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Some Like It Hot

お熱いのがお好きな映画ファンtakのつぶやき。
キネマ旬報社主催映画検定2級合格。

ミッション:インポッシブル ファイナル・レコニング

2025-05-24 | 映画(ま行)


◼️「ミッション:インポッシブル ファイナル・レコニング/Mission : Impossible The Final Reconing」(2025年・アメリカ)

監督=クリストファー・マッカリー
主演=トム・クルーズ ヘイリー・アトウェル ヴィング・レイムス サイモン・ペッグ

先行上映と聞いたから夜1回かと思ったら、トム・クルーズの「アリガト。」コメント付きで公開前週末から事実上のスタート。早速参戦。本作はMIシリーズの集大成という位置付け。最近のクリストファー・マッカリーは、トム・クルーズをカッコよく撮る専属監督みたいな職人仕事をしている。本作はそこに加えてMIシリーズへの愛もたっぷり詰め込んだ。

イーサン・ハントのこれまでの任務を振り返る映像や証言が次々に示される。前作から続く世界の危機的な状況にそれらが大きく関わっている。世界がこうなったのは、イーサンお前のせいだ、と「エヴァQ」の碇シンジみたいに政府上層部から徹底的に罵られる。彼には実績もある一方で組織にとっては扱いにくい存在。幾度も世界を救ってきたのに、何だその言葉は!と盲目的なシリーズファンをイライラさせる。それでも世界はイーサンに頼るしかない。アンジェラ・バセット演ずる女性大統領(これも驚きの展開!)はイーサンの主張を受け入れて、わずかなチャンスに賭けるミッションを手助けする。

沈没したロシアの潜水艦にたどり着くまでの、数々の困難を乗り越えていく様子や、イーサンにかけられる何気ないひと言が、人の関わりって温かくて有難いものだなと思わされる。クリストファー・マッカリー監督になってからの作品は、チームプレイがより重要な要素になっていて、ちゃんとオリジナルの「スパイ大作戦」に通ずる作風になっているのが好感だ。本作は特に多くの人々が関係しており、それぞれの現場のプロの活躍が頼もしい。潜水艦の艦長が「ミスター…」とかける言葉も、へき地の観測所に飛ばされた元CIA職員(これがまた粋な設定!)も心に残る。

悪役がAIという大風呂敷を広げた話が、イーサンが不可能と思われることを一つ一つ突破することでAIの予測を裏切り続けるのが面白い。人間の気まぐれな思いつきや感情の揺らぎ、予測できない行動。それが世界を救うのだ。

それにつけても、このシリーズは高所恐怖症に優しくない。「ゴーストプロトコル」のビルよじ登り場面、「フォールアウト」のヘリの積荷に捕まる場面では、映画館の椅子にへばりついたもんです。ポスターやチラシのデザインが複葉機になった頃から嫌な予感がした。だが落下の恐怖を観客に味あわせるのは空ばかりじゃない。深海に沈む潜水艦からの脱出シーンはど迫力。だ、大丈夫なのか!?😨そして最後の大舞台はコンゴの大空!
き、来やがった…💧
逃げるガブリエルを赤い複葉機で追うイーサン。ポスターの飛行機は黄色だったよねぇ。
う、うわっ…マジか😣
ただでさえ長尺なのに、危機また危機でどんどん上映時間が長くなる。うわー、乗り移っちゃったよ。

ひぃーっ😖

確かに都合のいい部分もあるけれど、満足できるエンターテイメント。イーサンのチーム、ガブリエルの一味、イーサンを追う米国の面々…と三つ巴のサスペンスは、それほど複雑には感じられなかった。ストーリーが進行する中で、理屈と過去のミッションとの関係性など多くの情報量が示される。よくわからないものもあったし、そこを負担に感じる人はいるだろう。だが、この大活劇の前にはそんな理屈がどうでもよくなってしまう。これを映画館で楽しまずにどうする。




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ミツバチのささやき

2025-04-26 | 映画(ま行)


◼️「ミツバチのささやき/El espíritu de la colmena」(1973年・スペイン)

監督=ビクトル・エリセ
主演=フェルナンド・フェルナン・ゴメス テレサ・ギンベラ アナ・トレント イザベル・テリェリア

大学生になって、民放2局の地元を離れた。三者面談で「映画なんて高尚な趣味は…」と担任に批判されて反論した生意気な少年(私)は、新たな生息地で今まで観られなかったヨーロッパ映画や単館系を観まくってやる!と意欲満々だった。新学期も落ち着いた1985年5月。さぁ!映画行くぞ。何観よう。セレクトしたのは、スペイン映画「ミツバチのささやき」とトルコ映画「路」の二本立て。今思うといきなり高いハードルだったな💧

「ミツバチのささやき」が製作されたのは、スペイン内戦後1970年代まで続いた独裁政権下。反体制的な表現をさせないために規制や検閲が厳しかったので、規制が厳しくない子供が主人公の作品として撮影された。イスラム教の国も宗教的な事情から表現の規制が厳しいから、子供が主人公の秀作が多いのと似た状況。そのため、ストレートに伝えられないことが"暗喩"としてエピソードに盛り込まれている。

そんな鑑賞のガイドとなる情報を今ではあちこちで目にするけれど、1985年の初公開当時はそんな情報はあまりなかった。愛らしい子供が主人公の美しい映画と紹介された記事がほとんどだったようにも思える。

映画館出る時に、前を歩いていたカップルの会話(熊本弁)が聞こえてきた。
🙎🏻‍♂️「むぞらしか(かわいい)映画ね」
👩‍💼「そうね」
🙎🏻‍♂️「ばってん、意味わかったね?」
👩‍💼「わからんでもよかったい。変わった雰囲気がよか映画やけん」
監督が密かに仕込んだものを全て理解できなくても、他の映画とは違う不思議な空気とアナ・トレントの瞳が、多くの鑑賞者の心に残った。

ガラスでできた蜂の巣箱だと蜂の様子がよくわかると語る父親。幼い姉妹と両親が暮らす家の窓は蜂の巣を思わせる図形のデザイン。その内側で姉妹はベッドで小さな声で会話する。おしゃまな姉イザベルは精霊との関わり方を冗談めかして話し、時にはアナを意地悪にからかう。公民館で観てきた「フランケンシュタイン」映画についてわかったように話す。家庭という巣箱の中にいる少女アナの心は、誰もちゃんと理解できていないのだ。

そして全編に漂う死の匂い。遠くで戦争が起こっているという現実、逃れてきた兵士、指先から滲んだ血をルージュのように唇に塗るイザベル、「フランケンシュタイン」の怪物と少女。怪物に花を手渡した映画の少女のように、アナは兵士にリンゴを差し出す。兵士がいた跡に残された血。大人たち叱られると悟ったアナが触れる毒キノコ。無垢な心が打ちひしがれる様子が、劇伴も台詞もない中で描かれていく。そこから僕らはどれだけのものを感じとれるか。

2025年4月に映画館で40年ぶり再鑑賞。あの頃よりはきちんと向き合えたし、映画に広がる死の影を受け止められたと思うが、それでもまだ何か感じとれていないものがいろいろある気がする。でもそれでいい。前を歩いていたおねいさんが言っていたとおり、"変わった雰囲気のよか映画"でいいのだ。きっと。

公民館で「フランケンシュタイン」を上映する場面で、少年たちがフィルム缶を見て「映画の缶詰」と言う。夢のあるいい言葉だな。

40年間の間にアナ・トレントも大人になった。シャロン・ストーンと闘牛士を取り合う三角関係を演じた「血と砂」、スペインからチューダー朝のイギリスに嫁いだ王妃を演じた「ブーリン家の姉妹」。アメナーバル監督の猟奇サスペンス映画では気丈な女子学生役。テレビ画面の男性にキスする乙女の姿に、つぶらな瞳の少女が美しく成長した姿を嬉しく思った。そして「カラスの飼育」のあの曲を口ずさむ少女。どの映画もあの瞳と共に心に残る。「瞳をとじて」も観なきゃな。






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燃えよデブゴン

2025-01-19 | 映画(ま行)


◼️「燃えよデブゴン/肥龍過江」(1980年・香港)

監督=サモ・ハン・キンポー
主演=サモ・ハン・キンポー ピーター・K・ヤン ロイ・チャオ

日本でサモハン・キンポーが大きく紹介された最初の作品がこれ。ジャッキー・チェン、ユン・ピョウとの共演作の人気から、「デブゴン」のタイトルを冠してサモハンの旧作、未公開作が勝手にシリーズ化されていく。セガール先生の「沈黙」シリーズのように(笑)。

徹底したブルース・リーへの愛が全編に貫かれ、カンフー映画好きにはたまらない。田舎で養豚に励んでいた主人公が、都会で飲食店をやる親族を手伝うためにやって来るというストーリー自体も、「ドラゴンへの道」に似ている。体型や顔立ちもブルースに似ても似つかないのに、成り切っちゃうのが笑える。それはもちろんサモハン・キンポーの華麗なカンフーあってこそ。ただのデブじゃない。

映画撮影の現場でブルース・リー気取りのスターをこてんぱんにやっつけたり、社長の高級車をチンピラの車だと勘違いして壊したりとトラブルしか起こさない。しかしそれはブルースへの愛と偏った正義感の空回り。

クライマックスの異種格闘技戦は、ジミー・ウォングの時代からカンフー映画の王道。それはカンフーこそ最強であるという証。タイトルバックの演武も素晴らしい。悪役には「インディ・ジョーンズ魔宮の伝説」にも出演したロイ・チャオ。



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マドモアゼル a Go Go

2025-01-06 | 映画(ま行)


◼️「マドモアゼル a Go Go(女の望遠鏡)/ Trop Jolies Pour Etre Honnetes」(1973年・イタリア=フランス)

監督=リシャール・バルデュッシ
主演=ベルナデット・ラフォン ジェーン・バーキン エリザベート・ヴィエネール セルジュ・ゲンスブール

本作は1974年に「女の望遠鏡」のタイトルで公開された。その後、渋谷系からフレンチカルチャーが人気になった90年代に「マドモアゼル a Go Go」と改題して再上映された作品。ジェーン・バーキンとセルジュ・ゲンスブール共演作ではあるが、一応の主役はベルナデット・ラフォン。犯罪者から金を奪おうと計画する4人の女性たち。その一人がジェーンで、セルジュは彼女らがターゲットにした犯罪者の相棒を演じている。

ニースの海辺に建つマンションでルームシェアして暮らしている4人娘。船員の彼氏からプレゼントされた望遠鏡を覗いていたら、向かいのアパートの一室で大金を扱う男が。世間で騒がれている泥棒だと信じた彼女たちは、その金を横取りしようと企む。果たして計画は成功するのか!?

「黄金の七人」や「ミニミニ大作戦」のような華麗な犯罪映画を期待してはいけない。無駄としか思えない訓練風景と、準備不足で隙だらけの計画。ストーリーの展開も結末も、なんとも都合のいい話ではあるのだが、船員の彼氏が事態を引っ掻き回す様子にはドキドキさせられる。

彼女たちのファッションと行き当たりばったりの活躍をニコニコして見守られる方ならば、きっとお気に召す作品。堅いこと言わないで年末気軽に観るにはちょうどよかったかも♪

音楽担当はセルジュ。電子オルガンで遊んでるような軽妙なメロディがクセになる。ジェーンはメガネっ娘の女医役で、4人の中ではドジっ子担当。ホームセンターで電動ドリルの使い道を尋ねられて、「金庫を開ける」と答えちゃうのがおかしいw



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霧の旗

2024-11-24 | 映画(ま行)


▪️「霧の旗」(1965年・日本)

監督=山田洋次
主演=倍賞千恵子 滝沢修 露口茂 新珠三千代

清張の「霧の旗」は幾度も映像化されているが、山口百恵主演の77年版しか観たことがなかった。以前から興味があった山田洋次監督×橋本忍脚本による65年版。北九州市立中央図書館で催される松本清張映画会で上映されると聞いて、参加してきた。古い日本映画は台詞が聞き取れずに悩まされることが多いし、今回は図書館の多目的ホールが会場だから聞き取れる音響なのかを心配していた。だが参加者のマナーと集中力が優れているのか、上映中は物音ひとつせず。没頭して観ることができた。感謝。

無実の罪で死刑を宣告された兄を救おうと上京した妹霧子は、有名な大塚弁護士に助けを求める。しかし高額な弁護料を支払えないからと依頼を拒否されてしまう。兄は獄中で病死。その報を聞いた大塚弁護士は、個人的に事件を調べ始める。その頃、再び上京して夜の街で働き始める霧子。彼女の復讐が始まる。

理不尽な状況に追い詰められた人を描く橋本忍と、そうした状況におかれた人間のドロドロした感情や行動を表現し続ける松本清張。その相性の良さが発揮された映画だと確信。

兄に無実の罪を着せたのは警察の誤った捜査のせいで、大塚弁護士に罪があるわけではない。言ってしまえば見当違いの逆恨み。だが社会的な地位や富ある者と経済的社会的弱者の優劣がひっくり返される展開は、強烈な結末を突きつける。何もそこまで…と思ってしまうけれど、これは憤りが行動の原動力になった行末。そこに許す気持ちやあきらめが入り込む余地はなかった。

倍賞千恵子の熱演がとにかく光る。ラストシーンのなんとも言えない表情が心に残っている。成し遂げた復讐、彼女の心に何が残ったのか。そこに至る気持ちは海に投げ捨てたもののように、沈んでいってくれるのだろうか。

ストーリーの面白さはもちろんなのだが、演出も凝っている。大塚弁護士に断られた後、東京の街を歩くヒロインが映される場面では、絶え間なく行き交う車が映されるのに、画面から聞こえる音は霧子の足音だけ。台詞や役者の表情に頼らずに、ヒロインが置かれた孤独と 絶望感、願いが届かない寂しさが無言で示される。

そこで思い出したのは、先日観た橋本忍監督の「幻の湖」に出てきた、東京の街をヒロインが一人歩くシーン。愛犬を殺した仇である音楽家を尋ねて東京に出てきた主人公が、門前払いされて苛立つ姿が描かれる。「東京中がアイツの味方をしている」と彼女の心情を表すひと言が添えられる。橋本忍の頭に「霧の旗」のあのシーンが念頭にあったのかは知らないが、共通点のようで面白い。

人情映画のイメージがある山田洋次監督。本作は唯一のサスペンス映画でもある。ヒロイン霧子と兄がどれだけ仲良しでお互いを思っていた兄妹なのかを語る近所のおばちゃんが出てくるが、演じているのが「男はつらいよ」のおばちゃん三崎千恵子。こういうキャスティングに、勝手につながりを感じる映画ファンいるだろな。おかげでその場面から後、倍賞千恵子が「兄は…」と口にするたびに、違うお兄ちゃんの顔が一瞬浮かんだりしてw

ともかく、清張作品の面白さを堪能できる秀作。ほかの映像化作品と比べるのも楽しいかも。




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幻の湖

2024-10-22 | 映画(ま行)


◼️「幻の湖」(1982年・日本)

監督=橋本忍
主演=南條玲子 長谷川初範 隆大介 高橋恵子

春日太一氏が書いた橋本忍評伝「鬼の筆」を読んでいるのだが、橋本忍の失敗作として紹介されているのが噂に聞く「幻の湖」。高校時代に叔父からもらった湯布院映画祭のパンフにもデカデカと広告が載っていて、東宝創立50周年記念作との記載が。ところが上映が早々に打ち切られたとの黒歴史がある作品だ。

😸あぁ、琵琶湖を犬と走る女性の話ね。
😼時代劇とソープ嬢の話だね。
😻お市の方と淀君…むふふ♡
😺途中でスパイが出てくるよ。
😾女がわめく理由がわからなくて。
😹突然SFになって爆笑だよww
😿難解なんだよ(もう聞かないで)

いろんな人からこの映画の話を聞くたびに与えられる断片的なワードがまったくつながらなかった🤔。
動物がらみの感動作なの?でもエロくて時代劇でSFで難解?

…わからん😣どんな映画なんだ。

2024年9月に宅配レンタルDVDで初鑑賞。全貌を知ることになる。

…はぁー💧こんなんだったのか。
いい映画か?と問われたら笑うしかないんだけど、面白くないか?と問われたら面白い!🤣

これまで聞いていた断片的なワードが、上映時間が進むにつれて次々につながっていく。なんて変な映画だ。ジグソーパズルが出来上がっていくみたいにワクワク。これは変な快感。長尺が気にならなかった。しかしこれは予備知識ゼロで観たのではなくて、雑多な情報があったせい。これから本編を観る方々の楽しみを奪いたくないからその詳細は語らずにおくけれど、「お市でございます」と名乗る高級特殊浴場のシーンから、宇宙空間で迎えるラストまで次の展開が予想を超えてくる。

でも全編ワクワクしっぱなしだったかと言えばさにあらず。長尺の一因は延々とヒロインが走る場面が続くせいだ。一つは愛犬シロと琵琶湖を走る場面。四季折々の風景が美しく映し出される。これは「砂の器」の親子が各地を放浪するシーンを思わせる。長期ロケが可能でないと撮影できない映像だけに、並々ならぬ製作者の意気込みが感じられた。「砂の器」のあの場面がウケたから、またやっただけなんだろうけど。問題はシロを殺した仇を走って追い詰める場面だ。これが本編で二度登場し、おまけに長い。

僕はマラソン中継を見るのが苦手で、ただ走ってる姿を2時間見続けるのを楽しいとは思えなかった。だが映画「風が強く吹いている」を観て、走る映像に感情が乗るとこんなに面白いのか!と感激した。走者の気持ちを知って見るって大切だな、そのために増田明美の雑情報混じりの解説も必要なのかも…と妙な納得をしたw。されど。「幻の湖」の走る場面は、確かに感情が溢れんばかりに乗っているのだけど、ただ仇を追いかけているのではなくて、いつの間にか長距離走の勝負になっている"不思議"が加わる。スパートして追い詰めればあいつは疲れてチャンスが…と追う側。包丁持って追いかけられているんだから、誰かに助けを求めればいいのに、走って逃げ切ろうとする追われる側。何やこれ。そして橋の上で追いついた瞬間…

「勝ったわよ!シロ!」
…え、えぇ?😨

そして噂に聞いた場面。
ちゅどーん🚀
👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏
🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣

すげぇ!😱
バラバラだったピースが全部つながった!

南條玲子さん、肝の座った役者だなと思ってたけどこれを観てますますそう思えてきた。さらに様々な助演陣が登場する。風俗嬢に身を窶した女性スパイ、人のいい銀行員、音楽業界の大物、保健所の動きまで知っている室田日出男支配人、淀君の源氏名のかたせ梨乃、湖畔で笛を吹く宇宙船乗組員。スピンオフ作れそうな濃厚キャラだらけw。

橋本忍氏のそもそもの発想は、
「愛犬を殺されたら復讐するよな?するよな?オレならするな…」
から始まっているとのこと。勉強になりました。あーお腹いっぱい。

もし挑まれるのならば、なにがあっても作品を受け止めるお覚悟を。

学生時代に「砂の器」と「愛の陽炎」の二本立てを観ている。恋人に復讐するために丑の刻参りで呪い殺そうとする後者が橋本忍脚本だと最近気づいた。すごい二本立てだったんだな💧





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もしも徳川家康が総理大臣になったら

2024-08-04 | 映画(ま行)


◾️「もしも徳川家康が総理大臣になったら」(2024年・日本)

監督=武内英樹
主演=浜辺美波 赤楚衛二 野村萬斎 竹中直人 Gackt

コロナ禍の真っ最中だった頃、いろいろ不安で仕方なかったよね。有名人が重症化してバタバタ亡くなるし、治った人も後遺症で苦しんでたり、ワクチン接種するのしないので意見分かれちゃったり。感染ったか、出勤するな。治ったら出てこい、でも近寄るんじゃないぞ。会いたい人にも会えない日々、小さな分断があっちにもこっちにも。政府でクラスター起きたらどうすんだとあの頃思っていたけれど、そこを題材にした突飛なお話が本作。武内英樹監督だし、パブリックイメージ通りの歴史上の人物たちでケラケラ笑わせてくれるんだろうと思っていた。

確かに前半はそうだった。相変わらずテレビ育ちのハートをくすぐる仕掛けが随所に。「大江戸捜査網」のテーマ曲流れた瞬間、思わず気持ちが⤴️アガった。
「死して屍拾う者なし」
と思わず映画館の暗闇で口にしてしまった💧。上映中のおしゃべりは❌ブッブーですわ。徳川吉宗は「勝手に暴れん坊にされている」と困っているのが笑える。北条政子の「政子の部屋」、紫式部の大河ドラマ制作会見。
「ちょくちょくやってるやつやーんw」
と小芝風花にCMでからかわれた竹中直人の豊臣秀吉再び🤣。
「心・配・御無用っ!」「ごもっとも!」
大河放送してる頃、真似してたわ、その台詞w。Gackt様の
「者ども出陣じゃー!」
も大河から埼玉解放戦線を経て、もはや鉄板w。信長役、イメージ通りで適任。

武内英樹監督作ってどれも突飛な話。変な状況を側から見ていたはずの人物が巻き込まれて、成長していくのがストーリーの軸になっているように思う。古代ローマ人と遭遇した上戸彩も、埼玉解放の大義を知る二階堂ふみも、銀幕のヒロインに出会う坂口健太郎も。本作のストーリーは荒唐無稽もいいとこ。でもその大騒ぎを通じて、自分の道を見つけ出す浜辺美波は爽やかな感動をくれる。

そして徳川家康総理を演ずる野村萬斎のラストの演説は、現代ニッポンにグサグサ刺さる言葉が散りばめられたお説教でもある。歴史上の偉人に「お前たちを信じる」と未来を託されたのは、僕ら国民。なかなか感動のツボを心得てて、バカやってるようで大真面目な映画です。

さぁ!選挙に行こうぜ、皆の衆。

坂本龍馬官房長官の会見シーン、好き。
「ぜよってなんですか」
「ぜよはぜよぜよ」
🤣🤣




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メグレと若い女の死

2024-07-26 | 映画(ま行)


◾️「メグレと若い女の死/Maigret」(2022年・フランス)

監督=パトリス・ルコント
主演=ジェラール・ドパルデュー ジャド・ラベスト メラニー・ベルニエ

ジョルジュ・シムノンの原作シリーズは読んだことがない。主人公のメグレ警部(本作では警視)がメガネ少年探偵に出てくる警部の元ネタという程度の知識しかなくて(恥)。ジャン・ギャバンがメグレを演じた映画は存在は知っているが観たことはない。そんな僕が「メグレと若い女の死」に挑んでみた。だって、監督がパトリス・ルコントなんだもの。

身元不明の女性の死体が発見される。所持品とは不釣り合いな高級ドレスは、ナイフでメッタ刺しで血に染まっていた。メグレはそのドレスを手がかりに被害者のパリでの生活に迫っていく。夢を追ってパリに出てきた女性たちの生活が浮かび上がってくる。

ジェラール・ドパルデューの演技は終始抑え気味で、彼の他の出演作で見られる暑苦しいまでの存在感も、真相を突きつけるポワロのようなミステリーの派手さは全くない。被害者女性の身辺を探るうちに、メグレ自身が重ねていく心情を、ボソボソした台詞と行動から味わう人間ドラマが映画の主軸になっている。ジャン・ギャバンが演ずるメグレも寡黙なキャラクターだと想像できるが、そのイメージも重なっているのかな。本作は人情話の刑事ものと理解したが、他の作品はどうなんだろ。ギャバン版を観てみたい。

全体を通して貫かれるのは暗くて淡い色彩の映像。もの寂しいムードは、パトリス・ルコントの主要作にも通じるところ。それなりに満足できたけれども、僕が物足りなさを感じているのは"男と女"の話じゃないからなのかも。



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マネー・ピット

2024-07-16 | 映画(ま行)


◾️「マネー・ピット/The Money Pit」(1986年・アメリカ)

監督=リチャード・ベンジャミン
主演=トム・ハンクス シェリー・ロング アレクサンダー・ゴドノフ

この映画が公開されたのは1986年12月。いわゆる正月映画として、「ハワード・ザ・ダック 暗黒魔王の陰謀」と二本立てで上映された。正直なところ、「ハワード・ザ・ダック」のリー・トンプソンがとにかく見たかったのだ。確かに「ハワード」は面白かったのだけど、予想以上に楽しんだのはむしろ「マネーピット」だった。

トム・ハンクス演ずる主人公は若手の弁護士でヴィオラ奏者の彼女がいる。二人は故あって住まいを探すことになり、見た目立派な格安物件を購入。幸せな生活が始まるのかと思ったら、それはとんでもない欠陥住宅だった。マネーピットとは金食い虫。

とにかく家が壊れ続ける。玄関ドアは枠から倒れ、壁に埋められた電線からは火花が走り、バスタブは派手に落下する。もう笑うしかない。

多くの方の感想にもあるけれど、僕ら世代には、子供の頃土曜8時に家族で見ていた「8時だよ!全員集合」のコントを思い出さずにはいられない。セットの家が崩れる派手な仕掛けで、そこで右往左往するコントは単純におかしくて。トム・ハンクスもこの頃はコメディアンだったんだしね。

しかしお話はそれだけではなくて、元カレの指揮者(「ダイ・ハード」のテロリスト一味だったアレクサンダー・ゴドノフ)がからむ三角関係、すれ違いから起こった二人の危機がストーリーに大きく絡んでくる。恋人の関係にヒビが入る中、家もあちこち壊れ始める。階段は崩れ落ち、まるで崖のように2階床にしがみつく。製作総指揮はスピルバーグだけに、「インディ・ジョーンズ魔宮の伝説」のクライマックスみたいないわゆるクリフハンガー描写。それが家の中で起こり、愛の行方がからむ二重のハラハラなのだ。

80年代のハリウッドコメディは、特撮も含めてビジュアルで笑わせようとする作品が多かった。チャップリン育ちのクラシック映画好きの僕は、そうした当時の娯楽作をなんか違うと嫌っていた。そんな中で観たこの「マネーピット」は、アナログな破壊ギャグの応酬と人間模様のおかしさ、さらに恋愛模様が同居する、当時流行りの路線とは違う作品。興行的には確かに振るわなかったと聞くが、当時の僕には心に残る映画だった。シンプルなドタバタが恋しかったんだろうな。






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緑色の髪の少年

2024-06-18 | 映画(ま行)


◾️「緑色の髪の少年/The Boy With Green Hair」(1948年・アメリカ)

監督=ジョセフ・ロージー
主演=ディーン・ストックウェル ロバート・ライアン パット・オブライエン

ミニシアター通いが大好きだった1988年、「RKO映画の全貌」と題した特集上映が催された。「市民ケーン」「キングコング」など有名作や初公開作が並ぶ中、さんざん迷った末「キャットピープル」と「遊星よりの物体X」のホラー二本立てをチョイス。どちらも80年代にリメイクされてたし、今後劇場で観る機会が最もなさそうな気がしたからだ。ラインナップの中で、興味をそそられた作品が「緑色の髪の少年」。

それからウン十年後。配信で観られるじゃーん、いい時代になったねぇ。上映時間短めだし、昨夜の歓送迎会でちょっと疲れたコミュ障気味の僕にはちょーどいい気分転換かもっ。と安易な気持ちで再生ボタン。

冒頭、スキンヘッド少年取り囲んで「名前言ってみ?」「学校どこ?」と問い詰める大人たち。そこに児童専門と名乗る医師が話を聞くぜ、とやって来る。待てよ、この医者ロバート・ライアンじゃん。この役者のニコリとした表情なんて見たことないぞ。そんな渋オジはハンバーガーを少年に与えて、「食ったんだから話さないのは失礼だぞ」とかなんとか脅しめいたことを言う。すると「長い話になるぜ」と、まるでハードボイルド映画みたいな切り口で、ピーター少年はこれまでのことを話し始めた。

88年の僕は、本作を「光る眼」みたいな侵略SF映画だと勝手に想像していた。その後違うとは聞いていたけど、映画前半はクラシック映画らしい善意に満ちたストーリーにほっこり。親戚を転々とした少年が優しいおじいちゃんと暮らし始めて、次第に心のトゲが取れていく様子が描かれる。給仕の仕事をやっているおじいちゃんは、歌って踊れる楽しい人物。時々ミュージカルぽくなる演出。あー、ハリウッドクラシックらしいよな。監督誰だっけ…え?「エヴァの匂い」のジョセフ・ロージーなの?あれ一筋縄でいかない映画だったやん…。

不安は的中。賑やかに歌いながら戦争孤児のために古着を集める活動をしたピーター少年は、唐突に自分も戦争による孤児だと知らされる。両親が戻らない理由が何かを薄々感じてはいたけれど、ショックを受けるピーター。そして一夜が明けると彼の髪は緑色になっていた。

そこから映画は、偏見や差別の眼がどれだけ厳しいのかを、これでもかと見せつける。林で出会った戦災孤児たちと話す場面。ピーターや孤児である僕らは他の子供とは違う。髪の色が違うのもそのせいだと言われる。戦争を憎むピーターはその考えを受け止めて、戦災孤児だと自ら言ってまわるようになる。一方、髪の色が原因で学校に行けなくなり、大人たちからも嫌がられ始める。これまで頼りにしていたおじいちゃんやお医者さんも、納得できることを言えない。ついに大人たちはピーターに髪を切るように迫ってくる。床屋を取り囲み、覗きこむ人の眼、眼、眼。ディスプレイ越しにこの物語を見守っている僕らが、床屋を取り囲む偏見の持ち主なのかを問われているかのようだ。

いろんな意味で怖っ…。第二次大戦後の1948年に戦災孤児の置かれた姿を描くことにも意義があるし、当時まだ珍しいカラー作品で緑色の髪を表現したことにも大きな意義を感じる。RKO映画って挑戦的な作品を生み出していたのだなと改めて思った。



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