた。
とんと昔、結婚する前にかみさんが
中野に随分と長く住んでいたのだ。
先週末、久しぶりに歩いた。
ちょっとした記念に立ち寄る欧風料理の
「らんぐさむ」は健在だったが、
あの頃新顔だった焼肉屋さんが、
今では古株になるほど左右に並ぶ店は
代替わりをしていて隔世を痛感した。
本業は精肉店の夫婦が始めた焼肉店の、
長男が甲子園常連校の部員だというので
高校野球好きのかみさんと親父さんで
話が盛り上がったのは何年前になるだろう。
さて、その坂を上ったのは、
劇場にちらしを置きに行くためで、
その先の街並にも当然変化は見られ、
劇場手前の百円ローソンは
その週頭に閉店したと貼紙があった。
かわりと言っては変だが、
四つの劇場を擁する中野ポケットスクエアの
ほど近くに演劇雑誌「演劇ぶっく」が
移転していることも、その日に知った。
中野から隣の高円寺までさらに歩いた。
座・高円寺で観劇するためだが、、、
古い戸建ての多かった住宅地に
新たに集合住宅が増えて、さらに
新築物件の工事が数ヵ所で進んでいた。
そして残された一軒家の、例えば
こんな日除けが流行した頃があったなぁと。
波形のプラスチックの廂が多いところに、
直射日光を程好くカットするタイプが
格好良くさえあった時代が確かに存在した。
もう少し時計を巻き戻して、
僕が半ズボンの洟垂れで、
日本が右肩上がりだった辺りには
こんな大谷石の塀が世の中を席巻した。
トタンよりブロック、ブロックよりこれ。
ぶらり、中野から高円寺へ……。
四月十八日の昼さがりの話。