忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

きもちよさそう

2012-11-09 | 共に
 [マネして フリースを かけてみました。気持ち良さそうに 寝ています。本日 室温17度。メルにとって辛い季節が やってきました。] 1週間前のメールだからもっと寒いはず。
 わが家の犬は寒さに耐える体力作りを頑張ってる。室内猫の家庭環境かゆとりあるメルの複雑すぎる迷顔、どうなってるんだ!?

好きずきだけど

2012-11-08 | 共に
 昼に見るけど朝ドラ、NHK総合の連続テレビ小説は【純と愛 jun+ai】 これまでの朝ドラとはがらり変わって現代の沖縄と大阪が舞台。
 宮古島の寂れたホテルを祖父の生きていた頃のような夢のあるホテルにしたい孫娘純は、経営者の父親と喧嘩し「社長になってやる」と沖縄を飛び出し大阪のホテルに勤めはじめた。
 明るく元気で自分の思いを態度に表す自由闊達に生きる若い純と不思議な男性愛との出会い。単なる若者の純愛ドラマでもなく、どこか不自然。
 個人的には受け入れられない気分のままに、2人で毎日録画で見ている。かみさんは熱心だから私も言葉にしないが、都会のこんなに大きいホテルに社員になるための研修や基礎的教育とか指導もいい加減かと呆れてしまう。
 ドラマの迷走の世界に入って行けずに損しているなと思う。大半の場面に現実感より舞台上での演技と見えるのも、演出家の計算なのか。視聴者に何を伝えようとするドラマなのかを理解できない。

 見る人によって好き嫌いがはっきり分かれるのかも知れない。私はこのドラマに重荷を感じる一方でオンブズマン的存在で国民に信頼される人の心の裏側を見抜く人間が本当に居ればとも思う。現在の大嘘が国の上部にはびこる仕組みに痛手を与えることができる力が欲しい。国会議員選挙でさえこの国を悪くする方に向かわせる危険な勢力を強大にしそうな雲行きが怖い。愛(いとし)さんの能力に期待したくもなる。

お も い

2012-11-07 | 共に
 倉庫の前にトラックが止めてあるのと知人家族を見つけ、近寄り挨拶を交わしていると本人が倉庫の中から出てきた。1人後から別にトラックを運転しながら帰るつもりらしい。
 『おおぅ 疲れてしもたぞ!もう運転なんか ようせんぞ。○ちゃん 乗っていんで(帰って)くれや』 『腰が痛くて よう歩かん』
 よろけて倒れるかっこうで、私に向かってふらつく演技を見せ家族も驚かす。嘘とわかり家族はオヤジを残し自用車で帰って行った。その日に収穫した果実を倉庫で選果し、またトラックに積んで夕方には市場に出荷する。1箱22㎏のコンテナを何回も持ち上げ運ぶ日が毎日のように続く。
 数年前まではそのコンテナを3箱1度に移動することもあった人、「そがいな無理しよったら 体痛めるぜ」と私も先輩には何度か注意した。若い頃から彼は力持ちで自信もあっただろうが、ある年代を越えると体力は弱りはじめる。無理が体に溜まりだしいつか反動が現れる。
 コンテナの3箱積み上げ持ち上げ運ぶのは私もたまにはやっていた。昔は50kgから60kgの荷物を担ぐとか背負ったり持ち上げるのは大人の誰もがやっていた。山にも道路ができ運搬も楽になるにつれ、年齢もあり体力は落ちて行く。私も22kgがつらくなった。 
 先日同じの別の先輩と集荷場で出会い「家のコンテナは30kg?ほど入れとるけん、重とうていけんぜ」 『そうぜのう重となったぜのう腰が痛くてたまらない』 先日友人から「息子には無理せず、1箱ずつ運べ」と言いよると聞いた。彼がそのために傾斜地の園地のほとんどを少し運べばよい状態にと作業道を入れたのには感心する。 

きれいごと言ってる

2012-11-06 | 共に
 『だれか来たみたい、行ってみて』 昨夜からの雨が降っていて家族は倉庫の中で仕事中、私には聞こえてないけど大きな引き戸を少し開け外に出る。
 道路には人も車も見えず、配達の人かと郵便受けを確かめるが空っぽだった。また倉庫に入ろうとして倉庫横に止めてある自動車の後部が見えた。
 そこにはTPP反対と脱原発!? 他、数枚のシールが貼ってあり見慣れたマークと団体名もある。でもわが家に何の用事だろうか、それとも駐車に利用しているだけなのか?
 人の姿が見えないがと思っていたけど車の陰から現れた。『あのぅ ○○さんでしょうか』 定期検査と機器交換のために、わが家の外部と家の中にも入らなければならないのですが… 』
 断る理由もなく案内する。外を見てもらっている間に素早く特に必要部分だけでもと室内を片づけた。他は人が通れればよい。
 ちょうど間に合い「ここやけんど ゴミ屋敷のなりかけに なっとって すみませんな」 ほんとは入れないほど埋まっていたけど黙って作業を見ていた。
 立ちあった方がよいのか、居なくていいのか判断が難しい。かみさんの声が玄関にしたので来宅の用件を説明すると見に行った。
 『横の家での生活が多くなり こっちは整理や掃除も めったにせず きたなくしててごめんなさい』 よく言うよ! これでもいつもよりはきれいなほうだ。あとで私が『待っとってもろて、入らん前にきれいにしとくもんよ』と叱られる。聞き流したが、私の利用している部屋は数日前から反省しての片づけ中。

ほんとうの真実

2012-11-05 | 平和を
 新版 【 戦争体験の真実 】 ◎イラストで描いた太平洋戦争一兵士の記録◎ 絵で見る体験記 滝口岩夫[画・文] 発行/第三書館 初版 1999年8月 発行 を読了した。
 [戦場の最前線で描き続けた執念の作品を初めて発表。米軍捕虜との友情、戦闘で倒れる戦友、見捨てられた棄兵、自決、飢餓と人肉食など人間の生と死の極限。一兵士の目で戦争のすべて、その真実を描ききった感動的体験記。]
 各ページに本物で真実を感じ分かりやすい戦争を見る。私が子供のころから元召集兵たちに聞いた話と同じ戦争があった。軍隊体験と海外侵略は、最前戦での生と死の狭間を鬼畜と化した日本国家が国民を虐げた。
 [私は最前線から帰ると生々しい体験を記録として描き残し、いつかくる死を待っていた。隊長は記録画を描く私に怒った。私はわざと死地へ、生きて帰れないような前線へ何度も行かされたがその理由の一つになっていたようだ。
 終戦。戦争は終わった。私は命より大切なスケッチ画は、私が前線より帰る前に隊長に焼き捨てられた。しかし私の頭の中には一度描いた記録画ははっきり残っている。戦争とは人間を悪魔にかえる。私はその悲惨さを戦争を知らない人々に生きている限り訴え続ける。]
 [私の人生の中では、戦闘体験は忘れようとしても忘れることができません。いまでも世界のどこかでは戦争が続いています。戦争では悲しくも一度にたくさんの人たちが犠牲になります。自分の意思とは関係なく、戦場に駆り出された若者たちの姿を、現在の若い人たちにも、ぜひ知ってほしいと思うのです。(あとがきより)] 原子力ムラと同様に戦争ムラにも政治屋の群がる危ない明日を見る。

寝転がるには

2012-11-04 | 共に
 1カ月前の昼間は犬だけだが、夜の散歩には私が道路に背筋を伸ばして仰向け寝をする日もあった。空を見上げて犬が私を、心配するかと様子をみていた。
 顔に近寄りすぐ離れ、お座りの姿勢で待っている。しばらくすると犬は私を真似て横に寝転がる。犬と向き合い体を撫でてやった。あの頃の花はまだわずかに咲いてるけど、寝転ぶにはもう寒い…。

あけっぴろげ

2012-11-03 | 追憶
 いつも満員のバスと列車が移動手段だった私の子供時代、その後バスは続くが煙の匂いと汽笛が好きだった列車は電車へと代わる。
 やがて運転免許を取り家にまずダットサントラックを購入した。乗用車兼用で、荷台の左右に折りたたみ式椅子とホロを取付ると雨を心配せず6人は乗れた。
 本物の乗用車は何年も経ってからまずは中古車だった。そのせいかよくエンジントラブルを起こし未舗装の道路ではパンクも多く、タイヤ取り替えは自分でするのが当然のこと。  道路も自動車の性能も現在は良くなり、長距離を安心して走れるようになった。蒸気機関車から電車とバスに乗用車など、利用する乗り物も外の景色も変化を見せる。
 この何年間も自動車で長距離を走る場合、私は運転せず後部座席に座るかたまに助手席。『せっかく連れて行って もらいよるがやけん 眠らずに ように外を見ときなはいよ』 と毎回注意される。
 先日のドライブのさいも半分夢見心地で時折暗くなった外を見ていて、窓ガラスを透して室内の見える住宅がある。アパートでもカーテンを閉めてない部屋を見る。
 エアコンで現代は夏冬関係なく窓を閉じている家庭は多いが、人が居てもカーテンをかけている家が増えた。山に建つわが家も窓は開けてもカーテンまで開けていることは夏でも少なくなった。
 乗り物に乗るのも珍しかった頃は、特に外を見るのが好きだった。暖かくなるとカーテンのなかった住宅はどこも雨戸を開ければ開けっぴろげで、温もりを感じられた。ガラス戸になっても透明ガラスが多いので寒い季節が来ても、電灯の明かりにほっとする屋内が見えた。

またねよったんやろ

2012-11-02 | 日々
 『また 寝よったんやろ』 朝8時前に○○さんから電話がかかったはずなのに、「知らんぜ」 と返事した私は疑われたまま。親子電話の近くに居ればまだ呼出音は聞こえる。
 その音を聞かなかったのと、昨夜は睡眠不足だったが朝の2度寝をしなかったのは本当だが、当時何をしていたかは記憶がなく答えられなかった。
 山仕事に行く際は何かを忘れ近くだと取りに帰るのはよくある。今朝は携帯電話を充電中なのに、時計代わりのポケットラジオがポケットになくて引き返した。
 午後は病院に連れて行ってもらう。診察を終え名前を呼ばれ支払いを済ます。トイレに行き戻りさっきと同じ椅子に腰かけると、受付の女性が来て『このサイフ ○○さんのじゃないですか?』
 何回もお礼を言って帰り際に尋ねてみると、受付の床ではなくて私が座っていた椅子にあったとのこと。どうりで中身の確認もせずに信じてもらった謎が解けた。
 少ない全財産が入っていてほんとに無くしていたら大変だった。おかげで来年分のアムネスティの会費を送金することもできた。
 帰宅し庭で犬に留守番役を感謝を表し玄関を入ってやっと、調剤薬局で薬をもらってないことに気づき再度の送迎を頼むことになってしまう。遅れるがなんとか想い出してはいるけど、よくあり過ぎるか。

へんなあつまり

2012-11-01 | 平和を
 「日本維新の会」代表の大阪市長・竹下徹は「たちあがれ日本とは世代間ギャップを感じ連携は難しい」と言う一方で、「石原さん個人とは一緒にやりたい」
 石原慎太郎が石原新党の母体として東京都知事辞任前から想定していたはずの『たちあがれ日本』について橋下代表は「信頼関係を築けない」と切り捨てた。
 石原慎太郎は「たちあがれ日本、維新の会、みんなの党の大連合」を呼びかけ「原発や消費税は大事だがささいな問題だ」と威勢よく都知事任期を放り投げ国政へ啖呵を切ったが、さあどうなる。
 なのに現大阪市長の日本維新の会代表が、石原前都知事の新党との連携に難色を示したことで「石原新党」に困惑が広がる。維新の会と石原新党間では、合流して橋下・石原両氏を共同代表とする話もあったとか、だが橋下代表は「話題に上がったことはあるが、僕から持ち出したことはない」と言う。
 河村たかし名古屋市長の減税日本も国政政党としての設立届けを総務相に提出、維新の会や石原新党との連携を模索する。彼は橋下代表を真似て名古屋市長に留まるだけ利口?
 日本維新の会は第三極として国政に大変革の嵐を起こすどころか、民主・自民・公明・その他で復古維新の大政翼賛会を想わせる。
 綱領はまだ幻だが規約では代表に強い権限・拒否権があり、決定権・選挙公認権まで持つという政党。マニフェストを守らない民主政権の嘘には騙されたが、それよりも維新の会が公約を守るほうが国民にとってはよっぽど悪いことになる予想は立つ。