Some Like It Hot

お熱いのがお好きな映画ファンtakのつぶやき。
キネマ旬報社主催映画検定2級合格。

欲望

2024-08-19 | 映画(や行)


◼️「欲望」(2005年・日本)

監督=篠原哲雄
主演=板谷由夏 村上淳 高岡早紀 利重剛

かつて同級生だった3人の男女。一人は裕福な夫とのセックスレスに悩み、一人は不倫とされる男女関係にどっぷりの女。そして一人は少年時代の事故が原因で女性と交わることができなくなった男。男の欲望を受け止めてあげたい女の切なさと、抱え込んでいる欲望を吐き出せない男の苦しみが、この映画のクライマックス。

地上波の深夜枠で放送されたもので観たせいか、全体的に暗い映像が残念。ところどころ絵になる場面が心に残るだけになおさら。ラスト近くで、並んで海を見つめる裸の二人を背中から撮る場面が印象深い。

濡れ場は確かにたくさん出てくるのだが、官能的と言うよりも、生々しくて、時に痛々しい。不倫相手の大森南朋が板谷由夏に迫る場面のギラギラした剥き出しの欲望。悩む村上淳に「欲望があるなら私を使って」と抱きしめる板谷由夏。そしてもの言わぬ突然の辛い結末が、物語をいっそう切なくさせる。エロを目的で観ても、この映画には甘美な味わいは皆無。むしろやり場のない気持ちが残るのかも。



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ヤマトよ永遠にREBEL3199 第1章黒の侵略

2024-08-02 | 映画(や行)


◾️「ヤマトよ永遠にREBEL3199 第1章黒の侵略」(2024年・日本)

監督=ヤマトタケシ
声の出演=小野大輔 桑島法子 大塚芳忠 鈴村健一

「ヤマトよ永遠に」のオリジナルが公開された頃、僕は初期のヤマトに思い入れが深い中学生だった。「永遠に」での人物設定に納得できず、続編を連発する製作陣をよく思っていなかったのだ。当時は完全にスルーしていたのだが、大人になってようやく「永遠に」を観た。メロドラマのような愛憎劇とクライマックスの艦隊戦に感動😭。特にサーシャ(潘恵子)の「おじさまっ♪」にキュンキュンきてしまった🥹。大人になったからこそわかることもあるw

さて。リメイク「ヤマト」も遂に「永遠に」までたどり着いた。全7章で公開されるとのことだが、オリジナルにどんなアレンジが加えられているのか楽しみ。「3199」が意味するのは最初の「2199」から1000年後?前作のラストに登場した朽ち果てたアンドロメダ艦は何?そして古代と雪の運命は?そしてサーシャのCVはいったい誰が担当?どんな「おじさまの心には雪さんがいるのね(泣)」が聞けるのか?w

ヤマトシリーズを愛してやまない友達と今回も公開最初の週末に参戦。冒頭からいきなり不穏な空気が漂っている。地球に迫る新たな危機。しかし軍上層部や政府関係者は襲来するのを知っていたかのような態度を示す。地球現れた巨大な黒い物体、ウェルズの「宇宙戦争」を思わせる脚長の巨大メカ。街が破壊される中、政府からは「敵ではありません」というメッセージが流され続ける。一体彼らは何者なのか?そんな中でヤマトの元乗組員たちに集結を促す知らせが届く。

雪が地球に取り残される場面は、オリジナル同様に悲壮感でいっぱい。二人はどうなる!?

それにしても、今回の第1章は冒頭20分くらいが森雪を語り部とした過去作のダイジェストになっている。雪の目線でヤマトのこれまでの航海、そして古代とのこれまでを語ること、さらに本篇最初にプロポーズの練習をする古代を示すことで二人が結ばれることを強く望むように、映画は僕ら観客をリードしていく。

しかし、振り返りまで含む70分の上映時間では、ほんとにプロローグでしかない。せめてヤマトが新たな敵に向けて発進するところまでは…と思わずにはいられなかった。だが「永遠に」は基本メロドラマだと思えば、愛する二人が引き裂かれるところまでで観客を焦らすのは効果的ではあるのかも。

次は11月か…長いなぁ。アルフォン少尉はどんなキャラクターになっているのだろう。ともかく第2章を待つ。





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友情ある説得

2024-06-14 | 映画(や行)


◾️「友情ある説得/Friendly Persuasion」(1956年・アメリカ)

監督=ウィリアム・ワイラー
主演=ゲイリー・クーパー ドロシー・マクガイア アンソニー・パーキンス マージョリー・メイン

本作は、この年のアカデミー賞にノミネートされながら受賞は逃している。他のノミネート作は、「八十日間世界一周」や「十戒」「王様と私」などいかにもスクリーン映えしそうで、非アメリカを舞台とする派手めの作品が目立つ。そんな中で宗教的信条と戦争を描いたクエーカー教徒の人間ドラマは、地味に感じられたのかもしれない。一方で、本作はこの年のカンヌ映画祭パルムドールを受賞している。アメリカ史を振り返り、信条と現実に葛藤するドラマがヨーロッパの好みに合ったのかも。

平和主義で争いを許さず、禁欲的なクエーカー教徒。特にアーミッシュと呼ばれる少数民族で信仰されている宗派である。僕ら世代の映画ファンなら、ハリソン・フォード主演の「刑事ジョン・ブック 目撃者」でアーミッシュを初めて知った方も多いと思う。本作ではクエーカーの教えが他のキリスト教とどう違うのかが丁寧に描かれる。教会での集まりが対比される編集で、オルガンで讃美歌を歌う様子と、静まり返ったクエーカーの集まり。

厳格に教えを守り牧師でもある妻エリザと負けず嫌いで進歩的な夫ジェスも、信じる根本は同じながらも対比される。村の祭りに出かけることや、音楽への興味関心など意見の相違は明らかだ。特に教会に行く道中で馬車の競争をけしかけられる場面は、微笑ましくも、ジェスのキャラクターがにじんでくる名場面。妻には競い合わない馬と交換すると言っておきながら、抜かれるのが嫌いな足の速い馬と交換するエピソードが好き。ゲイリー・クーパーがしてやったり!とニンマリするのが楽しい。「真昼の決闘」「誰が為に鐘は鳴る」の険しい表情が印象深いだけに、このジェス役は人情味があってとても魅力的だ。この数年後にウィリアム・ワイラー監督は、戦車競争シーンで有名な「ベン・ハー」を撮ることを思うと、妙なつながりを感じてしまう。

そんな平和な日々も南北戦争の戦火が迫り、変わっていく。村では銃をとらないクエーカー教徒への反感が高まっていき、長男は従軍したいと言い始める。息子を救いに向かったジェスも、南軍の兵士を前にして葛藤が襲う。「汝殺すなかれ」を戦場で貫く厳しさは、メル・ギブソン監督の「ハクソー・リッジ」ではさらに深刻なビジュアルで描かれているが、本作のゲイリー・クーパーが演ずる心の揺らぎも忘れがたいものになるだろう。

全般的には、牧歌的な冒頭が宗教的な信条をめぐる辛いドラマに変化していく映画。しかし随所に散りばめられたジェスと家族のエピソードは心温まるもの。また、アメリカの歴史をクエーカー教徒の一面から見つめ、少数民族への理解にもつながる作品だ。同じ年の映画が非アメリカに視線が向いていたのとは対照的。今回初めて観て、黄金期のハリウッドだから撮ることができた秀作であることがよくわかった。




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ヨコハマBJブルース

2023-10-09 | 映画(や行)

◼️「ヨコハマBJブルース」(1981年・日本)

監督=工藤栄一
主演=松田優作 辺見マリ 蟹江敬三 田中浩二 内田裕也

大学時代、軽音楽系のサークルに所属して、キーボードを担当していた。鍵盤弾き男子が少なかった時代だったからか、僕は先輩方のセッションに呼ばれることが多く、いろんな経験させてもらった。
😼「柳ジョージ好きだったよな」
🙄「あ、はい。」
😼「「時の流れに」演るから手伝え。カセット渡しとくから」
😀「あの曲いいっすよね。コピーしときまーす。緊張するな。」
😼「2曲目に入ってるやつも演るから。準備しとけな。」
2曲目は松田優作。YOKOHAMA HONKY TONK BLUESだった。

今思うと、どちらも大学生にはなかなか背伸びした選曲だと思う。けれど、あの頃3つ4つ歳上の先輩は、すっごく大人に見えたから、自分が中坊だった頃の大人の音楽を演奏するというだけでも妙にカッコよく見えたものだ。そこにまだ10代だった自分も加わるなんてさ。生意気だ。

YOKOHAMA HONKY TONK BLUESを劇中、松田優作が歌う映画があると後に知った。そりゃカッコいいに決まってるだろ。あれからウン十年。やっと観ることができた。

ブルースシンガーのBJは歌手だけじゃ食べていけないから、探偵の真似事めいた仕事をしている。行方不明の息子を探す依頼を受け、闇社会の"ファミリー"のボスに男娼として囲われていると知る。親友の刑事と会っている最中に刑事は狙撃される。刑事の妻はBJの元カノ。彼とコンビを組んでいた刑事から殺人の疑いをかけられたBJは、暴行混じりの取調べを受ける。やがて事態は麻薬がらみの事件に発展。BJは窮地に立たされる。

けっこう入り組んだ話なのだが、説明になりそうな台詞もない。無言の映像で結末を示す。しかしそれが不親切とは全く思えない。それは絵になるショットの連続と、全編に漂う気怠いムードが実に魅力的だから。クリエイションが演奏する音楽にかすれた優作のボーカル。友人刑事は内田裕也、店のカウンターで渋い顔してる宇崎竜童、ボスの用心棒安岡力也、殺し屋の蟹江敬三、紙を切らしたトイレで絶叫するボス財津一郎、眼鏡屋の殿山泰司まで印象的なキャラクターたち。男娼少年とBJの心の交流も心に残る。

あの曲が流れる場面。

C/E7/Am/C7
F/F♯dim/C/A/D7/G

指がコード進行覚えてた。
これを演ってた若造って、やっぱり生意気だよなぁ😅




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奴らを高く吊るせ!

2023-08-23 | 映画(や行)


◾️「奴らを高く吊るせ!/Hang'em High」(1968年・アメリカ)


監督=テッド・ポスト

主演=クリント・イーストウッド インガー・スティーブンス エド・ベグリー ジェームズ・マッカーサー


マカロニウエスタンで有名になったイーストウッドが、アメリカに戻って撮ったウエスタン。ハリウッド西部劇というと勧善懲悪が基本の娯楽作のイメージが強い。そんな中で注目すべきは、「奴らを高く吊るせ!」が正義というものの脆さを描いている点。それは西部劇の世界で元来最も揺らいではいけないもの。


1880年代のアメリカ、オクラホマ。牛泥棒の濡れ衣を着せられて、縛り首の私刑(リンチ)に遭ったジェド。助けられた彼は判事フェントンに保安官として手伝わないかと提案される。広大な州の犯罪を裁くのに、たったひとつの裁判所とひとりの判事しかいない。合法的な復讐になるとジェドは保安官バッヂを手にする。彼を枝から吊るしたグループを一人一人捕らえていく。しかし犯人の改心など受け付けず、事実だけを理由に法で裁くことに、人情派のジェドは疑問を感じずにはいられなかった。一方、ジェドを吊るした仲間たちは彼を襲撃することを企てる。

死刑判決を受けた犯人たちが町の広場で公開処刑される場面。まるで芝居でも見物するかのように群がる人々。その傍らでは酒が売られ、人の死が見世物になっている。見ていて辛い場面だ。事情や懺悔の言葉も聞かずに吊すだけなら、法の掲げる正義って一体何なのか。そして映画のラストに、判事とジェドはお互いの考えと思いをぶつけ合う。


派手な銃撃戦でスカッとさせる映画ではない。音楽や映像のつくりは、イーストウッドの出世作であるマカロニウエスタンを思わせるが、訴えるものは全く違う。法による秩序の下で、復讐という自力救済が禁じられる世の中になっていく時代を描きながら、正義を貫くことの難しさ、人それぞれの正義について考えさせられる作品。当時の評価は低かったかもしれないが、後のイーストウッド監督作品にも通ずるテーマだけに、今観るとその片鱗を感じることができる。イーストウッドが設立したマルパソプロダクションの第1回作品。






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夜明け告げるルーのうた

2023-06-11 | 映画(や行)

◾️「夜明け告げるルーのうた」(2017年・日本)

監督=湯浅政明
声の出演=谷花音 下田翔大 篠原信一 柄本明

人魚と人間の心の交流の物語とくれば「崖の上のポニョ」がどうしても浮かぶだけに、冒頭からしばらくは「スキ!」の響きがどうしてもチラつく。しかしそれは束の間。すぐに世代を超えた行き違いが理解へと結びつく物語だと気づくことだろう。音楽で人魚のルーと通じ合った主人公カイとその友人遊歩と国夫を発端に、人魚に大事な人を喰われたと主張する老人たち、主人公カイと父親の関係、町をを出て行ったけど戻ってきた人たちの思い、様々なミスマッチが描かれていく。さらなる誤解と人間のエゴがルーや人魚たちを窮地に追い込んでいくクライマックス。物語の上だけでなく、こっち側の僕らの身につまされるようなテーマが幾重にも重なっていく。優しいキャラクターの造形、幻想的な場面では縁どりをなくして絵本のようになる演出に、ほんわかとした気持ちにされるが、物語から滲み出るのは結構深くて重いテーマでもある。しかし爽やかな印象で終わりを迎えられるのは、主人公や周囲の人々の成長物語だからだ。

湯浅政明監督作は水の描写に特徴がある、とよく言われる。本作で人魚のルーが水を自在に操る描写は素晴らしく、四角い水の柱となった海水が宙に浮かびハイスピードで動き、主人公や僕らの視点を非日常へと導く。アニメだからできる表現。ジェームズ・キャメロンの「アビス」の水の描写でも、こんなにワクワクさせてくれただろうか。何度も書いているけれど、大量の水が動く時にドラマも動くのは、日本アニメの王道。「ルパン三世 カリオストロの城」「千と千尋の神隠し」「パンダコパンダ雨降りサーカス」「思い出のマーニー」「つり球」、最近なら湯浅監督の「きみと、波にのれたら」もそうだ。でも「夜明け告げるルーのうた」がすごいのは、その物語の大きな動きだけでなく、舞台となる町までもが大きく変わるところだ。水が町に押し寄せる描写のあと、日無町(ひなしちょう)という寂れた港町に日が差すラストへと、大きな舞台装置の変化まで起きる。それがビターだけど爽やかな感動へと導いてくれる。この作品に根強い人気があるとは聞いていたけど、なるほど納得。

世代をつなぐ要素として、親が聴いていた斉藤和義の「歌うたいのバラッド」がカイに歌いつがれる流れが素敵だ。あのコード進行を耳コピーで弾きこなすのか、国夫やるじゃん♪

「ポニョ」が母性で主人公の気持ちを包み込む話なのに対して、「ルー」は背中を押してくれる父性が描かれているのも対照的で面白い。また、音楽を聴くと尾びれが変化して足になるというシンプルな設定もうまい。ポニョは、シン・ゴジラやバルキリーみたいに三段階だったもんな。




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揺れる大地

2023-05-11 | 映画(や行)

◼️「揺れる大地/La terra trema: episodio del mare」(1948年・イタリア)

監督=ルキノ・ビスコンティ
主演=アントニオ・アルチディアコノ ジュゼッペ・アルチディアコノ アントニオ・ミカーレ

40年代から50年代のイタリア映画には、現実主義的な作風のネオリアリズモと呼ばれる作品群がある。「無防備都市」や「自転車泥棒」と並んで代表作の一つとされるのが本作「揺れる大地」である。ロベルト・ロッセリーニも俳優の演技に頼らず、現地の住民を起用することで知られているが、本作のルキノ・ビスコンティも同様の手法で撮った。

貧しい漁民一家が仲買人に搾取される状況から自立への希望を抱く。市場に自ら競りに行くが騒動を起こして逮捕されてしまう。釈放された主人公は、借金をして加工業を始める。しかし…。

ネオリアリズモ作品がハッピーエンドになるはずもない、という予備知識があって観た。それでも、どうしてここまで彼らを追い詰めるのか、と悲しくて仕方なくなる。貧しい生活をドキュメンタリータッチで撮っていて、モノクロの映像生々しい。元々貴族階級のビスコンティ監督だから、ほんとうにその痛みを理解して撮ってるのだろうかと勘繰ってしまった。でも、とことん気持ちが落ち込む話を見せられて、エンドマークを迎える「自転車泥棒」とは違って、ちょっとだけ希望が見えるラストシーン。それでも海に向かっていく姿が心に残った。

日本では1990年初公開。助監督はフランコ・ゼフィレッリとフランチェスコ・ロージ。




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野性の夜に

2022-11-18 | 映画(や行)

◼️「野性の夜に/Les Nuits Fauves」(1992年・フランス)

監督=シリル・コラール
主演=シリル・コラール ロマーヌ・ボーランジェ カルロス・ロペス コリーヌ・ブルー

1990年代、エイズで亡くなった人々の訃報を何度も聞いた。中でも日本に紹介されて間もないタイミングで亡くなってしまったシリル・コラールは印象に残っている。フランスの歌手で、小説や脚本と多彩な才能を発揮し始めたところだった。モーリス・ピアラ監督作品では助監督を務め、本作は監督、主演、脚本を担当し主題歌も歌う。

遺作「野性の夜に」で彼が演じるのはエイズキャリアの青年ジャン。自分自身を投影した主人公が、エイズ感染から迫る死という現実を受け入れて、少しずつ行動を変えていく物語。自分が感染者だと告げずにローラと関係を持ってしまうジャンに、苛立ちを感じずにはいられない。さらに映画後半には男性の恋人も現れて、ローラは精神が不安定になってしまう。申し訳ないが、主人公に身勝手な男という印象が強く残って仕方ない。それでも一人旅立つラストは爽やかな印象。日々に流されて生きているスクリーンのこっち側の僕らも、一日一日を大事にしないといけないという気持ちにさせられる。

映画自体は唐突な印象を受ける編集やコラール自作曲が、ワンマン映画だけにちょっとナルシスティックに感じられる。それも彼の映画に対する真面目な向き合い方や思い入れの強さだと理解できる。

ただ、避妊具も使わずにローラと関係をもつ場面や、愛してるから病気までも受け止めたいと言わんばかりのヒロインの過剰な言動は、決して褒められるものではない。南野陽子主演作「私を抱いて、そしてキスして」みたいに多少説教くさい映画になる恐れはあるが、正しい知識が伝わるような描写は入れるべきだったんじゃないのか。コラール自身が実際にエイズキャリアだったのに。そう思えるのは、コロナ禍の今だからなのかな。

ロマーヌ・ボーランジェが演ずるローラがとにかく痛々しくって。でも僕はどうもフレンチロリータに弱いもので、この作品後の主演作でお気に入りの一人になるのでした。




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夕ぐれ族

2022-08-19 | 映画(や行)


■「夕ぐれ族」(1984年・日本)

監督=曽根中生
主演=春やすこ 松本ちえこ 蟹江恵三 山本奈津子 竹中直人

1982年。愛人が欲しい男性に女性を斡旋する愛人バンク「夕ぐれ族」が世間を騒がせた。翌年、会社が売春を斡旋していたとして女社長は逮捕され、実刑判決を受けた。そんな事件をタイムリーに映画化した作品。当時にっかつは、三越事件をベースにした「女帝」など実際の事件を扱ったロマンポルノ作品が製作されていた。今じゃ考えられない即応性。

当時僕は中高生だったが、性にまつわる事件が世間を騒がせたことはなんとなく覚えている。その映画化ということよりも、滑舌のいい漫才で人気があった春やすこが主演…!!という驚き。野村誠一が撮ったグラビアでは、テレビで見るのとは違うどこかアンニュイな表情も見せる春やすこにドキッ!とした当時の僕。この映画に少なからず興味はあったのだけど(高校生です)、配信の時代になった今やっと観ることができた。

愛人バンクの女社長を演ずるのは松本ちえこ。テレビであっけらかんと「クラブ活動みたいなもんですよー」と言い放つ。その恋人で仕掛人が蟹江敬三。男優陣は他にもなぎら健壱、岸辺一徳、竹中直人と豪華なメンバー。特に竹中直人は、ベットイン前にブルース・リーの真似したり、コントを見てるように軽い。男女が初めて会った時の合言葉。
「釜山港へ帰れ」
「ラブイズオーバー」
当時のヒット曲のタイトル。笑えるww

お目当ての春やすこは、蟹江敬三を取り巻く女性の一人で、彼に相手にされない腹いせに愛人バンクに登録する女子大生。関西弁で捲し立てるセリフ回しは、漫才のイメージ通りだが、蟹江敬三にからみつくと口調がガラッと変わる。テレビでは見られないオンナが感じられる。こんなんだったのね♡

彼女の父親は、大阪から東京に出張する時に愛人バンクを利用する。事件が報道されて、娘と鉢合わせするラスト。カメラが左右にパンして、元の位置に戻るとお父さんいる…というカメラワーク。お互いがどう愛人バンクに関係しているのか尋ねずに、「大阪帰るんやろ。送ったる」と声をかける場面は、おかしいんだけどどこか情を感じられて好感。

「マルサの女」の本田俊之が担当した音楽がカッコいい。登録しにくるバージン女子が大好きだった山本奈津子。ストーリー上重要な役割。映画全体としては、事件のツボも押さえつつ、ロマンポルノとしてしっかり成立している楽しい作品でした。

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夕陽に向って走れ

2022-04-29 | 映画(や行)

◼️「夕陽に向って走れ/Tell Them Willie Boy Is Here」(1969年・アメリカ)

監督=エイブラハム・ポロンスキー
主演=ロバート・レッドフォード ロバート・ブレイク キャサリン・ロス スーザン・クラーク

キャサリン・ロス目当てで初めて観賞。生粋のハリウッド生まれのキャサリン・ロスは、ネイティブアメリカンの娘を演じている。役者の出身や血筋まで配慮を求める今のハリウッドと違って、こうしたキャスティングが可能だった時代だ。

ウィリー・ボーイと呼ばれる青年がネイティブが暮らす居留区に戻ってきた。かつて恋人ローラの父とトラブルを起こしたウィリー。再びローラに近づくが厳しい視線が注がれ、銃口が向けられる。居留区を見守る立場の監督役のエリザベスはローラの身を案じていた。保安官クーパーは、エリザベスと男女の仲であったが、それはあまりにも一方的で彼女には屈辱的な関係だった。ローラが真夜中に逢引きしているところを襲われたウィリーは誤って彼女の父親を殺してしまう。逃げる二人をクーパー保安官が追い詰める。

名作「明日に向かって撃て!」と同年に製作された映画で、ロバート・レッドフォードとキャサリン・ロス共演というだけで嬉しくなるのだが、こんなゲス野郎のレッドフォードを初めて観た。それに加えて恋人を思ってるのかプライド重視なのかわからんロバート・ブレイクにもイライラさせられる。それでも破滅に向かって突っ走るような、当時のアメリカンニューシネマ的結末は悪くない。特にクライマックス、どこから撃ってくるのかわからない緊張感は、他の映画では味わえない名場面。

ネイティブだけでなく、女性に対する差別も盛り込んだ作品。そして、窮屈な生き方しかできなくなった時代の西部劇でもある。ここには、赤狩りでハリウッドを追われたポロンスキー監督の思いが込められているのかもしれない。



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