
◼️「列車に乗った男/L'hommo Du Train」(2002年・フランス)
監督=パトリス・ルコント
主演=ジャン・ロシュフォール ジョニー・アリディ ジャン・フランソワ・ステヴナン イザベル・プティ・ジャック
パトリス・ルコント監督の真骨頂は"おっさんの片恋"である。それは「髪結いの亭主」「仕立て屋の恋」「歓楽通り」などの男女間の切ない話だけではない。一方的な憧れや強い関心という意味では同性の話でも同じ。本作「列車に乗った男」を観てそう確信した。
オフシーズンのリゾート地である田舎町が舞台。列車でやって来た男ミラン。薬局に立ち寄った際に元教師のマネスキエと出会い、彼の家に泊まることになる。
「土曜に出て行くよ」
「土曜は私も用事がある」
ミランは銀行強盗をするためにこの町に来た。仲間が準備を進めているが、どうも気が乗らない。一方、マネスキエは手術を控えていた。独りで暮らしているから喋りたくて仕方ないマネスキエと寡黙なミラン。正反対の2人だが、話をして行く中でお互いの生活に憧れのような気持ちを感じ始める。マネスキエは革ジャンを着て鏡に向かい悪漢の真似事をしてみるし、ミランは邸宅で上履きを履く生活に憧れる。不思議な友情で結ばれていき、行動が少しずつ変わって行く2人。
土曜日というタイムリミットが迫る中で、お互いにないものを少しだけ味わう。マネスキエは銃の練習をし、ミランはうろ覚えだった詩の続きを教わる。マネスキエは姉に本音でものを言い、ミランは計画的な生活を知る。
マネスキエが好意を寄せている女性を家に招いて3人で食事する場面。本音で接することができないマネスキエの本心を、ミランがストレートに代弁する。きっとマネスキエは長年の思いが伝わったんだろう。静かだけど印象に残るいい場面だ。
2人が少しずつ影響を受けて行く様子が、淡々としていながらも面白い。詩を習いにくる少年にミランが代わりを務めたり、ジタンを詰めてパイプを試してみる姿もいい。
そして2人は大仕事に向き合う土曜日を迎える。映画はそれまでの静かな雰囲気を打ち砕く強烈なエンディングを迎える。だがその先で、お互いがそれぞれの生き方を交換するような無言の幻想的なシーンで幕を閉じる。それまで経験することのなかったお互いの生活への憧れ。それは、ルコント得意のおっさんの片恋の見事なバリエーション。「地下室のメロディー」や「さらば友よ」のような男と男の渋さとも違う。でもくたびれた男たちにしか出せないビターな味わいは同じだ。
オフシーズンのリゾート地である田舎町が舞台。列車でやって来た男ミラン。薬局に立ち寄った際に元教師のマネスキエと出会い、彼の家に泊まることになる。
「土曜に出て行くよ」
「土曜は私も用事がある」
ミランは銀行強盗をするためにこの町に来た。仲間が準備を進めているが、どうも気が乗らない。一方、マネスキエは手術を控えていた。独りで暮らしているから喋りたくて仕方ないマネスキエと寡黙なミラン。正反対の2人だが、話をして行く中でお互いの生活に憧れのような気持ちを感じ始める。マネスキエは革ジャンを着て鏡に向かい悪漢の真似事をしてみるし、ミランは邸宅で上履きを履く生活に憧れる。不思議な友情で結ばれていき、行動が少しずつ変わって行く2人。
土曜日というタイムリミットが迫る中で、お互いにないものを少しだけ味わう。マネスキエは銃の練習をし、ミランはうろ覚えだった詩の続きを教わる。マネスキエは姉に本音でものを言い、ミランは計画的な生活を知る。
マネスキエが好意を寄せている女性を家に招いて3人で食事する場面。本音で接することができないマネスキエの本心を、ミランがストレートに代弁する。きっとマネスキエは長年の思いが伝わったんだろう。静かだけど印象に残るいい場面だ。
2人が少しずつ影響を受けて行く様子が、淡々としていながらも面白い。詩を習いにくる少年にミランが代わりを務めたり、ジタンを詰めてパイプを試してみる姿もいい。
そして2人は大仕事に向き合う土曜日を迎える。映画はそれまでの静かな雰囲気を打ち砕く強烈なエンディングを迎える。だがその先で、お互いがそれぞれの生き方を交換するような無言の幻想的なシーンで幕を閉じる。それまで経験することのなかったお互いの生活への憧れ。それは、ルコント得意のおっさんの片恋の見事なバリエーション。「地下室のメロディー」や「さらば友よ」のような男と男の渋さとも違う。でもくたびれた男たちにしか出せないビターな味わいは同じだ。