Ma Vie Quotidienne

一歳に二度も来ぬ春なればいとなく今日は花をこそ見れ

ボランティアバスに乗って陸前高田へ。

2011-12-06 23:48:51 | Life
ということで、陸前高田に行ってまいりました。

一関という岩手県南の内陸の町の
災害ボランティアセンターが定期的に出している
日帰りボランティアバスに乗って。

朝7時30分出発だったので7時10分ぐらいに集合場所の一関総合福祉センターへ。

上は60代くらいのおじさんから下は10代後半に見える茶髪のお兄ちゃんまで。
あ、親子で来てた中学生みたいな女の子もいた。高校生かな。
やはり40~50代が一番多かった。
男女は半々ぐらい。
20人の定員に対して19人集まりました。
他の市町村が出してるボラバスも11月以降軒並み定員割れみたいです。

回数も多いときには月8回ボラバスを出していたとのことでしたが、
今は月2回でも定員割れ。
厳しい現状です。

そんなこととは知らずに、
いままでボランティア申し込みをして「満員です」と言われ続けた経過のある私、
またいっぱいだったらどうしよう・・・・と電話をしたときは超緊張。
募集には「市民優先」と書いてあったので、
札幌からなんて言って断られたらやだなと思い、
「あのー・・・盛岡からなんですけど大丈夫ですか?」とちょいウソで尋ねたら、
「あー全然大丈夫ですよー。」って。

しかもふたを開けてみたら今回東京からお越しの方も1人いました。
なんだー。
私も今度からは正直に言おうっと。
定員割れてるから市民優先もへったくれもないのですね・・・・。

さて、雪がはらはらと舞い散る中、海方向、東へ。

前回まではループ橋、国道343号を通って陸前高田に行っていたそうですが、
冬季は事故が多発するので
国道284号から気仙沼を経由するルートに変更したそうです。
そのため少し移動時間が長くなるとのことで、
自ずと現地での活動時間は短くなるわけで・・・。

なんだかもどかしいですね。
だったら出発を6時にすればいいのに・・・とか
勝手なことを思ってしまう

気仙沼、そして陸前高田の市街地を通り抜け、
街の少し内陸側にあるボランティアセンターへ。

そこでウチのボラバスチームがどこで何をするかマッチング。

海に面した市街地からさらに東、
海に突き出したリアス式海岸をなす半島の一つ、広田半島。
そこにある個人所有の畑の瓦礫撤去の依頼が来ており、
そこが活動場所となりました。

ボラセンのスタッフから注意事項を聞く。
写真は遠慮してくださいとか。
骨らしきものが出てきたらどうするかとか。
云々。

そして、ボラセンから必要と思われる道具を借りて行きます。
剣先スコップやらネコ(一輪車)やら・・・・。

そしてまたバスに乗り込み30分くらい。

広田半島は半島の真ん中あたりがくびれていているのですが、
311の津波の時にはそのくびれの両側から波が押し寄せ半島が一時分断されました。
そのエリアもバスで通りました。
ほんとに一面荒野というかなんというか・・・・。
まだまだ畑の真ん中に船だのなんだのが放置されている状態でした。

途中の道路もバッキリと割れて先がなくなっていて
Uターンして迂回しなければならないところがありました。


さて活動場所に付きました。
海がすぐそこにある畑。
高い堤防が無残にもばっきりと折れたまま。

依頼された畑の所有者の老夫婦がすでに畑で土を掘り起こしています。
近くにあった家は流されてしまったそうです。
そんなところでまた畑やろうっていうの、おじいちゃん、おばあちゃん・・・・。

でも、もう津波のあとは見たくないとかいって、
ボランティアに瓦礫撤去や清掃を任せきりの被災者も多い中、
自分たちの土地の整備は一緒に・・・という気持ち、
しっかり支えてお手伝いしたいです。

さて、そんなこんなでもう10時半!
どこをどうしてほしいとリクエストを聞いて、
さっそく作業開始!

もう9か月近くたっているので
砂混じりの土はデコボコの形のまま固まっています。
それをスコップで掘り返して、
地中に埋まっている岩やら瓦やらガラスやらサッシの柱やら
木端やら漁具やら何やらかにやらを取り除き、
少し平らにならしていく作業です。

黙々と作業。

途中ボランティアリーダーさんが
「休憩しましょう」
と声をかけてくださいます。
だいたい40分に一度くらいかな。
老若男女いるので、体壊れても困るし、
一応そういう決まりらしいですが、
まあ私をはじめムチャが効くタイプの人は
適当に手を緩めたふりをしながらも黙々と作業継続。

だってー。
時間が短いんだもん・・・・。

あっという間に12時。
「お昼にしましょう」と。

あー。
20人もいるのに1時間半でこれしか進まないんだー・・・・。

釜石のときは5人で瓦礫撤去して途方に暮れたから、
20人いたらすごいはかどるような気がしてましたが、
そう甘くはなかった・・・・。

お昼は持ってきたコンビニおにぎりをほおばる。
お茶も自前を持ってましたが、
配られもしました

参加者のおばさまがみんなのためにと
おまんじゅうやら何やらを持ってきたのが配られもしました。

そうそう・・・
移動中もなにやらチョコやらアメやらお菓子やらが
まわってきました。

あー、あと、
募集要項に、ボランティアの心得として、
靴は踏み抜き防止の物、防水の手袋、ゴーグル、など
服装について書かれているのに、
まあなんと多くの人が準備不十分で来ていることか。
ビックリしちゃいました。
それを承知で主催者側はもう準備しちゃっているしね。

ボランティアは自己完結が鉄則です。

ボラリーダーから
「一関に5時に到着するために
 3時には陸前高田のボランティアセンターを出発しますから、
 広田からボラセンまでの移動もあるので2時には作業終了。」
と告げられました。

えー。
全然時間ないやん・・・・

もうじゃあ休んでないでやろうよ(と、心の中でつぶやく)

さて13時。
作業開始です。

やばい。1時間しかない。

午前中よりもさらにがっしがっしとスコップを土に差し込んでいきます。

もう、なんやねんっていうくらい
塀のブロックやら車のバッテリーやら何やらかにやら出土します

そしてあっという間に時間終了。

半分も終われなかった。
ごめんね、
おじいちゃんおばあちゃん
また違う人たちがきてやってくれると思う。

ものすごい無力感・・・・

そしてまた絶対来るから!
と、強く思う

スコップなんかを海で洗ってバスに詰め込み、
他の女子は着替えるとか言ってバスに籠っちゃったので
わたしはその辺を歩いて壊れた堤防の向こう側の海を見に行く。







わかりにくいけど、堤防破壊されてガタガタです。

海、普段はこんなにおとなしい子なのにね・・・。

ちなみに、
今回は写真NGとわかっていたのでデジカメはカバンの中。
ポケットに入れていた携帯で撮影したので画像粗悪です

バスに乗り込みボラセンへ。



道具を返し、
うがい手洗いをして、
プレハブの中でお茶とお菓子をいただく。

物資余っているのか、
マスクやらホッカイロやら懐中電灯まで、
一人一個持って行ってくださいーと言われましたが、
私は貰わないでおきました。
家にもあるし、荷物になるしね。

その代わりというわけではないけど、
売っていた陸前高田の瓦礫キーホルダーと缶バッジ購入。

壁に貼っていた「震災前の陸前高田」の写真をじっくり見る。

ローカルテレビの取材カメラがうろうろしていたので
インタビューとかつかまらないように何気に避けて歩く

そして帰る時間。

また陸前高田の市街地を横切る。
市街地はもう瓦礫は撤去されています。
地盤沈下で浸水しているのか、
一面水たまりのようになっています。

水たまりの荒野にたたずむ「マイヤ」の看板と一本松・・・・。

行った日はちょうど、
あの「奇跡の一本松」の保存を断念というニュースが流れた翌日だったのですが、
倒れてしまう前にこの目で一本松を見ることができてよかったです。

あんまりじっと見てしまって、
写真撮り忘れましたが

あの凛とした姿、この目にしっかり焼きつけました。

皆さんのために参考画像を・・・。





さて、
今回の陸前高田でのボランティア、
ほんとに短い時間の活動でしたが、
依頼者と一緒に活動できたことや
ボラセンを通した活動を体験できたことは、
前回の釜石体験ではなかったことなので勉強になりました。

陸前高田は被害が甚大でほんとに復興には時間がかかるだろうなと実感しました。
またボラバスに乗って何回でも行ってお手伝いしたいと思います。



陸前高田のボラセンのスローガンは
「つないで陸高、なじょにがすっぺ(なんとかしようぜ)」

ボランティアも少なくなってきている現状のなか、
高田に行った人が、たくさんの人に話を伝えて、
それを聞いた人が「よし私もちょっと行ってお手伝いしてこよう」と思ってくれて、
そういう人のつながりで
なんとか高田を復興させようという思いなのだそうです。

これを読んでくださっている方々にも
この思いがつながっていってくれたらいいなと思います。







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