Some Like It Hot

お熱いのがお好きな映画ファンtakのつぶやき。
キネマ旬報社主催映画検定2級合格。

乱れる

2019-11-26 | 映画(ま行)



◾️「乱れる」(1964年・日本)

監督=成瀬巳喜男
主演=高峰秀子 加山雄三 草笛光子 白川由美 三益愛子

成瀬巳喜男監督作は「浮雲」しか観たことがなかった。「浮雲」はすごく好きで、成瀬作品をもっと観てみたいと思っていた。友達の勧めもあって「乱れる」をセレクト。

戦後、亡き夫の実家である酒屋を切り盛りしてきた未亡人。スーパーマーケットが隆盛となっていく中で、お得意先を繋ぎとめようと日々働いていた。大学を出たけれど実家を手伝いもせず、遊んでは迷惑をかける義弟は家族の悩みの種だが、彼には彼の思いがあった。ある晩、彼女は義弟に思いを告げられる…。

ストーリーだけならいわゆるよろめきドラマなのだが、告白されてからの揺れる気持ちとヒロインが決断に至るまでの切迫した様子が見事。「張込み」でも思ったことだが、家族に囲まれて役割をこなさねばならない「家」と、そこから解放されて「女」を見せる役柄を演じる高峰秀子はほんとうに素敵だ。

家を出て行く決意をするところで、エンドマークが出てもまったく不思議ではないのだが、そこから予想を超えたクライマックスが待っている。ラストシーンの緊張感と高峰秀子の表情は心にきっと刻まれるだろう。義弟のガールフレンド役はこの後ボンドガールとなる浜美枝。意地悪姉さん草笛光子は、まさにイメージ通りの好助演。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハートブレイク・リッジ/勝利の戦場

2019-11-24 | 映画(は行)



◾️「ハートブレイク・リッジ 勝利の戦場/Heartbreak Ridge」(1986年・アメリカ)

監督=クリント・イーストウッド
主演=クリント・イーストウッド マーシャ・メイスン マリオ・ヴァン・ピープルズ エヴェレット・マッギル

クリント・イーストウッドが監督・主演した本作が製作された1986年。「トップガン」が製作された年でもある。時はレーガン政権時代の米国イケイケ時代。タカ派の映画があまた作られ、アメリカこそが世界の警察めいたイメージが銀幕でも強烈に映し出されていた。僕は映画鑑賞歴の中で最もハリウッド映画離れが著しかった時期で、そんなハリウッドの風潮を冷ややかに見ていた。クリント・イーストウッドは軍人役の出演作もたくさんあるから、タカ派映画にまったく違和感がない。それ故か当時敬遠していた映画の一つ。

確かに米国万歳な映画ではある。クライマックスには、社会主義クーデターが起こった他国に武力干渉するグラナダ侵攻が描かれる。でも今観ると過剰な戦争賛美映画とも思えないし、娯楽作としてとても楽しめた。もっと露骨な映画をいろいろ知った今だからそう思えるのかもしれない。退役を間近に控えた軍曹が、ダラけきった海兵隊の若者を鍛え上げる姿と、彼のやり方を嫌う上官たちとの対立が描かれる。経験と実績に裏付けられた自信に勝るものはない。

タイトルにもある"胸をしめつけられるような"戦場の現実は、タイトルバックのモノクロ写真や周囲の人物の台詞で語られる。そんな修羅場をくぐり抜けてきたタフな男の物語だが、戦場の悲惨さについては薄味。あの時代の映画だから仕方ないのかも。男臭い印象の映画だが、元妻を演じたマーシャ・メイスンが銃後にいる人の気持ちを代弁する存在だが、彼女につきまとう(?)主人公が女性への接し方を学んでいく様が何とも素敵。退役後の身の振り方のことや、軍中心の生活の中で彼女くらいしか心を許せる人がいなかったのかな、とも思える。公開当時の年齢で観てたらグッとこなかったかもしれない。

ハリウッドが求める拳にモノを言わせるタフガイ像を、イーストウッドに求められた最後の頃の作品なのかも。この映画も去りゆく男の花道映画だけど、この後の出演作は老いても凄い人を演ずることが多くなって、「許されざる者」や「グラン・トリノ」いろんな男の花道を見せてくれる。個人的には「スペース・カウボーイ」の楽しさが大好き。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご報告。

2019-11-20 | Weblog

しばらく開催されていなかったキネマ旬報社主催の映画検定。今年復活して、ネット受検もできるので挑んだ。

いきなり2級から!
…無謀?とも思いましたが、アメコミ映画を避けてる傾向があるだけに、4級の出題範囲の2010年代の方が自信ない😅

んで、2級合格しました。



…っしゃーっ!(≧∀≦)

雑食性の嗜好と長年映画ファンやってきた積み重ねの結果かと。

自分がすっごく好きなことに世間が箔付けてくれるなかなかない機会だと思うのだ。それだけに挑む価値がある。このところ邦画クラシックを立て続けにアップしてたのは、検定対策で古い邦画に挑んでいたのでしたww

1級にも挑みますぜ。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

永遠の門 ゴッホの見た未来

2019-11-11 | 映画(あ行)



◼︎「永遠の門 ゴッホの見た未来/At Eternity's Gate」(2018年・アメリカ=フランス)

監督=ジュリアン・シュナーベル
主演=ウィレム・デフォー オスカー・アイザック ルパート・フレンド マッツ・ミケルセン エマニュエル・セニエ マチュー・アマルリック

自身が画家でもあるジュリアン・シュナーベル監督が、晩年のゴッホの姿を描いた美しい人間ドラマ。これまで映画や書物などで見聞きしてきたゴッホのイメージは、狂気とも言える一途さと情熱の持ち主。かつてカーク・ダグラスが演じた伝記映画は「炎の人」という邦題が添えられたし、黒澤明監督作「夢」に登場したマーチン・スコセッシのゴッホもどこか万人の理解を超えた人物のような印象だった。だが、「永遠の門」のウィレム・デフォーが演じたゴッホは、僕がこれまで抱いてきたイメージとは違った。キャンバスに向き合い、独自の描き方を何と言われようと貫く姿は確かに情熱的だ。だが、これまで思っていたような狂気じみた情熱の人というよりも、他人と違う自分を認めて淡々と生きている人に見える。唯一自分を表現できる手段としてキャンバスに向かうことは、取り憑かれたような、それなしには生きられないような執着を感じるのだ。

シュナーベル監督は、ゴッホの視線、見たものを再現しようと試みている。「潜水服は蝶の夢を見る」でも主人公の主観を撮り続けただけに、この演出はその発展だ。視覚障害があったゴッホの主観ショットは、画面の下半分が歪んでおり、落ち着かない視点を手持ちカメラで表現。銀幕のこっち側の僕らもゴッホの目線になる。そこに感じるのは狂おしい情熱ではない。他人のうまく接することができるのか、絵筆を手にすることで生を感じる、たまらなく不安でそわそわした気持ちだ。手持ちカメラは、主観を離れてゴッホの姿を追う時まで揺らぎ続ける。映像に酔いそうになる。

ゴッホの言葉もひとつひとつが印象的だ。例えば、絵を描く意味を問われる場面。「あんたが描いた絵より花の方がよっぽどきれい」という女性に、「花はいつか枯れる。でも私の絵は残る」と静かに言い返す。自分が感じた美を残す意味。唯一自分を肯定できる絵を描く意味。彼女は言う。「じゃあ私を描いたらいいわ」認められる瞬間。画風を批判されたり、アルルの人々から疎ましく思われたり、拘束衣で自由を失う辛い場面も多いだけに、絵で人とつながる素敵な場面が心に残る。

かつてキリストを演じてるのに悪役のイメージが強いウィレム・デフォー。短い時間ながらも共演はマッツ・ミケルセンにマチュー・アマルリックの「007」悪役経験者が並ぶのも面白い。

絵が後世まで残ることは、自分の行為が未来まで残っていくこと。それはまさに永遠につながる入り口だ。

ふと思う。映画だってそうではないか。今僕らが銀幕に向かっている映像が、未来に語り継がれていくかもしれない。それは永遠の入り口に僕らも微力ながら立ち会っていることなのでは。「私たち人生賭けて映画観てるんだもんね」と映画友達と話すことがある。そんな執着心って、ゴッホが正気を保つために絵筆を握っていたのと、実は似ているのかもしれない。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

恋のロンドン狂騒曲

2019-11-09 | 映画(か行)

◼︎「恋のロンドン狂騒曲/You Will Meet A Tall Dark Stranger」(2010年・アメリカ=スペイン)

監督=ウディ・アレン
主演=アンソニー・ホプキンス アントニオ・バンデラス ナオミ・ワッツ ジョシュ・ブローリン

コメディ仕立てだから笑って観ることができるが、同じストーリーを生真面目に撮ったらドロッドロの愛憎劇だ。そこをアレン先生は4つの恋物語をそれぞれの世代にチクリと刺さる毒を含んで、軽妙なタッチで描く。「ウディ・アレンの重罪と軽罪」を撮ってた90年代のアレン先生なら、もっと深刻な映画になってただろう。しかし、私生活もいろいろあって人生達観してきたこの頃のアレン先生だからなのか、けっこうヘヴィなテーマをサラッとこなしている印象。

ナオミ・ワッツ演ずる娘が、熟年離婚で情緒不安定でアル中になりそうな母親(ジェマ・ジョーンズ)にインチキ占い師を紹介する冒頭。インチキだとわかっていても彼女はこう言う。
「人間には幻想が必要だわ」
この台詞、「ウディ・アレンの影と霧」(1992)のラストにも出てきて印象に残っていた。「ロンドン狂騒曲」では、心の拠り所としての何か。僕らも日々必要としていることだ。それが家族だったり、執着できる仕事や趣味や宗教や、はたまた恋だったり恨みだったり。このきっかけが映画後半で予想しなかった展開になっていくのは面白い。結局お告げみたいや占い師の言葉を信じる母親は、「ムー」でも読んでそうなオカルト親父と仲良くなる。人間は何かを信じることが大事なんだな、と感慨深くなる自分。若い頃なら多分バカだねえ、と笑い飛ばしてる。オレも歳とったのかな。

一方で娘の夫は売れない作家(ジョシュ・ブローリン)。窓から見える部屋に住む若い娘(「スラムドッグ$ミリオネア」のフリーダ・ピント)と恋仲になる。2作目が書けずにくすぶっているところへ、作家志望の友人が自動車事故に。彼は友人の未発表作品に目をつける…。先日観たフランス映画「EVA エヴァ」でも主人公が似たような行動をとるのだが、それを映画の結末まで引っ張った「EVA」とは違って、ウディ先生はこれをスパイスのようにピリリと効かせて皮肉な自業自得のラストを飾る。

父(アンソニー・ホプキンス)は派手なコールガールと再婚。男を維持しようと必死に身体を鍛え、ヴァイアグラを服用する姿にニヤリとしてしまう。歳とって女に狂うと男は大変、と言うけれど、まさにその姿を見せてくれる。ウディ先生の映画はいろんな男と女を見せてくれて、楽しませてくれて、時に考えさせられる。「ああはなるまい」と笑うのだけど、ああなるのも男。

全体的には地味な印象だけど、4者4様の恋愛騒動をシニカルな笑いに仕立てて、しかも受け手によってはわが身を振り返らせてしまう巧さ。「ブルー・ジャスミン」みたいに一人にスポットを当てて掘り下げるよりも、こういうオムニバス的な楽しさの方が僕は好み。ウディ先生の名人芸、堪能されたし。
 
恋のロンドン狂騒曲 Blu-ray
アントニオ・バンデラス,ジョシュ・ブローリン,アンソニー・ホプキンス,フリーダ・ピント,ルーシー・パンチ
KADOKAWA / 角川書店

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

恋人たちのアパルトマン

2019-11-08 | 映画(か行)



◾️「恋人たちのアパルトマン/Fan Fan」(1992年・フランス)

監督=アレクサンドル・ジャルダン
主演=ソフィー・マルソー ヴァンサン・ペレーズ マリーヌ・デルテレム ジェラール・セティ

「妻への恋文」という印象的なフランス映画があった。夫婦となった後も出会った頃の様な熱い関係を維持したいと望む夫が、妻に匿名でラブレターを送る。子どもじみているが、一途な気持ちで始めたこと。その原作者アレクサンドル・ジャルダンが自ら監督して自作を映画化したのが、この「恋人たちのアパルトマン」。

男性側からの一方的で一途な感情という点は共通していて、ヴァンサン・ペレーズ 扮する主人公は「男と女はセックスの関係をもたないのが純粋な愛を維持する方法だ」と信じて疑わない。彼には婚約者がいたが、ソフィー・マルソー扮するファンファンに会って、その奔放な魅力に惹かれてしまう。彼女もまんざらではないのだが、いいムードになっても手を出さない彼を不思議に思っていた。

そして、彼はファンファンのアパートの隣室を借り、彼女の留守中にマジックミラーを取り付け、壁越しに彼女を見つめ続ける生活を始める。完全にストーカーなので、彼の行動を肯定はできない。自分の思いに真っすぐ突っ走ってしまう子供のような一途さは、先に挙げた「妻への恋文」と通ずるところだ。調香師を目指しているファンファンは香りに敏感。壁越しに伝わる香りで、彼の行動がバレそうになり、そして…。

共感しづらいところもあるストーリーだし、最初から最後まで身勝手な男目線の映画だとも思える。だが、自由奔放なヒロイン像が何よりもこの映画の魅力。突然泳ぎたいと言い出して、恥ずかしがらずに彼の前で服を脱ぎ始めるシーンは、無邪気で開けっぴろげなヒロインを強く印象付ける。もちろんソフィーの熱烈ファンとしては嬉しいし、"彼女を愛でる映画"としては文句なし。おっと、"彼女を愛でる"と表現した時点で銀幕のこっち側の僕らも、ヴァンサン・ペレーズ君と同じなのかな。うん、そうなのかもww
 
恋人たちのアパルトマン [DVD]
ソフィー・マルソー,アレクサンドル・ジャルダン,ヴァンサン・ペレーズ,マリーヌ・デルテルム
竹書房
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しとやかな獣

2019-11-03 | 映画(さ行)



◾️「しとやかな獣」(1962年・日本)

監督=川島雄三
主演=若尾文子 川畑愛光 伊藤雄之助 山岡久乃 浜田ゆう子

こんな面白いブラックコメディだったのか!ほんっと邦画は不勉強です。映画冒頭のタイトルバック、集合住宅の一室で模様替え?らしき夫婦の行動が映される。何か貧しく見えるような工夫をしているのだが、そこへ息子の会社の社長と会計係、そして怪しげなミュージシャン風情がやってくる。息子が会社の集金を横領していると言い出す。彼らが帰った後、息子と作家の妾になっている娘がやって来る。この一家、他人からの金銭を我がものにして贅沢な暮らしを送っているのだ。ところが、さっきの会計の女性が再びやって来て、息子との関係を清算したいと言い出した。彼女を中心に、社長や税務署の役人までも巻き込んで金銭をめぐるトラブルに事態は発展していく。次に何が起こるのか、ワクワクしてしまう。

際立ったキャラを演じる役者の巧さ。全ての登場人物を翻弄する会計係、若尾文子は言うまでもなく素晴らしい。伊藤雄之助演ずる父親の飄々としながらも計算高いずる賢さ。金の亡者のような家族を口汚く罵るけれど、その中心にいる息子。作家の妾の地位を家族に利用されながらもどこか楽しんでいる娘。そしてそんな家族を束ねているのは、山岡久乃演じる母親。この家族だけでも十分に面白いのに、出てくる人々の強すぎる個性。いきなり小沢昭一の怪しげなミュージシャンで大笑い。ラジオ育ちの僕にとって、小沢昭一はリスペクトする方の一人。この数分間だけでもう感激。

そして集合住宅の建物からカメラ離れないのに、全く飽きさせない絶妙な撮影と構図。あらゆる方向から家族と訪問者たちを見つめる視線の凄さ。部屋の俯瞰ショットならブライアン・デ・パルマ監督作品にも出てくるけれど、ここまでのワンシチュエーションで映画全編を通すなんて、そんな映画観たことない。白黒テレビから流れる音楽にのせて姉と弟が踊る場面。夕焼けというより紫色がかった空をバックに踊る二人と、黙って蕎麦をすする父と母。音楽はいつのまにか和楽器が鳴り響く。なんだこのカッコよさ!

次々に新たな展開がくるのだが、その度に家族が黙ってしまうのが「あの貧乏な生活に戻っていいのか」というひと言。高度成長の時代とは言え、まだまだ戦後を引きずっていたニッポン。若尾文子がしたたかに男たちを利用して生き抜く様子にも圧倒されるけど、これも過去に戻りたくない、変わりたいというあの時代の空気がなりふり構わない変なモチベーションとなった姿なのだろうか。脚本は新藤兼人。この人の目の付け所はどの作品でも鋭い。

そして、無言のラストシーン。あの表情に言葉を失う。
 
しとやかな獣 4Kデジタル修復版 [Blu-ray]
若尾文子,伊藤雄之助,山岡久乃
KADOKAWA / 角川書店
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする