Some Like It Hot

お熱いのがお好きな映画ファンtakのつぶやき。
キネマ旬報社主催映画検定2級合格。

サスペリア

2024-09-04 | 映画(さ行)


◼️「サスペリア/Suspiria」(2018年・アメリカ=イタリア)

監督=ルカ・グァダニーノ
主演=ティルダ・スウィントン ダコタ・ジョンソン ミア・ゴス クロエ・グレース・モレッツ

傑作「ミラノ、愛に生きる」に衝撃を受けて以来、ルカ・グァダニーノ監督は気になる存在。繊細な人間ドラマのイメージがあるだけに70年代ホラー「サスペリア」のリメイクを手がけたと聞いた時は驚いた。舞台は東西に分かれた時代のベルリン、クラシックバレエからコンテンポラリーダンスに様変わり。

ホラーは苦手だけど、オリジナル「サスペリア」には抗えない魅力を感じていた。それは鮮血の美学とも言うべき他では観られない映像と、ゴブリンのおどろおどろしい音楽(音楽室のピアノで「エクソシスト」とこれのメロディを弾いてた私w)。ストーリーの記憶はあやふやでも、それらは記憶にしっかりと刻まれていた。

バレエ団の陰に悪魔復活の野望が隠されている…という基軸のお話を、失踪した女性を追う精神科医を絡めて謎解きのような展開。しかしオリジナルでジェシカ・ハーパーが演じた主人公スージーはただひたすらに巻き込まれて怖い目に遭った人。本作ではアーミッシュ部族の出身との設定で、一般の人とは異なる風習の中生きてきた人物となっている。

本作では東西冷戦、分断された都市ベルリン、ドイツ赤軍のハイジャック事件、同じ宗教なのに少数派の人々…と何かと対立する存在が示される。それはバレエ団の裏に隠された魔女と人間界という関係にもつながる。ヒロイン、スージーはオリジナルと違って古参魔女の器となることを受け入れず、自ら魔力を手にする存在へとなっていく。それは彼女を縛り付けていた母親という存在からの離脱。ここでも実の母、新たな母として受け入れることを迫る魔女。ここでも相対する関係が見えてくる。オリジナルの怖い目に遭ったヒロインの話を念頭に観ていたら、予想の上をいく結末が待っている。

でもねー、これは期待した「サスペリア」じゃない。ショックシーンも、血みどろのクライマックスも、不気味なティルダ・スウィントンもいいけれど、美学とも評された毒々しい映像の個性は感じられない。レディオヘッドのトム・ヨークによる音楽は、映画を彩る重い空気を作ることには成功しているものの、身体に染み付くような、単調で呪文のようなゴブリンのメロディとは違う。あのメロディがあるから、オリジナルの「サスペリア」は悪夢から観客を目覚めさせない怖さがあった。「決して一人では観ないでください」とキャッチコピーとあの旋律は、ペアで僕らの心に刻まれたんだもの。

あ、クロエたん好きだから、出番があまりにも少なくて消化不良なんだろって?

はい、図星w




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ジュリア

2024-09-02 | 映画(さ行)


◼️「ジュリア/Julia」(1977年・アメリカ)

監督=フレッド・ジンネマン
主演=ジェーン・フォンダ ヴァネッサ・レッドグレープ ジェーソン・ロバーツ

初めて観たのは中学2年。フジテレビ系の映画番組だった。映画と名がつくものには訳もわからず食らいついていた頃だったから、ジェーン・フォンダの名前で観る気になったんだろう。2024年8月に宅配レンタルDVDでウン十年ぶりに再鑑賞。

作家リリアン・ヘルマンの自伝的な作品「Pentimento」を原作にした作品。リリアンにとって幼い頃から大切な存在だった女性ジュリアとの、幼い頃の出来事から別れまでが描かれる。この映画について触れる文章には、女性の友情物語という表現がよく使われている。でも友情という言葉では表せない、もっと強いつながりや思いがある。あこがれ、という表現が適切かわからないが、対等な立場で仲良しというよりも、リリアンがジュリアを慕っている間柄。この感情が、映画後半に危険を冒してジュリアのいるベルリンを訪れる力になっていく。

リリアンの代表作となる戯曲は「子供の時間」。「ジュリア」本編の中で、長年の恋人ダシール・ハメットから「紛れもない傑作だ」と評される場面も出てくる。この戯曲を映画化したのが、ウィリアム・ワイラー監督の「噂の二人」。同性愛だと周囲に疑われて精神的に追い詰められていく女性が忘れられない作品だ。「ジュリア」でも、リリアンとジュリアの関係をそうした性的指向を疑う言葉をかけられる場面が出てくる。決してそうではないのだが、リリアンがジュリアに向けられた気持ちが単に友情と呼ぶレベルを超えた大切な関係だということが、こうした面からも伝わる気がする。

リリアンと長年恋愛関係にあったダシール・ハメットをジェイソン・ロバーツが演じている。リリアンに暖かくも厳しい助言をしたり、睡眠の邪魔だと邪険な扱いをしたりだが、アメリカに戻る彼女をにこやかに迎える姿に、言葉にせずとも伝わる気持ちが見える。

映画後半はほぼサスペンス映画の様相。この緊張感が、それぞれが置かれた切実な状況を示していて目が離せなくなる。ジンネマン監督の代表作が「真昼の決闘」だったことを思い出させる。折しもナチスが台頭してきた時期のベルリン。ユダヤ人であるリリアンが身の危険を乗り越えて、ジュリアとの短い再会を果たす場面は観ているこっちまで待ち焦がれていたような気持ちになる。追われる身だが笑顔を絶やさないジュリア、積年の思いで胸がいっぱいのリリアン。二人の表情は対照的。

原作のタイトルPentimentoは、もともと描かれていた下絵が透けて見えてくること。映画冒頭でこれが語られるのだが、リリアンが過去を見つめ直すことを表しているのだ。改めて観て、あの頃じゃわからなかった切なさや、ジンネマン監督の巧みな見せ方を味わうことができた。ジョルジュ・ドリュリューの音楽も美しい。





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親密すぎるうちあけ話

2024-08-27 | 映画(さ行)


◼️「親密すぎるうちあけ話/Confidences Trop Intimes」(2004年・フランス)

監督=パトリス・ルコント
主演=サンドリーヌ・ボネール ファブリス・ルキーニ ミシェル・デュショーソワ

パトリス・ルコントの映画には様々な魅力があるが、持ち味が発揮されるのはおっさんの片恋だと思う。それも綺麗じゃなくて、かなり歪(いびつ)な恋愛のかたち。理髪店で美しい妻を愛でる亭主、窓から美女を覗く男、女性の幸せの為なら自分の思いを殺せる男…などなど。世間では気味悪いのひと言で括られそうな男たちだが、スクリーンで彼らの気持ちと向き合うと、不思議と切なくなってくる。自分も片恋に焦がれているようなw

久々にそんなルコント映画が観たくなって、宅配DVDレンタルでまだ観てなかった本作をチョイス。

話を聞いてくれる誰かが欲しい。解決や結論を求めているわけじゃない。だから大切な人の話はちゃんと聞こう、と世の旦那に呼びかけるネット記事をよく目にするけれど、これはそういう話でもあるw

同じ階の精神科医と間違えて税理士ウィリアムの部屋を訪れたアンナ。夫と不仲になっていることを喋り始める彼女と、離婚がらみの税相談だと思って聴き続けた彼。次の訪問を一方的に決めて去った彼女に、精神科医ではないと言いそびれた彼。ほんとは税理士だと告げられて、最初は怒ったアンナだったが、いつしか彼女にとってウィリアムは他にはない"話し相手"となっていく。しかしアンナの夫が、ウィリアムにつきまとうようになって、事態はこじれ始める。

誰かのプライバシーを覗き見することは、誰もがドキドキしてしまう。ヒッチコックのサスペンス映画から市原悦子の家政婦ドラマまで、主人公だけでなく観ている僕らも覗き魔の一人にされ、巻き込まれてしまう。ちょっと変態、ちょっと偏執。

本作はルコント先生による、一種の巻き込まれサスペンス。ヒッチコック風に言えば、税理士ウィリアムは殺人を告白される「私は告白する」の神父、私生活を覗いてしまう「裏窓」のカメラマン、突然現れた女性に「めまい」のようにドギマギして、「北北西に進路をとれ」のように巻き込まれてしまう。そしていつしか彼女を愛し始めてしまう。

だが、本作は単なる片恋ドラマに終わらない。アンナの夫の問いかけにウィリアムは愛情を口にしてしまう。それは彼女をかばうためか、それとも思わず出てしまった本音なのか。アンナの夫が、夫婦で抱き合う姿を窓越しに見せつける場面。ウィリアムの表情にあるのは、アンナが元鞘に収まった安堵ではない。それはもっと胸を焦がすものだったに違いない。元妻が付き合っている今の相手が気に入らなくて、複雑な心境になる姿も面白い。

※以下、結末に触れています。
おっさんの片恋ルコント映画はビターな後味が多いのに、本作は違った結末が待っている。それは他の作品にはないもので、未来を感じさせる素敵なもの。エンドクレジットが素晴らしく、カウチに寝そべっているアンナのすぐそばで話を聞くウィリアムの姿が、ブライアン・デ・パルマの映画みたいに俯瞰で映される(覗きの目線!?)。それは映画の冒頭には机を挟んで距離を置いていた二人に起こった大きな変化。それを見届けた僕らは、これまでのルコント映画に感じたことのない幸福感を味わう。

好きだ、これ。
DVD返しちゃったけど、また観たい!






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スパルタンX

2024-08-23 | 映画(さ行)


◼️「スパルタンX/快餐車 Wheels on Meals」(1984年・香港)

監督=サモハン・キンポー
主演=ジャッキー・チェン ユン・ピョウ サモハン・キンポー ローラ・フォルネル

元吹奏楽部なもので、高校野球の応援でブラスバンドが何を演奏するのかは毎回ちょっと気になる。僕がいた高校ではレイダースマーチ吹いてたっけ。とある試合をテレビを見ていて、金管楽器の高らかなメロディが耳に残った。🎺♪

うん?なんか聴き覚えが…。
ちょっと!スパルタンXやん!!😆
顧問の先生がジャッキー好き?それともプロレス好き?どっちだろw

80年代半ば、ジャッキー・チェン、サモハン・キンポー、ユン・ピョウのトリオ出演作がいくつかあるが、本作はスペインロケが楽しい娯楽作。キッチンカーで商売しているジャッキーとユン・ピョウが、トラブルを起こした金髪美女と知り合う。彼女を匿ったり悪党から救ったりするうちに、彼女の素性が明らかに。一方、私立探偵事務所を突然任されたサモハンも、依頼を受けて彼女を追っていた。彼女が追われる理由は?3人は彼女を守りきれるのか?

昔観た時よりもスケートボードアクションの大変さがわかる気がする。パリ五輪の最中に観たせいに違いないw。もちろんカンフーアクションも満載。いちばんの見どころは、元米国キックボクシングチャンピオンであるベニー・ユキーデとジャッキーの一騎打ち。軽いコメディ部分に満足できなかった人は、ここで一気にヒートアップすることでしょう。サグラダファミリアでの撮影も楽しい。ジャッキー映画は三菱自動車が関係することが多いが、本作のキッチンカーもそう。

冒頭で話題にしたテーマ曲は、日本で付け加えられたキース・モリソン(木森敏之)の楽曲。メロディがキレのあるホーンセクションと絡み合うサビのアレンジがかっちょいい。

いいなぁー🎺これ演奏できて😃





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サンフィアクル殺人事件

2024-08-12 | 映画(さ行)


◼️「サンフィアクル殺人事件/Maigret et l'affaire St. Fiacre」(1959年・フランス)

監督=ジャン・ドラノワ
主演=ジャン・ギャバン ヴァランティーヌ・テシネ ロベール・イルシュ

ジャン・ギャバンのメグレ警視第2作。生まれ故郷のサンフィアクル村に戻ったメグレ。彼の父はとある伯爵家の管理人で、メグレは幼い頃をそのお屋敷で過ごした。脅迫めいた手紙が届いたと、当時伯爵夫人だった女性から相談をされての帰郷だった。ところが翌朝、教会でミサの最中に夫人は心臓発作で亡くなってしまう。手紙の予告に一致する死に、メグレは「これは殺人だ!」と関係者に聞き込みを始める。放蕩息子である現伯爵、執事、管理人と銀行に勤める息子、医師、神父。それぞれに殺人の動機が疑われる。犯人は誰か、どう実行したのか。

メグレ関連作を観て、このシリーズは人情刑事ものだと理解したが、今回は個人的な関わりから事件に巻き込まれるエピソード。クリスティ作品みたいに限られた舞台のストレートな犯人探しミステリーなので、謎解きの面白さを期待して観るなら前作以上。

メグレの対人関係のうまさも映画のポイント。関係者それぞれの立場を理解し、捜査への協力を仰ぎつつ、一方で追い詰めていく。メグレが幼い頃に伯爵家に嫁いできた夫人には、少なからず憧れのような気持ちもあっただろう。そんな夫人を救えなかったことは、彼にとってどれだけ辛いものだったに違いない。それを抑えながらただ冷静に振る舞い続けただけに、直接的な犯人を追いつめた後、感情が爆発する場面が切ない。台詞からわかるメグレの年齢を既にこえてる自分だが、こんな男の強さも貫禄には程遠い。ジャン・ギャバン主演作を観るたびに、昔の大人の男ってカッコいいよなぁと思わされる。



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殺人鬼に罠をかけろ

2024-08-06 | 映画(さ行)


◼️「殺人鬼に罠をかけろ/Maigret Tend Un Piege」(1958年・フランス)

監督=ジャン・ドラノワ
主演=ジャン・ギャバン アニー・ジラルド ジャン・ドザイー

パリ五輪のせいなのか、今年はついついフランス映画に手が伸びる。「メグレと若い女の死」を観て、興味をもったジャン・ギャバンのメグレ警視映画をセレクト。

「殺人鬼に罠をかけろ」はジャン・ギャバンがメグレ警視を演じた第1作。タイトルにメグレの名前が出てこないのは、「現金(げんなま)に手を出すな」を筆頭に50年代ギャバン主演作がちょっとワイルドな文句を選んでいたからなんだろか。ちょっとネタバレ感もありますが。セーヌ川沿いパリ市街の地図に、メグレ警視のトレードマークであるパイプの影が重なるタイトルバック。

女性が被害者となる連続殺人事件が起こる。パリ4区警察署は地元で解決しようと考えていたが、第一報の通報はメグレ警視を名指した犯人によるものだった。犯人を付け上がらせるものか。メグレは「容疑者逮捕。異常者の犯行」との記事を報道をするようにしむけた。すると警視庁に「異常者ではないぞ」と犯人からのメッセージが。手柄をあげたいばかりの4区警察署の初老刑事は、現場検証を見ていた群衆から不審な女性を尾行する。彼女と事件の関わりは?メグレと犯人との駆け引きの行方は?

予想以上に面白い。ジェラール・ドパルデューのメグレは終始演技は抑えめで、(言い方が悪いが)"枯れた"男の魅力。本作のギャバンは、ギャング映画をビシバシ撮ってた頃だけに、そのイメージと変わらない凄みと貫禄がある。ドパルデューの静なイメージとは違って、声を荒げて容疑者と向き合う場面は、引き込まれる迫力がある。その一方で、バカンスに行けなくなったと嘆く妻や、取調べで出会う人々とのやり取りでは、人間味を感じる。

フーダニット重視の犯人探しミステリーとは違って、犯行の裏側にある"女性不信"感情のルーツにまで触れるストーリーは、原作の良さもあるのだろうが、引き込まれる。基本は人情刑事ものなんだな。

アニー・ジラルドは、それなりの年齢になってからのアラン・ドロン共演作しか観たことがなかった。本作の若き彼女は、揺れる心情がありながらも、愛に裏付けられた芯のある強さ。今年の助演賞候補かな。こういう人間模様の面白さは、やっぱりフランス映画の魅力。



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ザ・メキシカン

2024-07-28 | 映画(さ行)


◾️「ザ・メキシカン/The Mexican」(2001年・アメリカ)

監督=ゴア・ヴァービンスキー
主演=ブラット・ピット ジュリア・ロバーツ ジェームズ・ガンドルフィーニ J・K・シモンズ

ブラピとジュリアの二枚看板を掲げ、スタアで客を呼ぶハリウッドらしい娯楽作。普段なら絶対にセレクトしない類の映画なのは百も承知。監督も(苦手としている)カリブの海賊の人だし。観たくなった理由は、ジュリア・ロバーツが劇中で乗る緑色のVWニュービートル。映画で走る姿を見たくなったんでした。こんな動機で観る人いないよね。

ブラピが雇われる組織内の裏切りドラマが分かりにくいとか、立ちションしてる人にあんな角度で弾丸が当たるのかとか、手錠で繋いだJ・K・シモンズ先生のその後とか、ツッコミどころは多々ある。伝説の銃の逸話を、ギャングだけでなく、現場の警察官まで語り倒せるって、どんだけ世に知られた銃なんだよ。それでも、ブラピのメキシコパートも連れ去られたジュリアのパートも、それぞれに凝った展開が用意されていてそれなりに最後まで楽しめた。彼女役はチンピラに惚れそうな現実味のあるキャスティングの方が…と思っていたが、並行する2つのストーリーを対等にみせるにはジュリアくらいのスタアである必要があったのかも。

その功労者は殺し屋を演じたジェームズ・ガンドルフィーニの存在が大きい。結果としてジュリアを守ることになり、心が離れそうになっているジュリアに気づきを与える存在になっているのがいい。それが映画後半退場するのが残念なのだが、「友達なのに!」とまで口にするジュリアが、意外なほど気持ちを引きずらないのはちと納得がいかず。まぁこれもスタアの顔見世娯楽作だし、と割り切らないといけないのかなぁ。

必殺シリーズみたいな哀愁のトランペット、リズム重視の劇伴、いかにもメキシコ!な音楽。不細工なワンちゃん、もっと活躍が見たかった。あ、お目当てのニュービートル素敵でした。






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シークレット

2024-06-17 | 映画(さ行)


◾️「シークレット/Secret」(1971年・イギリス)

監督=フィリップ・サビル
主演=ジャクリーン・ビセット ペール・オスカルトン ロバート・パウエル

中坊の頃。初めて買った映画雑誌に、その年に公開された映画のチラシ画像がズラリと並んでいる特集記事があった。へぇー、こんなのあるんだ。地方都市在住だとお目にかかれない映画もあれこれ。

ジャクリーン・ビセットは「料理長殿ご用心」や「ロイ・ビーン」をテレビで観て、綺麗な人だなぁーとマセガキながらに思っていた。本作「シークレット」もチラシ画像が載っていた。なーんか煽情的なコピーと共に気になった。
「あのジャクリーン・ビセットが全裸で挑む人妻の性!!」
感嘆符2個‼️ですよw。こんなんに出演してたのか😳。マセガキ君は(ちょっと)ドキッ💓としたのでした。ウン十年経って初鑑賞。製作は1971年で日本公開は80年。それで初めて買った映画雑誌に載ってたのか。ふむふむ。

平凡な日常に囚われて精神的に参っている夫婦。夫アランは就職試験に臨み、妻ジャッキーは娘を連れてコインランドリーに出かける。頭痛に襲われたジャッキーは公園に足を向けるが、そこでロールスロイスに乗った中年男性ラウルに声をかけられ、彼の家を訪れる。アランは試験中に妻とのことを考え続けていたが、面接対応をしてくれた女性と二人きりに。娘はランドリーで会った年上の少年の家に遊びに行く。三者三様のその日の午後。それぞれに言えない秘密ができた日になった。

もっと淫らなお話かと思ってた(マセガキの妄想?🤣)。確かに不倫話ではあるのだが、収まるところにきちんと収まって、しかもそれぞれの気持ちを見つめ直す時間と経験になりましたというお話。

娘は寝る前に父親に本を読んでもらうのが習慣なんだろう。いつものように父親が娘にキスしようとすると顔を背ける娘。それは少年との午後の記憶がよぎったからに違いない。

長回しのワンカットが多用されている。オープンカーから通りを渡るヒロインを追うカメラの目線が右往左往する場面は、おいおいと思う。けれど、ラウルとジャッキーが抱き合う場面はなかなか。脱ぎ散らかされた衣服、壁に飾られた亡き妻の肖像、鏡越しの二人がチラチラ見えて、やがて映像は二人をデーンと捉える。濡れ場に至るまでのラウルの気持ちが映像からにじんでいるようにも思える。マセガキ時代にこの場面を見ていたら絶対早送り⏩してただろなww。

少女が少年にもらった鉢植えを見つめる映像からつながるエンドクレジット。印象的で綺麗な幕切れ。
「コンピューターの仕事にはホームズよりもワトソンの方が向いている。」
なるほどなるほど。



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ジョン・レノン 失われた週末

2024-05-24 | 映画(さ行)


◾️「ジョン・レノン 失われた週末/The Lost Weekend」(2022年・アメリカ)

監督=イブ・ブランドスタイン リチャード・カウフマン スチュワート・サミュエルズ
出演=メイ・パン ジョン・レノン オノ・ヨーコ ジュリアン・レノン

熱心なジョンのファンに怒られそうだが、このドキュメンタリー映画で描かれる70年代半ばのジョンについて、特にこの"失われた週末"と呼ばれた期間については予備知識がとても乏しかった。偉そうなレビューは書けないので、ご容赦ください。

ジョンとヨーコの個人的なアシスタントであった中国系アメリカ人メイ・パンがジョンと過ごした日々。映画は、当時の楽曲、プライベートショット、交流があったアーティストたちとのエピソード、そしてヨーコとの関係が、生々しい証言と温かみのあるアニメーションやジョンの落書きと共に示される。気を抜くと置いてかれそうなハイテンポで映画は進行する。興味という欲望があるから、映画に引きずられているみたいだった。

言い訳がましくなるが、僕がジョンに真剣に興味を持ち始めたのは「ダブル・ファンタジー」からだし、ダコタハウスの惨劇の後だった。だから当時僕が目にしたのは、音楽的な偉業と、美談として語り継がれそうなラブ&ピースなエピソードばかり。

だからこの映画で語られるのは、よく知らなかったことが多い。ヨーコと離れてある種の安らぎを得たこと、メイと愛し合った日々、そしてヨーコとメイとの間で揺れる心情。エルトン・ジョンやデビッド・ボウイと共演していたのは知っていたが、スティービー・ワンダーとセッションした話にはびっくり。

ヨーコのインタビューこそ挿入されるが、基本はメイ・パン側からの証言で構成されている。かなりヨーコの印象が悪くなるような内容ではあるが、それも彼女の一面なんだろう。

失われた週末と呼ばれた18ヶ月、ジョンが悪ガキだった頃の無邪気さで音楽に向き合っていた様子が心に残った。
I too play the guitar, sometimes play the fool.
(僕もギターを弾くし、時々バカをやる)
と、ジョンはBBCライブのアルバムの冒頭で喋る。他のメンバーが担当楽器と名前を手短に自己紹介する中で、一人だけふざけたことを言うジョン。


この映画で登場する、フィル・スペクターや気心の知れたメンバーで自作曲なしのアルバムを製作する場面は、とても音楽を楽しんでいるのが伝わってワクワクした。それはまさにバカをやってるジョンだった。

そして、息子ジュリアンとの関係には心温まる。子供の頃のジュリアン、最強の美少年っぷり。メイがみんなをつないでくれていて、果たした役割の大きさがよくわかる。音楽を介した人と人のつながりは強いし、時に大きな啓示を与えてくれる。ヨーコとメイがジョンにもたらしたものは、どちらもジョンを形造る大切なものだ。

無性に#9 Dreamが聴きたくなった。




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ジョーズ2

2024-05-23 | 映画(さ行)


◾️「ジョーズ2/Jaws 2」(1978年・アメリカ)

監督=ヤノット・シュワルツ
主演=ロイ・シャイダー マーレイ・ハミルトン ロレイン・ゲイリー

成功作の後を追う映画は、ビジネスだから製作されてしまうもの。だが柳の下に2匹目のドジョウはいない。むろんサメ🦈もだ。しかしこの第2作がスピルバーグ監督の前作と同じプロデューサー、キャスト、ジョン・ウィリアムズの音楽もつけて製作されて、そこそこの成功を収めたことは、後に数々の類似品を産むことになる。そしてサメ映画というジャンルが形成されたと言っても過言ではない。

アミティに再び巨大なサメの脅威が訪れる。前作同様に、サマーシーズンの稼ぎ時を逃したくない人々とブロディ署長のまっすぐな正義感が対立する構図。その対立ドラマは前回以上に激しく、市長や町の実力者たちに都合の悪いブロディは排除される事態に発展してしまう。そんな父に息子たちのドラマも絡んで人間模様が色濃く出た映画になっているのは前作との大きな違いだ。普通ならストーリーに起伏を与えて盛り上げる要素になるところだが、これがどうも煮え切らない印象に終わる。それは話が陸で進んでいるせいだ。

前作は観客も登場人物もただひたすらにサメに気持ちが向いている映画だった。登場人物もサメに執着する漁師、サメの魅力に取り憑かれた海洋学者も交えた濃いキャラクターばかり。そしてストーリーは海の上、船の上で進行する。(予算という事情もあるだろうが)閉鎖された舞台で話が進むから、観客も気持ちの逃げ場がない。そこが脚本の巧さだし、観客を巻き込むスピルバーグの巧さでもあった。「ジョーズ2」のクライマックスは確かにハラハラするけれど、ヨットの上の少年少女と、追いかけるブロディ、港で夫や子供の身を案ずる人々、ブロディを信じなかった人々、と様々な顔がチラついて、観客は感情移入する先が絞り込めない。だって、観客はサメを楽しみたいんだもの。家族愛の物語を期待して「ジョーズ2」は選ばない。

監督のヤノット・シュワルツ(※英語読みじゃなくて、フランス人監督なのでこの表記にします)は、傑作「ある日どこかで」を撮ってるくらいだ、決して下手な人ではないと思う。ヨット遊びの楽しさ、太陽を浴びた水面の美しさは綺麗に映し出されているだけに、それを脅かす出来事が強く印象づけられる。また、前作では自分にできることが定まらずに迷いっぱなしだったブロディが、本作では行動に迷いがない。家庭以外では堅い表情を貫くロイ・シャイダーの演技もいい。ジョン・ウィリアムズの音楽も迫る恐怖を盛り立てるあのメロディに加えて、「スターウォーズ」の惑星エンドアで流れそうな軽やかな楽曲もいい。サメもヘリコプターを襲う大活躍。それぞれの良さがある映画だと思うのだが、なんか惜しい気がしてならない。



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