Some Like It Hot

お熱いのがお好きな映画ファンtakのつぶやき。
キネマ旬報社主催映画検定2級合格。

ウディ・アレンのバナナ

2025-01-21 | 映画(あ行)


◼️「ウディ・アレンのバナナ/Bananas」(1971年・アメリカ)

監督=ウディ・アレン
主演=ウディ・アレン ルイーズ・ラサー カルロス・モンタルバン 

僕が初めてウディ・アレン映画を観たのは中学生の時分で、地上波で放送された「スリーパー」(1973)だった。ドタバタのギャグだけでなく、際どい性的なネタもあったから、今思うとよく親は黙認してくれたよな😓。初期コメディ路線の本作「ウディ・アレンのバナナ」は今回が初鑑賞。いやー楽しませてもらいました。

新製品のテスト係をやっている主人公。活動家の女性と付き合うようになったが、「物足りない」と捨てられてしまう。傷心の彼は、一緒に現地の記事を書こうと約束していた政情不安な軍事政権国家を訪れる。ところが反政府勢力に捕らえられ、いつしか共に行動する羽目に。そしてグループのリーダーになっていく。…という長いものに巻かれっぱなしの男の物語。

4コママンガみたいな小ネタのギャグが次々と繰り出されてくるのだが、後の作風と比べると話術で笑わせる場面は少ない。映像できちんとオチを示してくれるのが面白いのだ。ハープ奏者の場面は思わず吹き出した。あんなとこから出てくるなんて🤣。

ヘビの毒は口で吸い出さないといけない!と指導される場面。みんなが「口で吸う!」と唱和するけど、これってスネークマンショー(若い世代はわからないよね💧)の「急いで口で吸え!」の元ネタ?と勝手に想像した。そして女性がヘビに噛まれた!と走ってきたら、男が彼女に群がるのに大笑い。

エロ本を買おうとしてるのに、視線が向けられると違う態度をとる様子にケラケラ笑ってしまった。この場面の仕草を見ると、笑いのルーツはチャップリンだなーと改めて思う。警官がこっちを向くとそ知らぬ振りをするチャップリンみたいな。冒頭の身体が鍛えられるオフィスデスクは、まさに「モダンタイムス」の自動給食機を思わせるし。

革命という政権のとっかえひっかえを皮肉っていると同時に、それを他人事として茶化すばかりのマスコミをもあざ笑う。そういえば「スリーパー」も未来社会の革命に巻き込まれる話だな。70年代前半のバカやってる時代のアレン作品、あと何本か未鑑賞あるから挑んでみたい。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

燃えよデブゴン

2025-01-19 | 映画(ま行)


◼️「燃えよデブゴン/肥龍過江」(1980年・香港)

監督=サモ・ハン・キンポー
主演=サモ・ハン・キンポー ピーター・K・ヤン ロイ・チャオ

日本でサモハン・キンポーが大きく紹介された最初の作品がこれ。ジャッキー・チェン、ユン・ピョウとの共演作の人気から、「デブゴン」のタイトルを冠してサモハンの旧作、未公開作が勝手にシリーズ化されていく。セガール先生の「沈黙」シリーズのように(笑)。

徹底したブルース・リーへの愛が全編に貫かれ、カンフー映画好きにはたまらない。田舎で養豚に励んでいた主人公が、都会で飲食店をやる親族を手伝うためにやって来るというストーリー自体も、「ドラゴンへの道」に似ている。体型や顔立ちもブルースに似ても似つかないのに、成り切っちゃうのが笑える。それはもちろんサモハン・キンポーの華麗なカンフーあってこそ。ただのデブじゃない。

映画撮影の現場でブルース・リー気取りのスターをこてんぱんにやっつけたり、社長の高級車をチンピラの車だと勘違いして壊したりとトラブルしか起こさない。しかしそれはブルースへの愛と偏った正義感の空回り。

クライマックスの異種格闘技戦は、ジミー・ウォングの時代からカンフー映画の王道。それはカンフーこそ最強であるという証。タイトルバックの演武も素晴らしい。悪役には「インディ・ジョーンズ魔宮の伝説」にも出演したロイ・チャオ。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フローラとマックス

2025-01-17 | 映画(は行)


◼️「フローラとマックス/Flora And Son」(2023年・アメリカ)

監督=ジョン・カーニー
主演=イヴ・ヒューソン ジョセフ・ゴードン・レヴィット ジャック・レイナー

Apple TV+が週末限定無料だったので、観たかったジョン・カーニー監督作「フローラとマックス」を鑑賞。

夫と別れて息子と二人暮らしのフローラ。経済的にも厳しいし、息子は窃盗を繰り返して手を焼いている。クラブで踊り明かして男と戯れても、憂さが晴れることもない。息子が何か夢中になれることをと考えて、粗大ゴミからギターを持ち帰ったのだが、ヒップホップ好きの彼には見向きもされず。彼女は自分が弾こうと思い立つ。他のオンライン講師とは違うものを感じて、LA在住のジェフのレッスンを受け始める。

ジョン・カーニー監督作はどれも大好きなものばかり。主人公が過ごす毎日の彩りや生き方を、音楽が少しずつ変えていく様子がたまらなく魅力的。それは本作でも期待通りで、思ってた音が自分で奏でられた瞬間、音楽を通じて人と繋がった瞬間、それが誰かに共感してもらえた瞬間のときめきが描かれる。共通の会話もなかった母と息子が音楽制作ソフトGarage Bandの画面を前にして打ち解ける場面や、好きな彼女に向けた告白ソングを作る場面、母と息子でそのミュージックビデオを撮る場面。そしてラストのステージ場面の一体感には涙出そうになる🥹。観てよかった。

音楽が心を開くきっかけになっているのも素敵な場面だ。ジェフのオリジナル曲にフローラがアドバイスすることで、心の距離が縮まる様子もいい。また、ジェフが宿題として聴くように勧めるのがジョニ・ミッチェルのBoth Sides Now。いろんな映画で使われているが、本作でもヒロインに気づきを与えるいい場面。そして、エンドクレジットが憎いんだよなぁ🥹。カーニー監督、音楽の使いどころが巧い。フローラの自作曲、ちょっと下品な言葉選びだが、それが生々しくて等身大。音楽って自己表現。そこに気取りなんて必要はない。

アラン・パーカーの「ザ・コミットメンツ」を含めて、アイルランドが舞台の音楽映画にはハズレがない!と勝手に思っている私です🎸♪。Garage Bandちゃんと使い方を覚えようかな。映画観ながら、楽器を手にしたいとウズウズしている自分がいる。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エマニュエル

2025-01-15 | 映画(あ行)


◼️「エマニュエル/Emmanuelle」(2024年・フランス)

監督=オードレイ・ディヴァン
主演=ノエミ・メルラン ウィル・シャープ ジェイミー・キャンベル・バウアー ナオミ・ワッツ

2025年の映画館初詣。シルビア・クリステルの「エマニエル夫人」は親に隠れて観た世代なもので、同じ原作を再び映画化と聞いて、気になって映画館へ。

あの「エマニエル夫人」とは全然別な話。共通点は舞台がアジアであること、現地の男性となさるクライマックスであることくらい。性を通じてヒロインが開花するシルビア版とは違って、ノエミ・メルランは最初から仕掛けてくる。飛行機のシーンって、シルビアは何も言えずになすがままだった。この冒頭で自ら行動するヒロインであることを観客に印象づける。

大手のホテルチェーンから依頼を受けて、現場の評価をするために香港のホテルにやって来たヒロイン。ホテルに現れる様々な人々が、彼女に話す様々な性についての考え。追う者と追われる者。見られる快感。自分で自分にもたらす快感。仕事と役割に縛られていた彼女が、まだ見ぬ性の闇に一歩を踏み出す。確かにだんだんと大胆な行動にはなっていくのだけれど、それが彼女をどう変えていくのかは深くは語られず。うーん、成長物語を期待しすぎなのかな。

ノエミ・メルランもナオミ・ワッツも企業には使い捨てられる駒としか見られていない。そんな状況の中で、何を頑張って誇りに思っているのかをナオミ・ワッツが語る場面は印象に残る。それを聞いて主人公が選択する行動。そこがヒロインの変化と言えるかも。シルビア版が性に奔放な男性の手ほどきもあって心も解放されたのに対して、自ら行動を起こすところが当世風なのか。ともあれ、ノエミ・メルランの熱演は見どころ。

伝説の店だと言うから「アイズ・ワイド・シャット」の秘密クラブみたいな性の巣窟かと思ったら、ゴージャスな雀荘めいた店で肩透かしを喰らうw。最後は意中の日系人を含めて3人で…という展開に。「続エマニエル夫人」に出てくる3人で絡み合う美しい場面を期待したが、暗闇で通訳介して抱き合うだけ。そして唐突なエンディング。

僕は音楽がとても官能的に感じた。特にエンドクレジットで流れる弦楽。薄く和音が流れる中で、4分音符で一定のリズムを刻む演奏。その上に同じ4分音符のか細いメロディが喘ぐようなビブラートで重なる。重なり合った男女が刻むリズムを音楽で表現したらこうなるのかも。考えすぎかw



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

陪審員2番

2025-01-13 | 映画(は行)


◼️「陪審員2番/Juror#2」(2024年・アメリカ)

監督=クリント・イーストウッド
主演=ニコラス・ホルト トニ・コレット J・K・シモンズ クリス・メッシーナ

大学4年、陪審員制度について考える刑事訴訟法ゼミに所属していた。映画「十二人の怒れる男」を題材にしているゼミ。当時の日本には、国民が司法参加する裁判員制度がまだなかった頃で、陪審制の長所と短所、導入の賛否について意見が交わされていたっけ。そんな過去があるので、法廷映画は好物の一つなのだ。とは言っても僕は決して真面目な学生ではなかった。「愛のコリーダ」で知られる阿部定事件の裁判記録を図書館でキャーキャー言いながら読んでるようなヤツ😓。そんなスチャラカ法学部生だった僕が、法廷映画で久々にアツくなった。クリント・イーストウッド監督の最新作「陪審員2番」である。

イーストウッド監督作では、しばしば正義を貫くことや人を裁くことの難しさが題材とされてきた。自身のプロダクションを設立した第1作「奴らを高く吊るせ!」から始まって、西部劇でも人間ドラマ路線でも当事者のまっすぐな気持ちと相容れない社会が描かれる。「陪審員2番」はイーストウッドが貫いてきたテーマが色濃く反映されており、この路線では集大成とも言える奥深さを感じさせる。

陪審員が選出される場面で、裁判官が陪審制の意義を説く。
「陪審制には欠点もありますが、私は信じています。正義をもたらす最良の手段だと」
この台詞にビビッときた。従来のハリウッド映画で陪審制が描かれるとき、これぞ民主主義めいた肯定的な描写になることが多かったからだ。法廷シーンが出てくる社会派映画でも裁判の裏側にある不正を告発するテーマが多く、陪審制そのものに否定的な言葉が投げかけられる作品にはなかなかお目にかかれない。もし今、あのゼミに所属していたら「先生!これを観て議論したいです!」と申し出たかも。

そして「陪審員2番」ではそこから先に続く評議の場面で、陪審員それぞれの思想、生い立ち、偏見が結果に大きな影響を及ぼしていくことが露骨に描かれる。裁判で示された事件の証拠のみに従って有罪無罪を判断するとされているが、被告人の過去の行いから証拠に目を向けない陪審員たちが頑なな態度をとるのだ。そして票は真っ二つに割れる。「十二人の怒れる男」では、ヘンリー・フォンダの熱弁から有罪と断定できない理由が次々と明らかになる推理小説のような面白さがあって、有罪無罪の票が動いていくのがスリリングだった。しかし本作にはそれがない。裁判とは別に、観客にのみ示されるもう一つの事実。それが明らかになるのかどうが、ハラハラさせるもう一つ要素として加わることで、物語の先がますます曇ってくるのだ。

真実を明らかに、とよく言われるけれど、法廷で全てが明かされるとは限らない。また、そこで示されたことを裁判に関わる人々がどう受け止めるかによって、結論が大きく揺らぐことになる。「落下の解剖学」で夫殺しを疑われた妻に、「問題は君がどう思われるかだ」と弁護士が言うように、受け取る側の心証次第。夫の転落に直接関係がない家族の裏事情でヒロインが窮地に立たされる怖さが描かれた。「陪審員2番」では、法廷に出て来ないもう一つの事実が観客に示されることで、裁判の結果で出世が決まる検察官と平穏な日々が覆る人物の行末が、裁判の流れと二重三重に絡み合うから目が離せない。社会派の目線も、エンターテイメント視点も兼ね備えている。正義って何だ。考えさせられる。

余韻の残るカッコいいラストシーン。その先にどんな会話があったのか、何のために訪れたのか。それはディスプレイのこっち側にいる僕らの受け取り方次第。こんな力作が配信のみで、多くの人に観られないのはもったいない。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン

2025-01-12 | 映画(は行)


◼️「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン/Fly Me To The Moon」(2024年・アメリカ)

監督=グレッグ・バーランティ
主演=スカーレット・ヨハンソン チャニング・テイタム ウディ・ハレルソン

米ソの宇宙開発競争が激化する時代、アメリカのアポロ計画は国民の関心を失いかけていた。そこに宣伝プロデューサーとして手腕を発揮していたケリーが雇われ、議員への根回しとイメージ戦略が展開される。NASAで打ち上げの指揮を執る生真面目なコールと対立しながらも、予算は確保でき、打ち上げの準備が進められた。ところがケリーに別なミッションが依頼される。それは月面着陸の失敗に備えて偽の映像を準備すること。

アポロ月面着陸の映像はフェイクであるとの噂は昔からあって、それを検証する様子をテレビで見たことがある。月面に立てられた旗の動きがおかしいとかなんとか。本作のストーリーはそんな噂から着想を得たんだろう。

チャニング・テイタム演ずるコールはとにかく生真面目で嘘が嫌い。一方で売り込みの為なら嘘を手段とすることも平気なケリー。男女として惹かれ合いながらも、その対照的な仕事ぶりからたびたび衝突する。そんな2人が、ソビエトとの競争に勝つために嘘で塗り固めようとする政府関係者の方針に共に立ち向かう様子にワクワクする。

偉業を成し遂げる裏側の人間模様、性格もやり口も違う2人のタッグ。ハリウッドらしい予定調和と言われればそれまで。だが、数々の秀作良作を生んできた宇宙開発という題材の安定的な面白さ、「キューブリックはクソ」「ビートルズより有名にしてあげる」といった60年代末期の空気感は、アメリカ映画でないとできない楽しさ。そして、もはやロマコメに見える男女の距離感。往年のハリウッド映画のような王道感がある。やっぱり映画館で観ておきたかったな。

アポロ11号関連の映画もあれこれある。アームストロング船長が主役の「ファースト・マン」の生真面目さもいいけれど、月からの中継を支えた田舎の天文台を描いたオーストラリア映画「月のひつじ」はお気に入り。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オリエント急行殺人事件 死の片道切符

2025-01-10 | 映画(あ行)


◼️「オリエント急行殺人事件 死の片道切符/Murder On The Orient Express」(2001年・アメリカ)

監督=カール・シェンケル
主演=アルフレッド・モリナ レスリー・キャロン メレディス・バクスター アミラ・カサール

アガサ・クリスティ「オリエント急行の殺人」の映像化で、本作はアメリカのテレビ向けに制作されたドラマ版。申し訳ないけれど、シドニー・ルメット監督版(名作!)やデビッド・スーシェのテレビシリーズ、ケネス・ブラナー版には遠く及ばない。本作を観てクリスティ作品を観た気になってもらっては困る。いい作品は他にいっぱいあるぞ。

クリスティの原作を現代劇に翻案した試み。発想はわからんでもないが、ちょっと無理がある。何よりも大きいのは、原作の当時とは違ってオリエント急行は東西を結ぶ国際寝台列車ではなく、観光列車の性格が強くなっていることだ。本作でポアロが乗客に聞き込みする度に、列車に乗った理由をいちいち尋ねるから話がまどろっこしい。空路ならパリまであっという間になのに、わざわざ列車に揺られて遠回りすることはないのだから。

アルフレッド・モリナが演ずるポアロも、従来のファンには物足りない要素があれこれ。本作のポアロは、僕らがポアロに抱いている小綺麗な紳士のキャラクターとは違う大柄なヒゲ男だ。おまけに現代劇なので、ノートパソコンでアームストロング事件を検索したり、乗客も携帯電話使ってるし、かつてPDAと呼ばれた情報端末(90年代のザウルスとか・懐)まで登場する。いやいや、ポアロはこんなことしないよ。おまけに最初と最後に美しい恋人(?)も登場。彼女の職業にびっくり!🫢。それ付き合う相手間違ってない?

残念なのは、列車で移動しているムードが感じられないこと。車窓が映されるシーンも少ないし、ガタゴト揺られているような演出もあまり出てこない。最後はカーテン閉め切ったラウンジのような車両で謎解き。なんだかなぁー。

ともかく、アルフレッド・モリナのポアロが見てみたかったのでした。往年のスター、レスリー・キャロンが老夫人役で出演。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ボルテスVレガシー

2025-01-08 | 映画(は行)


◼️「ボルテスVレガシー/Voltes V: Legacy」(2024年・フィリピン)

監督=マーク A. レイエス V
主演=ミゲル・タンフェリックス ラドソン・フローレス カーラ・アベラーナ

オリジナルの日本アニメ「超電磁マシーン ボルテスV」(1977)は見たことがない。民放2局(当時)の県に住んでいたから、きっと放送がなかったんだと思う。そのアニメがフィリピンで大人気。その作品への愛で実写映画化してしまったのが本作。日本アニメが海外で愛されているのは嬉しい。

とは言え、僕はオリジナルを知らないから、地球の危機に5人の若者が立ち上がる物語に触れるのはこれが初めて。オリジナルは動画サイトでチラ見したが、見せ場の合体シーンだけでなくそれぞれの場面がオリジナルに準拠しているようで、並々ならぬ愛を感じた。ドクロの宇宙船の再現度、角の生えた異星人を大真面目に演ずる役者さん。スーパー戦隊をチープにしたような映画と思っていたけど、フィリピンでの国民的な人気を裏切れないという心意気を感じる。いいねぇ。ガミラスを妙なCGにしたヤマト実写版より遥かにいい心意気だw

世界規模で危機が起こっているのに狭い孤島だけで話が進行してない?
コクピット内でいちいち振り返っているがそっち向いて見えるのか?
ドクロ宇宙船の攻撃は手ぬるいでしょ
いろいろツッコミどころはあるけれど、楽しめました。

劇場公開後、その年のうちにBSで放送されたことにもびっくり😳



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マドモアゼル a Go Go

2025-01-06 | 映画(ま行)


◼️「マドモアゼル a Go Go(女の望遠鏡)/ Trop Jolies Pour Etre Honnetes」(1973年・イタリア=フランス)

監督=リシャール・バルデュッシ
主演=ベルナデット・ラフォン ジェーン・バーキン エリザベート・ヴィエネール セルジュ・ゲンスブール

本作は1974年に「女の望遠鏡」のタイトルで公開された。その後、渋谷系からフレンチカルチャーが人気になった90年代に「マドモアゼル a Go Go」と改題して再上映された作品。ジェーン・バーキンとセルジュ・ゲンスブール共演作ではあるが、一応の主役はベルナデット・ラフォン。犯罪者から金を奪おうと計画する4人の女性たち。その一人がジェーンで、セルジュは彼女らがターゲットにした犯罪者の相棒を演じている。

ニースの海辺に建つマンションでルームシェアして暮らしている4人娘。船員の彼氏からプレゼントされた望遠鏡を覗いていたら、向かいのアパートの一室で大金を扱う男が。世間で騒がれている泥棒だと信じた彼女たちは、その金を横取りしようと企む。果たして計画は成功するのか!?

「黄金の七人」や「ミニミニ大作戦」のような華麗な犯罪映画を期待してはいけない。無駄としか思えない訓練風景と、準備不足で隙だらけの計画。ストーリーの展開も結末も、なんとも都合のいい話ではあるのだが、船員の彼氏が事態を引っ掻き回す様子にはドキドキさせられる。

彼女たちのファッションと行き当たりばったりの活躍をニコニコして見守られる方ならば、きっとお気に召す作品。堅いこと言わないで年末気軽に観るにはちょうどよかったかも♪

音楽担当はセルジュ。電子オルガンで遊んでるような軽妙なメロディがクセになる。ジェーンはメガネっ娘の女医役で、4人の中ではドジっ子担当。ホームセンターで電動ドリルの使い道を尋ねられて、「金庫を開ける」と答えちゃうのがおかしいw



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おとぼけオーギュスタン

2025-01-04 | 映画(あ行)


◼️「おとぼけオーギュスタン/Augustin」(1995年・フランス)

監督=アンヌ・フォンティーヌ
主演=ジャン・クレティアン・ジベルタンブルン ステファニー・チャン ギ・カザポンヌ 

ココ・アヴァン・シャネル」のアンヌ・フォンティーヌ監督初期の作品で、60分の中編。パートタイムで保険会社に勤務しながら、俳優業をしているオーギュスタン。彼の日常とメジャー作品のオーディションに挑む様子が描かれる。

タイトルとジャケットのデザインから、ムッシュユロ(「ぼくの伯父さん」)みたいな小洒落たコメディを期待していた。だがこれがなかなか曲者の主人公で、ケラケラ笑えるような作品ではなかった。

俳優の仕事もないのに、三枚目役は嫌、感情表現は苦手とか変な注文ばかりつける。オーディションはホテルボーイ役だからと高級ホテルで一日見習いを頼み込むが、部屋の清掃をする中国人女性に「また会いたい」とか言い寄る始末。職場では同僚の仕事ぶりを上司に悪く言って点数を稼ぐけど、女性社員には終始からかわれる。

彼は生真面目すぎる人なんだろうけど、ちょっと扱いにくいタイプ。タイトルにある"とぼけた"人でもない。本人は大真面目に物事に向き合っている。周囲と噛み合わない様子で笑わせるのが狙いだろうが、今ドキの若い世代に"イタい"と言われそうなオーギュスタンを笑いのネタにするのは、観る人によっては不快に映る気もする。

オーディション場面で相手をしたティエリー・レルミット。何を言われても大らかに対応する姿がいいね。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする