Some Like It Hot

お熱いのがお好きな映画ファンtakのつぶやき。
キネマ旬報社主催映画検定2級合格。

私がやりました

2023-11-07 | 映画(わ行)

◼️「私がやりました/Mon Crime」(2023年・フランス)

監督=フランソワ・オゾン
主演=ナディア・テレスキウィッツ レベッカ・マルデール イザベル・ユペール ファブリス・ルキーニ アンドレ・デュソリエ

フランソワ・オゾン監督は、本作を女性をめぐる状況を笑いを交えて描いた三部作の一つと位置づけているそうだ。世代の違うそれぞれが抱える思いが印象的なだった「8人の女たち」、飾り壺のように扱われていた妻が会社で大活躍する「しあわせの雨傘」。そして本作「私がやりました」は、殺人事件に巻き込まれた売れない女優と駆け出し弁護士、2人のヒロインが窮地を逆手に成り上がっていくストーリーだ。

オリジナルの戯曲は1930年代に書かれたものだが、オゾン監督は現代を生きる女性にも重なる生きづらさを加えた。冒頭、ヒロインのマドレーヌは、映画プロデューサーに端役にキャスティングする代わりに愛人契約を結べと言われて怒って帰宅する。ところが、そのプロデューサーが誰かに殺される事件が発生。昨今世界を騒がせたワインスタインの性暴力事件が重なる仕掛けだ。弁護士の友人ポーリーヌと共に疑惑を正攻法で晴らすのかと思ったら、マドレーヌをどうしても犯人にしたい予審判事を利用して正当防衛のシナリオをでっちあげる。そして彼女たちは法廷と言う名のステージで大芝居をして、世間の注目を集めることに。ところがそこに一人の女性が現れる…。

ワインスタインを思わせる件だけではなく、登場する男たちはみんな女性を見下している輩ばかり。法廷で大演説をする検事は「女をつけあがらせるな!」と言い、傍聴する男性から拍手を浴びる。そこにポーリーヌが、男ばかりの陪審員と傍聴席に、社会の厳しさゆえに戦わなければならない女性の立場を訴え、女性からの拍手を浴びる。30年代のフランスはまだ女性参政権もない時代(認められたのは1945年で日本と同じ)。厳しい状況から彼女たちが快進撃を続け、最後にはクズな男たちで笑わせてくれる、ビバ!女性!な物語はなかなか楽しい。

嘘をつき通して世に知れ渡ると勝手に真実と扱われてしまう怖さ。そこを笑い飛ばすのがこの話の肝とも言える。だけど、映画館の暗闇でニヤニヤ笑いながらも「ええんか?」と心の片隅で現実的になってる自分もいるw。

危険なプロット」のファブリス・ルキーニ、「すべてうまくいきますように」のアンドレ・デュソリエ、そして「8人の女たち」にも出演したイザベル・ユペールら、オゾン監督ゆかりのキャストたち。ブロンドとブルネットの髪色のヒロイン。ヒッチコックの「めまい」を愛する僕は、この髪色の対比にどうも深読みをしてしまいがちw。少なくともこの映画では、お互いにない魅力をもっていて、それをお互いが認め合って、それぞれを妬みもしない関係に映る。素敵なヒロインに拍手を贈ろう。




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わんぱく戦争

2023-10-21 | 映画(わ行)

◼️「わんぱく戦争/Guerre Des Boutons」(1961年・フランス)

監督=イヴ・ロベール
主演=アンドレ・トレトン アントワーヌ・ラルチーグ ジャン・リシャール

中学生の頃に手にした雑誌付録の名作映画を紹介する冊子。最後のページで紹介されていて、妙に気になっていたフランス映画が「わんぱく戦争」。2021年にデジタルリマスター版でリバイバル公開され、やっと配信でありつけた。感謝😌

冒頭タイトルバックに流れるのはきっと耳にしたことのある「わんぱくマーチ」。
いーざーゆーけや、なーかまたーちー
めざすはあーのおかー♪
日本語の歌詞がつけられてNHK「みんなのうた」でも親しまれ、90年代にはビールのCMでも使われた。

隣り合う村の少年たちが連日繰り返す喧嘩。お互いの村を罵り合う。「このフニャチン!」と言われて、悪口だとわかるが意味がわからない少年たち。大人に言って反応を見る場面が笑える🤣

捕虜として捕らえた隣村の少年にナイフを突きつける。着ている服のボタンを全部切り落として釈放、ボタンを奪い合う戦争に発展する。大将のルブラックも同じ目に遭うが、母に言われたひと言で妙案を思いつく。

観ているこっち側は、少年のあどけなさを微笑ましく思い、一方で何でそこまで?と大人目線で顔をしかめる。しかし。少年たちの抗争を眺めながら、これは単にお子様の映画じゃないぞ、と思い始めた。

誰が大将として指揮を取るのか、みんなからお金を集めようと意見が出て仲間割れ。これは共和政だぞ、そんな共和政なら王政で結構だ。あー、なるほど。フランス革命という歴史があるからこういうやりとりになるんだな。そのあたりから、この映画は少年や村の大人たちを通じて、現代社会や戦争を風刺しているのだと気付かされる。

子供たちが口にする政治の話だけでなく、ボタン戦争はスイッチ押すだけで核弾頭が飛んでいく核戦争を遠回しに仄めかしている。そして少年たちの抗争がエスカレート。一方が馬やロバを借りてきて騎馬隊で攻め込んだら、相手の大将は父親のトラクターで少年たちが作った秘密基地をぶっ壊す。やられたらそれ以上にやり返す。もはやただの喧嘩ではなくなっていく。これはまさに戦争そのもの。

本作とは違ってもっとシリアスな話だが、筒井康隆のジュブナイル短編「三丁目が戦争です」を思い出した。子供の喧嘩に親が出て、本当の戦争になるストーリー。しかし、「わんぱく戦争」はあくまでもほんわかしたムードを貫く。大人たちも対立し始める場面が出てくるけれど、これは唖然とする結末になる。大人なんて子供と何も変わらない。笑わせながらも、訴えていることはかなり手厳しい。

シナリオは反戦映画の大傑作「禁じられた遊び」のフランソワ・ボワイエと監督の共作。戦場が描かれないのに、子供たちの微笑ましい姿とのんびりした村の風景しか出てこないのに、そこに小さいけれど確かな戦争がある。それは人間の相容れない寂しさ。

度々騒ぎを起こすルブラックは、大人たちにとって手を焼く存在になっていく。寄宿舎制の学校に行かされるのを嫌がる台詞が幾度も出てくる。フランス映画の名作「コーラス」にも問題児が集められた厳しい寄宿舎制の学校が出てくるが、入校するまでには本作で描かれたような経緯があるのだなと納得。映画のラスト、ルブラックに思わぬ出会いが待っている。それはほっこりさせてくれる最高の結末だし、風刺映画としての視点でも、人と人はわかり合えるのだと希望を与えてくれる🥲。

この映画、男児のヌードが出てくることばかりが紹介されがち。その場面は本編のほんのちょっとだし、単に微笑ましい光景にしか見えない。受け取り方はあるとは思うけれど、そのシーンだけに目くじらを立てて、この傑作とそのメッセージを避けてしまうのはもったいない。



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ワイト島1970/輝かしきロックの残像

2023-10-19 | 映画(わ行)

◼️「ワイト島1970/輝かしきロックの残像/Message To Love: Isle Of Wight Music Festival 1970」(1995年・イギリス=アメリカ)

監督=マーレイ・ラーナー

「フェンスを壊すな!」
チケットなしに会場周辺に来ているヒッピーたちに、主催者側が呼びかける悲痛な叫びが耳に残る。音楽フェスの記録映画だが、フェスにやって来る人々の様子が生々しく描かれているのが印象的だ。

ウッドストックをしのぐ規模のロックフェスを追ったドキュメンタリー映画で、ジミ・ヘンドリックスのラストステージが収録されている貴重品。他にも見どころはたくさんある。マイルス・デイビスがキース・ジャレットとチック・コリアを率いて登場したり、エマーソン・レイク&パーマーのデビューステージがあったり。レナード・コーエン、ジョニ・ミッチェル。ドアーズのThe Endや、ムーディ・ブルースのNights In White Satin (サテンの夜)など、演奏する映像を初めて見るものもあって興味深い映画だった。

クラシックロックは時折ブームが訪れる。それらは名曲の掘り起こしでビジネスのひとつ。見直されるのはいいことだし、若いリスナーが増えるのはいいこと。しかしそれらの曲は、まだロックがビジネスではなかった時代の産物。彼らのスピリットにも是非触れて欲しいところ。




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私の奴隷になりなさい

2023-05-07 | 映画(わ行)

■「私の奴隷になりなさい」(2012年・日本)

監督=亀井亨
主演=壇蜜 真山明大 板尾創路

 観てしまった・・・だって、気になって仕方ないんだもん(開き直り)。正直なところ。壇蜜が世に出てきたとき、あぁまた自分を安売りしている女性が・・・と僕は思った。その頃、グラビアアイドルたちは壇蜜の登場で過剰な露出を求められることが多くなったと迷惑がり、世の女性タレントさんたちもやれ下品だとかお下劣だと批判した。確かに過剰なグラビア写真は刺激的で魅力的だが、その多くは男子の好奇心と情に訴えるものだった。彼女の発言や記事、ドラマの脇役での印象的な表情を目にするにつれてだんだんと印象が変わってきた。彼女の発言には人を誘惑する言葉というよりも、人の心に訴える魅力や気遣いがある。心をとらえて放さない魅力がある。単にお綺麗な女性というルックスだけでない。確かに連日マスコミで取りあげられる彼女は、やり過ぎな露出過剰な女の印象だ。だけどビジュアルだけで彼女に夢中になっているのはもったいないと思えてきたのだ。そんな壇蜜が初めて主演した映画がこの「私の奴隷になりなさい」。

 主人公"僕"は転職した新しい職場で綺麗な年上の女性に出会う。彼女は既婚者だが、夫は大阪に単身赴任中。女性にはいささか自信をもつ"僕"は、彼女に執拗に近づいていく。ところが、ある日彼女からストレートな誘いのメールが届く。言われるがままについて行くと彼女はビデオカメラを渡して、行為の間、自分の顔を録画しろと言う。不思議に思いつつも従った"僕"。実は彼女には秘密があった・・・。

 僕は女性がいたぶられる映画が大嫌いだ。例えば団鬼六もの。杉本彩の「花と蛇」はテレビの前で「もうそのくらいにしてやれよー!」と叫びそうになったし(でも停止ボタンを押せなかった・笑)、坂上香織(大好き!)の「紅薔薇夫人」はハードな場面を心から楽しめなかった。それらはあくまで男性目線の願望(欲望)むき出しの作品。本作「私の奴隷になりなさい」は、彼女が"先生"と呼ぶ男(板尾創路、役得!w)による性調教のお話だから、同じように縛られもするし弄ばれもする。しかし根本から違うのは、女性側の目線からもその行為を描いている点だ。「私を先生の奴隷にして」と口にする程にのめり込んでしまった彼女だが、自分が快楽を知ることでそれまでの自分から解き放たれたこと、そしてその歓びを教えてくれた"先生"に対するある種の恋心。壇蜜がいろんな表情をみせてくれる映画。酒場で"先生"と出会ってからだんだんと、その表情も容姿も綺麗になっていく過程が面白い。

 僕がグッときたのは"先生"が"僕"に言う「ゴーリーよりフランシス・ベーコンになるべきじゃないのかね」という台詞。映画の前半で、出版社に務める"僕"は、ダークなファンタジーを描くエドワード・ゴーリーの不気味な絵が好きだ、と言っている。

しかし"先生"は不気味な絵に惹かれるように、未知の秘密やおぞましいことを垣間見るようなことよりも、フランシス・ベーコンの絵のように内面の欲望を自らさらけ出すことが必要なのではないのか、と言うのだ。

そういう意味では性の奥深さを主人公が垣間見るスタンリー・キューブリック監督作「アイズ・ワイド・シャット」に近いものを僕は感じた。「アイズ・ワイド・シャット」では、ニコール・キッドマンがうちひしがれた主人公に「ファックするしかないでしょう」と言い放つ。しょせん男と女はそこなんだ、とキューブリックは僕らをあざ笑うのだ。「私の奴隷に~」のラスト、秘密のすべてを知ってしまった"僕"に、彼女は静かに言う。
「それでもまだ私のことが好きなの?。だったら、私の奴隷になりなさい。」
エンドクレジットの主題歌まで壇蜜が歌う大活躍の映画。このひとことは"僕"に向けられただけでなく、銀幕の前でドキドキしている僕らにも向けられているのだ。

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私の殺した男

2022-10-10 | 映画(わ行)


◼️「私の殺した男/The Man I Killed」(1932年・アメリカ)

監督=エルンスト・ルビッチ
主演=フィリップス・ホームズ ライオネル・バリモア ナンシー・キャロル ルイズ・カーター

第一次世界大戦中の独仏戦で、主人公ポールはドイツ兵ウォルターを殺害した。ウォルターは恋人に宛てた手紙に署名して息絶える。その死に顔が忘れられないポールは、悩んだ末にウォルターの家族を訪ねて許しを乞おうと考えた。まだ敵国への憎悪がくすぶるドイツの町。ウォルターの父親はフランス人男性というだけでポールを激しく罵る。しかしウォルターの墓参りをしていたことで、母親と許嫁のエルザがポールを友人だと誤解してしまう。ポールは一家に歓待され、両親もエルザもポールに好意を抱くようになる。しかし町の人々はフランス男性をもてなすウォルターの家族にも冷たい反応を示す。

エルンスト・ルビッチ監督というとコメディのイメージが強いのだが、「私の殺した男」はシリアスな葛藤のドラマ。だがところどころにユーモラスな表現が散りばめられて、ストーリーに引き込んでくれる。例えば、お喋りなメイドから町中に噂が広まる様子。敵国からやって来た青年と付き合うエルザを見るために、次々と店のドアが開かれるのだが、短いカットで見せた後はドアベルの音が続くことでテンポよく示す。そしてクライマックスの人情ドラマも素敵だ。

しかしその背景にあるのは戦争が引き起こす悲劇。映画冒頭で町をパレードする軍隊を、片足を失った松葉杖の男性の股から撮ってみせる。もうこの台詞なしのカットだけで、状況を理解させてしまう。帰還兵のPTSD描写は今でこそ映画によく登場するけれど、1930年代にこの辛さを当事者の目線でテーマにしているのはすごいと思う。また敗戦国ドイツの人々の感情、一人の人間としてポールを認める父親の言葉、父親の考えに握手を求める帰還兵。戦争がもたらす悲しみとかすかな希望。この映画の製作当時のスクリーンのこちら側は、世界恐慌が深刻さを増していく時代。そして再び大戦へと進むのである。

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わが青春のマリアンヌ

2022-03-27 | 映画(わ行)

◼️「わが青春のマリアンヌ/Marianne De Ma Jeunesse」(1955年・フランス=西ドイツ)

監督=ジュリアン・デュビビエ
主演=マリアンヌ・ホルト ピエール・ヴァネック イザベル・ビア 

ジュリアン・デュビビエ監督作を観るなんて、いつ以来だろう。クラシック好きだった学生時代にビビアン・リーの「アンナ・カレーニナ」やあれこれ観た。特に「舞踏会の手帖」が好き。本作に興味をもったのは、多くの方がレビューに挙げているように、松本零士が好きな映画でヒロインが「銀河鉄道999」のメーテルのモデルになったとか、THE ALFEEの「メリーアン」の元ネタになったとかいう話から。映画冒頭、湖に面した森に霧がたちこめる幻想的なシーンから始まる。
夜露に濡れた/森を抜けて
白いバルコニー/あなたを見た
おぉそれっぽい。いつバルコニーに立つヒロインが出てくるのだろうと思って観ていた。ヒロインはバルコニーに立つどころか、幽閉されてるのにびっくりww。

湖のほとりにある寄宿学校にアルゼンチンから新入りヴァンサンがやって来る。ギターを爪弾き、動物になつかれる彼には不思議な魅力があった。ある日、生徒たちが幽霊屋敷と呼んでいる古城に悪ガキ集団と忍び込んだ彼は、美しい女性マリアンヌに出会う。ヴァンサンは心を奪われ、行動も変わってくる。ヴァンサンを慕う娘が裸で迫っても受け入れない。怒った彼女はヴァンサンがかわいがっていた鹿を殺す。そんな彼の元に幽霊屋敷から「助けて」と書かれた手紙が届く。

男子たちはダブルキャストで、フランス語版とドイツ語版(ヴァンサン役は「荒野の七人」のホルスト・ブーフホルツ)が同時に撮影された。日本ではフランス語版が公開され、今回僕がレンタルDVDで観たのもフランス語版。

結局マリアンヌは実在したのか、僕ら鑑賞者視点だと曖昧で、母と別れて暮らすことになり、しかも母は家庭教師だったいけ好かない男と再婚することで、傷心のヴァンサンが見た幻影なのかもしれない。ラストシーンで再び霧に煙る森と鹿が映されるだけに、動物好きのヴァンサンに森が見せた幻影だった、というファンタジーなのかも。鹿を殺した娘の末路にゾッとする。

しかし、ヴァンサンの目にマリアンヌは、男爵は、用心棒の大男(大相撲の朝潮似)は確かにそこにいた。そう言えば「銀河鉄道999」のラストでメーテルは鉄郎に言う。
「私はあなたの思い出の中にいる女。青春の幻影。」
そうか。この映画のマリアンヌはまさにそういう存在なのだ。


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悪い種子(たね)

2021-11-06 | 映画(わ行)

◼️「悪い種子(たね)/The Bad Seed」(1956年・アメリカ)

監督=マービン・ルロイ
主演=パティ・マコーマック ナンシー・ケリー ヘンリー・ジョーンズ アイリーン・ヘッカート

ナチュラルボーンキラー(生まれついての殺し屋)という言葉もあるし、人の残忍さは遺伝するものという考え方がある。子供の言動を見ていて、「あちゃー、あの頃のオレと同じようなことやってるよ」と思うことは、子育ちしていてしばしばある(汗)。生まれた後の育ち方の問題だけとは思えないことは、確かにあるとは思うのだ。

善悪の区別が希薄な少女に向き合う母親の苦悩を描いた舞台劇の映画化「悪い種子」。「哀愁」や「心の旅路」などクラシックの名作で知られるマービン・ルロイ監督が、1950年代にこうしたテーマを扱っていたことに驚く。異常心理による犯罪映画代表作であるヒッチコック先生の「サイコ」も、子供の驚くべき行動で恐怖する「光る眼」も1960年の作品。サスペンスやSFであるそれらとは異なり、日常に起こりうる怖さだけに、「悪い種子」はかなり挑戦的な作品だと言える。「結末を話さないでください」めいたメッセージが最後に映されるが、同様の注意を宣伝文句に使った「サイコ」より先。

母親が苦悩し始める後半が見ていて痛々しくて、それだけの映画だったら投げ出してたかも。並行して、使用人との腹の探り合い、善良な娘と信じている家主のおばさんとのやりとり、被害者の母親や学校関係者と様々な関係が次々と絡んできて、気持ちが落ち着く暇がない。追い討ちをかけるように繰り返されるピアノのメロディ。驚愕の結末まで目が離せない。舞台劇の映画化だからなのか、カーテンコールのようなエンディングが付け加えられている。



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ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ/天地大乱

2021-08-15 | 映画(わ行)






◼️「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ/天地大乱/黄飛鴻之二: 男兒當自強」(1992年・香港)

監督=ツイ・ハーク
主演=ジェット・リー ロザムンド・クァン ドニー・イェン ホン・ヤンヤン

リー・リンチェイ、もといジェット・リーが実在の英雄ウォン・フェイ・フォン(黄飛鴻)を演じたシリーズもの。初めて観たのが本作。いっやー今まで観ていなかったのが悔やまれる。面白いわ。何よりも脚本がいい。

勧善懲悪に終わるのがこの手のアクション映画の常套手段だけど、この映画の登場人物は、単純に2つに分けられない。外国人を排斥しようとする白蓮教団、白蓮教に手を焼いているが外国とはうまくやらなきゃいけない清朝の役人たち、革命を起こそうとしていることから清朝の役人達に追われる孫文たち、そしてともかく善を貫く我らがウォン先生。立場の違うこれらが入り乱れていく面白さ。

単純な2つのグループのバトルに終わらないから、クライマックスは危機また危機で息つく間もない。さらに激しいアクションと弟子フーとのユーモラスなやりとり、ロザムンド・クァンとの恋まで加われば、娯楽映画の要素のすべてがある。そう言ってもいいかもしれない。

今ではこの映画のような時代劇は製作されることすら少なくなったのは悲しむべきことだ。それ故にこの映画の輝きはいっそう強くなる。白蓮教団のクン大師との対決は、ワイヤーワークを駆使して見事な見せ場になっている。机を積み重ねた祭壇の上での決闘は、手に汗握る名場面。そしてラストを飾るドニー・イェン扮する提督との対決。平面に収まらないバトルフィールドは香港映画おなじみの竹の足場を使ったアクロバティックなものになっている。二人の対決はチャン・イーモウ監督の「HERO」で再び見ることができる。この「ワンチャイ」を見たら、他の映画でドニー・イェンが棒術使いというだけでお涙もの。その一つが「ローグ・ワン」だったりする。



映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ 天地大乱』予告編


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ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ/天地黎明

2021-08-13 | 映画(わ行)






◼️「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ/天地黎明/武状元黄飛鴻」(1991年・香港)

監督=ツイ・ハーク
主演=ジェット・リー ロザムンド・クァン ユン・ピョウ ジャッキー・チュン

ジェット・リーが黄飛鴻(ウォン・フェイフォン)を演ずる「ワンチャイ」シリーズ第1作。この第1作を見ると、医師で武術家であったフェイフォンの人柄や偉大さがよーくわかる。いかに庶民や弟子に慕われていたのか、武術家として一目置かれていたのか。ジャッキー・チェンの「酔拳」で、若き日のフェイフォンしか知らない映画ファンには、これは是非観ておいて欲しい。後にサモハン・キンポーが「燃えよデブゴン7」で演じた、弟子の"肉屋のウェン"も登場。ヒロイン、ロザムンド・クァンとの淡い恋愛要素もちょうどいい具合で、アクション映画の面白い流れにうまいスパイスになっている。

清朝末期、欧米列強の租界が存在する中国が舞台だけに、歴史的な背景にも注目して欲しい。第2作は白蓮教徒や孫文も出てくるから世界史の授業には格好のネタです!本作でも一方的に締結された不平等条約がいかに酷いものだったのか、ゴールドラッシュをネタに労働者を募る様子など、英米人の横暴ぶりが描かれる。果たして拳は銃に敵うのか。変わりゆく時代が感じとれるのではなかろうか。

最大の魅力はアクションシーン。とにかく他の映画では見られないアイディア満載。平坦な広場で技を繰り出すカンフーアクションはもちろん面白いけれど、この映画の上下の空間を駆使した演出は素晴らしい。冒頭の船上のロープを駆使した獅子舞から始まって、クライマックスの倉庫での死闘まで飽きることがない。特に倉庫でハシゴを駆使したスリリングな場面は、輸出品の綿花が詰められた積荷をトランポリンのように駆使する見事さ。第2作「天地大乱」の竹足場のアクションシーンも素晴らしかったな。



映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ 天地黎明』予告編


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笑う蛙

2021-02-18 | 映画(わ行)

◼️「笑う蛙」(2002年・日本)

監督=平山秀幸
主演=長塚京三 大塚寧々 國村隼 南果歩

会社の金を横領して逃亡中の主人公は、身を隠そうと妻の実家が所有する別荘に行くが、そこで妻とバッタリ。自首を勧められるが、離婚届にサインすることを条件に1週間だけ納戸に匿ってもらうことになる。次々に訪れる人々と妻との会話。親族だけでなく、夫の浮気相手や、夫の行方を追う警察もやって来る。そして妻の恋人も現れる。主人公は二人の情事を壁一枚を隔てて聞くことになり、再び妻への思いが高まっていく。

狭い舞台で静かに進む物語。そこで描かれるのはちょっとおかしな人間模様と人生の悲喜劇。年齢を重ねてからの方が、身に染みて楽しめる映画かもしれない。

主人公を演ずる長塚京三は、昔からテンパってドギマギする表情が上手い人。会社の飲み会後に、部下の女性にドキッとすること言われるサントリーのCM好きだったな(古い…年齢バレそう💧)。ここでも男の単純さ、意思の弱さが見事。大塚寧々の演技は淡々としているけれど、むしろ彼女のキャラクターあってのこの妻役かと思う。脇役には雪村いづみ、ミッキー・カーティス、國村隼、南果歩、きたろうと芸達者を揃えているのが飽きさせないうまさ。シリアスな話なのかと思いきや、映画の後半はジワジワと可笑しさが増していく。

雨が降ってきたので洗濯物を取り込もうと納戸から出てきた夫の目の前に、妻の恋人が現れる場面は、サスペンスとコメディが融和したような名場面。恋人との情事を夫が覗き見している場面では、妻が夫に聞かせる為にベッドでわざと大きな声をあげる。緊張感とニヤリとする可笑しさが同居する場面が随所にあって好感。

ラストの大塚寧々が見せるしたたかさ。ネタバレ防止のために詳しくは書かないが、実は夫を思っての言動ともとれるだけに、その微妙な感じが、不思議な余韻を残す。そして最後にナレーションで語られるその後の出来事。映画館ではあちこちから笑い声が聞こえていた。



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