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Some Like It Hot

お熱いのがお好きな映画ファンtakのつぶやき。
キネマ旬報社主催映画検定2級合格。

スペース・キャンプ

2025-08-28 | 映画(さ行)


◼️「スペース・キャンプ/Space Camp」(1986年・アメリカ)

監督=ハリー・スチュワート・ウィナー
主演=リー・トンプソン ケイト・キャプショー ホアキン・フェニックス トム・スケリット

スペースキャンプとは、NASAの宇宙飛行士体験プログラム。かつては北九州市のスペースワールド(2017年閉園)でも一部を体験することができた。本作は、まだスペースシャトルが現役だった時代に製作された冒険ジュブナイル。

夏休みにスペースキャンプに参加した子供たち。「宇宙に行きたい」と呟いた少年のひと言を、ロボットが実現しようとする。彼らとNASAスタッフのアンディがエンジンテスト見学のために搭乗したスペースシャトルが誤って打ち上げられてしまう。短距離無線しかなくNASAと通信ができない、酸素タンクの残量はわずか、大気圏突入のタイミングが迫ってくる。アンディと子供たちは無事に生還することができるのか。

「宇宙からの脱出」や「アポロ13」「ゼロ・グラビティ」、アニメ「地球外少年少女」と同様にトラブルから地球に生還するまでをストーリーの軸とする作品の系譜。だが本作が他の作品とちょっと違うのは、スペースシャトルの勇姿を観客に印象づけることに力が注がれていることだ。

宇宙飛行士志望のキャサリンはひたすらリーダーに憧れるが、危機に陥った現場では失敗が続く。チャラいテキトー男のケビン君の方が頼りになるし、生意気なマックス少年の方が度胸がある。われらがリー・トンプソン嬢は表情こそ曇らせるが、彼女の気持ちの変化に映画は寄り添ってくれない。ケイト・キャプショー演じるアンディへの憧れが増したとか、彼女だけでなく子供たちがこの経験で得たものとか、成長物語のまとめになる部分はバッサリと切り落とされている。あー、宇宙怖かったね、宇宙船カッコよかったねで終わる映画なのだ。

いろんな危機を乗り越えるハラハラがあるのにもったいない。このトラブルを引き起こしたロボット、ジンクス君は"トモダチ"マックスと再会できたのか。トム・スケリットは妻の帰還にどんな顔をしたのか。キャサリンはケビン君を男として見直したのか。シャトルの着陸で終わるこの映画はそんな余韻に浸らせてくれない。

主役はあくまでもスペースシャトルなのだろう。確かにカッコいい。スペースワールドにそびえ立っていた姿を思い出す(懐)。

80年代洋楽好きは、エリック・クラプトンのForever Manをガンガン流しながらケビン君が登場する場面にちょっと心踊る。あのイントロは聴くだけでワクワクする。宿舎で流れるダイアー・ストレイツも懐かしい。この年TOTOの3代目ボーカルとなるジョセフ・ウィリアムズの曲も使われている。この映画の音楽担当は父親ジョン・ウィリアムズ御大。こっそり親子共演w。

嬉しかったのは、「スターウォーズ」がいかに当時の少年たちの憧れであったのかがわかる描写の数々。「ぼくはスカイウォーカーだ」と勇んで宇宙船外に出たけれど、パニックになるホアキン・フェニックス少年。そんな彼を「フォースを使え」のひと言が落ち着かせてしまうw。SWは偉大。



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ジュラシック・ワールド/復活の大地

2025-08-11 | 映画(さ行)


◼️「ジュラシック・ワールド/復活の大地/Jurassic World Rebirth」(2025年・アメリカ)

監督=ギャレス・エドワーズ
主演=スカーレット・ヨハンソン マハーシャラ・アリ ジョナサン・ベイリー ルパート・フレンド

鬼アニメと苦手なアメコミヒーローにタイムスケジュールが埋め尽くされたこの夏の映画館。「ジュラシック…」観るか。2作目以外全部映画館で観てるし!と重い腰を上げた。え?字幕版が夜1回だけだと!?仕方ない吹替で観るか、といざ映画館へ。チケット売り場に想像を絶する家族連れが長蛇の列。翌日から九州北部は豪雨だからこの日狙ってきやがったな。よーし、まだ間に合うからネットでササッとチケット購入して券売機の列をスルーだ。観るぞぉ。気合いを入れてシアターへ。

新章ねぇ。まだやるのかと思ったけれど、スカーレット・ヨハンソン主演ならば観る価値はある。「タロットカード殺人事件」のムチムチしたイメージを引きずっている方々も多いと思うが、アメコミ映画出演を経て身体が引き締まっている。本作の元傭兵役は実にカッコいい。「トゥームレイダー」もスカヨハで撮ればいいのにと邪念が入る。

「ワールド」3部作で世界に解き放たれた恐竜たちのその後。ジュラ期の環境に近い気候でしか生きられない恐竜たちは、赤道付近の島とその周辺に生息していた。新薬開発のために特定の恐竜3種から生体サンプルを摂る仕事のために集められたメンバーたち。その3種は立ち入りが禁じられている島に生息している。島へ向かう途中、救難信号を送ってきた家族を乗せて、一行は島へと向かう。

これまでの作品同様に、人間のエゴやテクノロジーへの警鐘などマイケル・クライトンの原作から引き継がれたスピリットは生きている。「ジュラシック・ワールド」と銘打ってからは地球規模の大きな話になりすぎた感があったが、本作は狭い舞台で展開される決死のアドベンチャー。例えは悪いが第5作「炎の王国」の前半を膨らませたような話だ。

3種の恐竜が何故か陸海空それぞれに生息するものであるという設定。陸海空それぞれのステージで生体サンプルをゲットする、いわばRPGゲームみたいだ。高所恐怖症なもので、第3ステージの翼竜の巣の卵からサンプルを摂るパートがキツいだろなぁ…と思っていたが案の定💧。椅子にへばりつきました😩

助けられて島に同行する家族+チャラい男子1名のドラマが並行するのは面白い趣向で飽きさせない。

「ジュラシック・ワールド」3部作ではDNA操作で新種のハイブリッド恐竜を登場したが、今回は「異種交配」という悪魔の所業が明らかになる。3つのお宝を手に入れた最後は脱出劇のステージだが、そこに立ちはだかるのがもう恐竜じゃない。異種交配で生み出された異形のモンスターがラスボスとして現れる。「エイリアン」を観てるんじゃないよね💧と自分に問いかける。

さらにシリーズが続くのなら、きちんと恐竜を出して欲しいと個人的には思うところ。しかし、恐竜研究も進んでいて、そこに合わせて製作するのが大変なのかもしれない。これまでも鳥に進化したとされる説を描写に取り入れた作品もあったが、もはやそこが見せたいのではないのだろう。デカい生物に襲われる恐怖だけをひたすら撮りたい製作側の思惑があるから、本作のような作品が出来上がったのかも。監督をハリウッド版「ゴジラ」を手がけたギャレス・エドワーズにしたのはそういう意味では大正解。



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さかなのこ

2025-08-10 | 映画(さ行)


◾️「さかなのこ」(2022年・日本)

監督=沖田修一
主演=のん 柳楽優弥 井川遥 夏帆

「好きこそものの上手なれ」
物事を好きでいることは最強だ。誰にも真似できない。でももっとすごいのは、"好きであり続ける"こと。人間生きていく中で、知識も増え、行動範囲や立場や経済状況変われば、いろんなことに目移りもするし、好きを続けていくことは難しくなっていく。それを貫いた一人がさかなクンだ。
「いつかおさかな博士になる」
それを全うするにはとんでもない困難がある。成し遂げる気持ちにブーストをかけるのが、"誰よりも好き"って気持ち。
「好きこそものの上手なれ」だ。何事も。
映画の感想語り合うサイトに集ってる方々の中には、映画が好きで好きで仕方ない方々があまたいらっしゃる。さかなクンが魚を愛し続けているのと同じように。想像を超えた切り口のレビューに驚かされたり、短い文章でも他の人にない鋭い視点があって「すげぇ!」と思ったり。それを毎日のように眺めていることは素敵な時間になっている。感謝。かく言う僕も中学3年で映画鑑賞に目覚めてから、今でも好きであり続けている。
この映画を観ていて何度もむずがゆい思いをした。ミー坊は壁新聞や絵で学校の周囲を沸かせた。発信したい好きなことがあるって、気持ちを抑えられないもんな。
高校時代。その週にテレビで放送予定のとある映画をみんなに知って欲しくて、教室の後ろの黒板に紹介する書き込みをしたことがある。そしたら数学の先生に授業中にめちゃくちゃ怒られた。先生は「クラスメートがそのテレビ見ている間に自分は勉強する気なんだろう」とひどく了見の狭いことをおっしゃったので、「そんなふうにしか考えられないんですか?さびしいっすね、先生」と僕は答えた。その後職員室で正座させられたのはご想像のとおり💧あー、恥ずかしい。教室に戻ったら何人かに言われた。「あれ面白そうやん。見る見る。だから黒板に書くのはもうやめろ」(笑)
さかなクンが好きを貫けたのは、母親の存在が大きかったことを映画で思い知る。現実的な親の立場としては、子供が無事に社会に出られるようにレールに乗せようと四苦八苦する。学業への諦めもあったかもしれないけれど、好きを否定しなかったことは立派。なかなかできることじゃない。それよりも勉強しろって言っちゃうよね。僕に映画を仕込んだ親父殿でさえも「お前は映画の観すぎだよ、ベイビー」と言ってたっけw。内心しくじったと思ってたのかも。
沖田修一監督の映画には愛すべき登場人物がたくさん出てくる。井川遥演ずる母親、幼なじみのヒヨ、ツッパリ連中、ペットショップの店主、その目線はとても温かい。
映画の主眼は誰にもない個性をすごいと認めることの大切さ。最初はめんどくさがっていたツッパリ連中も、ミー坊に一目置くようになっていく。映画後半、ヒヨの恋人がミー坊の夢を笑う場面が出てくる。そんな彼女の姿を見て、ヒヨが表情を曇らせていく。このシーンの柳楽優弥が素晴らしくて、泣きそうになった🥹
分かってくれる誰かがいることは、ミー坊が羽ばたくきっかけになっていく。それもこれも"好きであり続けた"力があってこそ。
わたくしごとをちょっとだけ。
僕には小学校の教員をやってる友人がいる。彼はホームルームで僕の話を時々するらしい。どうせ高校時代の失敗を笑いのネタにしてるんだろう?と言うと、彼は答えた。
「"継続は力なり"って話をする時に例に挙げるんだ。昔から好きだった音楽や映画を今でも好きでいることはすげえと思うんだ」
それで社会に認められてる訳でもないし、あくまで個人の趣味の話だからやめた方がいい。有名人を例にしたらいいのにと僕は言った。
「世間に知られた人よりも、身近な人を例に出す方が子供たちには効くんだ。」
そんなもんかな。彼は続けた。
「だからお前はそのままでいろ。」
好きこそものの上手なれ。
何かに夢中になるって素敵なこと。
さかなクンの自叙伝の映画化でこんな気持ちになるなんて想像を超えてた。





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すべてうまくいきますように

2025-07-30 | 映画(さ行)


◾️「すべてうまくいきますように/Tout s'est bien passe」(2021年・フランス)

監督=フランソワ・オゾン
主演=ソフィー・マルソー アンドレ・デュソリエ ジェラルディン・ペラス シャーロット・ランプリング

わが生息地では上映がなかったフランソワ・オゾン監督作。しかも大好きなソフィー・マルソー主演作。配信でやっと観ることができた😌。

85歳の父アンドレが脳卒中で倒れ、意識を取り戻したが思うように身体を動かせなくなった。社交家で芸術を愛した彼は「こんなのは自分ではない」と失望し、「終わらせてくれ」と主人公である娘エマニュエルに頼む。人生を楽しんでいた父からの言葉にショックを受けたエマニュエルは、気が変わるのを期待しながら、父の希望を叶える方法を妹パスカルと一緒に模索する。

安楽死を描く映画もいくつか観たことがある。そういう場に自分が置かれたらどうするだろう、と考えさせられた。死を選ぶ人の主観を中心にしたスペイン映画の傑作「海を飛ぶ夢」、死を選ぶ母親を思う家族の物語「ブラックバード 家族が家族であるうちに」の2作は特に忘れ難い。本作も含めて共通するのは、パワフルで活動的なイメージがある俳優が死を選択する人物にキャスティングされていることだ。

本作で父を演ずるアンドレ・デュソリエは、モテ男でダンディなイメージが僕らにはある。「愛を弾く女」の音楽家、「奥様は名探偵」の素人探偵夫婦、「赤ちゃんに乾杯!」で赤ちゃんを押しつけられるモテ男の一人。そんな活発なイメージからのギャップは、あれこれ映画を見続けている人ほどインパクトがあるに違いない。そうでなくとも、本作で演ずる父アンドレが元気な頃どんな人物だったかは、話が進むにつれてわかってくる。気弱になってふさいでしまったりもするが、口も達者でユーモアのあるチャーミングな老人だとわかってくるだろう。そんな彼が自ら生を終わらせる選択をするのだ。

だが、これまで好きに生きてきた裕福なアンドレだから、こういう最期を迎えられるとも思える。それに振り回されることになる娘たちの気持ちはどれだけ複雑なことだろう。フランソワ・オゾン監督は、本作を「まぼろし」「ぼくを葬(おく)る」と共に死の三部作と位置付けている。本作では安楽死を選んだらこんな手順を踏まねばならないということを克明に見せてくれる。伊丹十三が「お葬式」で納棺の手順や葬儀での挨拶を見せてくれたように、オゾン監督はそれらを時にシリアスに時にユーモアを交えて表現する。

家族が手を貸したら犯罪になってしまうこと、安楽死をサポートする協会、手続きの書類を集めること、本人の意思確認など初めて知ることばかりだ。脚本を手がけたエマニュエル・ベルンエイムの実体験に基づく物語なので、現実的なところがしっかり盛り込まれている。オゾン監督は時に事務的にも見えるそうした手順を淡々と観客に示す。それは別に否定的にも肯定的にも見えない。

最後に心変わりする例もあるという。そんな言葉に心揺らしながら、父の死を手助けをする娘たちの葛藤。それはとてもシリアスな問題。一方でまるで遠足にでも行くかのように父親は楽しみにしている。まったく、人の気も知らないで。

そしていざ決行日。父が安楽死することを親しい人に言いふらしたものだから、娘たちは警察から自殺幇助を疑われて事情聴取を受けることになるピンチが訪れる。施設からの脱出劇、スイスへの移動は見方を変えれば逃亡でもある。このクライマックスは観客をクスクス笑わせながら、父娘と別れの場面で人情喜劇のように涙を誘う。深刻になって当然のテーマなのに、この映画は観客を悲しませ、不安にさせ、クスッと笑わせ、ワクワクさせて、自分ならどうするかと考えさせてくれる。こんな不思議なバランスをもつ映画はなかなかお目にかかれない。

「すべてうまくいきますように」とのタイトルは、場面ごとにいろんな意味で受け止められる。父の願いが叶いますように、途中で思いとどまってくれますように、生きる選択をしてくれますように、無事にスイスに着きますように、安らかな最期を迎えられますように。そして残された人々が幸せでありますように。重いテーマでもあるけれど、心に残る素敵な作品。




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少林寺木人拳

2025-06-29 | 映画(さ行)


◾️「少林寺木人拳/少林木人巷」(1977年・香港)

監督=チェン・チー・ホワ
主演=ジャッキー・チェン ルン・ユァン クム・カン

初期のジャッキー主演作でもお気に入りの「少林寺木人拳」。幼い頃に父親を殺された主人公は仇を討つために少林寺で黙々と修行する日々。口をきけない彼は、酒浸りの和尚から酔拳の身のこなしを、女性の和尚からは蛇八歩の型を教わる。牢に鎖で繋がれていた男の世話をしたことがきっかけで、その男から攻撃的な新たな型を教わり、メキメキと力をつけた。山を降りる卒業試験としてズラリと並んだ木人が襲いかかる楼に挑む。

修行シーンは王道のカンフー映画では長くなりがちだが、そこを飽きさせずに見せるのはアイディアの賜物。それぞれの師から教わる型の面白さ、映画冒頭に登場する五獣の拳とバラエティに富んだカンフーが楽しめる。

高校時代に地上波の放送で観たのが最初で、録画を繰り返し観ていた。理由は間違いなく、日本版に添えられた主題歌ミラクル・ガイのせいだ。メロディのすき間にストリングスの早いパッセージが入るのは、林哲司楽曲につきもののアレンジ。木人楼に挑む場面とラストの対決は、この曲聴きたさに何度観たことか。のちにアニメ「そらのおとしもの」で使用されたことは最近知ったw

修行と復讐をストーリーの主軸に貫く正統派カンフー映画の趣。
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スカイ・ハイ

2025-06-01 | 映画(さ行)


◼️「スカイ・ハイ/Sky High」(1975年・香港=オーストラリア)

監督=ブライアン・トレンチャード・スミス
主演=ジミー・ウォング ジョージ・レーゼンビー レベッカ・ギリング ロス・スパイヤーズ

噂には聞いていたジミー・ウォングのアクション映画。公開当時はお子ちゃまだったから、巷で流れてる大ヒット曲が主題歌の香港映画としか知らなかった。映画チラシコレクターになった中坊の頃、本作のチラシを手に入れて、悪役が「女王陛下の007」のジョージ・レーゼンビーと知る。えー?どんな映画やろ。いつか観てみたい!と興味だけはあった。2025年5月、BS10の解説付き映画番組で初鑑賞。

…こんなんだったのか🤣

麻薬取引に関係する中国人男性がオーストラリアで逮捕される。身柄の引き受けにシドニーにやって来たのは、ジミー・ウォング演ずる特別捜査官ファン。現地の警察官もファンも黒幕とされるウィルトンを追い詰めたいと考えていた。ファンは制止も聞かず行く先々で大暴れ。ウィルトンのマーシャルアーツ道場で手傷を負ってしまう。果たして事件を解決に導くことはできるのか。

ハンググライダーが空を舞う映像に、名曲Sky Highが重なるメインタイトルはワクワクする。しかしそこから先はツッコミどころと唖然とする場面が続く。警察の訓練施設に着陸したオーストラリアの女性記者を連れ出した特別捜査官はベンツでドライブと思ったらホテルでイチャイチャ。サモハン・キンポー演ずる密売人はエアーズロックで警察に逮捕される。岩に登って逃げたら追い詰められるだろうに…、高所のアクションそんなに撮りたい?

道場から脱出したファンを助けるのが獣医の娘で、二人のイチャイチャが再び続くのはもう笑うしかない。え?もう傷治ったの?ウィルトンのアジトに忍び込むのに、再び出ましたハンググライダー。モーターボートで引っ張って飛ばすのだが、手伝う女性記者とその仲間がすっかりリゾート気分なのもいかがなものか。でも、ちゃんと背景にオペラハウスも収まっていて、オーストラリアのPRには貢献していると見るべきか。

いろいろあるけれど、それでも香港映画界の大スター"天皇巨星"ジミー・ウォング主演作。喧嘩上等の心意気で激しいカンフーアクションを楽しませてくれる。型が美しい華麗なカンフーとは違うけれど、とにかく殴る!蹴る!殴る!その熱量に圧倒される。元ジェームズ・ボンド役者もコテンパンにやられてしまう。あの決着の付け方とその先の末路…マジか!😨。ビル最上階の大爆破はすごいと思うけど、ほぼ火災だし、撮影後の後始末は想像したくないなぁ。

黒人が白人社会で大活躍するブラックスプロイテーション映画というジャンルがある。アジア人が白人社会をひっかきまわす本作も、製作にあたり似たような思いがあったのかもしれない。

いやはや激しい映画でした。今後、ジグソーの名曲を聴く度に思い出してしまいそう💧



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サブスタンス

2025-05-17 | 映画(さ行)


◼️「サブスタンス/Substance」(2024年・イギリス=フランス)

監督=コラリー・ファルジャ
主演=デミ・ムーア マーガレット・クアリー デニス・クエイド

(上映前)
初日初回に参戦。80年代育ちですもん、デミ・ムーアの熱演がどんなもんか見届けるべきよね。上映前に朝マックしよう♪と思ったら、その日からちいかわのハッピーセットなので、すんげえ長蛇の列!😳まぁいいよ。こっちはデミ・ムーア主演作が上映されるまでの暇つぶしだからね。ま、待ちますよ💢

(上映後)
映画友達に速攻メールを送った。
"な、なんかすげえもんを観てしまった😭
 強力な口直し映画が欲しいけど
 モーレツに疲れた。無理😓"

ニッポンの映画宣伝コピーなんて信じない私だが、今回ばかりは四字熟語「阿鼻叫喚」(非常に悲惨な状況に陥って泣き叫び苦しむ様子)を使った気持ちが理解できた。確かにそう、そのものだ。こんな血まみれと思わなかった、終盤スクリーンを見るのが辛かったと文句言われても、四字熟語に全てを託した宣伝に嘘も誇張もない。

しかも入場者には「サブスタンス接種証明書」と記されたステッカーが渡される。なんて悪ノリ!映画終盤で途中退場したおばさんたちが何人かいたが、きっとこのステッカーをゴミ箱にポイだ。デミ・ムーアがサブスタンスの説明データが入ったUSBメモリーを捨てた場面と同じように。

かつてダリル・ハンナが言った。
「40代になったら女優の仕事はガクッと減るのよ」
本作でもデニス・クエイド演ずるプロデューサーが「50歳過ぎたら、女性は…がなくなる」とモゴモゴ言いながら、エリザベスを番組から降板させる。タレントとしての商品価値、セックスアピール、売り物にされる性。業界のプレッシャーの中で生きていく辛さは僕らの想像を超えるもの。一方で若さや美を対する過剰な執着は、身を滅ぼすことになる。

これらは「イヴの総て」や「サンセット大通り」でハリウッドがこれまでも描いてきた題材でもある。「サブスタンス」が扱うテーマとしては決して斬新なものではない。それは女性の扱われ方という業界問題が、今も昔も変わってないということでもある。悲しいけど。

だが「サブスタンス」はこれまでにない映画だ。そりゃ描写はほぼスプラッター映画だし、「エイリアン4」の(いろんな)リプリーも真っ青なビジュアルが登場する。でもそれは表現の手段であって、描こうとした目的ではない。

「2人だけど1人」と再三注意されたバランスが崩れるエゴの醜さ。そして事態を終結させると一度は決めたエリザベス。

この映画が他とは違うのは、その先にある心理にちゃんと向き合ったことだ。エリザベスが思いとどまった気持ちをきちんと示し、それをデミ・ムーアが美醜を超えた演技で世に示したことだろう。自分の実績ある仕事を"ジュラシック"と罵った分身は、母体である自分を食い物にしている。今や憎むべき存在となったはずのスーだが、あなたの存在が必要、輝きの中にあなたはいなくてはいけない、とエリザベスは救おうとする。"推し"を盲目的に応援してしまう心理。いや、どんな目に遭っても子供を思う母性にも似ている。

思えば、デミ・ムーア自身もハリウッドのプレッシャーの下で戦ってきた闘士だ。若い頃は美貌ゆえの役柄が印象に残るが、一方で果敢に難役にも挑んできた人だ。サスペンスも文芸作もある。「第七の予言」の妊婦ヌード、「素顔のままで」で施した豊胸手術、鍛え上げて出演した「G.I.ジェーン」。雑誌で披露したボディペイントのヌードも含めて身体を張って仕事をしてきた。「セント・エルモス・ファイヤー」を愛する僕は、「チャリエン」のデミ・ムーアを見てハリウッドのおもちゃにされてるよなぁと複雑な気持ちになった。

「サブスタンス」はまさにブッ飛んだ表現のとんでもなく刺激的な映画。よくこんな役をデミ・ムーアが…とこのレビューを書く前は思っていた。だが、執着とその果てにある悲劇、スターシステムの華やかさと恐ろしさへの警告をこれだけ身体を張って演じられるのは、様々な作品に挑み続けてきたデミ・ムーアだからできたと思えるのだ。すごいよ、やっぱり🥹

エンドロールを眺めながらちょっと涙がにじむ。ラスト20分をまだやるの?その先まで見せないとダメなの?と思いながら耐えた疲労感。強烈なスプラッター(いや、スラッシャー?)描写をもうやめてー!😖と心で叫んでいた反動。マーガレット・クアリーの裸体の印象が吹っ飛んでしまった悔しさ(笑)。

(翌朝)
目玉焼き🍳を作ろうと僕は厨房に立った。卵を割った瞬間、映画冒頭の映像が記憶によみがえった。そして背筋に戦慄が走った。大丈夫だ、振り返っても分身はいない。



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シーラ号の謎

2025-05-10 | 映画(さ行)


◼️「シーラ号の謎/The Last Of Sheila」(1973年・アメリカ)

監督=ハーバート・ロス
主演=ジェームズ・コバーン リチャード・ベンジャミン ラクウェル・ウェルチ ジェームズ・メイスン

ひき逃げで妻シーラを失った映画プロデューサーのクリントンは、関係者を船旅に誘う。集まったのは女優とその夫、映画監督、脚本家と資産家の妻、芸能エージェントの男女6人。全員がシーラひき逃げ犯の疑いがある。6人にはある秘密が書かれたカードが配られ、その秘密が誰のものかを明らかにしていくゲームが毎夜行われた。ところがそのゲームの翌日にクリントンが死体で発見された。6人はそれぞれのカードを明らかにして、殺人事件の謎に迫ろうとする。一人が真相を告白したことで解決したかに思われたが…。

ハーバート・ロス監督というと、僕ら世代は「グッバイガール」や「愛と喝采の日々」、大ヒット作「フットルース」を思い浮かべる。本作のような犯人探しミステリーは珍しい。秘密が書かれたカードは、その場にいる誰かの過去の過ちや性的志向が書かれている。人を集めて過去の過ちを示すという導入は、アガサ・クリスティの「そして誰もいなくなった」を思わせる。だが目立った探偵役がいないことや、わずかな手がかりから落ち着いたはずの結末が覆される推理劇は独自の魅力。

クルーズを主催するプロデューサーは、いかにも何かを企んでいそうなジェームズ・コバーン。「ウエストワールド」で青い顔して逃げ回っていたリチャード・ベンジャミンは、今回は自信ありげに推理の持論を語る。誰もが惚れてしまうスター女優はラクウェル・ウェルチ。ビキニ姿の場面は短いけれど注目に値する。いかにも悪そうなイメージがあるジェームズ・メイスン。「天国から来たチャンピオン」の悪妻ダイアン・キャノンもイメージ通り。

ゲームが行われる修道院の不気味な雰囲気やクライマックスの謎解きはなかなかスリリング。だがストーリーをきちんと見せることに重きが置かれたのか、盛り上がりは控えめで地味な印象が残った。



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蛇鶴八拳

2025-04-21 | 映画(さ行)


◼️「蛇鶴八拳/蛇鶴八歩(Snake & Crane Arts Of Shaolin)」(1977年・香港)

監督=チェン・チー・ホワ
主演=ジャッキー・チェン ノラ・ミャオ キム・ティン・ラン

少林拳8派の師匠が集まって創造した新たな型"蛇鶴八歩"。ところが8人が失踪、蛇鶴八歩の奥義書を武術界の様々な勢力が狙っていた。ジャッキー演ずる主人公徐英風はその奥義書を持つという青年。次々と彼の前には刺客、交渉を持ちかける者、言い寄る女たちが現れ、薄汚れた少年がつきまとう。なぜ徐英風は危険を冒すのか。その謎が次第に明らかになる。

名匠ロー・ウェイのプロダクションで若手が中心となって製作された映画とのこと。復讐劇の古いカンフー映画とは一線を画したミステリアスなストーリー。多彩な登場人物、そして様々な型が入り乱れるカンフーアクションがたっぷりの佳作。古風な筋書きとは違うアイディア満載、鉄球や横笛などを用いた個性あるカンフーの使い手たちが楽しませてくれる。

クライマックスは、事件の黒幕とジャッキーの一騎打ち。秘伝の蛇鶴八歩を身につけた主人公だが、隙のない守りの型と強烈な頭突きも繰り出す荒々しい使い手に苦しめられる。その戦いに加わるトリプルドム…もとい黒装束の3人の槍使い。この最後の決戦に向けて、それまで拳を交えていた複数の流派の面々がジャッキーと共に集まる姿が観ている僕らの気持ちを盛り上げてくれる。

タイトルバックでは、槍を使ったジャッキーの演舞が映される。バックに流れるのは日本公開時に付け加えられた主題歌デンジャラス・アイズ。林哲司作曲のこの曲は、当時のオメガトライブ楽曲や、ジグソーのスカイハイを思わせるアレンジ。ここばっかり何度も観たくなる。また、2人の槍使いに対してトンファーと刀で立ち向かう演舞も披露され、映画冒頭から最後まで武術に真摯に向き合った映画だと思えた。

おかっぱ髪型のジャッキーは最初からできる使い手なので、"修行して勝つ"いつものパターンとは全く違うが、軽口を叩く自信満々のキャラクターは後の代表作にもつながる。ノラ・ミャオも美しい。





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侍タイムスリッパー

2025-04-06 | 映画(さ行)


◼️「侍タイムスリッパー」(2023年・日本)

監督=安田淳一
主演=山口 馬木也 沙倉ゆうの 冨家ノリマサ 峰蘭太郎

大手の持ち回りで受賞作が決まるイメージしかなかった日本アカデミー賞。2025年の最優秀作品賞は本作が選出された。単館上映から全国に人気が波及したインディーズ作品として、2024年の大きな話題となった。選考基準があまりに偏っているので、ヒット作ばかりになり、数々の秀作を無視してきた日本アカデミー賞。そんな理由から好感を持っていない僕のような偏屈な映画ファンには、ちょっと痛快な出来事ではある。

確かに面白い。もはや日本映画でも使い古されてきたタイムスリップという設定を、これまでにないやり方で見せてくれたのもナイス。現代の協力者たちに、最後まで主人公の素性が明かされない。もといた時代に帰らず、現代を生きる話になっている。しかも過去の因縁を現代で決着つけようとするクライマックスはど迫力。予想を超えていた。だがツッコミどころも多々あるし、都合のいい話でもある。大手が製作する様々なエピソードが盛り込まれて緻密な作り込みがなされた映画とはやっぱり違う。でもそれは決してマイナスには思えないのだ。

本作が観客にウケたのは、真っ直ぐな気持ちをもったキャラクターがとにかく突っ走るシンプルさだと思う。近頃の日本映画が扱うヘヴィなテーマもいいのだけれど、スクリーンに向かう2時間くらいはせめて現実逃避させてよと時々思う。そんな疲れた日本人に元気をくれるド直球の作風が讃えられたんではなかろうか。

僕の出身地では、「とても」にあたる方言は「しんけん」。一生懸命を意味する「知心剣(しらしんけん)」がルーツとなる言葉。クライマックスで"真剣"を使った撮影を提案する場面で、スクリーンから幾度も聞こえる「しんけん」という響きが、主人公の懸命な気持ちに感じられて力がこもった。それだけにシーンの撮影後、優子の平手打ちで最高潮に達した緊張が、一気にほどける落差のタイミングの見事なこと。感服いたしました。

優子助監督、剣心会の師匠、住職夫妻との関わりの温かさにホッとする。素敵な映画でした。




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