Some Like It Hot

お熱いのがお好きな映画ファンtakのつぶやき。
キネマ旬報社主催映画検定2級合格。

セラフィーヌの庭

2011-09-30 | 映画(さ行)

■「セラフィーヌの庭/Seraphine」(2008年・フランス=ベルギー=ドイツ)

監督=マルタン・プロヴォドス
主演=ヨランド・モロー ウルリッヒ・トゥクール アンヌ・ベネント

●2009年セザール賞 作品賞・主演女優賞・脚本賞・撮影賞・作曲賞・美術賞・衣装デザイン賞
●2010年全米批評家協会賞 主演女優賞
●2009年LA批評家協会賞 主演女優賞

画家というか芸術家の伝記映画は名演、熱演が特に多い。思い浮かぶだけでも「炎の人ゴッホ」のカーク・ダグラス、「カミーユ・クローデル」のイザベル・アジャーニ、「マイ・レフト・フット」のダニエル・ディ・ルイス、「モンパルナスの灯」のジェラール・フィリップ、「赤い風車」のホセ・ファーラー、「北斎漫画」の緒方拳。まだまだある。多くの人に知られる実在の人物を演ずるのは確かに力もこもるだろう。だが、役者にとってはたった一人で自分の作品に立ち向かう孤独な戦いを演ずることになる。「美しき諍い女」みたいに美しいモデルこそいるかもしれないが、役者自身も相手役とのかけあいもない孤独な戦いだ。狂気にも似た執着心、美を追い求める執念。観る側の僕らはその作品に込められた芸術家たちと、その人物に魅せられて映画を製作した人々の思いを知ることになる。それは映画が娯楽でなく総合芸術として、美術とコラボする幸せな瞬間。

セラフィーヌ・ルイは20世紀初めに数々の作品を描いたフランスの女性。お屋敷の家政婦として働く貧しい女性だった。信心深い彼女は神から絵を描くようにとのお告げがあったことをきっかけに独学で絵を描き始める。植物や果実を描く彼女の素朴な絵。お屋敷に間借りしてきたドイツ人の画商ウーデは、セラフィーヌの絵を見て感銘を受け、彼女に絵を描き続けるように勧める。貧しい自分をからかっているのだと感じていたセラフィーヌも次第に彼の言葉に夢を膨らませるようになる。しかし、第一次世界大戦が勃発。ドイツ人であるウーデはフランスを追われることに。戦後ウーデと再会し、金銭的支援を受けて絵に没頭するセラフィーヌだったが、次第に心のバランスが崩れ始める。

この映画の最大の魅力は、何と言ってもセラフィーヌを演じたヨランド・モローの演技。「アメリ」や「ミックマック」で印象的なバイプレイヤーとして知ってはいたが、この主演作では素晴らしい演技をみせる。無垢で純粋な女性の役だけに、全編で表情が次々に変化する。ウーデに接するとき、自然に触れるリラックスしたときに魅せる独特の優しい笑顔。絵筆を手にしてから険しい表情。天使に語りかける場面のトリップしたような表情。精神のバランスを崩してからの怒りの表情。精神病院での無表情。笑顔が失われていくラストは何とも言えない寂しさを感じる。

この映画を語るには言葉が足りない。それは視覚で魅せる映画だからだ。この映画を前にして僕らは評する言葉を選べない。映画を通じてこうした女性画家がいたことを知る喜び。それはもちろんだが、彼女が遺した作品を眼にする喜びは言葉で表現することが陳腐に思えてくる。



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今日の映画台詞・9月28日(水)のつぶやき

2011-09-29 | 今日の映画台詞
00:01 from Twitter for iPhone
今日の映画台詞◆

「今の日本にあるのは汚い金と燃えないゴミくらいだ」
「クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」(2001)


◆懐かしい昭和の香りで未来を否定する結社イエスタデイ・ワンスモアのリーダー、ケンの台詞。津嘉山正種の声で僕らの心はクロス・オーバー・イレブン。
by t_somelikeithot on Twitter

「クレヨンしんちゃん」のこの頃の劇場版を観る度に思う。今の日本映画界で家族の絆をここまで描いているものって他にあるだろか?思い出しても涙腺がゆるんでくる。

この年齢になってツボなのは、父親のはらひろしの台詞。
「オレの人生はつまらなくなんかないぞ!」
そうそう。みんなそう思って生きていく。

傑作「アッパレ!戦国大合戦」では
「しんのすけのいない世界に何の未練があるんだ!」
これ、マジで泣きそうになったっけ。

映画 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲 [DVD]


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今日の映画台詞・9月26日(月)のつぶやき

2011-09-27 | 今日の映画台詞
12:55 from Twitter for iPhone
今日の映画台詞◆

「無駄な才能も役に立つときがある」
「プラネット・テラーinグラインドハウス」(2007)


◆タランティーノとロドリゲスのB級コラボ。片足マシンガン娘になった主人公がその才能で大活躍するラストは拍手もん!しかし、僕は血しぶきホラー大嫌いなくせに、劇場で観た愚か者!
by t_somelikeithot on Twitter

ホラー嫌いなくせに観たのは、タランティーノとロドリゲスの過剰な映画愛に負けたから。タランティーノの「デス・プルーフ」もにやっとさせる台詞やセンスが面白かった。

タランティーノはクレイジーな兵士役で「プラネット・テラー」に出演。こんな台詞をヒロインに向かって言う。
「お前!エヴァ・ガードナーに似てるな!」
これも愛。きっと愛。

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セカンドバージン

2011-09-25 | 映画(さ行)

■「セカンドバージン」(2011年・日本)

監督=黒崎博
主演=鈴木京香 長谷川博己 深田恭子

僕は日頃民放のテレビドラマをほとんど見ない。タレントと歌手と役者の境界線があいまいで、日頃ヴァラエティでキャアキャア言われてる連中が主役を張ってるドラマにほとんど興味がわかないのだ。おまけにその劇場版なんて、もはや映画とは言えないと心底思っていた。そんな僕が毎週真剣になって、原作本にも手を出したNHKドラマが「セカンドバージン」だった。17歳年下男性との恋愛、スキャンダラスなストーリー展開、自信にあふれたキャリアウーマンが恋で自分をさらけ出していく姿・・・主役の二人だけでなく、深田恭子、出版社社長の段田安則といった魅力ある人々も物語を一層深くしてくれた。誰かに語らずにいられなくなるドラマだった。ここまでハマってしまった自分にいちばん驚いたけど。

さて、その劇場版。何故か日頃一緒に映画に行かないわが配偶者も一緒に行くと言う・・・(監視?)。あれ?劇場内は異常に年齢層が高い・・・年配男性一人とか、超熟年カップル、中年女性の二人連れ・・・少なくとも夫婦50歳割引使ってる?と思うくらいの人が圧倒的に多い。NHKのドラマだったから?。それはさておき、テレビドラマのストーリーを2時間でおさらいする内容ではなく、ドラマではあいまいに描かれていた行さん(長谷川博己)との最期の日々が克明に綴られる。なるほど、視聴者が納得いかなかったのはそこだったのか。チャイニーズマフィアに撃たれてしまいました・・・くらいだったもんね、テレビ。もっと行さんが見たい!という女性ファンの要望があったのだろうけど。一方で週刊誌では鈴木京香が過去最大露出などと騒ぎ立てていたけど、あっけない。テレビの方が制約がある分だけ工夫があって面白かった。ほぼ全編マレーシアの小さな病院が舞台で、死を待つ行とるいの最期の日々が描かれるのだ。

テレビシリーズを見ていることが前提でないと厳しい映画かもしれない。二人の出会いや出版社の敏腕編集者として活躍したるい、時代の寵児となった行の日本での姿は完全にダイジェスト。そのあたりのつかず離れず、一進一退の関係にハラハラドキドキさせられただけに、僕は正直物足りなかった。過去のシーンでとても印象的なのは、二人が海辺でデートする場面。るいが「はぐれそうな天使」をハミングしながら海を見る。行はその曲を知らない。
「1985年ってまだ生まれてなかったの?けっこう流行った曲なんだけどな。」
「ずるいよ。るいさんが知ってて僕が知らないことがあるって。その曲教えてよ。」
映画館ではそのメロディーが聴き取れず、正直何の曲かよくわからなかった(エンドクレジット見るまでその曲と気づかなかった)。せめて口ずさんでくれないと・・・ここは演出に文句をつけたいところ。年の差カップルにありそうな会話だし、恋に突き進む幸せを感じながらもるいの心のどこかにある不安。それが「はぐれそうな天使」を使った意図なのかな。

「あなたが行クンとのエッチが欲しかったのよ。」と妻(深田恭子)に罵られるるい。しかしどんな状況の行をも受け止めるるいの姿は、恋愛という炎をくぐり抜けた後の女性の愛情。僕の大好きな映画である「コレリ大尉のマンドリン」(2001)で、「恋の気持ちが燃え尽きた後、それでもくすぶるものとして残るのが愛」という台詞がある。鈴木京香が演じた劇場版の中村るいはまさにその愛を体現する役柄だったのか。鑑賞後1日経ってそんな風に思えるのだ。倖田來未が歌う主題歌「愛を止めないで」が流れるエンドクレジット。「愛してる/あなたごと全部」という歌詞が心に残るのはきっとそのせい。

されど、これはあくまでテレビドラマの結末。劇場版は単独の映画としては成り立っていないと思うのね。「セカンドバージン」というタイトルである意味はやはりテレビドラマのストーリーでこそ生きている訳で、ストーリー上で最期の日々を描く劇場版ではおまけにすぎない。わが配偶者は映画館を出て「不完全燃焼なんじゃない?」と言った。僕もその時は確かにそう思えた。しかしすべてを超えてなおくすぶり続ける中村るいの愛情こそが、この劇場版のテーマなのだ。激しい性愛シーンがストーリー上必要なの時期はテレビシリーズで既に過ぎている訳で、そこを劇場版で期待するのは観る側の勝手。死を前にした二人が何を語ったのかというドラマの謎解きこそがこの映画の狙いなんだから。ラストシーンの「愛する人を覚えておくのは、死への反逆」という台詞もよかった。



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聖夜 School and Music

2011-09-24 | 読書
夏休みに入る頃、僕は子供を連れて本屋に行く。読書感想文の宿題の為にいわゆる課題図書を買うためだ。毎年読書感想文全国コンクールの課題図書を選ぶ。僕は小学生の時に母親と一緒に読んで親子で感想文を応募したことがある。これまでも読書を通じて子供と話題がつながる経験をしてきた(過去のブログ記事参照)。配偶者アミダラMが原稿用紙に向かう宿題があるとビビリまくる活字嫌いなヤツ。なので、感想文の宿題にアドバイスを出せるのは我が家では僕が担当なのだ。今年もルーク(中1)とレイア(小5)を連れ立って本屋さんへ。平積みされた中からルーク用に選んだのは、佐藤多佳子作「聖夜」。
聖夜 ― School and Music聖夜 ― School and Music
佐藤 多佳子

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父親は神父、別れた母親はピアノ弾き。母を嫌いながらも、鍵盤と音楽から心が離れない主人公。ミッション系高校でオルガン部に所属する彼の心の動きを綴った物語だ。ルークは家族の中でアミダラをやや敬遠していて、形だけ?ピアノ習ってたし、音楽は好きだ。何か心に響くものがありゃしないか・・・と選んだのだが、正直言うと僕が読みたかった(えへ)。

ティーンエイジャー男子の言いようのないいらだちや反抗心、親への気持ちが”心の言葉”で綴られている。口には出さない主人公の心の動きが一行一行並べられた行間に、いつしか吸い寄せられているような自分がいた。その表現はとても丁寧。例えば後輩の女子に告白される場面。恋する気持ちになれない理由は、フィーリングの違いだとか曖昧な言葉でごまかされない。一方で同じ後輩の天野に対する気持ちは、天性の演奏の巧さを認める存在だし音楽に関しては理解者の一人かもしれない。しかしなまじ理解者であるがゆえに厳しい言葉をついつい発してしまう。天野には音楽を介したつながりを感じている。この微妙な心情が的確に伝わってくる。文章が読む僕らの気持ちに訴えてくる。自分を捨てた母親とそれをも赦してしまっている父親へのいらだち。悪さをしなかった父親、人を導く神父である父親へのいらだち。その父母についての祖母の台詞「人を傷つけない悪さをしなさい。」も心に残る。

確かに引用されている音楽は、バッハ、メシアン、メンデルスゾーンから、キース・エマーソン、スティーリー・ダン、チック・コリア、ラリー・カールトンと幅広く今どきの中坊が読むには「?」の連続かもしれない。しかしこの本が読書感想文コンクールの課題図書に挙げられたのは、リアルタイムでティーンの彼らが抱えている思いが共感できる文脈があるからだ。40歳半ばの僕が読んでも、あの頃の気持ちを思い起こさせてグイグイ突き刺さってくる文章。これを中高生の頃に読んだら、代弁してくれたような気持ちになれるのではないだろうか。

演奏についての描写にも僕は引き込まれた。オルガンの持続音とピアノの減衰音の違いと、鍵盤のタッチの差。オルガンは強弱ではなくキーを離すタイミング。弾いた人ならうなづけるところだし、そうでない人には同じ鍵盤楽器でも必要な技術が違うことを物語の最初で示してくれる。僕もバンド経験ある鍵盤弾きだが、オルガンの音色を使うときは何か特別だった。前面に出る音、離せば途切れる音。サスティンペダルでごまかせない。それだけに自分の音に責任を強く感じながらプレイしたものだ。

本の後半で、音楽でひとつひとつ生まれた音が人の生である、音も人も記憶にしか残らない、という表現がでてくる。触れれば音が出るオルガンだが、鳴らし続けるにはキーを押し続けるしかない。どう記憶に残るかはキーを押し続ける人の鳴らし方次第だ。クリスマスコンサートの演奏が終わる瞬間の名残惜しい気持ち、音楽に向かう素直な気持ち。その高揚感を綴った部分だけ何度も読み返したくなる。

「神を信じられない」と言った主人公だが、コンサートで響き続ける音の中で、彼の心から発された言葉は”神様”。帰り道にみんなで唄う賛美歌。僕は信心深い人間ではないけれど、この本を読んで思った。自分が心から信じるものを称えたいと思う気持ちが、”神様”なんだろうって。主人公が選曲した「神はわれらのうちに」。それが呼応するラストは見事だ。いい本を読ませていただいた。ルークは「ようわからん」と一言評した。うちの片隅にあるCD棚にあるEL&Pにいつか手をだして聴いたとき、「これか!」って思ってくれれば僕は満足だけど。

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今日の映画台詞・9月21日(水)のつぶやき

2011-09-22 | 今日の映画台詞

22:41 from web
今日の映画台詞◆

「深ーい深い海の底。ウチはそこから泳いで来たんや。あんたとこの世でいちばんエッチなことをするために。」
「ジョゼと虎と魚たち」(2003)


◆原作がしっかりしてるからか、台詞のひとつひとつが強く胸に迫る。ひと言ひと言をこれ程真剣に受けとめて観た映画ってあまりない。
by t_somelikeithot on Twitter

田辺聖子の原作は未読だけど、映画には心に残る台詞がたくさん出てくる。

おばあが障害者であるジョゼを
「この娘は壊れもんや。」
と呼ぶのもそのひとつ。冷たいようでどこか愛情を感じる表現ではないだろか。

妻夫木聡扮する主人公がジョゼと結ばれる直前の台詞
「あ、なんか涙出そう・・」
ってのも何か実感が感じられる。口には出さずともそう感じる瞬間ってあるよね。

「帰れ!「帰れ」と言われて帰るようなやつは帰れ!」
これもインパクトありました。この後ジョゼは抱きついて「帰らんどって・・・」って言うのだけれど、感情がほとばしるいい場面。

この「帰れ!~」って台詞は僕も実生活で何度か使ったことがある。学生に面接指導していて、ちょっと厳しめの言葉を吐いたのさ。
「就職する気があるのか?やる気ないんなら帰ってしまえ!」みたいな。
すると当人が逃げて帰ろうとするので・・・(ジョゼの台詞を引用)。
効果ありますよぉ(笑)。

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今日の映画台詞・9月20日(火)のつぶやき

2011-09-21 | 今日の映画台詞
00:05 from web
今日の映画台詞◆

「このまま帰ると緊張がほぐれず気持ちが食い違ったままだ。キスで緊張を解いてから食事だ。」
「アニー・ホール」(1977)


◆ウディ・アレンとダイアン・キートンのキスシーンから。
ウディ・アレン大先生は私生活でもこの手でキスを迫ったんだとか。
アレン映画は恋愛の偉大なる参考書。
by t_somelikeithot on Twitter

ウディ・アレン映画はそれぞれに男と女について考えさせられる。
オスカーを獲得した名作「アニー・ホール」は
”ノーマン・ロックウェルの絵みたい”と評されたダイアン・キートンのファッションも素敵だったね。

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モールス

2011-09-19 | 映画(ま行)

■「モールス/Let Me In」(2010年・アメリカ)

監督=マット・リーヴス
主演=コディ・スミット・マクフィー クロエ・グレース・モレッツ イライアス・コティーズ

 スウェーデン映画の秀作「ぼくのエリ 200歳の少女」を「クローバーフィールド/HAKAISYA」のマット・リーヴス監督でハリウッドリメイク。今年の1月にオリジナル版を観て僕はとても感動していただけに、ハリウッドリメイクにかなり不安があった。折しも「トワイライト」シリーズでハリウッドはハーレクインロマンス的ヴァンパイヤブーム。ハリウッドリメイクは決して成功作とは限らない現実もあるし、少年少女の恋愛を軸に軽ーい映画になっちまったらどうしよう・・・。実際に設定年齢を引き上げてその線を狙う企画も出たらしい。が、リーヴス監督がオリジナルの年齢にこだわったと伝えられる。オリジナルのイメージを損ねたくない僕は、その話を聞いて"わかってる"人が撮るのなら期待できるのではないか・・・と、自分の中の観たい映画リストに名を連ねて地元での公開をひたすら待った。そして2週間限定公開・・・行くしかないでしょう。

 強引なハッピーエンドに持って行かれるかと思ったのに、オリジナルを尊重されているのは嬉しかった。まったく同じストーリーを違ったキャストで撮っているようなリメイクなので、どちらが好き?と言われたら先に観た方の先入観が勝ることになるのではないかと思う。オリジナル版にあった、北欧の寒々とした閉鎖的な空気感と主人公の孤独感。ハリウッド版が過去のツーショット写真を見せたり、事件を追う警察官が強調されていたりと工夫されていること。それぞれの良さも光っている。スペイン映画「オープン・ユア・アイズ」のリメイク「バニラ・スカイ」や、フランス映画「ニキータ」のリメイク「アサシン」は、それぞれに監督の個性が発揮されていた。それからすると「モールス」はオリジナルや原作小説のよさをマット・リーヴス監督が十分理解した上でのリメイクとなっている。だがそれ故に、新しいものを求めて観た人には期待には違わないが物足りなさを感じるかもしれない。結局、先に目にした方が勝ち・・・かもしれない。個人的には、鑑賞後に論議を呼んだボカシ場面の謎(=物語の核心)がハリウッド版ではどうでもよくなっているのが、やや不満。しかし一般に受け入れられやすく少年少女と最後まで思わせておく方がよいというハリウッドらしい選択なのだろう。

 主人公オーウェンを演じたコディ・スミット・マクフィー君は、色白の自信なさげな感じがよく出ている。昔ならヘンリー・トーマスやルーカス・ハースあたりが演じそうな役柄を、上手に演じている。注目の若手クロエ・グレース・モレッツ嬢は、「(500)日のサマー」の脇役でも強烈な印象を残したが、ここでも説得力のある演技。彼女の可憐なルックスだから、オリジナル版にあった「本当は女の子じゃない」という実は物語の核心がどうでもよくなったとも言える。「女の子じゃなくても、私のこと好き?」と聞く場面でも、"だって、女の子じゃん!"と観客は疑いすらもてない。結局好きずき・・・とも言えるリメイクなのだが、僕はハリウッド版も好き。それは舞台が80年代に設定されていて、カルチャークラブが流れたりパックマンが登場したりするから?




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ダイヤルM

2011-09-18 | 映画(た行)




■「ダイヤルM/A Perfect Murder」(1998年・アメリカ)

監督=アンドリュー・デイビス
主演=マイケル・ダグラス グウィネス・パルトロウ ヴィゴ・モーテンセン デビッド・スーシェ

※ネタバレ注意
 アンドリュー・デイビス監督の「逃亡者」(1993)が僕は大好きだ。オリジナルのテレビシリーズを見ていないから、先入観なしに映画にのめり込むことができたのは、一因ではあるだろう。でもあの映画がただのサスペンス映画でなく「傑作」と世間で評されるのは、主人公である”追われる者”の正義だけを一方的に描くのではなく、後にスピンオフ作品まで製作された”追う側”の正義もきちんと描いたからだ。「沈黙の戦艦」もけっこう好きだったな。

 さて「ダイヤルM」。アルフレッド・ヒッッチコック監督作「ダイヤルMを廻せ!」(1954)のリメイク・・・ということになっているが、実際はストーリーの一部を拝借しただけでまったく別の物語と思った方がよい。僕はヒッチコックの大ファンなので、今回は「逃亡者」とは違って先入観がある状況。ヒッチ版と比べると話はすごく込み入っていて、妻の愛人(ヴィゴ・モーテンセン)には犯罪歴があったり、夫(マイケル・ダグラス)の経済的状況が描かれていたり。観ていて面白いのは、妻と夫、妻の愛人の三者の形勢が常に入れ替わり、誰が優位に立つのかシーソーゲームのように展開していくところだ。ただ、駆けつけた刑事さんに妻が説明してめでたしめでたし・・・というあっけない幕切れは拍子抜け。愛人の素性を知って、彼女の愛情が揺れる様子がもっと見たかった。また、クライマックス、マイケル・ダグラスが証拠になる「鍵」をどうにかしようとする行動は軽々しいし、あれだけ脅された証拠テープの扱いがあまりにもお粗末。そこまでは頑張ってる映画なのに、あれでは「完全犯罪」のタイトルが泣く・・・。

 金の為なら女房も殺すマイケル・ダグラスの役柄は、「ウォール街」(1987)のイメージが念頭にあるだけに納得しやすいキャスティングと言えるだろう。ヒッチ版のグレース・ケリーにあたるのがグウィネス・パルトロウ。同じブロンド美女というのはヒッチ版へのオマージュ?とも思えるが、怖い目にあって振り回されただけのグレース・ケリーとは違って勇気ある行動をとって謎に迫るのは当世風とも言える。愛人役ヴィゴ・モーテンセンは、指輪物語とは違ったイメージでなかなか。刑事役がテレビ「名探偵ポワロ」シリーズのデビッド・スーシェってところが、ミステリーファンには嬉しい。

 それにしても邦題の「ダイヤルM」は、プッシュ回線の今となってはもはや通用しないタイトル。配給会社によほどヒッチコックへの愛着があって、ヒッチのリメイクと言えば動員につながる?と踏んだのかもしれないけれど、ヒッチ版を念頭にして観たせいで見劣りした人は確実にいると思うのだ。映画にはそれぞれの魅力があるはず。この映画に関しては別な邦題が望ましかったのではないだろうか。なぜって、アンドリュー・デイビス監督が本当にヒッチコックへのオマージュを考えていたならば、台所で妻が襲われる場面は同じカメラワークを狙ったと思うから。伊丹十三監督が「マルサの女2」で見事なまでに真似したように。



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9月17日(土)のつぶやき

2011-09-18 | Weblog
21:51 from web
元同僚のミキスケさんちに男の子が生まれた。
病院に会いに行きました。
新生児って癒されるね~。

山下達郎のYour Eyesを歌いながら抱っこするご主人。

自分に子供が生まれたときに、
分娩室で流れていたクラプトンのMy Father's Eyesを思い出して、
ちょっとジーンとしてました。
by t_somelikeithot on Twitter

人生のどんな場面にも音楽がある。これもそんな一場面なのかもしれませんな。
君の瞳と父の瞳。
お互いにどんな景色が見えたんだろう。

赤ちゃんの姿を見るのって癒される。
うちのルークとレイアもこんな時期あったんだよねー。
当たり前だけどしみじみと思う。

「YOUR EYES」 山下達郎

それにしてもご主人は30歳くらいなんだけど、これを歌ってるのは驚くね。
妻ミキスケさんが熱烈な達郎ファンなので、その教育の賜物ですなw

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