Some Like It Hot

お熱いのがお好きな映画ファンtakのつぶやき。
キネマ旬報社主催映画検定2級合格。

9月のBGM

2014-09-30 | 音楽
2014年9月に聴いていた愛すべき音楽たち

■VISITORS/佐野元春
VISITORS
BSプレミアムで放送されたVISITORS30周年のドキュメンタリーは、リアルタイムでレコードに針を落とした僕らには感慨深いものだった。全8曲を関係者のインタビューや、当時のラジオ番組での元春の発言、レコーディングスタジオでマスターテープを流しながら製作の裏側やエピソードが語られる。あまりの変化に拒絶した人も多かった傑作にして問題作。改めて聴き直しても、全く古いと感じない。

佐野元春「コンプリケイション・シェイクダウン」(LIVEフルバージョン)


■Secret Life Of Walter Mitty/Various Artists
Secret Life of Walter Mitty
今年観た映画の中で、音楽に心を揺さぶられた作品のひとつがベン・スティラーの「LIFE!」。予告編でも流れたホセ・ゴンザレスのStep Outや雄大な風景、自信と誇りを感じさせる映画後半のウォルターの表情。鑑賞後数ヶ月経った今でも思い出すと胸に迫るものがある。デビッド・ボウイのSpace Odittyも聴きたくてサントラ盤をゲット。映画の感動とともに、これからの僕の日常を支えるサウンドトラックになってくれるかもしれない。

Jose Gonzalez 'Step Out' The Secret Life Of Walter Mitty Soundtrack


■Twister/Various Artists
Twister: Music From The Motion Picture Soundtrack
歌モノ中心のコンピレーション系サントラ盤は80年代以降お気に入りなのだが、中でもロック寄りの選曲のアルバムは繰り返し聴いてしまう。竜巻映画「ツイスター」のサントラもそのひとつ。ヴァン・ヘイレン、グーグードールズ、マーク・ノップラー、レッチリ、リンジー・バッキンガムとスティービー・ニックス。サミー・ヘイガーのヴォーカルが素晴らしいHumans Being、グーグードールズの代表曲Long Way Downが特にリピートしちゃうカッコよさ。

Goo Goo Dolls - "Long Way Down" [Official Video]


■Songs Of Innocence/U2
ソングス・オブ・イノセンス
Appleの大盤振る舞いで、iTunesユーザーに無料ダウンロードさせてくれたU2の新作。U2を最も聴いていたのは、アルバムで言うと「Achtung Baby」までかな。ちょうど洋楽CDのレンタルに規制がかかって新作をタイムリーに聴けなくなった時代。90年代のダンサブルなアルバム「Pop」で「こんなのU2じゃない」と完全に聴かなくなっていた。今回久々にフルアルバムをじっくり聴いたが、哀愁漂うメロディに硬質なギターの音が印象的で現在まで活躍していることを嬉しく思う80's育ちなのである。

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セッションズ

2014-09-21 | 映画(さ行)

■「セッションズ/The Sessions」(2012年・アメリカ)

監督=ベン・リューイン
主演=ジョン・ホークス ヘレン・ハント ウィリアム・H・メイシー ムーン・ブラッドグッド

 障害者の性を世間はタブー視しがちだ。実際にパートナーを見つけることが難しいだけでなく、欲望はあってもそれを満足させることもなかなか叶わない。映画の世界で障害者の性が扱われるのは極めて希である。「7月4日に生まれて」で半身不随となったトム・クルーズがセックスできない苦しみを訴える場面は強い印象を残した。イタリア映画の「人生、ここにあり」では、精神病患者が健常者の娘に恋をするエピソードがあり社会の厚い壁の存在が描かれ、また彼らの性欲を満たすために主人公があの手この手の策を巡らす様子がユーモラスに描かれた。しかし障害者の性を真っ正面からテーマとして扱った作品は、この「セッションズ」が初めてだろう。

 主人公マークは首から下が動かせず、"鉄の肺"と呼ばれる機械の中で一日の大半を過ごさねば生命が維持できない障害者。ヘルパーの女性に恋をしたが振られてしまう。彼は障害者に性の手ほどきをするセックスサロゲートの女性シェリルと出会う。"セッション"と呼ばれる回数は限られている中、未知の経験への憧憬と恐れからマークは失敗を繰り返す。マークは次第にシェリルに、より親密さを求めるようになる・・・。

 この映画を観る前は重いテーマに挑む作品だなと思っていた。実際に観て、その明るく前向きな内容に感動した。決して障害者の性やセックスサロゲートという仕事を物珍しく描くようなことはしない。マークが初めてのセックスを前にして悩んだり、考え込んだりする姿や、シェリルの肌を感じてドキドキする様子。それは誰しもが経験することに他ならない。偏見を持っていた訳ではないにせよ、重いテーマと思っていた時点でどこか特別視していたのではないかと自分を省みた。マークが初めてシェリルに快感を感じさせた最後のセッション。マークが一人の人間としての自信を持ち、生き生きとした表情になっていくが、一方でそれはシェリルとの別れを意味するものでもある。その切なさ。セックスは相手を認め合う行為だという素晴らしさを、改めて考えさせるいい仕事だ。

 映画の前向きな印象を高めているのは、マークを取り巻く心温かい人々の存在。ウイリアム・H・メイシー扮する神父の助言、部屋を提供する障害者の女性、後任のヘルパー。シェリルを演じたヘレン・ハントはまさに熱演。その裸身は神々しくさえ感じる。映画の幸せな結末は、この映画を観る前に抱いていた先入観を大きく変えてくれることだろう。セックスは愛する人と人が触れあい、お互いの存在を認め合うこと。そこに健常者も障害者もない。多くの人に観て欲しい秀作だ。こういう映画こそがアメリカ映画の良心。

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猿の惑星:新世紀(ライジング)

2014-09-20 | 映画(さ行)

■「猿の惑星:新世紀(ライジング)/Dawn Of The Planet Of The Apes」(2014年・アメリカ)

監督=マット・リーヴス
主演=アンディ・サーキス ジェイソン・クラーク ゲイリー・オールドマン ケリー・ラッセル

 前作「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」が、予想以上に素晴らしい内容、表現だった。続編の監督は「モールス」のマット・リーヴス。オリジナルへの敬意をきちんともつ人だと「モールス」を観て思っただけに、この人ならきっといい続編だろう、と期待していた。公開されて早速劇場へ足を運んだが、いやはや70年代の旧シリーズへのリスペクトが感じられて、本作も見応えのある秀作だ。

 前作から10年が経ち、シーザー率いる猿たちは集落を形成して平和に暮らしていた。そこへ数年ぶりに人間と遭遇。生き残っていた人々は、電力供給の為にダムを再び稼働させようとしていた矢先だった。シーザーの仲間の子供が銃の犠牲になってしまう。しかしシーザーは一度人間と戦えば、自分たちの築いた今の状態を保てなくなると主張し、人間との戦いを望むコバの意見を抑え込んでいた。人間との共存を模索するシーザーは、監視下でダムの復旧を許すのだが、技師の一人が密かに銃を持ち込んでいたことから信頼が損なわれることに。一方コバは人間たちが銃器の準備をしている拠点を発見。シーザーにそれを訴えようとする。コバはかつて実験動物として人間から散々な目に遭わされた過去をもつ(第1作)。やがて銃を手にしたコバは、シーザーを密かに撃ち、人間との戦いを扇動する。からくも助かったシーザーと仲間たちは、戦いを止めることができるのか・・・。

 今回の「新世紀」は、旧シリーズの第5作「最後の猿の惑星」「アルゴ」でベン・アフレックの子供がテレビで見ていたよね)が物語のベースになっている。猿たちの社会では"猿は猿を殺さない"ことで秩序が保たれていた。しかし、知性を身につけた猿たちが意見の違いから反目することになり、やがて戦争へと突き進んでいく。

 僕ら観客は目の前で展開されるこの物語にいつしか真剣に引き込まれていく。前作の「創世記」で描かれた人間との共存の難しさやテクノロジーへの警鐘だけではなく、猿たちが戦争という狂気へと向かっていくことが描かれる。シーザーにはシーザーの正義があり、コバにはコバの正義がある。人間にしても、徹底的な悪役がいる訳ではない。その相容れない思いが大きな戦乱につながる悲劇を描いている。僕らはこの映画を単にお話の上の悲劇として胸を苦しくしているのではない。僕らは猿たちに"人間"を見る。人間が繰り返してきた戦争という愚行が、お互いの主張や意見を受け入れられない不寛容から起こっているということは、この映画がまさにシュミレーションしてくれているところだ。スクリーンのこっち側では、日々平和を揺るがしかねない様々なニュースが流れている。エスカレートする異民族間の紛争、政治的なスタンスの違いによる反目、戦争をしないために戦争ができる国にしようとする政治家。それぞれの正義はある。だけど、それが行き着く先って何なのか。猿たちの視点での表現が可能となった「創世記」「新世紀」2作品に漂う悲壮感は、旧シリーズで感じたものとはひと味違う。「創世記」のラストシーン、ウィルスが世界中に蔓延する様子を無言で表現した怖さ。「新世紀」が示した戦うことの虚しさ。物語のベースとなった「最後の猿の惑星」を、"ショボい"と言ってしまった自分をちょっと反省。スピリットは継承され、より深くなっていく。続きがあるとしたら、人間と猿との大戦争が起こる大作になっちゃうのだろうか。"Dawn of the ・・・"というタイトルに「ゾンビ」映画が頭をよぎったもので(汗)、続編をますます期待してしまうのだった。

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思い出のマーニー

2014-09-07 | 映画(あ行)

■「思い出のマーニー/When Marnie was there」(2014年・日本)

監督=米林宏昌
声の出演=高月彩良 有村架純 松嶋菜々子 寺島進

 宮崎駿監督の引退宣言後、初のサマーシーズン。ジブリの最新作は「借りぐらしのアリエッティ」を手掛けた米林宏昌監督の手による新作。他人に心を開けない少女杏奈は、喘息の療養に海辺の村を訪れる。彼女が「おばちゃん」と呼ぶ育ての親の親族は親切だが、杏奈は地元の子供たちと仲良くすることはどうしてもできない。そんな彼女は入り江に建つ古いお屋敷に興味をひかれる。誰も住んでいない建物だが、ある日その窓辺に金髪の少女がいるのを見つける。マーニーと名乗るその少女と杏奈は友達でいることは秘密だと約束をし、お互いの心の内を少しずつ打ち明け始める。マーニーと出会ってから杏奈の周りで起こる奇妙な出来事。マーニーとは誰なのか。謎めいた彼女とひと夏を通じて、少女が成長する様子を描くミステリアスな物語。

 映画は冒頭、印象的なナレーションから始まり、主人公杏奈の心情が伝えられる。
「この世には目に見えない輪がある。/輪には内側と外側があり、私は外側の人間。/私は、私が嫌い。」
これまでのジブリ映画のヒロインは前向きなキャラクターが多かった。どこか無気力なのは「千と千尋の神隠し」の千尋くらい。杏奈は"もらわれっ子"である自分を肯定できず、苦しんでいる少女であり、輪の外側の人間。しかし、マーニーと出会ったことで、誰しもがそれぞれの悩みを抱えて生きていて、何が幸せなのかは人それぞれであることを知る。他人との関わりを拒絶していた彼女が、マーニーの為に行動しようとする。その心の変化に見ていて引きつけられる。

 今回、数々の映画等で活躍している種田陽平を美術担当に迎えて製作されている。この作品は何よりもまず風景の美しさに見とれてしまう。入り江に建つお屋敷や、暗い空にそびえ立つ不気味なサイロ。この作品は全体的に遠景が多いだけに、背景の美しさや緻密さはますます印象に残る。しかし、それだけではない。遠景が多いだけに、時折クローズアップされる二人のヒロインの表情がとても強く心に残る。少女の孤独な心理に迫る物語なのに、なぜ遠景が多いのだろう。

 例えば映画の最後、海辺で絵を描く久子さん(重要な物語の語り手となる)に、杏奈が「おばちゃん」を紹介する場面。これまでのジブリ映画なら、「おばちゃん」や杏奈の表情に迫り、観客にわかりやすく感動に導く描き方をしたに違いない。ひと夏の成長を物語る重要なその場面すら、米林監督はロングショットを用いた。これまでのジブリ作品なら、観客を登場人物の目線に据えて作品との一体感をもたせるのではないだろうか。力ずくで感動に導くのとは違うだけに、どこか冷めた印象を持ち、物足りなく思う人もいたかもしれない。

宮崎駿監督は、本来アニメーションのアクション描写が得意な人だ。その描写は僕らを物語に巻き込むようにわくわくさせてくれたし、飛行シーンで主人公と一体化するような高揚感があった。それはなんだかんだ言ってもアクション描写が上手だった黒澤明にも通じる。一方、「思い出のマーニー」は観客を二人のヒロインに近づけようとしない。米林監督は僕ら観客に、心を開けずにいる少女たちを"見守る"ことを望んでいるのだと思う。現実、悩みを抱えて生きている人の気持ちを本当に理解することは難しい。僕らにできることはその気持ちに寄り添うことだ。杏奈はひと夏の出会いで成長する物語。僕らがこの映画で得る感動は、少女たちを"見守る"視点の感動なのだ。それは文学作品に一人向き合っているような感覚。そこで僕らは、孤独を感じている二人の少女に「大丈夫。君は一人じゃない。」という気持ちで、スクリーンを見守っている。従来のジブリ作品とは違う向き合い方だと思うのだ。

 プリシラ・アーンが歌う主題歌、Fine On The Outsideは、プリシラ自身が孤独を感じた経験をふまえて書かれた曲だという。その優しいメロディはこの少女の成長物語に、友達のようにそっと寄り添っている。「アリエッティ」の時のように無理に日本語詞にしなかった潔さは、誰しもに伝わるものでないにせよ、そこに込められた気持ちをそっと大事にしているような優しさ。上映時間が終わる時に感じるのは、大作を観て思う満足感とは違う。"あぁ、よかったな"というほんのりした幸福感は、やさしさに包まれる時間。

入江の潮の満ち引きが、二人の少女の世界を近づける。ジブリ作品は
これまでも、大量の水が押し寄せた後で主人公を取り巻く世界が変わる…という展開が幾度もあった。「千と千尋の神隠し」の大雨、「崖の上のポニョ」の押し寄せる波、敢えて言えば「カリオストロの城」のラストだって、「パンダコパンダ」だってそう。別に継承ではないのだろうが、こういうディテールの相似は面白い。



コメント (2)
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LUCY/ルーシー

2014-09-02 | 映画(ら行)

■「LUCY ルーシー/Lucy」(2014年・フランス)

監督=リュック・ベッソン
主演=スカーレット・ヨハンソン モーガン・フリーマン チェ・ミンシク

 リュック・ベッソンご乱心。"人間は脳の機能を10%しか使っていない"という事実をもとに、もっと覚醒したらどうなるか?と妄想の翼だけを過剰に広げまくって撮ったサスペンス映画。映画冒頭から単刀直入に物語は進行し、主人公ルーシーがどんな人物なのか、物語の背景は、悪役はどんな連中なのか、一切語られない。コリアンマフィアによって合成された薬を体内に埋められたルーシー。その強力な薬が体内に漏れ出し、彼女の脳は覚醒する。処理能力を増した彼女の脳は、自分の髪の色を変えたり、相手の動きを止めたりは当たり前。事件を追うフランス警察の刑事を強引に協力者にした彼女は、脳科学の研究者の元へ。その間にも脳の活動域は拡大を続け、電磁波の流れを感じてしまったり、細胞がもつ記憶を遡れるのかついには時間を超えて過去を見ることすらできるようになる。彼女を追うコリアンマフィア一味が迫る中、彼女は自分がいた証を残そうとする・・・。

 89分の上映時間にやりたい放題の映像を詰め込んだベッソン監督。血液中を駆けめぐる薬剤のイメージ。神の視点とも言える地球誕生の瞬間。誰が何をやっても敵わないような能力を身につけてしまうルーシー。確かに何も考えずに映像を楽しむにはよい映画なのだが、疑問に思えることやツッコミどころも見過ごせない。ギャングたちを天井に張り付けてしまうほどに重力を操れたりするし、電波や電子機器を操れたり。「自分の脳内データをダウンロードする」と約束して最後に博士に渡すのは、なんとUSBメモリー1本!。そりゃないでしょ。

 リュック・ベッソンは、フランス映画にハリウッドのようなエンターテイメントや派手なアクションを持ち込んだ。「ニキータ」や「レオン」がそれだ。しかし、それらは単なる娯楽作ではなくてヒューマニズムと愛があった。一方、「グランブルー」では台詞よりも映像から染みだしてくる情感に涙させられた。「フィフス・エレメント」のようなド派手な作品こそあれど、この絶妙なバランスがベッソン監督のすごさだと思っていた。これで引退と一時は宣言した「エンジェル」で、従来のフランス映画離れしたこれまでの作風から一転。それはフランス、いやパリという街への愛を込めたファンタジーだった。

その後、製作会社を立ち上げたベッソンは、今本当に映画製作を楽しんでいるように思える。この「ルーシー」は、映像にしたいとベッソンが思ったことを素直に撮っている無邪気さを感じる。「ジュラシックパーク」よろしく恐竜が襲ってきたり、英知を得る前の人類に「E.T.」のように触れたり、まるでスピルバーグへのオマージュ。これを"遊び心"以外の何と呼ぼうか。

 そしてラストシーン。ルーシーは人知を、形あるものを超越した存在となる。アニメ「攻殻機動隊」に出てくる意識だけの存在(ゴースト)が、ネットという広大な海に消える場面を彷彿とさせる。人によっては、誰にも知られることのない存在へと変わっていった魔法少女みたいに感じられた人もいたかもしれない。クライマックスで巨大なコンピューターを形作るルーシーは、まるで「AKIRA」ではないか。ベッソンはジャパニメーションをも意識していた?。その真意はわからないが、これもベッソンの無邪気な遊戯なのは間違いない。そしてルーシーは"千の風"になった(笑)。宝石のような形をしたドラッグによってヒロインが昇華する。ドラッグソングとしても名高い、ビートルズの"Lucy In The Sky With Diamond"・・・ってところまで深読みするのは、映画同様悪ノリなのかも(笑)。

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